クラウドファウンディングも順調なプラモ尼崎城ですが、先日のミーティングでは専門的な技術に関する記事も投稿することになりました。それで、今後は私の日記形式でいくつか投稿していきます。第1回目は金型加工について。 金型製作を文章にすると、金属の塊を用意して、それを削ったり、貼り付けたり、必要性によっては溶かしたりして金型の形にしていきます。でも、こんなのじゃまったくわかりませんよね(笑) 少し専門的な語句が並びますが、動いている機械→マシニングセンタ、削っているもの→アルミ、使っている工具→エンドミル、動いている機械のメーカー→ファナック。まあ、こんな感じの機械動作をえんえんと繰り返すことで金型製作を進めていきます。 今日はこのぐらいで。もし、質問等があれば、Facebookページのコメント欄に記入してください。わかる範囲でお答えします(笑) 以下、マシニングセンタについて説明を補足します。主な機能と特徴現在、マシニングセンタ(machining center、略称MC)は、ものづくりの現場で広く用いられています。最も重要な用途である金型の製造をはじめ、金属部品の加工になくてはならない存在です。たとえば、自動車産業では、エンジン部品の研削や穴開けをはじめ、ボディ部品の金型製造などで威力を発揮しています。そのほか、暮らしや産業を支える製品の多くがマシニングセンタによって生み出されているといっても過言ではありません。 マシニングセンタの特徴は、コンピュータ制御による「工具自動交換機能」を備えている点にあります。一般的にNC工作機は作業者が工具を交換するのに対して、マシニングセンタは「ツールマガジン」と呼ばれる工具収納場所から、「チェンジアーム」によって自動で工具を交換し、加工を行います。そのため、段取り替えの手間を省くことができ、製造時の無人化と省力化、コスト削減を可能にしています。 続く。
こんにちは、小柳津です。今回のレポートは、「平成生まれのプラモ事情」についてです!よく平成生まれにとても見えないと言われますが、れっきとした平成生まれです。なんなら平成2年生まれでバリバリの「ゆとり世代」でございます。 前置きが長くなりましたが、私たち「ゆとり世代」というと、子どものころはTVゲームもスーファミからロクヨン、プレステ、ゲームボーイとたくさんのハードから選ぶことができた世代なので、TVゲームの普及率はかなり高かったのではないかと思います。 そんな時代でも「ビーダマン」や「ハイパーヨーヨー」などの玩具もそこそこ流行っていて、その中でも私が最も熱中していたのが「ミニ四駆」でした。私たちの時代はフルカウルのタイプの、いわゆる第2世代のミニ四駆でした。TVゲームをあまり買い与えてくれる親ではなかったですが、母方が代々車好きの家系だからか、ミニ四駆はよく買ってもらっていたのを覚えています。ガンプラのような「組み立てる楽しさ」ではなく、ミニ四駆には「パーツを組み替える楽しさ」がありました。このミニ四駆との出会いがプラモ好きになったきっかけだと、今になって気づきました。 そして、これもプラモデルに入るのかわかりませんが、トミーの恐竜や動物を模した「ゾイド」に少しだけハマりました。ちょうどゾイドのアニメがやってまして、「少尉」とか「大佐」とか概念を知ったのもこのゾイドから。これがだいたい小学校高学年の頃。そして、中学くらいにスパロボからガンダムにハマり、ガンプラへ…という歴史です。 ガンプラは、最初はHGで色んなモビルスーツを作っていたのですが、誕生日にMGを買ってもらうことになりました。数あるラインナップからどれか1つを選ぶのは困難を極めました。最終的に、ガンダムmkⅡが好きだったのと、Gディフェンサーも付いてくるというお得感から「スーパーガンダム」をチョイスしました。せっかくのMGということで自分なりに塗装やスミ入れも頑張って仕上げたのですが…なんと背中に合体したGディフェンサーの重みで自立しないんですよ(笑)。これじゃGディフェンサーやなくて爺ディフェンサーやないかというくらい前屈みにしたら立つのですがね。最終的にスーパーガンダムは同じ頃ハマっていたエアガンの的としてその使命を全うすることになりました。 と、まぁ平成生まれのプラモ事情はこんな感じです。書いてるうちにだんだん懐かしくなってきて、気づいたらこんな長文になってしまいました(^_^;)最後までお読みいただいた方はありがとうございます。他の先輩方のレポートをお読みいただけたら分かると思いますが、このプラモ尼崎城は、ホントに幅広い年代のメンバーが集まっています。 世代は違えど志はただ一つ。尼崎城のプラモデルを作りたい!その思いで集まっています。皆さん、ぜひご支援の程、よろしくお願いいたします!
