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「Limeism-礼美-」楽曲制作プロジェクト!〜日本と中国を繋ぐ歌〜

中国籍の両親を持ち、日本で育ったピアノ弾き語りシンガー「Limeism-礼美(あやみ)-」。「日本と中国の人々の相互理解のきっかけになりたい」という想いのもと、ライブの定番曲として盛り上がれるような、楽しい楽曲制作を目指し、本プロジェクトを始動します!原创歌曲弹唱歌手Limeism-礼美 计划

現在の支援総額

439,000

109%

目標金額は400,000円

支援者数

46

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2021/05/14に募集を開始し、 46人の支援により 439,000円の資金を集め、 2021/06/30に募集を終了しました

エンタメ領域特化型クラファン

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「Limeism-礼美-」楽曲制作プロジェクト!〜日本と中国を繋ぐ歌〜

現在の支援総額

439,000

109%達成

終了

目標金額400,000

支援者数46

このプロジェクトは、2021/05/14に募集を開始し、 46人の支援により 439,000円の資金を集め、 2021/06/30に募集を終了しました

中国籍の両親を持ち、日本で育ったピアノ弾き語りシンガー「Limeism-礼美(あやみ)-」。「日本と中国の人々の相互理解のきっかけになりたい」という想いのもと、ライブの定番曲として盛り上がれるような、楽しい楽曲制作を目指し、本プロジェクトを始動します!原创歌曲弹唱歌手Limeism-礼美 计划

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今回は、ようやくこのプロジェクト関係の進捗報告です。一応計画に沿って動けることは確定しているので、DTMの勉強を始めています。サイトでのサポートは6月末までを受け付けています。(気になっている方は、今後のことやリターンについて、気軽に聞いてください)DTMのレッスンはzoomで進行しています。(画面共有・音声共有で自分の環境でできて逆に便利)とりあえず①編曲の基本的な部分を確認(ピアノ以外の楽器の作り方)②logicの画面の設定など機能は、デフォルトのままだったので色々最適化③今回の曲の構成を考え中です。これは来月に入るまでに方向性を固めます。ちなみに、私はピアノ以外の楽器弾けませんし、打ち込みの方が音の扱いが楽な部分も大きいので、より生っぽく、聞こえ方として良くするためのいろんな工夫を学びます。・ゴーストノート・空ピッキングそれから、これまで楽器の音としては、全部デフォルト音源や、無料サンプルを使っていたので、おすすめのソフト音源を教えてもらいました。なるべく皆様に還元したいのでソフト音源はセールを狙っているんだよね……。ソフト系は驚くほど安くなることがあるので。そして、ボイトレの先生に連絡取りました!オンラインレッスンは、理論などにはむしろ向いていて、対面が必要になるのは、空気感などが大事になるプレイの部分だと思っています。ちらほらオフショットも撮っています。お楽しみに。日々の配信のおかげで、家でも無駄に可愛い格好で作業しています。余談最近、「ありがとう」の手話を覚えました。ある女の子のyoutubeチャンネルをよく見ているんです。聴覚を持ってない子です。おしゃれや友達が好きで普通のハイティーン。見ながら色々考えちゃいますね。以上当プロジェクトの今後もお楽しみに!応援もよろしくお願いいたします!


