支援者の皆様、大変お世話になっております。さて、いよいよオトチの洞穴の中の話です。訪れたことがある方はよくご存知のことと思いますが、現在の洞穴は竪穴です。付けられたロープと梯子で降りて入ります。昭和の初め頃は、横から入れたそうです。ですが、岩が崩れたのか、横穴がふさがり、上からしか入れないようになりました。中は6畳以上はあるでしょうか、静かな洞穴です。冬場は獣が冬眠に使っているかも知れません。実際、中にはコウモリが住み着いていて、春先に行くとまだぐっすりと眠っています。なんなら、指でつついても起きません。片手にちょこんと乗るくらいの大きさの、果物を食べるコウモリだそうです。さて、この中に三成公が匿われたのですが、保存会のお話ではたった1日だったと言われています。なぜならここは、夏場でも冷蔵庫みたいに冷えているんです。もうお分かりですね。そうです。治部小殿のお腹が悲鳴をあげ、与次郎が慌てて自宅に移したという説が話されています。治部小殿は、古橋に向かう途中で川の水を飲んだり生米を食べたりしてお腹を壊したとかも言われておりますが、その上オトチの洞穴で冷えて……一説にすぎませんがおいたわしや……
支援者の皆様、大変お世話になっております。さて、前回はオトチの洞穴までの尾根道について書きました。今回は谷道についてお話します。谷道は、尾根道が整備されるまで使われていた山仕事用の山道で、オトチの洞穴までは近道になります。ただし、これがなかなか大変で、尾根道がなぜ歩きやすいのかといえば、坂が緩やかだからです。その代わり距離があります。谷道は、近距離ですが、傾斜がきつく、健脚ならばこちらからとおすすめする道です。こちらの道は、主に下山時に使われることが多いです。登りを2時間かけたとしたら、下山は30分。早いです。ところで、この谷道は見逃せない見所があるんです。いつからかわからないくらい昔から、昭和30年代まで、石灰を焼いていた炉の遺構があるんです。大蛇変の中でも少しだけ触れていますが、古橋で生きるための大切な生業でした。こういった遺跡の説明も、保存会の人の案内で登山すると、触れてくれることがあります。歴史は三成公が生まれるよりもずっとずっと昔からささやかにその跡を残している。古橋は、そういう場所でもあります。
支援者の皆様、ありがとうございます。お陰様で、思いもかけず30人以上の方がお力をお貸し下さって、ありがたい驚きです。感謝致します。さて、三成公が一時匿われていたオトチの洞穴ですが、ご存知の方が多いとは思いますが、大蛇、すなわちオロチがなまった言葉です。チラホラと訪れる方がいらっしゃり、慣れておられる方は個人的に山登りなさいますが、大抵は保存会の人が案内について行きます。もちろん、先に予約をしておかないと、保存会の人は専属職員ではなく一般人ですので、いつでも行けるわけではありません。畑仕事、山仕事の現役の方ばかりです。登山口は、昔は谷道しかなかったのですが、数年前に尾根道が整備され、時間はかかりますが緩やかな道を行けるようになりました。オトチの洞穴があるのは三頭山(みつがしらやま)というところです。尾根道登山口は、宿泊施設「己高庵」のすぐ近くにあり、受付で聞くと丁寧に登山口を教えてくださいます。山の獣が怖いので、登る時は数名でおしゃべりしながら、さらに大きな音がする鈴を付けて鳴らしながら登るのがセオリーです。無理はせず、案内は頼まれる方がベストです。道に迷う人が毎年何人もおられて、保存会の人が救助に向かうことが結構あります。おっちゃん達は山を知り尽くしているので捜索は気安くしてくれますが、見つけるのは至難の業です。山に入る時は、慎重に、が、原則ですね!
支援者の皆様、ありがとうございます。さて、今回の画像は、古橋の中にある竜泉寺です。今は浄土真宗のお寺で、住職不在となっておりますが、石田三成公がご活躍の時代は天台宗、三成公の御母堂の菩提寺であった法華寺の里寺でした。こちらのお寺には、数百年単位の過去帳が残されており、そこに三成公やご両親、ご兄弟、そして与次郎太夫の、亡くなった記録が残されています。貴重な資料ですし、古橋の他の御先祖様方のお名前も列挙されておりますので、個人情報的に完全非公開です。古橋区によって別の場所に大切に保管されております。無住職の寺ですが、門徒の方々はしっかりおられ、維持管理されています。村落内ですから観光地として入るには少し難しい場所ですが、本の中で少しばかり名前を出しておりますので、この写真を思い出していただければありがたいです。保存会の話では、当時の天台宗の建て方で、屋根が左右にふかれているのが特徴だということでした。
本日は雨降りになってしまいました。さて、支援者の皆様方には大変お世話になっております。こちらの画像は一昨年の古橋の紅葉祭りの時のものです。本作中に出てくる与志漏神社境内のすぐ近くに鶏足寺案内所があり、そこから鶏足寺へ向かう田んぼ道です。紅葉祭りが開催されると、ここに古橋の住民が露店を出します。ウイルスの猛威が治まれば、この秋にまた復活できるかも知れません。さて、今、古橋はというと、観光客も少なく静かで、案内所も閉まったままです。そして、皆さん、畑仕事や田んぼ仕事に精を出されています。畑は苗の植え付け時。田んぼは種もみの蒔き時です。田植機に仕込むトレイに籾を蒔き、苗を育てます。田植えは4月下旬からゴールデンウィーク辺りになります。これが頭を垂れると、美味しい古橋のお米ができるのです。甘みも香りも抜群の古橋のお米は大人気です。ニラがゆにするのも楽しみです!