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舞台となった地域を盛り上げるため「石田三成かくれ里」第二弾を本にしたい!

滋賀県長浜市木之本町古橋。この地の、観光だけでは伝えきれない歴史深さを小説にしてお伝えすることによって、より有意義な観光の提供と地元の活性化を目指す本を作ります!

現在の支援総額

265,680

40%

目標金額は650,000円

支援者数

81

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2021/04/02に募集を開始し、 81人の支援により 265,680円の資金を集め、 2021/04/30に募集を終了しました

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現在の支援総額

265,680

40%達成

終了

目標金額650,000

支援者数81

このプロジェクトは、2021/04/02に募集を開始し、 81人の支援により 265,680円の資金を集め、 2021/04/30に募集を終了しました

滋賀県長浜市木之本町古橋。この地の、観光だけでは伝えきれない歴史深さを小説にしてお伝えすることによって、より有意義な観光の提供と地元の活性化を目指す本を作ります!

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支援者の皆様、大変お世話になっております。今日は少し話題の方向が違うかもですが、全く関係ないことではありませんのでよろしくお願いいたします。さて、私は今回、滋賀文学祭に応募して「大蛇変」で受賞することができました。そもそも、かくれ里シリーズは、湖北の見所にストーリー性を付加させて、観光をより深く楽しんでもらいたいがために始めた執筆で、かくれ里シリーズでなくても地元の話題で書いている作品はこれだけではありません。今までは入選止まりで、総評で色んな指摘をもらい、作り直しを余儀なくされているものもたくさんあります。文学祭に出し、プロの先生に見ていただき、賞をいただくということは、それなりにちゃんとストーリーが皆さんに伝わり、読み応えのあるものが書けたということ。小説は、フィクションです。でも、その舞台は現地に置いてもかまわない。物語の中の気に入った部分を思いながらその場を訪れることは、私はとても楽しい観光になると信じています。ただ、(ここからが本題(笑))滋賀文学祭は応募規定がありまして、400字詰め原稿用紙50枚分と決まっており、それを超えるとボツです。ですから、当然「大蛇変」も書き上げた時には大幅にページ数を上回り、多くのエピソードを削って提出しました。故に、今回作る本は、削ったエピソード、文章を元に戻すというか、書き直しております。(時々見直して修正しておりますが(笑))お話は変えておりませんが、文学祭の冊子に載ったものより長いと思っていただければと思います。今回のお話は、田中吉政公が主人公です。ですから、三成公は影がチラつくラスボス?とはちょっとイメージが違いますが、大体そんな感じで登場されます。「大蛇変」のテーマでもある最大の私の疑問。それは、三成公を匿った古橋にお咎めの痕跡がないのは何故か?皆様も、それぞれに想像して楽しんでいただければと思います。


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支援者の皆様、大変お世話になっております。今回の画像は、現在の高時川大橋の一部分です。そこに、かろうじて残っていた明治時代の橋の写真が飾られています。写真に写っている人は、木之本の浄信寺で毎年法要が行われている「地蔵盆」に、お参りに行かれるところだそうです。木之本は今でも、「地蔵縁日」が八月の二十二日から二十五日まで執り行われ、門前は歩行者天国になり、多くの出店が出て賑わいます。夜には、人の波に乗りながらでないと歩けないくらいの人手です。昨年は流感のため出店は中止になりました。今年はできるのでしょうか。最終日には大花火大会もあります。この辺りの人々の大きな楽しみの一つ。これにお参りしたら夏休みが終わるというくらいの一大イベントです。さて、この橋は、古橋に残る書き付けの中に設計図が残っており、三成公がご存命の頃もこのままの形だったことがわかるそうです。現在の橋はしっかりしたコンクリートとアスファルトの車で通っても大丈夫なものになりました。高時川は増水すれば暴れ、橋は直ぐに流されました。川幅は70メートルくらいなのではないかと思うのですが、巧妙に木組みされ、人が歩く部分は、大木を縦に二つに割り、それを上下逆さまに合わせて並べて渡してあったそうで、人や牛馬が渡るのが精一杯の橋だったようです。保存会の人の話では、恐らく大八車も渡れなかっただろうから、土手に置いておいて荷物だけ担いで渡ったに違いないということでした。与次郎は、三成公を叺(かます)に入れて、背負ってここを渡ろうとしました。叺というのは、ムシロを縫い合わせて袋にしたものです。「ふるさと古橋ものがたり」では、あえて「俵」と表記しました。それは、叺と書いてもなかなかイメージするのが難しいのではないかと心配したからです。俵ならば、昔話にもよく出てきますし、時代劇にもよく出てきます。わかりやすさを取りました。前回のネタばらしです(笑)とにかく、この橋はよく流されましたので、その度に架け替えが行われていたというのですから、当時は大変だったのですね。私、当時に生まれていたら生きられなかったかもと思ってしまいます。この橋を、観光で訪れる人はまずおられません。ツアーの行程には含まれないからです。観光客の皆様の目的は紅葉であり、歴史的な、まして三成公が捕縛された場所に関心がある方が参加される内容ではないからです。恐らく、旅行会社の方々も、そこはご存じないかもしれません。流感が治まり、お越しになる時には、ご案内させていただきますので、お問い合わせいただければと思います。伊勢から敦賀へ抜ける北国街道の本通り。その途中の、高時川大橋。石田三成公が捕縛されたまさにその場所です。