阪神尼崎駅のホームから庄下川沿いに建つ尼崎城が望めます。来春のオープンを前に新聞やテレビなどで取り上げられていますが、実物を見ると白い漆喰や輝く瓦など、素直にカッコいいなあ。と思います。 メンバーの伊元と申します。市の職員ですが、このプロジェクトと直接関係はなくて、他の皆さんと知り合いだとか、もともとのつながりで、なんとなく仲間に入れてもらっています。そんな感じなので、役に立っているのか怪しいです。 でも、お城の再建を、ああ、そうですか。よかったですね。で済ませるのではなくて、プラモ尼崎城では、いろんな仕事をしているエエ大人らが、よし、ワシらでプラモデルを作ろうぜ。と、マジメに知恵を絞り、腕を振るって遊んでいて、その姿がとても前向きで楽しく、ぜひ、この企画を実現させたいなあ、と思っています。 と、いうようなことですので、平成最後の築城にあたって、このおもしろマジメな挑戦にご協力いただき、一緒に遊んでもらえれば、とてもうれしいです。よろしくお願いします。
いまさらですが、プラモデルは射出成型機という機械を使って製造します。そこで、今日はそのプラモデルを作る射出成型機のプラモデルの話題を。 私、たまたま得意先に保存してあった、No.5 YD-2日精樹脂工業(株)のプラモデルの現物をお借りしてきました。作りは、最新式の金型製造技術のものではありません。最近のものは、さらに精密な加工がなされています。おそらくガンプラ世代以前のもの。実はガンプラ世代で国内大手プラモデルメーカーの技術がすごく向上した背景があります。ですが、このプラモデル、日精樹脂工業(株)にとってはすごく思い入れがある機械YD-2を特別扱いしています。 昭和32年製造。販売第一号機。 この時期は日本も高度成長期で、ただ単に経済発展だけではなく、戦後の復興のためにも、このような工作機械をどんどん国産化していく必要があったのでしょう。この機械、それこそプラスチック業務に従事していてもわからないぐらい旧仕様で、操作はすべて手動です。私もメーカーの技術資料展示館でしか見たことがありません。なので、現在の主流のものと比べてたら生産性は大きな差がありますが、それでも戦後復興に貢献した機械として、製造メーカーはリスペクトしているのでしょうね。余談ですが、当時の価格相場なら、このプラモデルを開発製造するのに億単位の金額が必要だったと思います。 以下、抜粋。1.シリーズNo1. 高性能射出成形機 FE80S-12A(1/20)No2. 竪型射出成形機 TH60R9VSE(1/20)No3. 小型射出成形機 NS15 (1/20)No4. 高性能射出成形機 FN1000 (1/20)No5. 横型射出成形機 YD-2 (1/12)の5種類がリリースされました。 2.背景No.1~4はプラスチック業界の展示会のノベルティとして企画・作成されたものです。その後、大学や専門学校の要望により教育用として配布されたり、本社工場の来客・見学の際に配布されたものもあります。No.5は日精樹脂工業創業50周年記念として作成されたものです。このためNo1~4とはスケールが異なります。また、作り・部品点数共にそれ以前の物とは一線を画します。No.1の設計の際にはタミヤ模型のアドバイスをいただきましたが、設計・金型作成・成形はすべて日精樹脂工業が行いました。 今日の話題はここまで。
昨日11月16日、阪神尼崎駅南側にある土井ビルにて「尼崎クラウドファンディング5案件同時リリースキックオフイベント」(長い!)が開催されました。 夏から企画立案に取り組んできた「同期」のみなさんによるプレゼン大会です。登壇したのは、 ️なりたい自分になる! 「夢チャレンジフェスタ」でみんなの夢叶える1日を。 ️城下町再現プロジェクト 「ちびっこおもてなし隊集まれ!」 ️30匹の猫の生命を守るため、りる・あんしゅブランドの猫グッズを作りたい! ️尼崎城のおひざ元で人が集い楽しむ居場所「参勤交代カフェをつくりたい! ️尼崎のものづくりのチカラで、尼崎城のプラモデルを作りたい! の5団体。 待ち時間が5〜10分ということでしたので、経過や枝葉の話はカットして、プロジェクトの概要と目的を伝えることに絞ってお話することにしました。少し強引な話の進め方をしましたが、やりたいことはまあまあ伝わったのかなと思います。評価は見ていただいた方に委ねるしかありませんが。 全員のプレゼン後、受付時に参加者に配られていたカードを使って応援したいプロジェクトに投票をおこないました。もっとも得票数の多いチームが、参加費の中から500円×人数分の賞金を受け取るというシステム。 優勝は「30匹の猫〜」の、りる・あんじゅチーム。自治体からの運営資金が止められてしまい、資金難に陥っている障がい者の作業所の猫カフェが、オリジナルのグッズを作るというプロジェクトです。 お互い経過を見てきた プロジェクトだけに、「こうまとまったのか」ということを確認できたイベントでした。それだけに、欲を言えばもう少し参加者が欲しかったところです。





