秋田からこんにちは!蔵人・酒道家の大髙尚人です。ANTCICADAの活動報告をご覧の方は、名前やタグ付で見かけるけど実体がない謎の人物と思う方もいらっしゃるかと思います。現在、僕は東京にいるメンバー達と離れ、一人秋田の酒蔵にて酒造りの修行をしています。お会いしたことがある方は聞き飽きているかもしれませんが、自己紹介と共に日本酒造りに興味を持ったきっかけをつらつらと書かせていただきたいと思います。1994年7月12日生まれの25歳で、東京都東村山市で育ちました。物心つく頃から生き物や自然、科学が好きで、エンジニアの祖父、父の影響で、小さい頃からものつくりや実験、昆虫採集やキャンプなどが大好きでした。弟と一緒に、キャンプで虫捕り。幼稚園の時、家へのお土産は、ダンゴムシやトカゲでした。自分らしさを大事にしてくれる母と多趣味で物知りな父のおかげで、好奇心旺盛でなんでもやってみたくなる性格に育ち、泥だらけになりながら虫網や釣竿を振り回し、川で湖で海で泳ぎ、生き物との触れ合いに明け暮れるように。成長と共に、好きな科学や数学の力も相まって今まで好きだったものがもっともっと魅力的なものだと感じ、より大好きになりました。酒造りに興味を持つきっかけとなったのは、中学三年生の京都・奈良への修学旅行。寺社仏閣や日本の伝統、文化に触れる中で、伝統工芸に携わる職人への強い憧れを抱きます。しかし、職人の道は狭き門。一子相伝なところや小さい頃からの修行を経て職人になるのだというイメージで、憧れの存在止まりでした。そんな中で選んだのは大好きな科学の道。高校は国立科学技術高校の応用化学科に進み、化学の勉強に励みます。ここで、次回紹介がある悪友、内記との出会いがあり、後々の祐太との出会いにつながる事に。内記との出会いが今こんな形で続いているとは思わなかったなぁ。この時期、将来について悩んでいたのですが、父のあるとき言った「科学が好きで職人になりたいなら、"杜氏"とか良いかもな。」というひとことが酒造りの道への大きなきっかけとなりました。それ以来、発酵や醸造の世界に魅了され、大好きな科学と憧れの職人という両方の魅力に溢れた酒造りという仕事に惚れ込んでしまったのです。そこから、日本で醸造学を学べる唯一の大学である東京農大の醸造科学科に進学。ここで先日紹介のあった山口歩夢と出会い、内記の紹介で篠原と知り合って意気投合。シェアハウスで同居人としての生活が始まります。あゆー(山口)の大学時代のレア画像。こういうかわいいところ見せてくるあざといやつなんです。そして在学中も想いはぶれる事なく、念願叶って酒造りの道の第一歩を踏み出す事になりました。活動理由祐太との出会いは、四年ほど前、内記の紹介がきっかけでした。大学時代に精神的に凹みに凹んでボロボロだった時期があり、その時の自分を内記が引きずり出してくれたのですが、それが祐太の開催する虫カクテルのイベントでした。あまりの元気のなさに、祐太自身は初対面の印象が全く記憶にない(笑)そうで、その後シェアハウスを始めるというタイミングで再開したのがある意味本当の始まりです。虫カクテルのイベント。名刺も交換したのですが、祐太は覚えていないそうです笑この時内記が連れ出してくれなかったら、今の自分はないでしょう。この時のこと、すごく感謝しています。それ以来、自然への価値観や食への想いが合致してすぐに意気投合。シェアハウスに通い詰め、入り浸り、準住人という肩書きを経て、いつしかルームメイトになっていました。もはや友人を超えて兄弟や家族のように、生活を共にし、内記を含めた仲間達で海に潜ったり山に登ったり、昆虫食やジビエなど、食の探求を続けていきました。その中で、「将来、自分たちの想いを込めたものを一緒に創ろう。」という約束をし、酒造りの修行に向かいました。正直、活動理由というものを説明する必要がないほどに、祐太の食へ対する価値観、考え方、向き合い方への共感が強く、離れていても、言葉にしなくても、同じ方向を向いていると思っています。理屈ではなく、食べることって本当に楽しくて、面白くて。祐太の言葉を借りると、食は作業ではなく、まさに冒険であり、その冒険を皆で一緒にできることが自分の人生においての生きがいなのです。