3.11は普段の日常の延長の1日とはいえ、やはり特別な感情を抱かされます。なんとなくフワフワした、心ここに在らずな心理状態で。東日本大震災から11回目の3.11はとても暖かく、穏やかな1日でした。あの日なにもかも奪いさった海は、まるで嘘だったかのように穏やかで。この「みんなのまちづくりゲーム」も、11年前の出来事の反省や教訓を伝える一つのツールとしても期待されています。これからの10年20年はより一層、課題が山積した町で、大変なことが待ち構えているのだろうなと想像します。それでも、あの絶望のなかから、一瞬にして壊滅した町から11年でここまできた。それは紛れもなく、南三陸町民がどんなときでも、どんなにゆっくりでも、一歩ずつ前を向いて歩んできたからだと思います。そんな姿を心に焼き付けて、南三陸はこれからも歩みを続けていきたいと思います。これまでのご支援本当にありがとうございます。ぜひ今後とも南三陸町を応援してください!========弊社で受託している町の情報発信事業にて、3.11当日に二つのライブ配信を行いました。もしよろしければぜひご覧ください。
東日本大震災の未曾有の被害持続可能なまちを目指して復興を推進「みんなのまちづくりゲーム in cities」のバージョン1にあたる「みんなのまちづくりゲーム」について紹介します。宮城県南三陸町で活動する一般社団法人南三陸研修センター(南三陸ラーニングセンター)が開発したものです。そう、南三陸町は、東日本大震災の津波によって壊滅的な被害を受けた町のひとつ。なぜそのような町でボードゲームが開発されたのか?そこには東日本大震災とその教訓によるまちづくりが強く影響しているのです。 2011年3月11日14:46 東日本大震災発生。当初6メートルと発表されていた津波はどんどん高くなり、最終的に中心市街地で平均16.5メートル、最大遡上高は22メートルを超える津波が町を丸ごと飲み込みました。リアス式海岸の典型的な地形により海岸近くのわずかな低地部に住居や商店、行政施設などが密集。そこに大津波が襲ってきたことによって被害は拡大し、住居の6割以上が半壊以上となり、避難者は1万人以上に。この津波による南三陸町の犠牲者は831名となり、今でも200名を超える方々が行方不明のまま。町役場や消防、警察も被災。道路も寸断され、電気ガス水道のインフラも止まりました。文字通りゼロからのスタートとなったのです。地方の中小規模の自治体は震災以前から、首都圏などの大都市圏の自治体の一足先にさまざまな課題に直面していました。過疎化という言葉は数十年前から言われ、限界集落と呼ばれる地域も多くあります。人口減少や高齢化によって地域を支える産業は衰退し、福祉や文化も困難に直面しています。東日本大震災によって甚大な被害を受けた東北の沿岸地域は、もともとあったこれらの課題が顕在化し、10 年から 20 年課題が進んでしまったような状態と言われています。人口減少、少子高齢化、エネルギーの外部依存、医療の不足、育児問題、これらは南三陸町で喫緊の課題となっており、まさに「課題先進地」と言われる状況にあります。震災前と同じ町を作ったところで、これらの問題が解決するわけではないので、震災で得た教訓も踏まえつつ、いかにして今ある課題と今後起こりうる課題に応えていくか。復興途上にありながら、東日本大震災からの10年間で、住民が自ら知恵を絞り、これからも南三陸町が持続可能な町であり続けるために、それぞれの領域で、もしくは領域を超えて仲間を作りながら課題解決のプロジェクトを興してきました。森では、環境や生物多様性に配慮しながら持続可能で自立する林業のFSC®︎国際認証を宮城県で初めて取得。里では、これまで「ゴミ」だった生ゴミを分別回収し、エネルギーと液体肥料に変えるバイオマス発電を導入。それを活用した、無農薬無肥料のお米栽培もチャレンジしています。海では、震災前の過密養殖を改め、養殖棚を3分の1に抑えるという大転換を敢行。収穫まで3年かかっていた牡蠣が1年で収穫できるようになるという漁場改革を実現。日本で初めて、ASC国際認証を取得しました。漁師自治体として海と山で国際認証を同時に取得しているのは世界でも初。手前味噌になってしまうが、このような南三陸の取り組みは先進的だと評価され、全国から多くの企業の研修や視察が集まってきてくれているのです。弊社一般社団法人南三陸研修センターは、震災後の2012年に南三陸町民と有識者で立ち上がった団体です。「未来を創る人を育む」というビジョンを掲げ、学生から社会人まで幅広い層のお客様に南三陸町をフィールドにした震災学習や前述の森里海での循環型のまちづくりなどを学ぶ研修プログラムを提供してきました。震災から復興への歩みを、そして南三陸が取り組む課題解決のプロジェクトや現状について、専門家だけでなく、これからの世代を担う若者にもなるべくわかりやすく伝えていくことが求められていました。その中で考案されたのが2015年に発売開始されたボードゲーム「みんなのまちづくりゲーム」でした。
