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五代目の鍛造と精魂を込めた研ぎ技が創る肥後守ナイフの逸品定光作

明治27創業の「肥後守」永尾かね駒製作所五代目が魂を込めて鍛造 欧米はじめ世界の愛好家が1年待ちの肥後守に新たな逸品が誕生お茶筒にも使われる東北ヤマザクラの樹皮 昔ながらの特殊技法で工芸家高橋弘氏が鞘を装飾親子で肥後守ナイフ、使ってみませんか

現在の支援総額

1,007,130

335%

目標金額は300,000円

支援者数

49

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2021/01/26に募集を開始し、 49人の支援により 1,007,130円の資金を集め、 2021/03/29に募集を終了しました

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現在の支援総額

1,007,130

335%達成

終了

目標金額300,000

支援者数49

このプロジェクトは、2021/01/26に募集を開始し、 49人の支援により 1,007,130円の資金を集め、 2021/03/29に募集を終了しました

明治27創業の「肥後守」永尾かね駒製作所五代目が魂を込めて鍛造 欧米はじめ世界の愛好家が1年待ちの肥後守に新たな逸品が誕生お茶筒にも使われる東北ヤマザクラの樹皮 昔ながらの特殊技法で工芸家高橋弘氏が鞘を装飾親子で肥後守ナイフ、使ってみませんか

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古式鍛錬
2021/02/03 17:00
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古式鍛錬は三木金物古式鍛錬技術保存会のメンバーである、鋸部会、鉋部会、鑿部会鏝部会、小刀(肥後守)部会の方々が輪番制にて実演されています。実施日は、毎月・第一日曜日:原則 10時から13時まで2月は7日で、ちょうど小刀(肥後守)部会です。肥後守を造られているのは「五代目:永尾製作所」のみです。藤本お問い合わせは下記へ三木工業協同組合内(三木市本町2丁目1-18)三木金物古式鍛錬技術保存会Tel 0794-82-3154


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戦後まもなく、金物製造業者は「三木利器工匠具工業協同組合」「三木鋸工業協同組合」をそれぞれ設立して三木金物の振興発展のため一体的な活動を進めました。三木の問屋は北海道から沖縄まで津々浦浦の全ての小売店へ販売していると言われています。その後も景気状況の影響を受けながらも技術面での改革や機械化、合理化等が推し進められ、今日では、三木市は伝統的な大工道具を始め、作業工具、農機具、園芸用具など多種多様の金物を生産する、日本屈指のの金物産地として、国内なもとより世界へ優秀な製品を供給しています。平成8年には「播州三木打刃物」が国の伝統工芸品の指定を受けました。(鋸・鉋・鑿・鏝・小刀/肥後守の5種類です)平成20年には「三木金物」が地域団体商標(地域ブランド)として認められました。金物略史:三木市の資料他より参照藤本 


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仏教が三木地方にで伝播し、寺院建築の需要に応じて鍛冶職も順調に伸びたようです。その後、織田信長軍の中国攻めの際に別所公は兵糧攻めにて一族が自刃して開城となった後、崩壊した三木の町を復興させるために豊臣氏が税を免除されたので大工が大挙集まり、それに応じて鍛冶屋の数が増加していったそうです。復興が成した後は、大勢の大工が全国に仕事を求めていった時に大工道具も一緒に広まり。江戸時代には鍛冶組合や卸問屋などが登場し、販路は大阪、名古屋、江戸や地方にも広がり日本全国に三木の金物しての評価を得たと言われています。明治維新後は洋鋼、洋鉄の輸入によって、それまでの和鋼、和鉄のみだったのが改良されて進歩していきました。その後も、日露戦争、第二次世界大戦の勃発で日本全国が同様の至難をえて産地としての基礎ができました。戦後、荒廃した国土の復興と建設が進み、大工道具の需要が急増して全国各地への販売が大いに拡販されました。つづく。藤本


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ご支援有難うございます。早々に、目標金額を達成できました。五代目が休日返上で鍛錬してくれています。まだ先ですが、ご支援戴いた方々に喜んでいただけるように私も頑張ります。先ずはお礼申し上げます。有難うございました。藤本


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日本人鍛冶(倭鍛冶)は日本国内に数多く存在していました。三木も同様に刀鍛冶・野鍛冶が多数あったそうです。戦国時代までは三木が播磨の中心で中国地方から京都への街道でした。特に別所公が上ノ丸に城を築き周辺(24万石)を治めていたので、新しく大陸から渡来した韓鍛冶との合流が進歩の度合いを早めたと伝えられています。当時の記録では韓鍛冶の技術者の方が多かったようです。韓鍛冶の技術者たちは出雲地方に上陸して三木の地に居を構えたと言われています。その当時に出雲で日本初(?)と言われる玉鋼が産出され韓鍛冶が一緒に三木に運ばれたとの事です。三木の周辺には渡来人の居がいたるところに有ったと言い伝えられています。つづく。 藤本