皆様、こんにちは。プロジェクトオーナーの小林駿です。昨日、ジャパンカップに京阪杯が終わった夜…3度目のインタビュー記事をウマフリ様にて掲載させていただきました!記事はこちら先日の日記投稿でも触れた「ホースセラピーの効用」に加えて、実際に山手理事長が経験した「奇跡のような出来事」にも触れられていますので、是非ご一読ください。さて、いよいよ明日でクラウドファンディングが終了します。実際に掲載されたこの1月半、毎日朝起きると同時にサイトを見て、昨日のPVは…支援額は…とチェックする日々が続き、最早日常のルーティンとなっていました。初っ端から返礼品の記載ミスが発生し、マッシュルームスープをお届けすることができなくなったり、終盤になって返礼品発送日時の記載ミスが発覚し、迷惑とご心配をおかけしてしまったり、活動報告の投稿がなくなかなか伸び悩んだ時期もあったり…支援者の方には、大きな迷惑をかけてしまったことと思います。本当に申し訳ありません。そして中盤から日記投稿もはじめ、今日は何を書こうか…と考えながらパソコンの前に向かう日々。こんなことを知ってほしいな、と書いた記事への反響が大きかったり、こんな自分の話でも興味を持って見てくれている人がいるんだ、と感動したり…そしてパークで実際に働き、引退馬の為にと身を粉にして奮闘している方々へインタビューを行い、それを記事にする…そんな経験もさせて頂いたり…そんな毎日が終わります。勿論、この後も支援していただいた方への返礼品のお届けや自分自身の引退馬への向き合い方が終わることはありませんが、ひとつの区切りとしてこのクラウドファンディング開催が終了するその日が来てしまう事に、若干の寂しさを覚えています。改めて、支援していただいた皆様、そして応援してくださっている沢山の方々また告知等に協力していただいたメディアの方や、コメント、温かいメッセージやご意見をくれた方、毎日@ツイートで支援拡散をして下さった方々。ほんとうに1か月半の期間中、ありがとうございます。そしてこのプロジェクトを通して、少しでも引退馬の現実、そして多くの人が考え、取り組んでいるという事を知っていただけたら幸いです。これからも引退馬への活動は続けていくつもりでおりますし、もしかしたら再度、今度は別の形でクラウドファンディング等を開催する機会が訪れることもあるかもしれません。その時は是非、よろしくお願い致します。今日でこの毎日更新の日記は終了しますが、今後、このプロジェクトが完全に終結するまでは、ポスター完成の告知や返礼品発送準備の様子、返礼品発送完了のお知らせ等、随時更新を予定したいと思いますので、お待ちください。それでは皆様、ありがとうございました!またお世話になる時があれば、その時はよろしくお願い致します!プロジェクトオーナー 小林駿
皆様、こんにちは。プロジェクトオーナーの小林駿です。残り2日。もう終わりも近いです。最後までよろしくお願いいたします。今日はジャパンC。今年は欧州から3頭もの外国馬がやってきてくれて、例年以上の盛り上がりを見せてくれました。さて、欧州では昔から現代まで続く「馬との生活」があると言います。日本では江戸時代、武士と馬という関係があったようにその関係性は深いものでしたが、現代では私たちほとんどの人は日常で馬と共に生きる事はありません。よく海外産の映画などで「馬車に乗る貴族」等々を見かける機会はあると思います。では、日本でそのような馬車馬として、街中を走らせることはできるのか…これに関しては、2年生の時に私も思いました。そんな道があれば、彼らの利活用に役立つのではないかと。ところが現実、そううまくは行きませんでした。市内の他大学の方と共に「函館山を馬車で往復するプラン」を訴えてみたのですが、却下。その大きな理由は、「衛生面」の問題が出てしまっていたことにあります。馬が好きな我々からすれば彼らの存在は何にも変え難いものでありますが、そうでない方にとっては、馬糞の匂いなどで不快になる方もいるかもしれません。そして、馬である彼らが街中で馬糞を出さないとは言い切れないため、そのあたりの環境問題にも繋がってしまいます。また、もしかしたらその場に居合わせた人によって、彼らが心ない扱いを受けてしまう可能性も否定できないのに加え、我々人間がずっとそばについていてあげられるわけでもありません。そのような理由で、馬を街中に走らせると言う企画は断念したと言う過去があります。実現すれば、彼らの利活用に大きな一歩を踏み出すことができるのは確かですが…そのような問題から、なかなか厳しい状況なのは変えることができません。だからこそ、まずは引退馬の理解、馬房、受け入れ先を増やすこと。そして同時に、彼らの生きる道を探してあげること。現段階では、それが1番大事なのかな、と思います。それでは皆様、また明日!
