こんにちは。プロジェクトオーナーの小林駿です。残り15日、よろしくお願い致します。昨日、スーパーホーネットをきっかけに引退馬の行く末に興味を持ちゼミのテーマも「引退馬支援」へ舵を切る運びとなったところまで書かせていただきました。本日は、その先。縁あって馬っこパーク・いわて様を訪問する運びとなった際のお話を書かせていただこうと思います。2020年、9月9日。「引退馬のセカンドライフを考えているもの」として、馬っこパーク・いわて様を訪問。当日、函館から新幹線に乗って岩手まで向かう時、大層緊張していたのを覚えています。「失礼な事言わないだろうか」「知識全然ないしなぁ…怖いなぁ」とまるでお化け屋敷でも入るかのように怖さと緊張が入り混じっていました。(勿論、好きな馬たちに会えるという事で楽しみでもありましたが。)そして馬っこパーク・いわて様につき、スタッフの方たちに挨拶を済ませ最初に向かったのは厩舎馬房。そこにいたのは多くの引退馬でした。これまで競馬場とテレビの前でしか殆ど馬を見てこなかった自分は、サラブレッドとして競馬場を疾走している時とは雰囲気が全然違うその姿に、ただ驚きました。最初に会ったのが、このコミュニティ。地方競馬をあまり見ていない自分でも、交流重賞に何度か出走していたことから名前は知っていました。会った時、既に10歳。人間で言えば35歳くらい。年老いた感じがするなぁというのが、正直な感想でした。どこか腰が引けているのが、見て分かるかもしれません(笑)実は当時、馬と言う生き物、というか、生き物全般に恐怖心を抱いていました。従姉妹の実家で飼っていた犬には吠えられ、馬にも小学校の頃思いっきり腕を噛まれた経験もあり…正直なところ、かなりおっかなびっくり接していたように思います。また嚙まれるんじゃないか…と言う想いがなかったと言えばうそになります。実際この後重種(チャグチャグ馬コで使役される子)やまだこの頃は現役だったナグラーダに餌をあげる機会もあるのですが、終始ビビり通しで餌をあげています。そしてこの後、実際に乗馬をさせてもらえることに。そこで自分が接したのは、マリーンパワーという元競走馬。父シングスピールに母マリレット、競走馬時代の馬主はダーレージャパンと、世界的良血の血が入った馬です。(1年後、牧場で乗馬研修をさせていただいた時もまた彼にお世話になるのですが、それは別のお話)実際に準備をし、乗馬をし、彼に跨りながら牧場長である加藤先生とお話をしていくうちに、少し恐怖心が薄れて行きました。そして、次に行わせていただいたのが引馬体験。ここではポニーのラインという子と接し、園内を1周させていただきました。道草も食われ、なかなか思うように進んでくれないライン。どうしたら進んでくれるのか…そんなことを考えながら引馬をさせていただき、終わった後はお手入れの時間。毛並みを直し、汗をかいていればそれを拭き取り、蹄のケアも行い…と、かなり近い距離で触れ合ったこの時、気づけば馬に抱いていた恐怖心はどこかへ飛んで行っていました。当時は彼らに接することでいっぱいいっぱいだったため、すぐには気づけませんでしたが、いま改めて考えるとこの時既に、私は馬と触れ合う事の効果(セラピー効果)を受けていたのではないでしょうか。実際、彼らと触れ合ったことで恐怖心は消えましたし、放っておけば人間が考えている通りに進んだり行動してくれないのが彼ら馬です。そして運動した後、彼らの事を第一に考えながらコミュニケーションを取る時間。それは人間世界に置き換えた時、相手のことを思いやるという気持ちに発展するのではないでしょうか。勿論、コミュニケーションを取るうえで褒めるだけで終わることはありません。手入れ中悪さをすれば怒ることは必要ですし、人間に対して上からの態度を取り続けるような子には、正面から向き合って指摘することが必要です。だけどそれも含めて、我々が生きるうえで大事な事を改めて彼らが教えてくれるのではないでしょうか。競馬で走っている彼らとはまた違う事を、彼らから知ることができた…競馬場で活躍できなくても、大切なことを教えてくれる子達がたくさんいるという事も知り「また来たいな…」パークを去る夕方、そう思うほどにはこの場所が大好きになっていました。引退馬支援を考え、取り組むような場所を失くしてはいけない。そう思い始めたのもこの時期でした。ここまで3日間、自分が引退馬への想いを抱くようになった経緯を書かせていただきました。明日はここから1年、4年生になった自分が夏、乗馬研修として再度ここを訪れた際の話を書かせていただきたいと思います。それでは皆様、また明日!
