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北海道ゲストハウス合同情報発信プロジェクト!今だからこそ思いを届ける。

ゲストハウスという出会いと発見に恵まれ、新しい世界への扉になりうるような素敵な場所があります。北海道のそんな素敵な場所を、多くの人に知ってもらいたい。今後事態が沈静化し、北海道に快適で心地よい風が吹き始めた頃、北海道中のオーナーと皆さまに出会いの種が芽吹くことを願いながら。

現在の支援総額

2,071,521

207%

目標金額は1,000,000円

支援者数

303

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2020/03/30に募集を開始し、 303人の支援により 2,071,521円の資金を集め、 2020/04/29に募集を終了しました

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北海道ゲストハウス合同情報発信プロジェクト!今だからこそ思いを届ける。

現在の支援総額

2,071,521

207%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数303

このプロジェクトは、2020/03/30に募集を開始し、 303人の支援により 2,071,521円の資金を集め、 2020/04/29に募集を終了しました

ゲストハウスという出会いと発見に恵まれ、新しい世界への扉になりうるような素敵な場所があります。北海道のそんな素敵な場所を、多くの人に知ってもらいたい。今後事態が沈静化し、北海道に快適で心地よい風が吹き始めた頃、北海道中のオーナーと皆さまに出会いの種が芽吹くことを願いながら。

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Oniya Guest House Noboribetsu Stationの原 研です。2019年に登別駅前にオープンしたゲストハウスです。登別温泉や近隣の街へのアクセスも良く、便利にお使い頂けるかと思います。また登別では、登別温泉はもちろん、オロフレ峠の景色、室蘭の地球岬やトッカリショ、虎杖浜の温泉、地元の食堂や美味しいアイスクリーム屋さんなどなど、ローカルの魅力に溢れています。道内や本州各地に旅をしてライダーハウスを経営したオーナーが旅トークと共に地元の魅力をお伝えします。旅人さんと旅の話をするのはとても楽しいですね。話題の先に興味が湧いてきて、自分も旅に出たくなります。登別にいらっしゃる際には是非ご利用ください。


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こんにちは。北海道小樽市でカフェバー&ホステルを運営している中源と申します。僕は学生時代の20年間を小樽で過ごしました。その後、飲食の世界に入り東京5年半、オーストラリアはワーキングホリデーで2年間 その後、シンガポール半年、北海道ニセコで3年間の経験を経て 地元小樽に「小樽に訪れる人達と地元の人が共に交流できるようなお店を作りたい!」という思いで、1階は誰もが入れる飲食店・2階は世界中の方が泊まることが出来るゲストハウスを2019年2月25日にオープン致しました。1869年 明治時代初期から歴史を刻んで来た小樽 そこには様々な人々の暮らしや文化が築かれてきた 港町小樽 石炭やニシンを中心とした多種多様な産業商品が小樽に集積され 国内・国外にへと運ばれて行きました。 その運搬や貯蔵のために、小樽運河や石造り倉庫街が急速に発達。 北海道最初の鉄道は小樽手宮~札幌まで続き、多くの人と物が行き交うようになりました。 あれから約150年のときを経て、本来の役目を終えた歴史的建造物が観光資源として 有効活用され小樽は観光のまちへと変化していきました。 そんな歴史のある小樽に当店の石蔵が残されていました。小樽には多く存在する小樽軟石を使った石蔵です。 年々人口が減り、昔ながらの古民家や歴史的建造物が減っていくなかで もっと人々に昔の小樽の歴史を感じつつ、新しい小樽.北海道の文化を世界に発信できるような 場所を作りたいと思い、この場所にCAFEBAR&HOSTEL[石と鉄~STONE and IRON] をオープン致しました。 テーマは店名の通り、「石と鉄」 小樽軟石の石蔵をそのまま活かし、小樽の鉄の文化を融合させたモダンスタイルな店内 小樽焙煎のオリジナルブレンド豆を使ったエスプレッソコーヒーやラテ 地元の小樽地鶏を使ったアジアンテイストな料理とカフェ&バーフード 小樽や後志管内、北海道の食材・飲み物を揃えたカフェ&バーです。2階ゲストハウスフロアは「石蔵に泊まれる」をコンセプトに清潔感を出しつつ石蔵の質感を生かしたシンプルな客室になっています。現在新型コロナウイルス感染拡大防止の為、5月6日までCAFE&BARの営業も休業中ですがGW後、コロナが収束したら笑顔と美味しい食事やお飲み物でお客様をお出迎えしたいと思っています。 小樽や北海道は本当に素晴らしい場所です。今、人の動きは制限されていますが、季節は変わらず変化をし、自然の恵はすくすくと育っていきます。北海道の素晴らしい大自然と美味しい食材を是非とも感じてもらいに来て欲しいです。宜しくお願い致します。 石と鉄~STONE and IRON~店主 中源博幸