鶏足寺のこと
2021/04/12 13:15

支援者の皆様、大変お世話になっております。さて、紅葉で有名になってしまった鶏足寺のことです。活動報告の前述に、法華寺のことを書きましたが、本来、鶏足寺は本山で、己高山の山頂より少し下がった場所にありました。私の曽祖父がまだ元気だった頃は、無住の寺となっておりましたが、毎年茅葺き屋根を修繕するため古橋の皆さんが茅を背負って登山されていたそうです。元は観音寺といい、言い伝えでは住職が朝に鳥の声を聞き外に出ると、鳥の足跡がずっと繋がって付いていて、それを辿って行ったらそこに観音様の頭部があるのを見つけ、大切に持ち帰って安置したのが鶏足寺という名前の由来とされています。さて、現在、観光客の皆様が紅葉を見に来られる鶏足寺は、法華寺と並び立つ別院だった飯福寺です。固定資産税が何かの登録がややこしい?みたいな話を聞きましたが、そのために鶏足寺と名前を統一したのだそうで、古橋の人はほとんどが「ハンブクジ」(アクセントはブに付きます)と呼んでいます。この飯福寺、お話を聞きに行ったら面白いことを教えてもらえまして、あのお寺には酒造りの技術と小屋、道具が揃っていたそうで、当時、浅井家もその事でいろいろとやり取りしていたという文献が残っているそうです。お寺なのに酒を造るというのは、当時なかなかに破天荒なことだと思うのですが、暗黙的に代々の領主は了解していたそうです。何しろ、とても美味しいお酒だったそうで、浅井家は何とかその技術をもっと広められないか事業展開に乗り出したみたいですが、飯福寺のお酒の美味しさを再現出来ずに断念したとか。なんだろう? 気温とか湿度とかかしら?そういうことも知って訪れられると、より面白い観光になるかと思うのです。今回、大蛇変にそのお酒も少しだけ登場していただきました。ほんのちょっとですけどね。


己高山法華寺の今
2021/04/10 16:38
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支援者の皆様、大変お世話になっております。さて、今日の画像は法華寺跡です。三成、秀吉、出会いの地と看板が掲げてありますが、あくまで一説として心に留めおいてくださいませ。ある寺の小姓、としか書かれていなかった文献しか残っておりません。ここだったんじゃないか?程度のものです。まあ、与次郎という幼なじみもいらしたことですし、訪れてこられたことはあったのでしょうね。与次郎はこの寺の寺男をしておりましたし。この寺は、己高山鶏足寺という本山の下に別院として存在した寺です。イメージでは、浄土真宗で言うところの東本願寺があって、旧長浜市内にある大通寺御坊さんと同じような位置づけの寺です。その下に、里寺の竜泉寺があって、鶏足寺→法華寺→竜泉寺という系列と考えていただければ、それが近いと思います。記録では、真言宗となっておりますが、鶏足寺は何度も宗派を変えては蘇っておりますので断言はできず、天台宗だった時もあるようです。この、法華寺は、今は山の斜面に石垣と坊が建っていた土地のみ残し、完全なる跡地です。最上段の本堂の左下の平地に三珠院があり、そこに三成が頼った老院の善説がおられました。法華寺は、聞きそびれたのですが大正、もしくは昭和初期までは住職がおられたらしいのですが、この方が少々問題のある方だったようで、贅沢三昧して借金で倒れ、土地を売り払ってしまい、事実上の廃寺となりました。そういうわけで、坊の跡地は林業のための杉畑となっており、今は林です。本堂の跡は手入れされて小さな神社の祠と東屋が作られておりまして、当時を偲ぶことができるのは、お城跡にも負けない立派な石垣です。面が反るようにして自然石を綺麗に積み上げた石垣は、何百年という年月を目の当たりにさせてくれます。若干崩れ始めているのが心配ですが、今はまだ形を留めておりますので、十分に見られます。さて、本堂の左下の三珠院跡は、杉林で少し湿った湿地のようになっていますが、ここの奥辺りに三成公のお母様、瑞岳院の宝篋印塔が、名前が彫られた面を後ろ向きにして置かれていたそうで、それを與志漏神社近くの戸岩寺近くに移されました。今は己高閣という収蔵庫に大切に安置されております。今は疫病の流行で案内所が休まれ、収蔵庫は厳重に閉じられてしまっていますが、世の中が落ち着きましたらお参りいただきたいです。あ、法華寺は、1人で安易に行かないでくださいね!山寺ですから、猿や鹿やイノシシ、何より熊が怖いので、複数名、もしくは保存会の方の案内にて安全にお越しになることをおすすめします。


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支援者の皆様、大変お世話になっております。画像は、第1作目の「ふるさと古橋ものがたり」の表紙です。今回の「大蛇変」も、同じデザイナーさんに表紙デザインをお願いしました。とても親身に、丁寧にお仕事をしてくださる方で、こちらのイメージを大切に汲み取ってくださる素敵なデザイナーさんです。データを共有しながらZoomで打ち合わせをしたのですが、その間にどんどんとデザインが完成に近づいていき、いい雰囲気に仕上がりそうな予感です。皆様に楽しみにしていていただきたいことの1つでもあります。まだサプライズは残っておりますが、それについてはぼちぼちお知らせ致しますね。