Check our Terms and Privacy Policy.

原発さえなければ 避難指示解除の飯舘村を描くドキュメンタリー

2011年3月12日から、いち早く福島に入り記録を続ける映画監督・豊田直巳と野田雅也。2017年に避難指示が解除された飯舘村で、帰村をめぐる村人たちの葛藤、そして挑戦を描いた最新作『サマショール ~遺言 第六章』の完成が近づいています。全国公開に向けてご支援をお願いします。

現在の支援総額

1,737,000

69%

目標金額は2,500,000円

支援者数

134

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2020/01/08に募集を開始し、 134人の支援により 1,737,000円の資金を集め、 2020/02/29に募集を終了しました

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

原発さえなければ 避難指示解除の飯舘村を描くドキュメンタリー

現在の支援総額

1,737,000

69%達成

終了

目標金額2,500,000

支援者数134

このプロジェクトは、2020/01/08に募集を開始し、 134人の支援により 1,737,000円の資金を集め、 2020/02/29に募集を終了しました

2011年3月12日から、いち早く福島に入り記録を続ける映画監督・豊田直巳と野田雅也。2017年に避難指示が解除された飯舘村で、帰村をめぐる村人たちの葛藤、そして挑戦を描いた最新作『サマショール ~遺言 第六章』の完成が近づいています。全国公開に向けてご支援をお願いします。

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

thumbnail

2016年7月1日、全村避難から5年ぶりに飯舘村役場が本庁に戻った。帰庁式参加者の挨拶で、原子力災害対策本部(内閣府)副部長が祝辞を述べ、最後に元気よく「本日は、誠におめでとうございました」と力を込めた。え、いまなんて言った??(私)冒頭の「お祝いを申し上げたい」という言葉にも驚いたが、最後に「おめでとう」はないでしょ!スピーチでは「復興に向けた第一歩」、「スタートダッシュ」など威勢の良い言葉は並ぶが、放射能の「ほ」の字も出なければ、謝罪の言葉もない。その後、参加者約50人の紹介が行われたが、原子力災害対策本部の祝辞につられてか、福島市長も、県知事代理も、相馬市長代理など名前を呼ばれると立ち上がり、「本日は、おめでとうございます」と深々と頭を下げる。そして拍手が轟く。参加者50人すべてが「おめでとうございます」と集団で連呼し、飯舘村民までもが立ち上がって「おめでとうございます」。そして拍手…。ふるさとを汚され、家族や仲間をバラバラにされ、自ら命を絶った人もいる。散々な目にあったのですよ。加害者が被害者に「おめでとうございます」。被害者が加害者に「おめでとうございます」。??????集団心理が、見えない放射能に、見えない蓋をする。野田雅也(共同監督)


thumbnail

クラウドファンディングも残り1週間となりました!現在の支援状況です。---------------------・寄付総額: 732,000円 (あと1,768,000円)29%・支援者数:68人・残り8日---------------------ご支援いただいたみなさま、ありがとうございます。残り約170万円を集めて成功させるために最後まで諦めずにがんばり続けたいと思います。引き続き、応援をよろしくお願いします。本日は、リターンの一つ、映画『サマショール〜遺言 第六章』のパンフレットをご紹介します。写真は、昨日入稿が完了したばかりの出来立てほやほやのデータです。映画の背景、登場人物紹介、監督メッセージなどはもちろん、豊田直巳監督作成の飯館村年表もついています。また、何より注目していただきたいのは両監督撮影の美しい写真たちです。元々、共同監督の豊田直巳と野田雅也はフォトジャーナリスト。二人が撮影した素晴らしい写真には、除染土が入ったフレコンバックが写り込む。これが飯館村の現実です。ぜひパンフレットをご覧いただき、みなさまにも福島の現在について一緒に考えていただきたいです。このクラウドファンディングでは、3万円以上のご支援をいただくと、パンフレットをリターンとしてお贈りする予定です。まだ支援されていない方も、すでに支援されている方も、ぜひご検討ください。