南三陸町や気仙沼市で発行されているローカル紙「三陸新報」に取り組みを紹介していただきました。ウェブ版はこちらからご覧ください。===== 2015年に同研修センターなどが共同制作した「みんなのまちづくゲーム」(みんまち)を改良した。「みんまち」は、東日本大震災からの復興に取り組む南三陸町を想定したが、都市部や地方を含めて全国の自治体に適用できるようバージョンアップした。 同研修センターの浅野拓也さんは「全国各地のまちづくりに生かせるツールとして活用してほしい」と話している。(本文より引用)=====少しずつさまざまな人に知っていただけるようで大変嬉しい限りです。もう間も無く、震災から11回目の3.11を迎えます。なんとなくそわそわする日々が続いております。この場でも少し当日の様子なども含めてお伝えをさせていただければと思います。
前回の続き(前回の記事はこちら)=========【超早割20%OFF】商品は完売しました。【早割10%OFF】商品をお求めください。=========第1回「みんなのまちづくりゲーム in cities 」がつくられた経緯 (後編)学生たちが能動的に学べるアクティブラーニング教材として、まちづくりをシミュレーションできるゲームを開発できないかと横浜国立大学では検討を始めていました。まずはゲームを開発するにあたり、すでに市販されているまちづくりゲームについて調べてみたところ、学習性の高いゲームとして発見されたものが、弊社から販売されてい「みんなのまちづくりゲーム」でした。みんなのまちづくり vol.1のサイトはこちら弊社に横浜国立大学から連絡があり、「みんなのまちづくりゲーム」をサンプルとして郵送。教員メンバーでまずは私たちが発売していたゲームをトライしていただきました。その後、「まちづくりゲームをつくるためには、ゲームをする側のさまざまな思考に対してゲーム内容がそれを許容し、ゲーム後には学びとなる教訓等が盛り込まれたロジックが成立する必要性がある」とのことをこのゲームを通じて感じていただけたようです。そして弊社には「まずは授業内で、試行的にゲームを実施していただきたい旨。そして大学生用の教材としてボリューム1となるみんなのまちづくりゲームを改良したバージョンを一緒に検討し、開発できないか」との依頼がありました。みんなのまちづくりゲームは、東日本大震災やその後のまちづくりからの学びや教訓をゲームに落とし込んだものでもあります。それを横浜国立大学さんと共同でブラッシュアップし、全国に展開できることは、その学びを広げる意味でも非常に意義を感じ、二つ返事で快諾しました。はじめて横浜国立大学へ赴いて、授業内で実施したのは2017年秋のこと。約150名の学生が4〜5名のグループを作って、大講義室にずらっと並んでゲームをやっていた光景は圧巻でした。そのことがご縁となって、ブラッシュアップを続けて約4年半。ついにみんなのまちづくりゲームが完成しました。次回は、本ゲームにおいてバージョン1からリニューアルされ、ブラッシュアップされた点を紹介していければと思っております。
先行販売でのご注文誠にありがとうございます。ここから何回かに分けて、「なぜこのまちづくりゲームが横浜国立大学と南三陸研修センターの共同で開発されることになったのか」「どのようにゲームを活用していくか」という経緯をお伝えさせていただきます。※付属するブックレットからの引用となります。第1回「みんなのまちづくりゲーム in cities 」がつくられた経緯 (前編)まずはじめに、この「みんなのまちづくりゲーム in cities」を製作し、横浜国立大学の授業内で教材として用いるようになった経緯をお伝えしていきたいと思います。横浜国立大学においては、2005年から「地域交流科目」を開設し、複雑な地域課題を解決するための学際的な教育プログラムを設けています。このプログラムでは、学内における経済、経営、工学、環境などの各専門分野を融合させ、地域内の事業者や行政と連携しながら実務的経験をベースにした「講義」や、各地域における課題解決に向けた活動を実践する「地域課題実習」があります。その後、2014年から地方創生が謳われるようになり、文部科学省による地(知)の拠点大学による地方創生推進事業(COCやCOCプラス事業)が実施してからは、国内の各地域の大学においても地域活性化や地方創生に関わる教育的プログラムの導入が増えてきました。そのため、今では全国的に、各地域の特徴や現状・課題を踏まえた工夫を凝らした独自の教育内容が取り組みが実施されている大学が多くあります。現在においては上記のような教育プログラムで学生たちが地域について学際的に学べる機会がありますが、それより前の世代においては、地域の活性化や地域政策等について分野を横断して柔軟に学べる機会は非常に少なかったと思います。なぜなら各分野ごとの縦割り履修の構成が強く、地域の現場に入って具体的に実践的な活動をしていくのは、それを専門とした極一部の分野や研究室・ゼミのみだったと思います。ーー次回に続く