みなさん、こんばんは ☽
本日は、富士川町郷土料理「みみ」に関する歴史
についてさわりの部分を
お話したいと思います。
詳しくは「みみの本」で掲載する予定なので、
ぜひ、そちらをお読みいただければ幸いです。
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富士川町十谷の地域で作られる「みみ」という郷土料理の歴史は、
ここ100年の話にはとどまらず、
なんと「源氏」の時代まで遡ります。
当時、源氏の武将が戦勝を祝って食したとされています。
それも、「みみ」は
決して他の地域に広まることなく、
十谷の地域の中でのみ独自に継承されてきた
という希少な存在でした。
古くから十谷の家庭で作られ続け、
「みみ」はその形が農具の箕(み)に似ているところから、
「福をすくいとる」という意味をこめて、
福箕(ふくみ)となり
これが転じて
「みみ」と呼ばれるようになったといわれています。
十谷集落では、
元旦の朝その年の福を全部すくうという縁起をかついで
「みみ」を作って食べるといいます。
数百年の間、
さまざまな思いを紡ぎながら今まで食されてきた
この郷土料理である「みみ」は、
現在消失の危機に瀕しています。
それは、十谷地域の少子高齢化が主な理由として挙げられます。
20年ほど前までは
観光地として賑わいを見せていた十谷ですが、
ある時からめっきり人の往来が激減してしまいました。
今では「みみ」の作り手は
高齢の方が占めており、後継者が不足しています。
大学でまちづくりの勉強を学ぶ私たちは、
何度も富士川町へ訪れていくうちに
富士川町十谷の魅力を肌で感じてきました。
そして、まちづくりを学ぶ学生として、
富士川町という地域、
そして郷土料理である「みみ」を、
なんとかして存続していかなければならない、
そして純粋に、
富士川町という地域の魅力を
もっと多くの人に知り尽くしてほしい
と、感じるようになりました。
このような経緯があって、
この「みみの本」づくりのプロジェクトが
立ち上がりました。
私たちの活動は小さいものかもしれませんが、
この活動が
富士川町の地域の活性化の一途になれば
すごくうれしいです。
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ぜひ、
プロジェクトのシェアをよろしくお願いします!