『人生の授業の目指すところ』 河上伸之輔さんとの出会いは、2017年12月頃。地域住民・医療系学生・美大生・医者が関わり、交流できるやすらぎの場を作りたいと想いを持っていました。何か良いアイデアがないかと奔走していた時にシナジースペースを運営されているシナジーコンサルティング株式会社・代表取締役の河上さんをご紹介頂き、初めて河上さんの下を訪れました。このアイデアに共感して下さり、実際にいきなり場を持つことはリスクだからコミュニティ形成からスタートしてみればよいとアドバイスを頂きました。 そして、人生の授業が動き始めたのは2018年4月にシナジーコンサルティング株式会社faavoクラウドファンディング(以下、クラファン)担当の市野寿宗さんが主催されるクラファン説明会に参加したことがきっかけでした。そこで「人生の授業」というコンセプトで「正解か失敗、単純にと×」ではなく、子供も大人も垣根無く「人生を生き抜く知恵」を学び・教え合う参加型の講演会を定期開催したい旨を市野さんに持ち込みました。 市野さんは2言で「いいですね。」「是非、やりましょう。」その2言が無ければ、人生の授業の企画は動き始めていなかっただろうと思います。人は案外、共感や、些細な応援の一言で動きだせるのかもしれません。その一言があるのか、ないのかの違いは極めて大きい。 ここ数日、自分の考えを拙い文章で書きました。めだか(MEDAKA : medical academy kanazawa)のVisionは「健康でかつ幸福なヒトで溢れる社会」を金沢住民である皆さんと作り上げていくことです。「人生の授業」では、それを実現するために、個人と社会を繋ぐ役割を担いたいと考えています。 このクラファンは残すところ約1日となりました。最後まで皆さんのご支援・ご参加をお待ちしております。よろしくお願い申し上げます。
この記事も2日前に出す予定でしたものです。。 『少子高齢化による若手働き手世代の減少×子供の貧困率』 日本、いや金沢にも子供の貧困があるのか!そう衝撃が走りました。金沢市子育て実態調査で「生活困難世帯で衣食買えず29%」の大見出しが、胸の中にざわめきを起こし、今もまだうねりが止まりません。このデータを表面的にしかまだ吟味できていないので、批判的に意見するのは若干憚られるのですが、少なからずこのような問題が、この我々が住んでいる金沢で正に起こっていることに驚愕です。 更に、日本のデータを調べてみました。厚生労働省の「国民生活基礎調査」として貧困率というデータが公表されています。17歳以下の子どもを対象とした「子どもの貧困率」は2015年で13.9%、7人に1人の子どもが貧困に陥っている状況です。ひとり親世帯(子どもがいる現役世代のうちの大人がひとりの世帯)の貧困率は50.8%(2015年)と半数を超えている。大人が二人以上いる世帯では10.7%(2015年)とひとり親世代とはかなりの開きがあります。そして、日本の貧困率の高さを国際的に比較すると、米国(16.8%、2015年OECDより)に次いでG7(フランス、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダ)中ワースト2位です。さらに、ひとり親世帯ではOECD加盟国35カ国中ワースト1位になっています。良くわかりませんが、事態は私がそして我々が思っているよりも深刻そう。それは金沢に留まらず日本全国で。 話は少し飛んで、最近では、消費税を8%から10%に引き上げる動きが見られています。それは社会保障費膨大に伴い、「国民皆保険」や「介護保険制度」、「年金」を維持するためでしょうか。消費税を1%引き上げると税収は約2兆円増えると言われています。ただ、2025年には医療や介護に必要な金額は現在より20兆円以上増加するとも言われています。これも全然足りないじゃないか。 それに加えて、超超高齢化社会(65歳以上の割合が21%で超高齢化社会、日本は2017年10月で27.7%)が訪れています。高齢化社会は訪れますが、高齢者の絶対数というのは頭打ちで、実際は若い世代の絶対数が減少し、相対的に高齢化率が今後上昇していく予想です。 ここで、わたしが本当に危機迫るものだと感じるのが、「少子高齢化による若手働き手世代の減少×子供の貧困率」です。わたしの関心はあくまで個人や社会の「健康と幸福」です。子供の貧困と健康状態というのはよく結びついた事柄で、子供時代の貧困という環境が不健康への大きなリスクになります。ここを詳しく書くのは長くなりすぎるので割愛しますが、両者の掛け算によって生まれる日本の未来、そして金沢の未来は一体どんなものでしょう。 まだ、踏み留まれる。そう願いたい。 参考貧困率は、収入などから税金や社会保障費などを引いた「等価可処分所得(世帯の可処分所得を世帯員数の平方根で割った数値)」の中央値の半分未満しかない人の割合のこと。等価可処分所得(以下、可処分所得)の中央値は、年間245万円(2015年)。つまり年間122万円未満の可処分所得しかない世帯を相対的貧困層、その割合を貧困率と定義しています。 写真は2017年5月 台南 烏山頭ダムにて八田與一先生像と