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Erry’s Guesthouse Sapporo オーナーの 柴田 Baker 絵理です。【自己紹介】パソコンは「まあまあ」出来る方です。Word、Excel、マニアックなところでは建築Cadとか資格をちょこっと持っています。なのでWebとかパソコン仕事は(経営努力の経費削減のため)依頼しないで全て自分で作業するのですが、「文章を作るのがとにかく苦手」なのです。なので、この活動報告がまとまりのない語り口調になってしまいます。どうかお許しください。せっかく目を通してくださってる方を不快にさせませんように。拙い文章ですが想いが伝わりますように。。【ゲストハウス紹介】 「北24条駅」から徒歩5分にあります一軒家です。2015年にゲストハウスとして新築で建てた建物なのでまだ新しく綺麗で、暖かいです。男女混合の10人部屋(二段ベッド)、男女混合5人部屋(布団)、女性専用6人部屋(ベッド)、個室(二人まで)の4タイプがあります。私の旦那さん(ハリー)はアイルランド人です。スキーとスノーボードが大好きで世界一のパウダースノー北海道に移住してきました。仕事はスキーリゾートでのインストラクターで、生徒は主に外国人観光客です。夏はゲストハウスが繁忙期になるので掃除やベッドメイクを手伝ってくれます。ま、冬に稼いで夏は旅行(ハリーはバツイチで。スイスにいる娘が年に一回ダディに会いに来て一緒に国内を旅行する)というライフスタイルなので、あまりアテにならない(笑)で、一年を通して働いてくれるのは北大院生のブラジル人、もう息子同然のジョアンです。            (写真)ジョアン↓どのくらいの親子度かというと今月4日、本当は一緒に米津玄師の札幌コンサートに行くはずだった。(ライブはコロナから勿論延期。)ジョアンは日本に来た5年前から米津の大ファンで、激戦のコンサートの抽選に当たった時は二人で大喜びしたんだけどなぁ。。 あと最近、可愛い可愛いオーストリア人の娘もできまして。ワーホリで来ているソフィーです。ソフィーはいつか農家をやるのが夢という純朴で正義感が強くスキーが大好き。ハリーは自分の娘と重ねてて(性格が似てる)、私達はよくソフィーをスキーに連れて行きます。ハリーは母国語は英語で、その他にフランス語とドイツ語が話せるし、ソフィーは中国語が話せてジョアンはポルトガル語とスペイン語が話せるので、我がゲストハウスは7カ国語をカバーしています。掃除やベッドメイクはハリー、ジョアン、ソフィーに手伝ってもらってるお陰で、私は運営に専念させてもらってます。2020/02/20スタッフだったロッキーがオーストラリアに帰る時。歴代のスタッフが大集合で送別会した。【現状】 今回のコロナショックは私達夫婦それぞれに大打撃でした。ゲストハウスはキャンセルが相次ぎ、ハリーもスキー&スノーボードのレッスンはキャンセル。しかもハリーは、両親と兄弟、それと最愛の娘は今まさにコロナが猛威を振るっているヨーロッパの地域に住んでいるのです。毎年、夏休みにはダディに会いに日本に来ていた娘に今年は会えないかもしれない。(実は、娘が日本に来た時にはよくダイヤモンド・プリンセス号を利用して国内を親子で旅行していました…。今回のコロナショックはハリーにとってまさに悪夢の中にいるような感じなんだろうと思います。)落ち込んでるハリーには相談もできず、私は「赤字補填をしてまでこのままゲストハウスを維持していく意味があるのだろうか」「そもそも私はゲストハウスをやりたいのか」「生活のためなら他の手段にするべきか」という自問自答のループに何日はまっていたかなぁ。