皆様、こんにちは。プロジェクトオーナーの小林駿です。残り3日。よろしくお願い致します。さて、いよいよ明日はジャパンカップ。今年はコントレイルのラストランに加え、史上初の4世代ダービー馬激突(マカヒキ、ワグネリアン、コントレイル、シャフリヤール)、オークス馬ユーバーレーベンの参戦、久方ぶりの外国馬多頭数参戦(グランドグローリー、ジャパン、ブルーム)と話題に事欠かない1戦に。ワールドプレミアとカレンブーケドールの回避こそ残念ですが、盛り上がりを見せているのは間違いありません。一方ジャパンカップから30分後。阪神の舞台で今年最後の芝1200m重賞、京阪杯が行われます。充実の3歳牝馬レイハリアや鋭い脚を使うシヴァージを筆頭にこちらも好メンバー。そして、この記事でも何度か触れているラッシュライフの息子であるファストフォースも自身2度目の重賞制覇を狙ってここに出走してきます。私の血統図(笑)は母方にはギャンブル好きの人はそれほどいませんでしたが、父系がかなりのギャンブル血統。祖母は御年90を数えながらも未だに現役で麻雀を仲間と打っていますし、祖父も当然麻雀、競馬とどっぷり漬かっています。そして私の父も、麻雀、競馬に昔はパチンコもよくやっていました。そんな父系から産まれた私が、競馬に興味を持たないわけもなく、3歳にして父と祖父の真横で競馬新聞抱えてグリーンチャンネルを見ている写真が実家に眠っているくらいです(笑)父の同僚に「君は競馬家系のサラブレッドだなぁ」なんて冗談を言われたこともあるそうで…さて、私の祖父はほぼ毎年1頭、社台系列から一口、馬を購入していました。彼の生涯最後の1頭が、ラッシュライフでした。新馬戦を圧勝し、函館2歳S、ファンタジーSと連続2着の後、牝馬クラシック路線で負けながら、OP特別でも善戦、降級後の1000万を函館の地で僅差で勝利、1600万下でも何度も惜しいレースを続けた彼女は、2008年7月5日、ジュライS4着をもって引退。その競走生活に別れを告げます。そして、その2週間後、祖父が入院。1か月後の8月に1度は退院したものの、再び体調が悪化し再入院。そのまま11月29日、帰らぬ人となりました。その翌日のジャパンカップを勝ったのはスクリーンヒーロー。「こいつ、いつかG1勝つぞ。こういう楽しみな馬は追いかけたいよなぁ、駿。それが競馬の楽しみ方のひとつだよ。」1年前、ラッシュライフが2着したセプテンバーSの翌日、祖父の家で一緒に見ていたセントライト記念で3着に突っ込んだスクリーンヒーローを見て、祖父はそんなことを言っていました。周りの大人たちがせわしく動く中ただ一人、呆然とテレビを見つめていた自分が、祖父が逝ってから初めて泣きました。小学3年生、まだ世の中のことなど対して知りもしない子供が「運命」「奇跡」なんて言葉を考えたりもしました。思い返せば、小さかったあの日から。何度も何度も自分の出資馬のビデオを見せてくれたり、思い出話のスクラップファイルを見ながら「この子はこういう気性で、こういう性格で、でもこういう奴が乗るとこういう走りをして」とか「牧場に見に行った時は可愛かったよ。人懐っこかったしな。将来馬と一緒に居られるような仕事でも目指すか?」なんて言ってくれていた祖父の言葉と教えが、どこかで今の自分に活きているところはあるのかもなあ、なんて、この時期になると思い返したりします。今でも忘れない、祖父の言葉があります。「いいか駿、競馬はブラッドスポーツ。それは何も名馬だけに限った話じゃあない。すべての馬にとっての血脈が、ブラッドスポーツと呼ばれる理由なんだ。とはいえこの世に生まれた馬達に、悪も正義もない。優劣はあっても、それは結果と血統で見た時だけの話だ。ただ生きている彼らには何の区別もない。懸命に生きているんだから。」「懸命に生きる」…出資者だった祖父が、自身の活躍できなかった馬の行く末を知らないはずがありません。だからこそ、自分には「競馬」だけではなく「馬」をも好きになってもらいたかったのではないでしょうか。僕は、父と祖父のおかげで競馬も馬も、これ以上ないくらいに好きになりました。本当に、感謝の念しかありません。さて、明日の京阪杯。13回忌を迎える祖父へ、そして自身2度目の重賞制覇を祝う美酒を是非、明日のファストフォースには叶えてもらいたい。そんな勝手なお願いをもって、今日の活動報告に変えさせていただきたいと思います。それでは皆様、また明日!