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父方の話が続いたので、母方のことも書いてゆきます。うっかり真面目のような話が続いてしまっているのですが、お好みの方に届けば。70年代の工場町前回語っていなかった私の母方は香港・上海ルーツなのだが、母は重慶あたりで生まれて、住んでいたところは、工場を中心にした一つの団地というか、都市機能を持った町になっていたという。食べ物などは、配給チケットで手に入れていたそうだ。工場町の中に、工場の従業員の子供が通う学校があり、そこで祖母は教鞭を取っていた。とても厳しく、生徒である母は何か間違いをおかすと、定規で叩かれた。祖母は、もともと香港で複雑な家庭に生まれ、みなし子同然だったのに、とにかく本が好きだった。持っているものが何もなかったので、本屋さんなどで立ち読みした。その後、学費がいらない師範学校で勉強して先生になったらしい。街から街へ母も小学校の頃には、貧しさのせいで一度、父母の元を引き離されている。それが彼女が幸せな子供時代を過ごした上海で、父方(私にとって祖父)の親戚に預けられていた。さて、母の父が、母が16歳くらいの時に亡くなった。それで別れて住んでいた祖母と合流して、列車で香港に行ったという。香港は当時まだイギリス領だった。お金がなく、働くために年齢を偽ったため、今も戸籍の誕生日が違う。だから祖母と母は、大人になってから不仲な時期があった。でも、数ヶ月前につぶやいていた。子供の頃、祖母から絵のついた童話集(グリムやアンデルセン)を買ってもらったことを思い出し、大変だったけど愛をくれていたのね、と。香港で働いている中で、父に出会った。父は日本企業に勤め始めていて、出張で来ていた。それで、当時の環境から飛び出したかった母は、最初は留学ということで日本に渡ったそうな。母は香港から、そして祖母から離れたかったという。祖母は最初反対して、母のパスポートも隠してしまったが、どうにか説得したそうで日本に渡った。カクカクしかじかじかで、その後、私と兄弟が日本で生まれて今に至る。(そういえば、この辺りも時系列や土地が曖昧なので、詳しく書いて行ってもいいかも。母がもうエッセイに書いているかもしれないので、聞いてみます。)前に、私は人から「日中友好ってそんなに言い続けないとダメなものなん?」と言われたことがある。意識しない人も必ず大きな影響を受け合っているし、特に、困る人もいる。だから、一つ一つ重ねていくことで、「少しでも仲良くしよう」という方に心が動く人もいるかもしれない事を、よすがとして活動しています。


中国のこと
2021/06/16 23:18
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引き続き、小説「大地の子」を読んでいて、見聞きしたことを、ちらほら思い出します。中国に関する話で、覚えている事を、ざっくばらんにしたためていきます。こう言った蓄積が創作の根っこになると思っているためです。完成品は、もっととっつきやすいものとなります。この辺りは興味ある方だけ読んでいただければと思います。「大地の子」と子供の災難「大地の子」の主人公・一心は、戦災孤児として各地を彷徨うなか、街頭で売られてしまる。でも、子さらいは今の時代もいて、腕とかどこかを欠損させて、物乞いをさせるという。ハルピンのあたりは、冬には零下何十度にもなる寒さで、中国の北の方の暖房「オンドル」は寝台のすぐ近くに釜があって子供が落ちて死んだという話も多かったらしい。食べること 生きること「大地の子」にゆかりある父方の昔話は、大体、父の姉である叔母から聞いた話だ。一家の住んでいたところは北方で、文化大革命の時に、姉弟たちが下郷(青少年が農村に行く政策があった)したのは、「小古洞」というところだったらしい。貧しい農村で、木々には葉もなく、スズメなどのどこにでもいるような小鳥もいなかったという。あまりの貧しさにみんな食べられてしまったからだ。食料はとうもろこしの粉で作った饅頭など、じゃがいもは保存食として凍らせるためスカスカになり、解凍すると黒い汁が出てきた。栄養になるものがほとんどないから、どんどん口に入れる癖が付いて、父方の家の人たちは、今もみんな大食いで、かなり体格がいい人が多い。それから、何かの時に、子供たちだけで徒歩で移動することになったらしく、出発地から、ゆで卵を大事に持っていたという。けれど、砂漠のような土地だったので、石もなく、割ることができなかった。父の姉である叔母たちが困っていると、5歳くらいだった父が、突如、ゆで卵を、おでこに打ちつけて割った。叔母たちは驚いたそうな。祖父母が一緒に暮らしていたハルピン時代は、普通に学校も行けていたという。だから、叔母は田舎の小学校で教えていた。そういった田舎では、例えば先生が小学校四年生までしか出ていないと、四年生までの授業しかできない、という状況だったがだからこそ尊ばれた。そこから紆余曲折あって、一家で日本に渡った。人の縁とは不思議なもので、叔母は、今も当時の「小古洞」の時の生徒さんと、wechatを通じて再開して連絡を取っているという。同じく、家族の知り合いだっというおじさんが、私の中学校の近くで中華料理屋さんを営んでおり、ある時父と母と私で食べに行ったら、たくさんの料理を振舞ってくれた。サソリ最後に私の笑い話なのだけど、2歳ごろ、初めて飛行機で北京に行ったらしい。食事にサソリが出てきて、何も知らない私が、母に言ったことには、「この エビ おいしいね」(と言ったのが、今回の「びっくりサソリコース」の由来だったりする)ということで、脈々と命をいただいて生きています。長々とお読みいただきありがとうございました。次回は、一旦母方の話を書いてみます。これからもお楽しみに!