私が悩んでいたその間、そして今現在、ゲストハウスにいるのは国に帰れなくなった外国人のゲスト達です。北海道大学を卒業してアパートも携帯も解約して、いざ国に帰ろうと飛行機のチケットも予約していたのに…自国がロックダウンしてしまい帰れないのです。不安な気持ちで毎日を過ごしているであろうゲスト達を励ましているつもりが、彼らの笑顔に励まされ癒されている自分に気づきました。【モスクワのゲストハウスで助けられた話と、それで気づいたゲストハウスの役割】私とハリーのもう一人の息子(長男)はウクライナ人のコンちゃん(コンスタチン)です。コンちゃんは最初はゲストで来て、それから住人となり、スタッフとなり、家族となりました。2018年の秋のこと。コンちゃんがウクライナに帰った時に、私とハリーで会いに行って、3人でウクライナを10日間かけて北から南に横断しました。ロシアとウクライナは英語が全く通じず、コンちゃんがガイドしてくれなかったら何も出来なかった。コンちゃんのお陰で、外国人が行かないようなディープな場所にも行けて本当に素晴らしい旅となりました。コンちゃんと別れてハリーと二人、電車で国境を超えてロシアに入り、モスクワから飛行機で日本に帰ったのですが、、そのモスクワでの話です。飛行場までの電車のチケットを買うためにロシアのお金が必要だったのですが、換金所で「No! Δ§ΘΞ・・!」と断られる。「??」銀行は土曜日の午後で閉まってました。とにかく英語が通じないので、どうにもこうにも。そこで、前日に泊まったゲストハウスに戻って助けを求めました。ゲストハウスには世界各国からのゲストが10人くらいいて、共通語はもちろん英語です。その中で「もう1か月ここにいる」というエジプト人が助けてくれました。彼は本当に親切で、一緒に換金所に行って通訳してくれました。そこでわかったのは、私達が換金しようとしたお金はウクライナのルーブルで「シワシワなウクライナ紙幣は換金できない。新札じゃないとダメ」という事でした。言葉が通じない異国では、外国人は外国人同士、自然と助け合う。「あー、それそれ、俺知ってる」とか「〇〇に行くの?私も行きたかったんだー。じゃあ一緒にレンタカーをシェアしよう」とか「あそこのレストランは安くて美味しいよ」とか。で、私達はゲストハウスにいた旅行者達のアドバイスによって、なんとかインターネットで電車のチケットを手に入れて無事に日本行の飛行機に乗ることができました。もし、泊まったのが(3つ星とか)ホテルのだったら、フロントで「マダムすいません。当ホテルでも換金は出来かねます」とかものすごく丁寧に言われて終わり(実は実際に駆け込んだ)だったろう。今、私のゲストハウスにいて国に帰れないでいるのはインド人と中国人の女の子。ハリーとジョアンは彼女らの国の言葉で観られる映画をセレクトしてTVで映したり、まあ、他愛のない会話したりだけど、心のサポートになっていると思う。ゲストハウスって必要な場所なんだと思います。【最後に】ゲストウスを始めて5年、今では世界中に私たちの子供達(血の繋がらない。笑)がいて、年に一回会いに行くのが私達夫婦の生きがいとなっています。「生きがい(やりがい)」がある仕事。これこそが私達がゲストハウスを続けていきたい理由なんだ、と自問自答の答えが出たところです。【特別日】2020北海道マラソン&2021年札幌雪祭り開催期間今回はクラファンで応援してくださる皆様に心から感謝申し上げます。ぜひ、私達に会いに来てください。いつの日か、お会いできる日を楽しみにしております。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。                                  柴田 Baker 絵理