こんにちは。プロジェクトオーナーの小林駿です。残り16日、よろしくお願い致します。本日はエリザベス女王杯でした。アカイイトと幸騎手が初G1制覇を飾り、2着以降も大荒れとなる結果に。アカイイトのあの勝負服、8月に熊本県産馬として初の重賞制覇も飾り短距離戦線で有力視されながらも無念の引退となったヨカヨカと同じオーナー。そして父は、私が大好きなキズナであるという子。人気こそありませんでしたが、これもまた競馬の見せるひとつのドラマではないでしょうか。私はしっかりやらかして馬券は大外れでしたが(詳細はTwitter)さて、エリザベス女王杯が終わり、来週はマイルCS。そのマイルCSで、幾度も悔し涙を呑んできた馬がいました。彼の名を、スーパーホーネットと言います。2歳時から活躍し、3歳クラシック路線では伸び悩んだものの、OPクラスでは活躍を見せていました。そして古馬になり、重賞制覇を遂げた後挑んだ2度目のマイルCS。後方から一気に追い込み、先頭を捉えるかという脚色で突っ込みます。しかし結果は、僅かに届かず2着。その後も堅実に勝ち鞍を重ね、翌年の毎日王冠ではあのウオッカを下しての重賞制覇。再び彼は、マイルCSの舞台に戻ってきました。それも1番人気で。しかし結果は、またも2着。今度は内から抜け出した勝ち馬を捉えることができずの惜敗でした。2005年にデビューした彼は、2010年まで懸命に走り抜き、重賞4勝、G12着4回という立派な戦績を引っ提げて種牡馬入り。主な産駒にはシンザン記念やファルコンSで3着に入ったシゲルノコギリザメがいますが、重賞を制覇するような子供たちは輩出していません。そして、昨年春。自分の祖父が一口馬主で所有していたラッシュライフが、たまたまグリーンチャンネルの栄光の名馬たち(テイエムプリキュアだったような)でチューリップ賞、桜花賞のレースが映りそういえばラッシュと後に走ったブルーメンブラットってマイルCS勝ってたよな…とそのレースを見返し2着だったスーパーホーネットって、今どうしてるんだろうか…と「スーパーホーネット」で検索をかけた私の目に、衝撃的な記事が。引退馬スーパーホーネット、行方分からず 処分されたかは不明 と画面の前で数秒、固まりました。信じたくない想いでそのリンクを開くと、真偽は不明ながらも種牡馬から用途変更されたことは事実であり、その後行方は分からない…と記されていました。勿論、はっきりしたソースがあるわけでもなく、もしかしたらどこかでひっそりと生きているかもしれません。本当に牧場が「消息は問わないでください」と言っていたとしても、引き取った人が個人で、その人が引き取ったことを公表したくないから牧場側にそう頼んだという可能性も考えられます。ただ、それでも当時の自分には衝撃でした。「あんなに活躍して、ファンも多かった馬でもそういう道をたどるのだろうか…」と。悲しく、そしてやりきれない思いが走りました。そしてこのニュースをきっかけに、引退馬支援に足を踏み入れて行くこととなります。テーマが迷走していると度々教授やゼミの仲間たちに言われ続けていた自分も、しっかりビジョンが見えてきました。引退馬支援を学ぶたびに、やりきれない思いと、何かできないのだろうかという想いが重なっていきした。そして、2020年夏。自分は初めて牧場に、「遊びに行く」「見学に行く」のではなく「引退馬支援を学ぶもの」として足を運びます。そのあたりの話を明日、はじめて馬っこパーク・いわて様に伺い、そこで感じたことなどを書いていければと思います。それでは皆様、また明日!