皆様、こんにちは。プロジェクトオーナーの小林駿です。残り4日。最後が見えてきました。最後までよろしくお願い致します。今日は完全にプライベートのお話を。(もしかしたらこのプロジェクトにはあまり関係ないお話かもしれませんが…)今現在、大学4年生というのは既にプロジェクト本文やこの活動報告でも触れている通りです。(1.2年生で色々あり単位が若干厳しい状況なのは置いておきましょう)(家で普段はこんな感じで卒業論文をやってます。モニター2つはゼミの教授がくれました)大学生は卒業研究、および論文の提出が卒業への必修単位のひとつとなっているのですが本文以外でゼミの卒業研究について全く触れていませんでした。本文では「「地域と馬の可能性」といったようなテーマで研究を進めており、そのひとつとして「引退馬支援」に取り組んでおります。 」と書いていますが、つい1か月前、状況が180度変わりました。実は、今「馬」についての卒業研究は何一つしておりません。このプロジェクト掲載後すぐに後期1回目のゼミがあり、夏休み中の活動、今後の展望を述べる機会があったのですが、そこでこのプロジェクトの事含めて発表したところ「何がしたいのかさっぱり分からない」と教授にダメ出しを喰らいました。「何回も言うように、命の問題なんだから、明確な答えなんて出せない。」「卒業論文なんだから「答え」が出ないとダメなんだ。うちは観光ゼミなんだから、馬と観光で何の答えが出せる?それも競走馬じゃなくて引退馬で。」以前ちらっと触れた「教授の変更」が、ここまで影響を及ぼしていたのに気づいたのはこの時でした。前任の教授も観光ゼミでしたが、学生に観光を強要せず、「やりたいことをやってくれればいい」という、いわゆる放任主義、それでも自分から「~がしたい」とお願いすれば全力で応え、サポートしてくれる、そんな先生でした。ところが変更で入ってきた新しい教授はガチガチの「観光」で、「観光系…それも函館を中心として何かをすること」をゼミの命題とするような所が感じられました。3年生の時点では特に何も言われていなかったのに、卒業論文が始まる今になってどうして急に…とも思いましたが、「馬」に対して「離れろ」とは以前から言われ続けていたのは確かです。それでも諦められないという事を伝えると「卒業できなくてもいいならやれ」そう言われました。「引退馬は趣味でやれ。とにかく卒業するためにテーマを変えろ。」そう言われ、納得がいかないままテーマ変更。現在は「函館市内の飲食店推移・立地変動【地区を絞りながら】と、そこから見る今後の観光の展望について」というテーマで研究を進めています。ところが、「なんでだろうなぁ…」と思いながら研究を進める日々が続く中、あるひとつの事を見つけます。この飲食店の観光客数推移、函館市内だとホテル街の近くで急増。特に函館駅前は今、アフターコロナを見据えて多くの新規ホテルが立ち並び、かつて昭和の時代に栄えていた「大門横丁」と言う場所がもう一度息を吹き返しそうになっているとのこと。「飲食店経営」をひとつの夢にしている自分にとって、このことは非常に+に働きます。ということは。この研究を紐解いて、人口推移や観光客の傾向がつかめれば、将来的にそういう場所へ出店すればいい。そしてそれだけ人が集まる場所で開け、もし繁盛できたなら。――引退馬支援を広めるために必要な絶好の立地条件を知ることができるかもしれない。むしろ、このテーマ変更は今では「将来の自分の為への準備」として俄然やる気が湧いています。そもそも「異種業界提携」を根本に置いているならば、関わろうとするものの特徴、強みを知らなければいけない。だからこそ飲食店に就職するという道を選んだ自分には、更に強みを知ることができれば、後の引退馬へつなげることができる。教授が伝えた「馬から離れろ」とは、そういう意味も含めて言っていてくれたのかもしれません。だから今はこのテーマ変更を寧ろ将来の引退馬支援に向けて準備段階とし、行っています。直接の関係はなくとも、どこかで関係性を見つけることができるかもしれない…そう思って取り組むと、今まで楽しくなかったことも楽しく思えてきたりして、最近は卒論にも力が入る状態となっています。このまま卒業、そしてゆくゆくの自分の為にも残り1か月半、プライベートもスパートをかけて行きたいと思っています!それでは皆様、また明日!