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初めまして!ゲストハウス「GOEN LOUNGE & STAY SAPPORO(ゴエン ラウンジ アンド ステイ サッポロ)」の立ち上げをしました塩津です。2019年2月、札幌の中心地にオープンし、シェアオフィスとゲストハウスの複合施設CONTACT(コンタクト)の中に入っております。実は、私は北海道TSUTAYAの一社員でして、CONTACT/GOEN LOUNGE & STAY SAPPOROは、北海道TSUTAYAの新規事業として立ち上がりました。TSUTAYAというと、DVDレンタルや、蔦屋書店のイメージが強いと思いますが、なぜTSUTAYAがゲストハウスを立ち上げたか、少しお話させていただきます。TSUTAYAはレンタルの会社ではなく、「生活提案」をする会社、と言っています。DVDを通して全然違う国のライフスタイルをイメージしたり、書籍を通して新しい価値観に触れたり。お客様が新しい「好き」を見つけ、すでに「好き」なものをより深めるきっかけづくりをする会社です。元々私は旅行が好きで、学生のときに海外は南米、南アフリカ、フィンランドやアジア諸国、国内も深夜バスで阿波踊りを見に徳島へ行ったり、祇園祭を見に京都に行ったりしていました。国内のあるホテルに泊まったときのこと。館内の履物が木で作った下駄で、肌触りも良く、足にフィットしてとても気に入りました。翌朝施設のショップに行くと、その下駄が静岡県の誰が、どんな想いで作った、何というブランドの下駄かしっかりと紹介され、販売されているのを見て、「宿が良いと思ったものを、お客様が実際に使うことでき、そして気に入ったら買って帰れる、ということは何よりも生活提案ではないか!」と思い始めました。そんな時分、社長に企画プレゼンをする機会をいただき「宿泊業がやりたい!」と提案したところ「やったらええやん。」と言われたのが全ての始まりです。紆余曲折、プランニングをする中で、札幌の「働く人」(地元の人)と、札幌を「旅する人」が接点を持ち、本来出会わない人々があえて出会うことで新しい価値を提供するシェアオフィスとゲストハウスの複合施設となりました。施設は6階建てで、1階は誰でも使えるラウンジ。札幌で人気のMORIHICO.さんのコーヒーや、旭川のUSAGIYAさんのお茶、季節でメニューが変わるJBソフトクリームや、ビアセラ―サッポロさんのアメリカ・ポートランド(札幌の姉妹都市)のクラフトビールなど、北海道のおすすめをお楽しみいただけます。函館蔦屋書店のコンシェルジュが選書したライブラリーは、「知」「思」「動」をコンセプトに、アート・ビジネス・旅の書籍が並んでおり、ご滞在のお客様はいつでも読むことができます。2階は会員制のシェアオフィス。札幌で働くIT系や、飲食系、フリーランスの不動産業の方や、カメラマンの方など、様々な業種の方にご利用いただいており、ミーティングルームは予約制で一般の方もご利用いただけます。宿泊フロアは3~6階。女性専用フロアや、24時間利用できるシャワーとキッチン、深夜もスタッフが常駐していますので女性の一人旅でも安心してお泊りいただけます。コロナウイルスが猛威を振るい、様々な業界で甚大な影響が出ていると思います。先行きもわからず、不安な時期が続きますが、一人で悲観的になっているだけではなくて、みんなで協力して乗り越えて行けたらと考えています。私も、今回この合同プロジェクトにお声かけいただだき、これだけの同志の存在と、もう前を向いて動いている人がいることに元気をもらった一人です。どの業界も、そしてプライベートも、身近な人と手を取り合って前進していけたらと思います。いつか日本中、そして世界中のお客様が安心して日本に旅行ができるようになったら、ぜひ北海道にも遊びにきてください!今私たちにできることは、そのときを迎えるための最高のおもてなしを準備することでしかないと考えています。【特別日】2020/12/28〜2021/1/3