thumbnail

フォトジャーナリストの豊田直巳です。もう一息、残すところ、あと9日です。まだの方、是非、ご支援ください。すでにご支援、ご協力を板田ている方、ご友人にご紹介なさってください。写真はオリンピックの聖火リレー・飯舘村コースのゴールとなる道の駅です。3月に入り、新型肺炎問題が収束に向かえば、日本のムードは「東京オリンピック」一色となり、聖火リレー報道で、この写真の場所も「復興五輪にふさわしい」と繰り返しマスコミ報道されるかもしれませ。しかし、そこには映らないのが、村人の暮らしです。その日々、生きる人びとの姿を通して福島を描いた『サマショール 遺言 第六章』が全国で上映できるよう、クラウドファンディングで、皆さんのお力添えをお願い致します。豊田直巳(共同監督)


thumbnail

前作『遺言 ~原発さえなければ』にも登場していただいた浪江町赤宇木の関場健治・和代さん夫妻の一時帰宅に同行した。荒らされた室内に入ると、ケモノたちの宴の跡。イノシシは畳に背中をこすりつけ、サルはお客用の布団を引っぱり出して寝床に、ハクビシンは屋根裏を簡易トイレに使っていた。庭先には白骨化したイノシシの下アゴも落ちている。倒れかかった棚の引き出しを開けると、引き延ばした1枚の写真が出てきた。ドレスアップした2人が手を取り合ってキャンドルに火を灯す結婚式のもの。「3月14日が結婚記念日だったんですよ」和代さんは30年以上前のことを振り返る。2人は同じ津島の集落に生まれ育ったが、見合いで知り合う。「この人だ」と感じ、4か月後にスピード結婚。それから、野山をかけめぐり育った1男2女は、それぞれ結婚して巣立っていった。健二さんは趣味の盆栽を育て、渓流釣りに興じ、自然に囲まれた暮らしを楽しんでいた。そして2011年、結婚記念日直前に3号機が爆発し、赤宇木に大量の放射性物質が降った。「逃げ惑うばかりで、記念日のことは忘れていました。 ほんの数日の避難のつもりが、100年もふるさとに帰れないなんて…」。一時帰宅したこの日、わずか4時間の滞在で、積算計は11μSvを示す。「想い出がたくさん詰まっているからこそ、ふるさとなんです。 この風の香りが、どんなに懐かしいことか」茨城県に新居を購入し、帰還困難区域の赤宇木に戻るつもりはない。「どこにいても、いつも心にぽっかり穴が空いた状態なんです…」野田雅也(共同監督)


thumbnail

豊田と野田が、取材の時によく訪れていた飯坂温泉(福島市)。摺上川の渓谷沿いに温泉が湧き出し、奥州三名湯のひとつである。常宿にしていた前野屋は、川沿いに建ち、昔ながらの風情のある旅館。昭和初期に建てられ、外から見ると、建物自体がほんの少し右側に傾いているのだが、3.11の地震によく耐えられたもんだと感心する。フクイチ周辺の高線量地帯で数日間取材していると、なぜか体がぐったりと疲れることが度々あった。そんな時、ふたりで飯坂温泉に足を運ぶ。足のつま先も浸けられないほどに熱い湯に、ホースを突っ込み冷水でうめる。(注)他の温泉でこれをやると、地元の人に叱られます。ぬるめの湯にゆっくりと体をつけると、体内の疲れが飛び出して行くかのように、体が楽になるのです。そして翌朝、老夫婦が届けてくれる炊きたてご飯のおにぎりを食べ、また次の取材地へ向かうのでした。この温泉街にある神社で10月に行われる「飯坂けんか祭り」も圧巻だ。大勢の若者に担がれた6台の太鼓屋台が激しくぶつかり合い、神輿の宮入りを阻み合う。激しくぶつかり合う屋台だけでなく、男衆の殴り合いの大乱闘も始まり、観客の興奮もピークに。荒っぽいけど、見どころ満載のお祭りである。震災後、避難者の受け入れに奔走した飯坂温泉。しかし一般客の減少で、どの温泉旅館も厳しい状況にある。福島市から20分の距離にある川沿いの飯坂温泉。ぜひ立ち寄ってみてはいかが。野田雅也(共同監督)