共に時間を過ごすこと、一緒に自然と触れ合うこと、くだらない話や時には真面目な話をしながら、美味しいお酒を飲み交わしてご飯を食べることが僕にとっての何よりもの幸せです。そしてその幸せを、もっと多くの人と共有し、ずっとみんなで笑顔で過ごしたい。それが僕のANTCICADAにかける想いです。令和元年になった時。こういう時間が一番自分らしくて、なによりも幸せ。IT化が進み、物事がどんどん便利で簡単になっていくこの時代。スーパーには加工されたお肉が当たり前のように並び、飲食店に行けばボタン一つで食べ物が出て来る、そんな時代。コンビニに行けば、24時間いつでも食べ物が手に入り、余ったものは破棄される飽食の時代。技術発達により、一年中同じ食べ物を食べることができ、季節の食べ物、旬の時期が分からなくなってきている。それどころか、魚の切り身が泳いでいると本気で考えている小学生がいる時代。お肉はもともとどんな生き物のもので、誰がどんな風に加工して、どのように調理され、我々の口まで届くのか?野菜はどうやって土から芽生え、育てられ収穫されるのか?そんなことを知らずに、地球への感謝の気持ちを忘れて消費するような生活を送りたくない。日本酒も地球からの恵みであるお米と水を原料に、自然界から取り込まれた微生物達によって醸されるものです。人が造るのではなく、造らせていただくもの。祐太にとっての虫と同じく、お酒でも野菜でも魚でも、全ては地球からの恵みであり、ものは違えど根っこの部分は変わりないものです。僕自身は造り手として、他のメンバーとは違った視点から、地球と向き合えると思っています。その体験をさせてくれているみんなに感謝すると共に、僕にしか出来ない体験をANTCICADAのメンバーと、そしてお越しいただく皆さんと共有できたら嬉しいなと思っています。現在働く秋田の蔵の自社田の様子。今年は米作りにも参加させていただきました。酒造りは微生物という生き物たちに、そして彼らが織りなす発酵という現象に寄り添う仕事のため、冬場は酒蔵を離れられず、寂しいこともありますが、食の最前線を突っ走るみんなからいつもエネルギーをもらって、夏に会えることを楽しみに頑張っています。長々と失礼致しましたが、ここまでおつきあいいただきありがとうございました。しばらくの間は直接お会いすることが難しいかもしれませんが、このメンバーと、皆さんと一緒に食の冒険の日々を送れることを楽しみにしております。夏にはぜひ、一緒にお酒を飲み交わしましょう!何卒、よろしくお願い致します。ANTCICADA 大髙尚人
メンバーの想い の付いた活動報告
こんにちは料理人の白鳥翔大です。今回は僕の自己紹介と意気込み、なぜチームに加わったのかをお話ししたいと思います。静岡の田舎で育った僕は小さい頃から、イモリ、カメを捕まえては飼ってみたり、お風呂みたいなバカでかい水槽で熱帯魚を家で育てたりするような theわんぱく少年でした。特にお気に入りだったのは家の横にある小さな川でする鮎の銛突き。捕まえた鮎たち。これが本当に難しい。水の中を新幹線の様に泳ぎながらも、まるで踊っているかの様な不規則なリズムのターン。ずっと熱中になり、夏になると朝から晩まで毎日通って遊んでいました。(今でも帰郷してするたびに欠かさず行きます。)今思うと、自ら魚を捕る→自ら調理する が日常の遊びの延長線にあり、大自然の中で美味しい!!を幼いながらに体感していました。そんな子ですから、自然と食にも目覚め、朝ごはんを食べながら「今日夜ご飯どうする?」と何度も聞く無邪気な少年が出来上がり、聞くたびに母は「とりあえず朝ごはん食べて笑」と笑い呆れていました。「なんで料理の道に、、、?」と聞かれることが多いですが「知らぬ間にいつの間にか好きになってた、、、」とだけいつも答えます。決心を固めたのは高校の進路選択。好きなことしか頑張れない性格は自分が一番よくわかっていた事と、料理って職にしなくても必要になるし、最悪料理できるかっこいいパパのはなれるなと楽観的な考えも持ち合わせながら専門学校へ行き『L'Effervescence 』へ就職します。調理場でいろんなことを学びました。フレンチが好きでというよりかは(実際は焼肉が大好き)、素材の丁寧な扱い方と活かし方、調理工程におけるなぜ?を一番噛み砕いて学べると思ったからの決意でした。実りのある6年間でした。