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Guest House 佐藤商店(ゲストハウスサトウショウテン)の店主、佐藤理華 (さとう りか)です。我が宿は、北海道の南側では知名度の高い“洞爺湖”の隣町、“豊浦町”にあります。北海道の方には毎年初夏に開催のイベントをご存知で、いちごや豚肉の町としてインプットされている方も多くいらっしゃるようですが、全国的に見るとあまり知られていないかもしれません。しかし“帆立の養殖発祥の町”なので知らずに食しているものが、豊浦町の帆立であるかもしれません。また、この豊浦町、実は洞爺湖に劣らない自然の魅力が多くあるパワースポットだと、訪れる方が多いのです。実際に私は毎日この町の夕陽に感動しているからこそ、洞爺湖を目的に宿泊された方にも必ずお伝えしているのです。『この町の夕陽は必ず感動します。だからこの町も歩いてみて下さい!』と。以下は全て豊浦町内の朝陽、夕陽です。私自身、この町には小学生の頃に数回訪れただけでしたが、家族キャンプで訪れた際に遊んだ時の自然の豊かさは鮮明に覚えていました。何よりこの町は私の祖母の生まれ育った故郷ですので、自分のルーツが美しい景色のある環境である事は誇らしい事だと感じています。まずは私がどんな人物であるか、少し公表させて頂こうと思います。2016年、私は『地域おこし協力隊』として東京からこの豊浦町にUターン。とはいっても私が生まれたのは北海道の日本海側に位置する、父の生まれ故郷“小樽市”です。両親が出逢い、私が2歳まで暮らした小樽市の雰囲気もとても気に入っているので、昨今世界中から旅行者が絶えない事は自分ごとのように嬉しく思っています。その後、転勤族の父の仕事の関係で、北海道の東のオホーツク海側に位置し、流氷祭りで有名な“紋別市”に移住。そこで生涯の親友であり、幼馴染みに出逢います。彼女も起業家で北海道が産んだ貴重な同志です。紋別では、私は“女版ジャイアン”として、男の子女の子含めて近所の子供たちを束ねて走り回るような、元気で活発な、とにかく動き回る少女でした。その頃の行動が今の私自身の基盤になっていると感じる今日この頃です。小学校低学年の頃、現在の実家がある“伊達市”に移住。【全国体力づくりNo.1】を掲げていた小学校に通い、陸上リレーやバレーボール少年団でも心と身体を鍛えて頂き、また、自身の可能性を大きく引き出して下さる恩師との出逢いもありました。その後同じく伊達市の中学校へ進学。運動部に入部する気満々でいたはずが、気付けば運動部よりも運動量の多いような吹奏楽部に所属し、ほとんど休日の無いライフスタイルに慣れていきました。そこで有り難くも3年連続北海道大会に導いて下さった顧問の先生に音楽の魅力を教えて貰った私は、“室蘭市”の高校に進学後も吹奏楽部でトランペットを継続。2度も全国の大会に出場、最後の学年では初めて北海道大会で金賞を受賞するなど、人生の財産となる経験を積ませて頂きました。このように学生時代に得た、チームで動く・同じ目標に向かって団結する事で生まれる最高の結果や達成感、爽快感は、たまに味わいたくなる体験でもあります。高校卒業後は上京し、音楽の専門学校へ進みました。表舞台のコースではなく裏方を学ぶことがメインだったため、華々しい世界の裏には、見えないところでひたすら支える人の存在がある事を知り、北海道の部活時代を振り返りながら陰で作業して下さった方々への感謝の思いと共に大人の世界に仲間入りした感覚でした。学生のうちから複数のアルバイトを掛け持ちし始め、コンサートスタッフに始まり、倉庫内作業、保育士助手、カラオケ屋店員、ジュエリーサロンでの販売、野球場での売り子、歯科助手、コンビニ店員、人力車での観光案内など…音楽の学校を中退後「今しか出来ない事をやる」と、休みなく様々な挑戦を続けました。やがて美容の仕事で正社員として就職。美の追求の楽しさや人を“癒す”ということに関心が高まります。仕事は楽しく感じていたものの、時が経つにつれ過去に思い描いていた「裏方ではなく表舞台で表現をして人に癒しを届けたい」という想いが募っていきました。しかし表現者としての道は生活の安定の保証はない、それなら自分の好きな分野で手に職をつけておこうと、エステティシャンとマッサージセラピストの技術を習得。個人で仕事を開始し表現者としての道も模索しました。そうする中で決まっていった音楽事務所への所属。