こんにちは。プロジェクトオーナーの小林駿です。残り17日、よろしくお願い致します。さて、明日11月14日は中央競馬でG1、エリザベス女王杯が行われます。2006年にヴィクトリアマイルができるまでは国内唯一の古馬混合牝馬限定G1として存在し、更にその前、秋華賞が設立されるまでは牝馬3冠最終関門として存在していました。そんな2006年、私は6歳から7歳。競馬時代で言えば、ちょうどディープインパクトが古馬となり、凱旋門賞に挑戦した年でもありました。この頃から競馬にものすごく興味があったか…と問われた時今考えると、毎週土日が既に楽しみだった小学生で、競馬を見ている父親の横に居座ってテレビにくぎ付けになっていた子供でしたから、既に興味はかなり持っていたことと思います。事実、あの頃はまっていたゲームもギャロップレーサーやダービースタリオンなど、競馬ゲーム関連が主でした。そうなると当然、昔の名馬にも興味は沸き、その馬が走っている時代をリアルタイムで見ていた父親や祖父からも数多くの話を聞いたほか、当時のギャロップなどを見たりして、競馬に関する興味はどんどん深まっていきました。ですが、あるひとつのことに関しては雑誌でも、父親や祖父からも聞かされませんでした。「活躍できなかった馬はどうなるのか」ということ。祖父も父親も、恐らく知っていたとは思います。ですが、彼らからその話を聞いたことは一度もありません。一口馬主もやっていた祖父は、一年に一頭、社台グループから馬を一口購入するのが常でした。その中には当然、活躍できずに競走生涯を終えてしまった馬もいます。その現実を痛いほど知っているからこそ、安易に小さかった私に伝えることはしなかったのではないでしょうか。紙面や雑誌の文面には「乗馬」と書かれていますが、その実情を私が知るのはお恥ずかしい話、大学生になるまで知る由もありませんでした。文章をそのまま受け取り「みんな乗馬になっている」と心のどこかで思っていました。そして10年以上の時を経て、やっと現実を知った自分。勿論競馬は毎週見ますし、馬券も購入したりして楽しみ、競馬仲間とLINEなどで予想大会なんかもやったりはします。けれど毎週、主な抹消馬リストをサイト等で見るたび、平場などで自分が買い、応援していた馬が地方転出などの予定もなく抹消された、というような記述などを見ると、少し寂しい気持ちに今でもなります。そして転機は「なにかできないかな…」と、大学2年生になり、ゼミに所属することになった時に改めて思った事。「好きな事をやっていいよ」と言われ、「馬」に研究テーマを定めたのが大きな一歩。そこから引退馬支援に積極的に足を踏み出すきっかけになったのは、昨年末、ある1頭の競走馬のニュースから始まります。明日はそのことについて、少し書ければいいなと思います。それではみなさん、また明日!
こんにちは。プロジェクトオーナーの小林駿です。さて、本プロジェクトですが明日で公開から1か月が経過し、いよいよ残り2週間弱となります。ここまでご支援いただいた皆様、また少しでも当プロジェクトに対して興味を持っていただいた皆様、本当にありがとうございます。本日からプロジェクト終了まで、活動報告の投稿をできる限り毎日行っていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。今回は、返礼品に設定しているうちの「乗馬チケット」について、岩手競馬の次年度の大きなイベントと合わせてご案内したいと思います。この「乗馬チケット」、パークが存続する限りいつでも好きなタイミングでご使用いただくことが可能となっておりますが、遠方にお住いの方やお仕事等で平日の移動が難しい、と言う方もきっといらっしゃることかと思います。事実、北海道に住んでいる私も新幹線が開通しているとはいえ、なかなか気軽に訪問することは難しいです。そこで、覚えておいていただきたい日程がひとつ。来年、2022年の11月、順調であれば盛岡競馬場にてJBC3競走が開催される予定です!※ニュース記事のリンクはこちらからつい先日(11/3)、金沢競馬場で行われたJBC3競走で、ミューチャリーが地方馬として初めてJBCクラシックを制したのは記憶に新しく、またレディスクラシック、スプリントもそれぞれ競走馬たちが激闘を我々に見せてくれました。そんなダートグレードの祭典が、来年は岩手の盛岡競馬場にやってきます。勿論、JRA交流重賞ではクラスターCが8月、マイルチャンピオンシップ南部杯が10月に行われ、またそれ以外の日程でも大きな盛り上がりを見せている盛岡競馬場ではありますが、来年11月の盛り上がりは、きっと別格になることと思います。そんな盛岡競馬場、パークから車で30分ほどの距離にありますので、来年11月、岩手へ乗馬旅行・競馬旅行の予定を組んでみてはどうでしょう?順調であれば11月3日(祝・木)に開催されることとなると思われますので、是非この日程に合わせて馬っこパーク・いわてを訪問し、乗馬チケットを使ってみてはいかがでしょうか?(まだだいぶ先のお話にはなりますが…)競馬場で見るサラブレッドや馬達とは、きっと違う姿をパークの子達は見せてくれることと思います。人懐っこい子もいれば、ちょっとやんちゃな子もいます。けれどそんな彼らに、乗馬を通じて接する良い機会になっていただけたらいいな、と。そして実際に触れることで、彼らへの想いはきっと強くなることと思います。是非、ご検討いただけたら幸いです。それでは皆様、また明日!※2022JBCのYouTubePV(制作・岩手競馬様)はこちら
皆様、こんにちは。プロジェクトオーナーの小林駿です。本日10月28日、公開から約2週間で10万円のご支援を頂きました。ご支援していただいた方々、本当にありがとうございます!今回、ひとつの区切りとなる金額をご支援していただいたご報告として、活動報告を投稿させていただきました。プロジェクトは後1か月ほどありますが、その間にまた様々な取り組みをしていけたらいいなと考えている次第です!今後ともよろしくお願いいたします!また、実際に馬っこパーク・いわて様の取り組みや現状を知ることのできる記事がウマフリ様にて公開されています。こちらも合わせてご覧いただければ…と思っています!馬っこパーク・いわての紹介記事↓https://uma-furi.com/umakkopark/