「大地の子」
2021/06/14 02:00
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先日、中華系のダンス発表会の影ナレのお仕事をしてきました。日本に暮らす、中華系の子供たちが中心となった会。子供たち。とても一生懸命で。先生方、保護者、スタッフも。人と人の温かい繋がりは、変わらない。……ようやく山崎豊子さん「大地の子」を読み始めました。文化大革命の頃の残留孤児を描いた作品。私の父方の祖父が、取材協力として実体験を語った本でもあります。祖父はハルピン医科大学の助教授でしたが、祖母は日本人。満州で旅館を営む家に生まれ、祖父と出会ったため中国に残りました。やがて家族となり、子供も産まれ、しばらくはハルピンで生活していましたが、文化大革命の折には、知識人・日本人への弾圧に遭って投獄され、残された父とその姉たちは、「下乡」して田舎に移り、死ぬか死なないかの過酷な子供時代を過ごしました。親戚たちは現在は引き揚げてきて長年日本で暮らしています。遊びに行くと時折聞かされていた話が、この小説の行間にまざまざと浮かび上がって、血や砂の匂いが立ち上ってくるような気さえします。叔母曰く日々に小さな喜びもあったのだそうですが、この令和の時代には見落としてしまうようなことでしょう。私は改めて平和な日々に、応援してくださる皆様の思いに感謝するほかありません。現代でも、知り合いの子供たちで、親の都合や商売、勉強のためとさまざまな理由で、国境を跨ぐことになり、他の子供たちと違うところで、苦労する話を聞きます。けれど、音楽や踊りなどに夢中になれることが、大きな支えとなることを、私はかたく信じています。……それから、また、いろいろな形での応援や、お披露目する場についての提案が集まりました。他にも音楽・演奏に関するありがたいお仕事でお声掛けいただき、より一層精進せねばなと思わされます。色々考えたり、DTMの勉強を進めています。最近はドラムの打ち込みを向上しました。良いものが作れるように。


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今回のプロジェクトを計画し始めた当初から、「こんなことがやってみたい!」と話していたことがあります。TikTokで誰もが気軽に投稿している様子を見たのがきっかけで、「こんなふうに、ネットでも楽しんでもらえる曲にしたいな」と思いました。そして自分の弾き語りのライブの時に、対バンの方を見て、「手拍子を入れられるような曲も、相互のやりとりができていいな……」と気持ちが膨らみました。そのためにはやはりダンスが必要で、つまり、振り付けが必要です!自分はダンスはできないので、お願いする振付師さんについては、内部で話しあっています。先日の記事も書いてくれたマネージャー川手さんが、アイドル経験者のため、候補となる方を挙げてもらっています。ということで、ストレッチゴール「ダンス振り付け」総額 【50万円】 を目標とします!今のところ達成率が約30%のところなのですが、進捗に合わせて中国の方にも引き続き案内していくため、ぜひ、コースを選んでみてくださいね。また、最近太極拳を学んでいるので、そう言った要素も取り込んだ楽しいダンスになったらいいな、と妄想中です。みんなで一緒にできたらいいな。ご支援の割引になる公式クーポンCAMPFIREのキャンペーンで、皆様がご支援時に使えるクーポンがあります。500円クーポン(今回の写真は……)秘蔵・コロナで出演できる場があまりにもなかったため、出演させていただいた秋葉原「めいどりーみん」さんでのステージです。より多くの人に楽しんでもらえるように、色々チャレンジして行きます!