あまがさきモケモケ団(仮)からの刺客として、プラモ尼崎城のミーティングやクラチャレに潜入すること数回、すっかりプラモ尼崎城の活動にハマってしまった長谷川です。さて、仕事は、尼崎市内で印刷業を営んでおりまして、リターンの名入れ銘板の作製等を担当致します。冒頭でも出てきた、あまがさきモケモケ団(仮)では、月に一回、おっさん達と近所の子ども達と『ガンプラをやいやい言いもって作る会』(毎月第四日曜日10:00~15:00/JR立花駅前/寿司割烹染わか どなたでもご参加頂けます)を開催しております。会の中で、尼崎城が再建されるなら、プラモデルを作りたいなと言う話をしていたところ、尼崎城のプラモデル化を企んでいる団体があることを耳にし、それは参加せねば、と言うことで、ミーティングに参加しました。クラウドファウンティング第1弾のシャチホコプラモデルを皮切りに、第2弾の石垣プラモデル、そして第3弾のプラモ尼崎城の実現を目指して楽しみながらやっていきたいと思いますので、ご支援よろしくお願いします。プラモ尼崎城ホームページ https://www.ama-injectionmodel.com
私は長年、尼崎市の産業振興に係わってきたこともあり、このプロジェクトを実現するにあたっては、是非、尼崎市内のものづくりの力で成し遂げたいという思いもあり参加しています。 最終段階の目標である城本体のプラモデル化に向けては、産業技術短期大学の協力も得て、3Dプリンターによるイメージモデル(写真)も完成しています。 あとは、このイメージを現実のものとするために、敢えて2年越しの計画を立て、オール尼崎による支援体制を確立し、着実な事業として進めたいと考えています。 かつて大阪城の西の守りとして建てられた「尼崎城」。築城から400年の時を経て、「ものづくりのまち尼崎」で再建されるこのお城を、皆で祝い、楽しみ、盛り上げていきましょう。
市内で建築の設計事務所をしています。 時代錯誤の徒弟制度の建築事務所で楽しく修行、自分たちで作ってしまう事務所でしたので、木工から熔接、鉄筋組立と必要であれば自分達で作図から模型、実施製作をしていました。大切なことは出来上がるまで考え続けることなのですが、製作自体は職人さんより上手い訳ではなく、規模の大きいことができる訳ではなく、職人さんと会話が出来る知識を得ることが重要なことでもありました。そんな師と豆腐を豚でクルッと巻いた鍋をつつきながら、建築の話を聞く数年間を過ごして独立。歴史の流れの大切さは説かれました。 尼崎城については、某高校の校長先生の発案で、ベニアに一夜城を描いて城址公園に立てたり、高校の美術部が描いた実物大の布絵を市役所に吊るすことを手伝ったり、先生は歴史が専門、お城があった歴史を伝える為の活動で、旧中国街道のまちあるきや、城についての講演会も開催していました。当時、尼崎城再建などはとても考えてはいません、そこに突然、築城の話…つくるなら遊びましょう。 綱本さんが「尼崎城のプラモデルを作りたい」と言われた時、言うべき人の然るべき発言、驚きはしません。そしてそのまま支援、気付けば一緒に諏訪のプラモデル製作会社へ。 私は仕事柄お城は見ています、布絵の活動で尼崎城についても教わっていました。さらに三和市場怪獣ガサキングのマネージャーでもあります。コツコツと怪獣映画を撮影しようと企てているところ、お城と言えば怪獣、ガサキングのフィギュアはある、プラモとコラボできる、そのような思惑を秘めつつ、プラモ尼崎城に参加し遊んでいます。 そして最近、「南部再生」の取材が縁で尼崎プロレスに通い始めました。また修行の日々です。
尼崎市内の「山八化成工業所」にて、プラスチック射出成型加工業に従事しているものです。今回、シャチホコのプラモデルの成形加工(量産)を担当いたします。それで早速ですが、自己紹介を含めて今回のプラモ尼崎城に参加した経緯を述べさせていただきます。 プラモ尼崎城に関しては発案者綱本さんが「みんなの尼崎大学」で発案した時に私も同席していまして、それならば私も同種の仕事をしているので参考になると思いますと発言したのがきっかけで自然と活動に加わりました。 話が前後しますが私の成型加工業の経歴は、ちょうど二十代がバブル景気の真っ盛りで、当時年間就業時間が4000時間を越えていました。街中で山下達郎のクリスマスソングやドラマ・東京ラブストーリーが溢れかえっている浮ついた雰囲気の時代に、そんなこととはまったく無縁で、ひたすら仕事に明け暮れた毎日でした。 当時は大変しんどく感じる毎日でしたが、今となっては私のモノづくりのスキルがここで形成されたと、人生で感謝すべき期間でもあったと思っています。そして、三十代、ここでバブル景気がはじけて一気にヒマになり、時間を持て余すようになりました(それでも年間就業時間3000時間)。 その時、何か時間を有意義に使いたいと思って身近にあった新聞(普通紙・経済新聞等ではありません)を貪るように読む毎日が始まりました。毎日約3時間ぐらい。最初は慣れなくてものすごく疲れるましたが、そのうちに慣れてくると、その3時間が毎日の日課になってきました。そして、そうやって新聞の細部まで目を通す習慣が私にもたらしたものがアマチュア作家への道のりです。 実際、大きく報道されるニュースは表面上のものや、その瞬間のものがほとんどですが、すべての物事にはそこまで行き着く経過、そしてその後の展開があります。そのように、物事の時間経過を考慮して思考を展開できる習慣がついたことも私の人生の中で大切な財産だと思っています。 話は長くなりましたが、綱本さんが発案した尼崎城のプラモデル化。このように過去、そして未来へと時間経過の想像を楽しめる活動に出会えたことは私にとって人生の出会いであり、まだまだ先の展開は見えてきませんが、この活動に関われたことを嬉しく思っています。 どうか、少しでも多くの方に、この活動に興味を持っていただけたら幸いです。よろしくお願いします。
「プラモ尼崎城」起案者(というか、言い出しっぺ)の綱本(つなもと)と申します。 2019年に、尼崎に約150年ぶりに城が建つことになりました。最近メディアにも取り上げられ始めているのでご存知の方もいるかもしれませんが、家電量販店の創業者が、地域への恩返しとして建てているという壮大なプロジェクトです。 瓦の寄進や内装工事費の募集も始まり、その心意気に応えるかのように、早々に目標を達成しています。それだけ注目を集めているわけですから、開城の暁には、それに見合う土産物も要るよね、というのが、本プロジェクトの出発点です。 しかし、プラモデルの開発費の見積もりを取ってびっくり。1500万円という金額だったのです。ただ、製作工程を担っていただける町工場が市内にあることがわかっていましたので、最初の一歩として取り組むことができるプロダクトとして、尼崎城のシャチホコのプラモデルづくりに取り組みます。 かかる費用はちょうど100万円。なので、クラウドファンディングはAll or Nothingで取り組みます。これから2ヶ月間、頼もしい仲間たちと共に目一杯楽しんでやっていきます。どうぞご注目いただき、よろしければご支援をよろしくお願いいたします。 綱本武雄 (プラモ尼崎城プロジェクト起案者)





