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「紙の雑誌」を続けることで、「ゆっくり」考える場を守りたい。(宇野常寛責任編集)

現在の支援総額

4,893,584

326%

目標金額は1,500,000円

支援者数

912

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2022/01/22に募集を開始し、 912人の支援により 4,893,584円の資金を集め、 2022/02/20に募集を終了しました

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「紙の雑誌」を続けることで、「ゆっくり」考える場を守りたい。(宇野常寛責任編集)

現在の支援総額

4,893,584

326%達成

終了

目標金額1,500,000

支援者数912

このプロジェクトは、2022/01/22に募集を開始し、 912人の支援により 4,893,584円の資金を集め、 2022/02/20に募集を終了しました

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こんにちは、PLANETS編集部の徳田要太です。

『モノノメ 創刊号』に引き続き実施中の第2号のクラウドファンディングですが、おかげをもちまして募集開始からあっという間に目標金額を達成することができました。これを受けて、さらに充実した誌面制作に打ち込めるよう、現在「ネクストゴール」として支援額600万円を目標にし、達成した暁には編集長・宇野常寛によるオンラインイベントを予定しています。ぜひ引き続きご支援をよろしくお願いいたします

すでに目次も公開されている通り、どれも自分が読者としてじっくり読んでみたい内容の濃い記事ばかりです。そして前号掲載の特別座談会「TOKYO2020はどうあるべきだったか──オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト再考」に引き続き、今号でも「オリンピック」についての記事を掲載します。

もともとPLANETSでは2015年に刊行した『PLANETS vol.9 特集:オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト』以降、長い間オリンピックについて考え続けてきたのですが、2021年の本大会直前のタイミングで収録された前号掲載の特別座談会は、単に実施に伴うグダグダを批判するだけにとどまらず、「そもそも開催するのであればどのようなビジョンが必要だったか」「このご時世に強行されてしまった以上、何を持ち帰るべきか」といった本質を、いま改めて問い直すものでした。

そして今号では、『PLANETS vol.9』にもご参加いただいたニッポン放送の吉田尚記アナウンサーに、実体験にもとづく「TOKYO2020」の取材記として、1万5千字を超えるロングエッセイを寄稿してもらっています。2013年に行われた東京オリンピック招致のパブリックビューイングの司会を務めて以来、数々のタイミングで本大会の報道に携わっている吉田さんですが、イマイチ周りの喜びに乗り切れなかった招致当時の心境から、コロナ禍に振り回された開催期間中の競技取材にまつわる裏話まで、現地でしか知りえない情景を赤裸々に書き残していただきました。とくに、ほんとうに「無観客」で競技が行われ、取材陣の機材音ばかりが響く会場の妙な静けさの描写は印象的で、「この場で競技を行う選手のプレッシャーはどれほどのものか」と考えさせられる内容でした。

もっとも、とかくネガティブな面ばかりが目立ちがちな「TOKYO2020」ではありますが、必ずしも悪いことだらけではなかったと知ることができたのはこのエッセイのおかげです。会場の一つである静岡県・伊豆ベロドロームは、当時緊急事態宣言が発令されていなかったために有観客で自転車競技が行われていましたが、都心のどんよりとしたムードとは裏腹に運営スタッフの善意が感じられる賑やかな雰囲気だったそうです。純粋に観戦を楽しんでいる親子や、会場の案内を丁寧にしてくれる(真の意味で)「おもてなし」精神に満ちたスタッフなどのエピソードが、「無観客」と「有観客」とを現地で見比べたからこその臨場感でつづられています。

今回のオリンピックに関して、僕自身の個人的な話をすると、物心つく前から高校を卒業するまで競泳をやっていたこともあって、出場された選手の方々の心境は多少なりとも察せられるところがありました。そもそもあの規模の大会が1年延期されるというだけでもとんでもない負担だったはずで、数年かけて行ってきた準備(たとえば競泳ならいつどれくらいの距離を泳いで、いつまでにどれくらいの記録が出せればいいかといったことを数ヶ月単位で考えます)が突然狂わされたわけですし、その延期の発表もかなり直前のことでした。

こうした運営の慌ただしさ・杜撰さはさんざん指摘されてきましたが、選手としてはあんまり表立って声を上げづらかったのだろうなとも思います。競技に集中できる場を作って「もらっている」立場なので、正面切って文句を言うわけにもいかず、そもそもそれをした時点で競技への集中力のリソースが削がれてしまいます。

実際、ある選手の「参加」が公表されているだけで「辞退」を求めるバッシングがあったくらいですから、発言には相当慎重にならざるをえなかったと思います。吉田さんのエッセイでは、インタビューを受ける選手の回答が異常に「優秀」だったことが述べられていました。必要以上の政治的な発言や運営の至らなさを指摘するようなことはせず、公共的に「正しい」受け答え(≒実施への感謝の言葉)であふれていたと。

こういった、周りの評価から逆算して発言することが当たり前になっている環境、禁止されてはいないが「なんとなく言いにくい雰囲気」が事実上発言を禁じているような状況は、今の言論空間の息苦しさを象徴しているようにも感じました。若年層の「メディアリテラシー」の高さを評価する一方で、「パブリックな場所でのインタビューには、思想性としてはほぼ意味がなくなってしまった」という吉田さんの言葉が、妙に頭に残っています。

ひとしきりセンセーショナルに騒いだのち、ちゃんとした総括もされず世間から忘れ去られようとしているあの大会を振り返ることには、まだまだ大きな意味があるのではないかと思います。そのための貴重な現場からの証言として、ぜひ多くの方にこのエッセイを読んでいただければ幸いです。

『モノノメ #2』のクラウドファンディングはこちらにて実施中です

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