こんにちは。プロジェクトオーナーの小林駿です。残り5日。よろしくお願い致します。(諸事情により公開が遅れまして申し訳ございません)さて、実は先日、ウマフリ様にて馬っこパーク・いわて様をインタビューした際の記事を掲載させていただきました。インタビュー記事はこちら!10月にも1本目のインタビュー記事を公開前に掲載させていただきましたが、今回はまた別のインタビュー記事。そのテーマは「引退馬支援」このプロジェクトはもちろん、私もこの活動報告の中で何度も何度も触れてきていることについて、実際の現場で働き、馬の為に動いている方の想いを述べていただきました。詳細はインタビュー記事をご覧いただければと思いますが、その中で心に残った言葉がひとつ。「その馬の幸せを第一に考えてほしい」ということです。この記事を読んでくれている方、また当プロジェクトに興味を持っていただいている方の中には、もしかしたら引退馬支援に興味を持ち、その先に動いてみようと考えてくれている方もいらっしゃるかもしれません。もしかしたら、既に活動していただいている方も。そのような方々を含めて、私からも出すぎたお願いではありますが、この言葉は大事にしてほしいと思っています。引退馬支援には様々な道があります。先日も書き記したように、「いのち」を扱い、その馬が余生を幸せに過ごすためのお仕事です。その道に明確な正解はなく、試行錯誤を繰り返すことになります。ただ、考えるべきは我々人間の安息や幸せでなく、彼ら自身の幸せ。私達がどれだけ豊かになり、豊潤な資金を回せるようになったとしても肝心の馬達に気が向いてなければいけません。彼らの生活を、健康を考えて動くのが引退馬支援なのですから。だからこそ、単なる「可哀想だから馬を買いたい」「処分されてしまうならお金は厳しいけど引き取りたい」と言うのは、彼らにも私達にもメリットのないことになってしまいます。以前、肥育取引行になった子を引き取りたく訪れた人が、「肉の値段は今安いですよね」と業者の方に問い、怒りを買ったというお話を見たことがあります。そしてその後、100万円出してくださいって言ったら買えますかと問われた時、買えません。と言われたので断ったとのお話も。その後、北海道にいるうちにその牧場に引き取りを申し出なかった理由を尋ねると、その馬の残り寿命と財布の中身を計算して考えたという事が記されていました。ここからは引退馬支援を考えている人に、私から皆さんに1個伝えたいこと。それは、悪気があってもなくても、その業界で働いている人の神経を逆なでするようなことを行ったり言ったりしないでほしいという事です。 肥育取引で馬肉となってしまう子も、ひとつの意味では経済動物としての役割を果たしています。その考えがだめとか、引退馬支援を行っているものとしておかしいとか、色々な考えはあると思います。(実際ゼミで言われたこともあります)ですが、そこで懸命に働いている人がいます。その場所で懸命に、その馬の最期まで寄り添い、お世話をする人もいます。それは肥育取引に限りません。異種業界提携をする時は、牧場のスタッフさんだけでなく、全く別の場所で働く方たちと接することもあります。関わる人たちを、どこかで侮辱するような言動や行動はしないでほしいというのが、私からのお願いでもあります。そして、彼らを家族として迎え入れ、接してほしいという事。その馬の余命や寿命を計算して迎え入れたりするのも、私個人の意見ですが賛成できません。そうやって受け入れた場合、その計算した年月より長く生きた場合の事まで考えられなくなってしまう可能性が大きく、その後の面倒を見ることが困難になってしまいます。何より、自分たち家族の余命や寿命を計算して接してほしくないです。これが、引退馬支援に取り組むうえで考えてほしい、私個人からのお願いです。それでは皆様、また明日!