クラファン終了4日前に投稿するレポートを個人FBに投稿して、こちらにし忘れる失態。。 いまさらですが。 『社会的健康と未病への挑戦』 約2000年前に出版された中国最古の医学書『黄帝内経』によると「聖人(名医)は未病を治す。」と書かれています。つまり、病気になってからではなく、病気になる前(未病)の治療こそが重要であるということです。この考え方はまさに予防医学の原点です。 予防医学という言葉は良く知られています。野菜中心の生活、運動、節酒、体重減量、塩分は控える、納豆食べたら健康?乳酸菌が免疫に効く?みんな何となく知っています。実際に、喫煙をなくせば肺がんはほとんど全て予防でき、がんの3分の1が食事で予防できるとも言われています。心臓病もただ発作を待って治療するよりも、生活習慣で予防したい、脳卒中も食事と高血圧治療で予防すべきものです。ですが、こんなこと何百回と言われても極々一部の人以外の生活は変わらないでしょう。 問題はそこではないのかもしれない。もっと深層にあるのだと沸々と実感してきたのは医学部6年生の時でした。医学部6年生の時に台湾・ハワイの病院に計2ヵ月間臨床実習を行った際に、社会が変わると患者さんの見え方が変わってきました。衝撃的だったのは、ハワイで出会った34歳の退役軍人、シェルター暮らし、無職、うつ病の男性です。高血圧や糖尿病の生活習慣病も同時に抱えていました。蜂窩織炎という皮膚感染症で入院し、それ自体は抗菌薬で造作もなく治すことができました。暗い顔でトボトボと病院を後にする彼の後姿を眺めながら何かがスッキリとしない気持ちを覚えました。今回の身体疾患然り、うつ病の温床である社会に戻っていくことに対して疑念が生じたのです。 精神疾患のある人の平均余命は、それが無い人と比較して10年~20年ほど短いという研究結果があります。こころの問題は、身体の問題や死へと多大な影響を与えます。更に、心の問題は、人々が生まれ、育ち、暮らし、働き、老いる環境に依存します。つまり、社会です。 世界保健機構によると、健康は「身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない」と定義されています。ここでも「社会的健康」が健康の要素として組み込まれています。「聖人(名医)は未病を治す。」を本気で実践しようとする場合は、食事、運動はもちろんですが、それを動機付ける精神、そしてその基盤となる社会にまでフォーカスを当てる必要があります。 みなさんはこの例に挙げた方が「自己責任」で病気になったと思いますか?私は思えません。確かに、少々極端な例かもしれません。しかし、この事実は日本も対岸の火事ではないと考えます。その話はまた後日に。
『華岡、医師になる』 石川県内灘町の川、海、砂丘、小さい森に囲まれて生まれ育ち、小学生時代の夢は「河北潟を綺麗にすること」です。それは、ただ自分が綺麗な河北潟で泳ぎたい一心でした。どうやったら河北潟を綺麗にするか頭の中で授業中によく妄想したものです。この野望は今も胸の奥底に秘めています。そんな私が、高校2年生の夏に唐突に医者になることを決めました。それは半ば導かれているかのようでした。 1番大きな影響を与えたのは、3歳のときに亡くなった曾じいちゃんです。幼少期に、入院中の曾じいちゃんの病室を訪れるたびに、医者になれと私に言っていたようです。全く覚えていません。 高校生まで話が飛び、高校1年生の終わりごろ、成績が急激に下がり始め(学年で300番位...)、東進衛星予備校に入学することになりました。それも当時付き合っていた彼女がそこに通っていたから。このような動機で、通っているものだから成績は伸びるはずもありません。 そんな時に、私抜きの保護者面談が組まれました。「華岡くんは何になりたいのですか。」と東進の校長先生に尋ねられた母親は私が3歳のときの記憶を引っ張り出し、「そういえばお医者さんかな?」と答えたそうです。次の日には私の校長との面談が組まれ、医学部用の教材を提案され、校長先生は半ば強引に「大は小を兼ねる。医学部目指しておけばどこでもいける。」と2言。私は医学部を目指すようになりました。 ですが、ここで重要なのはそこではありません。目指すきっかけより、そこに耐えうる人間力を育んでくれた方々のお蔭だと最近強く思います。「好きなことはやり通せ」という父親の教訓、間違ったことをしたときにはドレッシングの瓶で殴るほどの母親の全力の愛情、私のやることには全力で応援してくれるじいちゃんばあちゃん、「何事も楽しんでやりなさい」というミニバスコーチ、「一流になりなさい」という中学バスケ部の顧問、授業を寝るものだと舐めてかかっていた私を寝ている度に立たせた中三時の担任の先生、「人生上々」を体現しまさに「人生の授業」を繰り広げる智正学院塾長(現チセイ練成塾)、「大は小を兼ねる」と名言を残し成績不振の私を見離さずに信じてくれた東進校長。 様々な「鍵」と「鍵穴」がたまたま上手く結びついて、今の私がいます。少し掛け違えば、それはどうなっているかわからない。色々な社会的背景を持ち生き方に苦しんでいる人たちが、なんだか遠い存在には思えないんです。みんな、私であり。私はみんなでもある。そう思うんです。
第一回「人生の授業」 2018年11月25日(日) 明日(既に今日?)から5日間、クラファン終了まで私の想いをお届けしたいなと思います。 短い間ですが、お付き合いいただけると幸いです!! クラファンまで あと5日目 「華岡、医師になる。」 あと4日目 「社会的健康と未病への挑戦」 あと3日目 「自己責任論への懐疑」 あと2日目 「私が考える日本の2大課題」 あと1日目 「人生の授業の目指すところ」