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35年ぶりに刷新したい!丹生山田ガイドマップ~歴史と文化財を訪ねる~ 神戸市北区

丹生(たんじょう)山田ガイドマップ~歴史と文化財を訪ねる~ 全面改訂版と解説書の発行

現在の支援総額

240,000

160%

目標金額は150,000円

支援者数

29

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2019/09/26に募集を開始し、 29人の支援により 240,000円の資金を集め、 2019/11/29に募集を終了しました

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35年ぶりに刷新したい!丹生山田ガイドマップ~歴史と文化財を訪ねる~ 神戸市北区

現在の支援総額

240,000

160%達成

終了

目標金額150,000

支援者数29

このプロジェクトは、2019/09/26に募集を開始し、 29人の支援により 240,000円の資金を集め、 2019/11/29に募集を終了しました

丹生(たんじょう)山田ガイドマップ~歴史と文化財を訪ねる~ 全面改訂版と解説書の発行

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 摂津国の西の端、湯の山街道上にあるとともに、丹波を経て京都に通じる近道でもあった丹生山田の里は、大きく3回にわたって戦乱の波が押し寄せてきています。 平安時代末期平清盛の所領となった丹生山田の里では、丹生山明要寺が再興されました。当時は僧兵を抱えた軍事拠点でもあったようです。清盛の死後、源義経が丹生山田の里の鷲尾三郎を道案内に、有名な一ノ谷の合戦に向かっています。丹生山上の遺跡発掘調査ではこの年代の地層から消失遺跡が見つかっており、明要寺はこのときに焼き払われたのではないかと言われています。 次は鎌倉幕府の滅亡から南北朝内乱にかけての時期です。倒幕の兵を挙げた足利尊氏と呼応した播磨の赤松円心が平野兵庫から摩耶山にかけて戦闘を繰り広げました。この時代、山城が各地の要害に盛んに築城されたようで、丹生山はじめ周辺の多くの山で砦が築かれました。丹生・帝釈山系の最高峰が稚児ヶ墓山(585.9m、写真中央) そして3つ目の波が戦国時代末期です。織田信長が羽柴秀吉に中国の毛利攻めをさせていた時、三木の別所長治が信長に反旗を翻しました。三木城は秀吉に包囲されますが、信長から離反した荒木村重が花隈城(神戸市中央区)、丹生山城、淡河城(神戸市北区)を経由して兵糧を三木城に送ります。丹生山城には僧兵、武士、人足など約2000人の人々がいましたが秀吉軍の焼き討ちにあい数百人が殺されたと言います。 明要寺にいた稚児たちは尾根伝いに逃れましたが、追手が迫り最後は殺されてしまいました。里人たちがこの亡骸をねんごろに葬った山は稚児ヶ墓山と呼ばれています。山頂には塚を作って、その傍に椿を植えたと伝えられます。東隣の山は、稚児の墓に供える花を手折ったことから花折山と名付けられました。山田民俗文化保存会では、平成27年3月稚児ヶ墓山の山頂に、稚児ヶ墓山伝説遺跡の標識を再建し供養を行いました。このような地域の素朴な伝説を大切にしていきたいと思います。


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 本日もガイドマップ作成のワーキンググループを開催しました。徐々に完成に近づいてきております! 今回、解説書の見直し作業がようやく最後まで進みました。さらに調べなければならないことも出てきたので、担当する会員は次回までの宿題です。 また、地図の間違いもチェックしました。正確で分かりやすいガイドマップを目指します! そして、今回初めてガイドマップの裏面が登場しました!代表的な史跡をカラー写真で紹介しています。旧版のガイドマップはモノクロでしたので、とても分かりやすくなっていると思います。こちらが裏面です。表紙の部分の写真は「六條八幡宮」です! ガイドマップ発行まであと一踏ん張り、頑張ります。


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 相撲の始まりは、日本書紀の「十一代垂仁(すいにん)天皇が野見宿禰(のみのすくね)と當麻蹴速(たいまのけはや)に力比べをさせた」という記述が起源といわれています。稲作文化を持つ日本で、豊作を祈願する神事として相撲が始まり、江戸時代には職業力士が全国各地を巡業するようになりました。 丹生山田の里には、江戸時代に活躍した力士の記念碑が残っています。今回は中村の大歳神社境内にある「八弦山直吉」の力石を紹介します。 「八弦山直吉」は中村出身の大坂相撲の幕内力士で、出世も早く三役入り確実と思われた安政3年(1856年)、加賀金沢で巡業中に倒れ、道半ばにして帰らぬ人となりました。幼少期から怪力で、15歳の時には5斗俵(75kg!)を2俵!軽々と持ち上げたといわれており、写真の力石は、八弦山が持ち上げて以降誰も持ち上げていないと伝えられています。 他にも「大木戸弾右衛門」「嵐山」「白富士」「新玉塔」「山田川」など丹生山田の里は多くの郷土力士を輩出しており、その功績を称えた供養塔などが残されています。古くから地域で相撲に親しんできた証拠でしょうか、今も毎年5月5日には、丹生山の山頂で子ども相撲が行われています。丹生山の子ども相撲 そして平成27年からは、毎年3月に大阪で開かれる大相撲春場所のときに、尾上部屋が山田町原野の箕谷グリーンスポーツホテルに宿泊しています。地域住民有志で後援会を結成し応援しています。いつか丹生山田の里から大相撲力士が出たらいいですね。


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 無動寺(むどうじ)は山田町福地にある高野山真言宗のお寺です。解説冊子に掲載する写真を撮影させていただいてきました。 無動寺は旧名を福寺といい、周辺の地域名「福地」はこれに由来します。聖徳太子創建と伝えられ、本尊の大日如来像をはじめ、国指定重要文化財の仏像を5体も蔵しています。 今回、解説冊子の作成のため、住職のご好意で特別にこれらの仏像を撮影させていただきました。通常は撮影禁止となっておりますので、残念ながらこのページにも掲載することはできません。ぜひお越しいただき実際に見ていただきたいと思います。本堂の隣には茅葺が! 境内の西側、一段高くなったところに鎮座するのが「若王子神社」です。室町時代前期の建立とされ、流麗な屋根の曲線美が特徴です。元々は無動寺の鎮守社でしたが、神仏分離令により無動寺から分離されたとのこと。こちらも国の重要文化財に指定されています。若王子神社 そして、境内周辺の景観がとても素晴らしかったです。美しい樹林のなかできれいに手入れがされており、すがすがしい気持ちになることができました。苔むした参道 丹生山田の里の魅力を再発見した1日でした!


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 ガイドマップと解説冊子の作成は順調に進んでいます。 現在の試作品を少しお見せします!ガイドマップはカラーになりとても分かりやすくなりました。解説冊子も会員が原稿を書き、60ページと充実したものになっています。現在の試作品 そして、リターンの追加が決まりました。丹生山田の里のオリジナル切手です!準備できしだいアップしますので楽しみにしていてくださいね。オリジナル切手(イメージ) ※左の5つの部分が切手です それぞれの写真がどこか分かりますか?活動報告で紹介したところもありますよ。