休みの日に生産者さんの所にみんなで行くのが何よりも楽しく、食材の愛し方を学びました。そしてそれらが美味しさに直結することを学びました。次に選んだ場所はデンマークにあるレストラン『relae』『koks』でした。『relae』は世界で一番サスティナブルなレストランの賞を2年連続で取っている様な、食材を大切にしている店です。relaeの外観。北欧の地をシェフ自ら耕し、タネを撒いて育て、料理をして世界中から来るお客さんに自ら説明をして食べてもらう。植物の一生に寄り添いながら料理する。何物にも代え難い体験をする事が出来ました。『koks』はアイスランドの近くのフェロー諸島にあるレストランです。嶮しい自然が広がってる山間にポツンある、世界一行くのが大変とまで言われているレストランです。koksの外観。岩石の地面と強風で野菜や木は育つのが不可能、鯨と羊を余す所無く使い、数少ない食材のレパートリーをアイデアとテクニックで昇華させる店は、恵まれた自然を持つ日本の食文化とは逆の体験でした。天候や自然環境にどれだけ支えてもらっているかを痛感させられた経験でもありました。異国の地で共に働いた仲間たち。ある休日。フェロー諸島の海岸で、スーパーの安いシナモンロールを持って今後について考えている時に祐太から電話がなりました。「命を大切にするレストランを作りたい。」彼の熱い気持ちを聞いる内に、自然と「やろう!」と言っていました。1万キロ離れた電話での約束は忘れられないものになりました。各々が今までしてきた冒険が段々と束になって、いつの間にかみんなの冒険になっていきました。ANTCICADAは、地球を愛し、探究するレストランです。肉も、魚も、野菜も、虫も、分けへだてなく愛し五感で味わいます。僕は料理人として肉も、魚も、野菜も、虫も、分けへだてなく愛して、おいしいだけでなく、何か今までとは違った視点や価値観を拡げるきっかけを見出せたらなと思います。命を大切にしていきます。そしてこれから始まる冒険は、皆さんと一緒に日々味わっていけたらと思います。「食は作業ではない、冒険だ。」ANTCICADA 白鳥翔大
はらぺこむしの豊永裕美です。 上手に伝えることが苦手なので、気長に読んでください、、笑私の両親は長崎県の壱岐島出身で、私は福岡と壱岐島で育ちました。小学時代に壱岐島で過ごした時間が、今の私がこうして自然を好きになり、自然と関わる仕事をしている最大の理由です。私の祖母は壱岐島で和牛の繁殖農家と米農家をしています。学校から帰ると牛の餌やりを手伝ったり、牛の餌になる草を切りに行きました。夏は家の下にある海にこっそり泳ぎに行って、ずぶ濡れで帰って来るものだからすぐにバレて怒られていました。。秋は親戚みんなで米の収穫をします。帰りには、野いちごや桑の実、椎の実やグミ、アケビにヤマモ取りに必死になって帰宅が遅れていました。笑(食い意地をすでに発揮してる。。)壱岐島で過ごした時間が今の私そのものです。(書きだしてみると、特に何も変わっていないな、、笑)小学生の頃から農業をしたい!と言う私におばあちゃんは「農家は苦労するからなるものではない」と言っていました。中学、高校と福岡で過ごしたのですが、一次産業に対する想いは増すばかりでした。そこで、東京農業大学のオホーツクキャンパスに進学しました。九州の小さな農業とは違い、北海道の大規模な一次産業を実体験できると知り、飛び込む様に入学しました。網走では、想像の倍以上に一次産業を経験をすることができました。そして、色んな方にお世話になり、今でも野菜や魚を届けていただいています。本当にありがたいです、、!網走は私のもう一つの故郷です。(長くなるのでまたいつか、、笑!)大好きな長芋の収穫!お気に入りの長芋を見つけては取っておいて持って帰っていました。笑搾乳のアルバイト。早朝と夕方に2回の搾乳。本当に動物相手の仕事は大変とはこの事です。寒くて牛の髭もカチカチぴかぴかいつも美味しい牛乳をありがとう。ホタテバイト!漁の時に船に乗れるのは男性のみだけど、この日は特別に。卒業前に最初で最後の乗船。そして、私は自分が一次産業をするのではなく、一次産業をさらに面白くしていきたい!と漠然とした考えで東京に上京しました。笑あまりに漠然としていたので、自分に何ができるのか分からず、悶々と3年間を過ごしていました。