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岡山を考える映画『ふうがわりい後編』製作に向けてPRツールをつくりたい!

NPO法人シネマファクトリーは、格差社会をモチーフとして岡山の未来像を考える『ふうがわりい前編』を2015年1月に公開。その続編『ふうがわりい後編』の製作プロジェクトを告知するためのツール製作資金を求めます。

現在の支援総額

160,000

133%

目標金額は120,000円

支援者数

23

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2015/12/15に募集を開始し、 23人の支援により 160,000円の資金を集め、 2016/01/31に募集を終了しました

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現在の支援総額

160,000

133%達成

終了

目標金額120,000

支援者数23

このプロジェクトは、2015/12/15に募集を開始し、 23人の支援により 160,000円の資金を集め、 2016/01/31に募集を終了しました

NPO法人シネマファクトリーは、格差社会をモチーフとして岡山の未来像を考える『ふうがわりい前編』を2015年1月に公開。その続編『ふうがわりい後編』の製作プロジェクトを告知するためのツール製作資金を求めます。

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シネマファクトリーとの出逢い 僕がシネマファクトリーに出会ったのは、4年前に岡山メルパで上映された前作の『さぬき巡礼ツアー』を観たときです。子どもの時からTVで映画を観まくっていて、いつしか映画を創れたらいいなあと思っていたので、思い切ってメンバーに加えてもらいました。 『ふうがわりい前編』は『さぬき巡礼ツアー』につぐ長編映画として、企画・製作されました。それまで映画づくりのえの字も知らなかった自分にとって、初めて関わる映画づくりはとても刺激的でありながら、映画づくりの面白さと大変さを同時に経験させてくれました。 映画を創るということの意味 前作の『さぬき巡礼ツアー』を観て感動したのは、これからの人生を生きるにあたって大切にすべき【相互支援】というメッセージが込められていたことです。世の中にはいろんな映画があります。大笑いしたり大泣きしたり、その場限りの感動を与えてくれる映画もいいと思いますが、その映画を観た後の人生に影響を与えられる映画、大袈裟に言えば“観ただけで人生が変わる映画”に出会えたら、どんなに素敵なことでしょう。シネマファクトリーのミッショッは「映画を通してすべての社会問題を解決すること」です。頭でわかってもなかなか行動に移せないのが人間ですが、反面心にすっと入ってくる何かがあれば、あっという間に世の中は変えられると思います。映画は、そんな魔法を持っているエモーショナルなメディアなんです。 『ふうがわりい後編』製作に架ける思い 『ふうがわりい前編』では、2030年という近未来の岡山をひとつの仮説として描きました。物語はこれからというところで終わっています。その分、後編への期待は大きく、どんな結末に向かっていくのか製作する僕たちですら今はまだわからないというのが正直な気持ちです。映画は生き物です。もちろんサムネイルはできていますが、最後の1カットを撮り終えるまでどんな命が吹き込まれるかは、自分たちの想像を越えたものにしたいと思っています。


2011年、たまたま賞をいただいた「さぬき映画祭」に出品するため香川中を回って「さぬき巡礼ツアー」を作ったあと、やっぱり岡山県民だから、いつかは岡山の映画が作りたいと思った。 構想を練り始めたのは、2013年に入ってからだ。 「岡山を考える映画」を作ろうと考え始め、1年以上の期間をかけてようやく生まれたのが「ふうがわりい・前編」だった。 「さぬき巡礼ツアー」の製作で手持ちの資金は使い果たし、資金ゼロでスタートした映画製作は本当にただ、狂ったように、訳も分からず駆け抜けるしかないような状態で、本当に文字通り、寝食を削って走り回って、やっと作った状態だ。前編を作るのが精一杯で、課題は山積み。この映画がどんな映画として評価されることになるのか、そのほとんどは後編の製作にかかっていると思っている。 あいかわらず、資金はない。人手も足りない。 でも、前編の製作の時と明らかに違っている事が一つだけある。 それは、応援してくれる人たちができた、ということ。 今までも私たちの映画製作を応援してくれる人たちはたくさんいた。でも、今回応援してくれる人たちは、前編にエキストラ参加して、映画の撮影に参加することをある意味「楽しんでくれた」人たち。撮影中、眠ることもできずただタスクをこなすことで精一杯だった私たちは、エキストラの方々に気を配る余裕もなく、不自由な思いをたくさん我慢していただいたというのに、皆さんは「ふうがわりい・前編」が公開された劇場に何度も足を運んでスクリーンに映っている自分たちを確かめ、喜んでくださった。 嬉しかった。こんなに嬉しいこともあるんだな、と思った。 たくさんの方々にエキストラをお願いして、ご迷惑をかけた、と思っていたのに。 「楽しかった」と言ってくださった。 映画を作っていて、よかったと思った瞬間でした。 その上、今度は後編の製作を後押しして下さると、何人もの方々が手を挙げて下さっている。 今、私にできることは、後編に残された課題を解決し、前編構想時のストーリーの続きをさらにパワーアップさせ、「ふうがわりい」を面白い映画にすること。 「おもしれぇ映画に関わって、えかったわ~」と言っていただき、劇場公開の時に大いに盛り上がっていただくために、後編の製作も頑張って参ります。 どうぞ、まだご参加でない方もこの機会を逃さず、「岡山を考える映画」を一緒に楽しんでください。


前篇に、役者として出演。ある出演シーンは、時期的にもう寒い夜でした。水をかぶってのシーンでした。リハーサル、本番は役者として当然のこと。役になりきり、寒さなど感じることはありませんでした。ただその場で役に徹する、演じきる。メインキャストとして出演できたことは、貴重でした。日々数時間睡眠ながらも、製作スタッフとしても関わり創りあげることができた背景には、多くの製作スタッフ、ボランティアあってこそでした。 後編においては、役者として出演はもちろん。多くの方々に参加、協力を頂き、創り上げ多くの方々に観ていただきたいと思います。


 何故、ここにいるかと言うと、頼まれたらイヤと言えない性格が災いしているせいだ。もともとは、14分の短編をシネファクに発注したのがきっかけだった。発注主なので脚本にも口を出したが、配役からロケ地手配などの下働きをやり、福田監督と一緒に、ゼロから作り上げる経験を初めてした。支払える金額が少なかったので、できあがったモノを買い取るという贅沢ができず、カラダで払ったようなものなので、作り手とは違う意味で、資金の呪縛を痛感している。  ただ、とても刺激的な経験だった。  その時、福田監督が「こんな映画(ふうがわりい前編)を撮りたいんだ」と語る姿を、なかば呆れ、軽い嫉妬とともに見ていた。人に語れるような、夢も情熱も野心も持っていない私には、彼が眩しかったからだ。とは言え、不惑を過ぎてるのに、自腹を切ってでも夢を追おうとする彼らが「ふうがわるく」見えるときがある。  だけど同時に、「ふうがわるく」て、どこが悪いのか?とも思う。私にとって「ふうがわりい」とは、「独立不羈」と同語だからだ。「ふうがわりい」と言われることを承知で情熱を傾ける彼らだからこそ、私自身が夢中になれるモノを見つけるまで、その代わりに応援することにした。   独立不羈 by大辞泉 他からの束縛を全く受けないこと。他から制御されることなく、みずからの考えで事を行うこと