播磨の国・三木は大工道具の町として日本は元より欧米始め世界に知られています。その三木に「肥後守ナイフ」は他の道具類にない五代目への継承がされています。明治27年ごろ金物問屋「重松太三郎氏」が鹿児島から持ち帰ったナイフを元に、村上氏及び長尾駒太郎が携帯できるように「チギリ(尾)」を浸けて刃と柄を折りたためる構造を考案したと言われています。当時は取引先の多くが熊本だったことから製品名を「肥後守ナイフ」として販売したところ現地で好評を得て販売数が大幅に増加したそうです。明治32年に「肥後守ナイフ組合」が設立され、最盛期には登録製造業者40軒、肥後守ナイフの製造に従事する者は、200名を数える産業となり庵下。しかし各地で肥後守を構造した粗悪品が多く作られるようになり、様々なトラブルが発生したため、明治43年「肥後守」の名称を商標登録し、以後は三木洋刀製造組合員だけが使用する事ができる名称となりました。中略その後、時代の流れ等にて、転職、廃業が後を絶たず、現在では「肥後守」の商標を使用できるのは「長尾かね駒製作所」のみとなっています。明治27年に初代駒太郎がナイフ製造を始めてから五代目となりました。肥後守の様々時期を乗り越えてきて五代、百有余年です。若い世代には馴染みが薄い昔ながらのナイフかもしれませんが「道具を使い、ものを作る」という創作の原点として、肥後守を愛用して頂けたら幸いです。これからも伝統を守りつつ、新しい製品の開発に努めてまいります。肥後守 定「駒」五代目謹製山桜鞘付きナイフ「肥後守」は古式の鍛造にて、一振り一振り丁寧に鍛錬された逸品です。定光作 山桜鞘 本割込 桐箱入り ナイフ 大 刃物愛好家、収集家を満足させる創意の逸品。※山桜鞘は秋田の工芸家 高橋弘氏と五代目との友誼から生まれた逸品です。 高島屋で開催される伝統工芸品展のみで販売されていました。※アルファ工業が初めて全国的な販売を担うこととなりました。