苦手なオフィスワークをしてみては一日屋内で座ってられず、、やっぱり外仕事がいい!!と園芸屋で働いたり、奥多摩に泊まり込みで林業をしてみたり、、様々な事にチャレンジしてきました。しかし、何をしていてもモヤモヤして全てを心から楽しめず、自分らしさを完全に失っていました。笑笑そんなこんなで3年間も東京でうじうじしていたところ、一年半前に友人の紹介で篠原祐太に出会いました。2回目に会う時は、コオロギ ラーメンのイベントの手伝いをお願いされ、訳がわからないまま、イベントの手伝いをしました。笑、その後も、イベントを手伝ったり、篠原くんの仲間の集まりに誘ってもらったりして、積極的に同じ時間を過ごしました。出会って半年経つ頃には一緒に働きたいと何度か声をかけてくれていたのですが、私にできることなんて無いから。。と遠慮して断り続けていたのを覚えています。笑そして、今年の6月。いつも通り、テレビの取材のお手伝いをしていました。 その日は珍しく体調を崩して、自分の思うように手伝いができませんでした。そんな時、代わりに手伝ってくれている友達に対して、手伝ってくれてありがとう。と自然に思う自分がいました。その時に、篠原くんやけんとくんと気持ちが変わらないじゃないか!!と自分の心境の変化に気がつき、その日がきっかけでANTCICADAへ加入しました。まだ私は昆虫の事が詳しいわけでもなく、特別に大好きなわけでもありません。(嫌いじゃないけど、そんなにサワレナイ、、)しかし、なんであろうと美味しいものは食べてみたい。思っています。笑食べたことない昆虫しかない!と言っても過言ではないし、まだまだ試されたことのないレシピばかりで、楽しみがいっぱいです!!とはいえ、今でも初めて食べる食材と向き合う時はワクワクだけでなく、緊張もする事もあります。でも、食べて美味しいと分かった瞬間に昆虫から食材に見える!(小学生の時も育てている和牛を見て美味しそうだと思ったことがありました笑)この瞬間が面白くて仕方ないのです。コオロギラーメンを食べていただく時も、緊張や恐怖心を持つ方が大半です。しかし、しっかりと説明して食べていただく。そうすると、ゲテモノやただの昆虫から食材へと少しずつ見え方が変わっていき、コオロギラーメン以外の料理も全て食べていただけたり、連日イベントにきてくださる方もいます!よ?私もまだまだ昆虫食初心者みたいなもんです。笑これから多くの方と一緒にいろんな昆虫の食べ方を楽しんで行きたいです☆そして、私の目標やモチベーションの話。先日初めて、150人分のケータリングを提供させていただきました。木やつる、スギや南天は私が壱岐島に帰った時に、おじやおば、従兄弟や祖母と(飼い犬のプラスもついて来てくれた!)一緒に採ったものを使いました。壱岐の親戚みんな協力してくれました!あぁ壱岐に行きたい!元々、自然のものを採ったり飾ったりが大好きだった事もあり、まさかここで活かせたか、、!!と驚くばかりです。笑これからも出先でみつけた美しいものを皆さんに見て共感してもらえると嬉しいです!料理は私が思いついたメニューをシェフの白鳥が美味しく仕上げてくれます!!笑レストランとはまた一味違った遊び心溢れる料理を考えていくので、クラウドファンディングの返礼としても、是非ご利用くださいね☆(現在、蜂の子ひょっこり!味噌蓮根や蜂の子ラム酒バターなどを試作中です!!)ケータリングの様子です。次はどんなケータリングにしようかな、、形になるのか不安も大きいですが、本当に楽しいお仕事です!そして、何より大切な食材調達も担当させていただいています。私の目標は、虫取りを一つの職業にする事です。昆虫食は未来食とよく耳にすると思いますが、実は日本の伝統食です。長野や岐阜、宮崎では昆虫食が伝統食として今でも食べられています。(地蜂なんか朝から並んで取り合いです!笑)しかし、現在、食材の昆虫を入手することが難しい状態です。理由は様々ですが大きくは、農薬の散布により、虫たちの住める場所が減っている事と昆虫を取る人が高齢化で減っているのが原因です。そこで私は一次産業をしている方に虫取りを兼業してもらおう。と考えています。そもそも、前例があまり無い為、来年は自分で学びながら走っていきます!笑今激減している蚕の養殖を学び、食としての可能性をさらに広め、蚕の養殖の現場を守ります。