インディーズで、曲数も僅かでしたが世の中に私の歌声をお届けできた事は「私でも誰かのために生きられる」という自信となっていきました。そしてもっと多くの人に元気、希望を送り癒しを感じてもらえるようなステージを目指すようになりました。ところが、担当マネージャー達からの言葉につまずく事に。『メジャーデビューさせようって話になってるから、それに応える為に今時の若者にウケるファッションと、彼らに響く恋愛系の歌詞を書いて。』そう言われ、一気に“佐藤理華”として生きる自信をなくしてしまったのです。「私でなくても良い。」「ありのままの私では人を癒す事はできない。」「私は必要とされていない」「何の為に生まれてきたのだろう」「生きる意味って?」自分を肯定する事が出来ず、大好きだった音楽は聴けなくなり、歌を口ずさむ事も出来なくなりました。それでも、辛うじて生きる意味を考える事に、真剣に向き合う事を決意。そして昔から温めていたある行動を実現しようと思いついたのです。それが“伊能忠敬さんに続く 佐藤理華の徒歩の旅”です。2011年の東北大震災から3年の月日が経っていた頃、私のさらなるルーツがあったかもしれないという“宮城県”を最初の一歩の場所と定めました。3日で1万円しか使えないというルールを自身に課し仙台〜石巻間50キロをひたすら歩きました。朝陽と共に活動し始め、陽が沈む頃宿に到着。初道中の景色に感動して立ちすくむ事もありました。この時、人生で初めての“ゲストハウス宿泊体験”を。当時はまだ日本でのゲストゲストハウス認知度が今以上に低く、私も初めての1人旅に初めてのゲストハウスで、ドキドキしながら予約をしたと思います。この初めてのゲストハウス宿泊体験が、後に大きく自分の人生を変えるとは思ってもいませんでした。石巻のその宿は、水産加工会社が津波で流されてしまったという社長夫人さんが切り盛りされており、この女将さんとの会話は病んでいた私の心に光を灯してくれたのです。女将さんから貰った言葉とは『被災者の私たちに何かしてあげようと考えなくて良いの。被災者は強く逞しく前を向くから。あなた達は自分の身に同じ事が起こった時に後悔しない生き方を選んで欲しい。』というものでした。以来私は“明日死んでも後悔しない今日を生きる”と決めたのです。帰り道は心が軽やかになり、自然の景色がこれまで以上に美しく感じるほどに。そして気付けば鼻歌を歌いながら歩き続けていました。その後もいくつかの街を旅し、ひとつの答えに辿り着きました。「私は自然の景色が本当に大好きで、この自然から貰ったエネルギーで自分を癒している。このままの私で生きていこう。自然体でいられる場所に還ろう。北海道に帰ろう。」と。我が宿から車で10分の“洞爺湖”は四季それぞれに感動の景色となる。ご縁により豊浦町にて1年間観光促進業務に携わらせて頂きながら北海道内を周り、多くの感動体験と素晴らしい人との繋がりを作らせて頂きました。その中で、どうやら海外からの旅行者の方が北海道に来る頻度が上がっているという事を知り、自ら札幌のゲストハウス巡りを開始。一軒づつオーナーやスタッフの方にお話を伺いました。私が本当に驚いたのは北海道内、どのゲストハウスのオーナーも決して私をライバル扱いしない事でした。それどころか『ゲストハウスをやるならこうしたら良いよ〜』と教えてくれるくらい。更には札幌ゲストハウスオーナーの集まりにも誘ってくれたり、『洞爺湖行きたいってお客さんいるから案内してあげてもらえたら喜ぶと思う!』と、何度もお客様の送客もして頂き、地元案内をする事の楽しみを教えて頂いたのでした。そんなゲストハウス巡りという名の市場調査を半年ほど続けるうちに、重大な気付きがありました。それは、“多くの訪日外国人が洞爺湖に来ているのに滞在している時間が短い”という事。その理由は実際にボランティアで案内したスエーデン人兄弟の宿探しをサポートした時に確信となりました。現在の訪日外国人の多くが20代前半のバックパッカーであり、1日1日に使う金額を抑えてより多くの自然体験や美しい写真撮影スポット求めていると。そうなると、洞爺湖周辺の温泉旅館やホテルは彼らにとって高価過ぎる、つまり、必然的に安く滞在出来る宿が多く存在する大都市での宿泊を数日とることになる為、彼らに最適な価格帯の宿がないような小さな町は通過されるだけ、もしくは数時間の滞在で終わってしまうのです。