船を個人で借りるってハードルが高そう。船酔いするので、楽しめないかもと思っている皆さん!ご心配無用です。ここ玉之浦は入り江が深く、波はほとんど立たないのが特徴。湖の上で過ごしているかのようです。でも海底までが見えそうなほどに綺麗な海は、マグロからアジまで様々な魚の宝庫。自然の水族館です。これをエコガイドの船長さんに案内してもらって楽しみませんか?返礼品にもこのエコツアーはご案内しております。この機会にぜひ楽しんでください。
日曜日、久しぶりに何も予定ないので、玉之浦町の荒川温泉に来ています。ここは漁師さんの憩いの場所でもあって、情報収集にも良い場所です。この町は昔捕鯨で賑わっていました。今はマグロ養殖が行われています。あと二十日程のクラウドファンディングですが、皆様と交流ができてほんとにやって良かったです。これからもおばちゃんたちの応援よろしくお願いします!
奥の厨房スペースが食品衛生法に準じて区割りされました。手前土間スペースを商品展示するよろず屋部分にします。結構広いのでちょっとしたコンビニですね。横の漁港では定置網のカマス水揚げが進んでいました。カマスの干物で麦焼酎キュッとやりたいですね!
ここは現在改築を進めているよろず屋の一キロ圏内です。かつて教員住宅として使われ、子どもが減少、店のない不便さで教員も片道三十キロの通勤を選択したため利用される事がなくなり、台風のたびに壊れていった「家」です。現在は学校自体が廃校となり、子供たちはスクールバスで数キロ先の小中学校に通っています。遠慮なく言わせてもらえばこの町は、平成合併の中で消えようとしており、公営住宅ですらこの状況です。多くの生活が草の中に沈み消えています。国防のことを考えると、これは恐ろしいことです。私たち日本人は奈良時代以前からの史実がしっかりと残っている国土を失ってしまうかもしれないのです。ここはかつてバルチック艦隊の動向を探っていた信濃丸の「敵艦ミユ」の電信を受信した地です。日露戦争の日本海海戦での勝敗はこの電信によって大きく影響したのはいうまでもありません。当地が国の先進国への旗振りとなったともいえるのですが。ここに町を残すことは、日本人であることのアイデンティティを残すことにも繋がるのではないかなと私個人は思います。
旧「鶴田商店」改築を進めながら、新たな船出を祝うということで、大漁旗をつくりました。これが返礼品にも紹介している大漁旗です。かっこいいでしょ?玉之浦は西端の町。描かれた太陽は夕陽です。夕陽の美しい町に宝を載せた船が港に戻ってくる姿を現しています。ちなみに写真の左に移っているのは、船長ですね。逆光で男前が写っていませんが、男前ですよ。さあ、よろず屋「鶴田商店」!! どんどん荒波を越えて地域に宝をもたらせる存在になっていきます!応援よろしくお願いします。