鈴木さんのお家では蚕の餌になる桑の葉に農薬が付着しない様に、周りの農家さんたちに声をかけて農薬を散布しないようにしてもらっているそうです。快く協力してくれる人の環境も含め、美しすぎる!本当に感動の嵐のような場所です。その他諸々とても素敵な環境なのですが、またinstagramなどで紹介させていただきます、、笑今年はこの桑の葉を収穫し、お蚕にあげます!たのしみ!スズメバチは殺虫剤を使わない駆除方法を習得します。駆除するだけでなく、蜂の命も最後まで大切にいただく事で多くの人に、害虫とされている虫に対しても、何か自由に考えて感じてもらえるキッカケが出来れば嬉しいなと思っています。大好きな蜂ハンター田迎さん!田迎さんの影響で蜂にとはまりしました笑!超刺激的です!東京地蜂クラブにも入会しました!地蜂=ヘボは日本の昆虫食を代表するといっても過言ではありません。ヘボの伝統をもっと知りたい、、!来年は山でヘボ追いを実体験します!串原ヘボ祭りで出会ったおじ様たち!いいヘボとってもらったよ!ざざ虫もセミも今年よりも多く採れるようになり、サクラケムシの糞も採集方法を考えなければなりません。(めっちゃありすぎるやん、、笑)とにかく、レストランで多くの人に昆虫たちを味わってもうことで、昆虫市場を大きくして、虫取りを職業にしたいと思います!笑虫取り師、募集中です!!!一緒に試行錯誤しながら本気の虫取りしませんか?(季節労働も可。笑)(私も全国回りながら年中虫取りしたいな、、)という具合です!これからもよろしくお願いします!!ANTCICADA はらぺこむし
こんにちは。山口歩夢です。現在は東京農業大学 大学院に在学しており、人間の味覚についてや醸造について研究を行っています。また、日本酒ベンチャー企業「WAKAZE」で様々な商品の開発を行ったり、ANTCICADAでも、「タガメジン」や、「コオロギ醤油」の開発を中心になって行っていたり、開業するレストランではその知識を活かし、アルコール、ノンアルコールドリンクの選定、ペアリングの構築などを行います。お手伝いしている「Mitosaya薬草園蒸留所」では、収穫した植物でノンアルコールジンを蒸留したりも。昨年11月末、同じくANTCICADAのメンバーである大髙より、篠原を紹介され、話してみたところそ日のうちに意気投合。一緒に虫を使った色々な商品や料理を作りたいという話になりました。自分自身、まだ食べたことのない食材や飲んだことのないお酒に出会うのがとても好きで、今でもその気持ちが活動の原動力になっています。「発酵」のイベントに登壇させてもらったりもしました。さて、自分にはもう一つの顔として「酒マニア」という一面を持っています。特に、「ジン」や「フルーツブランデー」が好きで、家にあるお酒は約400種類にも及びます。「Mitosaya薬草園蒸留所」でも、定期的に自前のお酒たちをお客さんに提供しています。世界各地のお酒を買い集め、飲んで楽しむ。日本で売っているものから、まだ日本では未発売のもの、限定品まで様々なものが揃っています。以前、ANTCICADAメンバーを家に招き、家にあるお酒を振る舞いつつ会議などをしたことがあるのですが、「この体験は感動的で、ぜひクラファンのリターンに使いたい!」とのことで、なぜか「山口歩夢の秘蔵酒会」というリターンが組み込まれることになりました。世界中の面白いお酒を用意しているので、ぜひ皆さんと一緒に飲める日を楽しみにしています。ANTCICADA 山口歩夢
こんにちは!食べものがかりの関根賢人です。いつも僕らの活動を見守ってくださり、本当にありがとうございます。さて、年末年始ということで振り返りの意味も込めて、今回から各メンバーがANTCICADAへの想いや意気込みを綴っていきたいと思います。第1回目は、ぼく(関根)の簡単な自己紹介と、ぼくがANTCICADAで活動している理由についてお伝えしていければと思います。ぜひ読んでいただけたら幸いです。自己紹介改めて、関根賢人と申します。1994年11月8日生まれの25歳。埼玉県越谷市登戸町に生まれ、小さい頃から好奇心旺盛で、好き嫌いはなく、身の回りにあるあらゆる食べものを食べて育ちました。おじいちゃんの畑仕事をお手伝いするのが大好きでした。小学校卒業までは地元ですくすくと育ち、中学校からは越谷市と港区を往復する毎日。