こういった状況下で仕事をするようになる事を予想していたかのように、JRの観光案内所で訪日外国人専用のJRフリーパスの発給サポート業務を、少しの間経験していた私にとって、旅行者がどんなルートで北海道に訪れているかを把握していたので、各駅列車も利用できる事は知っていました。「せっかく5〜21日間の日本一周のパスを持って旅行に来てくれるのであれば、ガイドブックには載っていないような、まだ他の訪日外国人が訪れていないような場所に行きたい人だっているはず。ならば受皿は多くあった方が良い。」「この豊浦町だって北海道の人すら知らない人がいる。でも、私のように都会で疲れた心を癒すには充分過ぎるほどの自然や環境がある。田舎らしさに心が落ち着く人も必ずいるはず。」との私の思いは強まり、ついに「誰かが始めるのを待っていては遅い。無いなら私がその受皿になる。」と、決意に変わりました。その時期既に2017年の5月。町内の空き家・空き店舗情報を集めましたが、沢山あるように思える物件に、使わせてもらえるようなところはほとんどありませんでした。間もなく7月というある日、『今まで誰にもかしてないみたいだから多分無理だと思うけど一応紹介する?』と、紹介頂いたのが“旧佐藤商店”でした。佐藤商店は2010年までのおよそ50年間、駅の目の前で、町の顔として親しまれていたお店。オーナーであった佐藤さんはご主人とは別でお一人で営んでこられ、多くの学生達がおやつを買いに通ったようです。私は同じ苗字ですが、全く血縁関係はなく、当然知り合いでもありませんでしたが、生まれた場所が同じ小樽市である事、起業年齢が同じである事などから不思議なご縁を感じ、私の想いを実現するのはこの場所しかないのですと強く訴えていました。また、こういった場所こそ、昔の面影をそのままにしてお見せすれば日本の田舎の文化や歴史にも触れて頂く事になる、このありのままが多くの訪日外国人や他地域の人の心を癒すはず。という大確信でプレゼンテーションをしました。そして佐藤さんご兄弟にもその場で賛同して頂き、許可を頂いて、一部改装の上、2017年9月27日に開業する事ができたのです。        上 旧佐藤商店の内装下 Guest House佐藤商店の内装こうして90歳になられる元オーナーの佐藤さんのにも足を運んで頂きながら、これまでにのべ2,000組近くの方にご利用頂いてまいりました。こうした業種を運営する事自体が初めての中、お客様に教えて頂きながら、玄関が開いたら「お帰りなさい」。出発する時には「いってらっしゃい」と、まるでここにも実家があったかのように感じて頂ける安心感を提供し、癒される空間づくりを日々考え、改善し続けてなんとか続けてくる事が出来ました。しかしながら、基盤を固めたい1年目に、北海道胆振東部地震。我が宿本体は無傷でしたが、やはりお客様の流れは止まりました。この間に次への対策を考え、準備、やっとお客様が戻ってきたこの冬、今回のウィルスにより2月の予約がほぼ全てキャンセルとなりました。世の中の動きもじっと見ながら、我が宿は一度休業する事を決めました。次に出逢うお客様に、より感動体験や癒しのひと時がご提供できるようにと、私自身がバージョンアップに挑戦中です。マッサージや健康アドバイスをしていた健康オタクな店主は、ヨガティーチャー、ナチュラルフードコーディネーター、断食アドバイザー、メンタルアドバイザー等の資格も取得している為、ついついお客様が健康的に生きるアドバイスもしてしまうのですが、不思議と我が宿にいらっしゃる方はそういったヘルシー志向の方ばかり。帆立の貝殻100%の壁により、空気清浄効果を感じてくださる方も多くおられます。我が宿に来てくださった方は少しでも健康になって出発できるようにと、別売りの朝ごはんでは北海道産の無農薬米や地域素材で作った具が入ったおにぎりを用意しています。都会で疲れた心と身体を休めに。時々聴こえる店主の歌声と共に癒しの時間を。ゆっくりと流れる時間を楽しんで頂けますように、準備をしてお待ちしています。地域観光案内も、行っていますので田舎プチ移住体験にもご活用下さい。どんな逆境にも必ず意味がある。であるならば、今回は北海道ゲストハウスオーナー達の想いの結集を皆様にお届けするチャンスを頂いたのだと、心から思います。人が大好きだから人を癒したいから人と共に生きたいからだから、その空間をあなたと共有したいのです。この一歩が世界の平和にも繋がる一歩でありますように。長いお話に最後までお付き合い頂き、ありがとう御座いました。