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原発さえなければ 避難指示解除の飯舘村を描くドキュメンタリー

2011年3月12日から、いち早く福島に入り記録を続ける映画監督・豊田直巳と野田雅也。2017年に避難指示が解除された飯舘村で、帰村をめぐる村人たちの葛藤、そして挑戦を描いた最新作『サマショール ~遺言 第六章』の完成が近づいています。全国公開に向けてご支援をお願いします。

現在の支援総額

1,737,000

69%

目標金額は2,500,000円

支援者数

134

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2020/01/08に募集を開始し、 134人の支援により 1,737,000円の資金を集め、 2020/02/29に募集を終了しました

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現在の支援総額

1,737,000

69%達成

終了

目標金額2,500,000

支援者数134

このプロジェクトは、2020/01/08に募集を開始し、 134人の支援により 1,737,000円の資金を集め、 2020/02/29に募集を終了しました

2011年3月12日から、いち早く福島に入り記録を続ける映画監督・豊田直巳と野田雅也。2017年に避難指示が解除された飯舘村で、帰村をめぐる村人たちの葛藤、そして挑戦を描いた最新作『サマショール ~遺言 第六章』の完成が近づいています。全国公開に向けてご支援をお願いします。

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2020年1月10日、飯舘村に向かった。映画の宣伝素材を集めるため、電車、バス、車を使って訪れた。村の道路には、車が行き交う。大きなダンプカーが頻繁に通り、その度、目をむけてしまう。村を巡回するバスルートをインターネットで見つけ、そのルートのいくつかに沿って、車を走らせた。長谷川さんの蕎麦の花は見られなかったが、除染作業で出たフレコンバッグ(黒い大きな袋)が積み上がった様は、村のあちこちで見ることができてしまう。途中、「飯舘村交流センター」に立ち寄る。そこには「令和二年 飯舘村成人式」の立て看板があった。令和最初の成人式を村の人たちは、どんな思いで迎えるのだろうか。成人の機会は平等に訪れるが、飯舘村の今の環境は不平等だろう。今年の蕎麦には1キロ当たり26ベクレルのセシウムが含まれ、村のあちこちにはフレコンバックが据え置かれる。これは普通のことでは決してないんだと、新たに心に刻み、また車を走らせた。スタッフ記追伸:監督豊田直巳の「浪江町」成人式の記事が、「映画『遺言』プロジェクと」のフェイスブック(1月12日)にアップされています。https://www.facebook.com/yuigon.fukushima/


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飯館村に戻り農業を再開した佐藤忠義さんは言う。「農業なんていうのは、ほんとうはやりたくないのよ。 やりたくないわよ、75歳にもなってんだから。  おわら、後期高齢者、ほんとは賞味期限きたんど、はあ。 なんだって、ほんに。 のんびりして、こう優雅に過ごしていた方がいいんだけれども、 この農地、これだけの農地、誰が手入れするの。 30ヘクタール。」


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長谷川健一さんがトラクターでソバの種を蒔くかたわらで、種や肥料を準備しながら連れ合いの花子さんが言う。 「ここは西地区って言って、お父さんたちが代表で農地管理組合を立ち上げたんだよね。 (山土の)表土を剥いで、畑に作ったの。 その時の『自分たちで作った』っていう思いがお父さんたちにはあるから、 土地を荒らしたままには置けないっていう気持ちになるんだろうね。」


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農機具を保管する倉庫の奥から「地元産・手打ちそば」と書かれた大きな看板を見つけ出した長谷川健一さんは懐かしんだ。「山津見神社のお祭りに合わせて、この看板を立ててて。 それで、あの”ふれあい茶屋” で、蕎麦打ちやってたんだよ。 好評でな。このソバを待ってるお客さんもいたんだよ。」               この秋の収穫は翌年に規模を広げて蒔くための種にする。しかし、ソバに含まれる放射能濃度を測ると、1キロ当たり26ベクレルのセシウムが含まれていた。


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飯舘村を中心に、豊田と野田は放射能汚染地帯の取材を始めた。しかし、取材場所は飯舘村から福島市に、伊達市に、川俣町に、郡山市に、山形県に、と広範囲に広がった。村人が離散を強いられた結果である。ある者は狭い仮設住宅やアパートに入り、あるい帰村はあきらめ、飯舘村以外の場所で家を新築したり中古住宅を買い求めた。一方で、原発事故の責任を認めないかのような国や東京電力と、被災者との間で裁判やADR(裁判外紛争解決手続)が多発した。国策による「除染」事業も始まった。人々が追われた村を大型重機が、ダンプカーが走り回り、放射能汚染土を詰め込んだフレコンバッグの山が築かれていった。そして、2017年3月31日、村に発令されていた避難指示が解除された。「いずれ避難指示は解除される。そのとき、どうするかだ」そう考えていた元酪農家の長谷川健一は、妻・花子や、地域の仲間たちの協力を得て、ソバを栽培することにした。「子どもも孫も帰らない。帰って来させない」ふるさとに帰ったのは何故か?人が生きるとは?放射能汚染地帯に暮らすとはどういうことか?答えを求め、悩みながらも歩み始めた人々にカメラは同行する。監督:豊田直巳