両親が共働きだったこともあり、昔から必要に駆られてよく料理をしていました。家族や友達に料理を振る舞うのも大好きでした。高校は慶應義塾志木高校という森の中で、毎日校内に生えている柿を食べながら、自由奔放な生活。高校1年生の時に旅の魅力を知り、それからというもの、国内外のいろんな所へ旅をしてきました。大学生の時には、エチオピアのコーヒー農園を訪れ、友達と都内でコーヒー屋さんを開いたり、アイルランドにあるオーガニックファームで働いたりもしていました。鶏の鳴き声で起きて、寒い中野菜を育てて、その野菜で料理をする毎日。世界一周をしながら、いろんな食べものを食べたりもしていました。道端で出会った子供たちのお家に招待され、食べたり歌ったりお泊まりしたり。卒業後は悩みながらも一度就職をしましたが、やっぱり「食」で生きていきたいと思い、料理を探究するために「le sputnik」というお店で修行をしたりもしました。また昔から温泉や銭湯、サウナが大好きで、国内外の湯をめぐるのが人生の大きな楽しみになっています。持ち運びが出来るドラム缶風呂やテントサウナを持っているので、山奥の川辺や海に囲まれた小島など、自分の好きな場所に銭湯を出現させることが可能。フィジーの温泉にて。どなたか興味ある方、一緒にいい湯に浸かりましょう。今はというと、「食べものがかり」として、食べものを食べたり、料理を作ったり、生き物を捕まえたり、開業に向けたあんなことやこんなことをしたりと、毎日ANTCICADAに関わる色々なことをしています。活動理由僕は昔から好き嫌いなく、どんなものでも残さず食べる人でした。刺身に盛られてるツマもタンポポも、野菜の皮や軸も、海老の尻尾や魚の顔も、旅先での未知の料理も、いつも家族や友達の分まで残さず食べていました。 野外でザリガニやカエル、野草などに出会った時も、いつも美味しく食べていました。ただ、自分は美味しいものをたくさん食べられるから幸せなのですが、非難はされないまでも「変わってる」という周りからの反応には違和感を感じることがよくありました。 「捨てるのもったいないし、そもそも美味しいんだよ。」「おいしいが増えれば、食事の時間が楽しくなるし、毎日の食事が楽しければ人生豊かになっていくんじゃないか。」そんなことをいつも思っていました。そんな中で、いつからか周りの友達に「実は美味しい食べもの」の魅力に気づかせる企画をしたり、廃棄食材で料理を作ったりするように。和洋中しか食べない友達に、世界中の美味しさを知ってもらうおうと始めた「食の世界一周旅行」。最初は乗り気じゃなかった友達も、企画自体を楽しんでるうちに「おいしい」が増えていました。友達が「え!おいしい!」と言って価値観が広がっていくのを見ていると、心の底から喜びを感じられたんです。自分が良いと思ってるものの魅力を共有できたとき、すごく幸せな気持ちになるなあと。 僕は「おいしいを増やす」ことが大好きなんだと感じていました。 そして出会ったのが篠原祐太。今から2年半前、2017年6月に祐太の主催する昆虫食イベントに行ったのが最初でした。この一年、いろんなことを経験してきたね。まだまだネガティブに捉えられている虫たち。けれど食べてみると実は美味しい虫たち。まさに祐太が「おいしいを増やす」食体験を通じて、人々の価値観を拡げている場に出会い、こんな食体験を提供したいと心の底から共感しました。何より自分自身が、食べた瞬間に「え!うまい!」と虫たちの溢れ出る魅力に感動してしまったんです。それからというもの、祐太のコオロギラーメンのイベントを手伝う度に、お客さんたちの価値観を確実に拡げている食体験に、とてつもなく面白みを感じるようになりました。コオロギラーメン。虫を食べるという体験をすると、身の回りのあらゆる生き物たちがおいしい食材に見えてきます。地球は未発掘の味覚の宝庫。昔から「おいしいを増やす」ことが大好きなぼくにとって、虫たちは心強い相棒です。そして「おいしいを増やす」体験は、食だけに限らず、日常、そして人生のあらゆる場面での視点や価値観を拡げるきっかけにもなるのかなと思っています。ANTCICADAでも、そんなきっかけを作り続けていけたら幸いです。一緒に地球を味わえる日を楽しみにしています。ANTCICADA 関根賢人