信濃の国で原始感覚を拓かせるお祭り、原始感覚美術祭をやりたい!

長野県大町市にて開催する原始感覚美術祭が今年で13年目。楽しいお祭りを続けていくためにみなさんの応援が必要です!みなさんの原始感覚を呼び覚まし、一緒にお祭りを盛り上げましょう。

現在の支援総額

1,270,246

181%

目標金額は700,000円

支援者数

145

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2022/05/27に募集を開始し、 145人の支援により 1,270,246円の資金を集め、 2022/06/30に募集を終了しました

信濃の国で原始感覚を拓かせるお祭り、原始感覚美術祭をやりたい!

現在の支援総額

1,270,246

181%達成

終了

目標金額700,000

支援者数145

このプロジェクトは、2022/05/27に募集を開始し、 145人の支援により 1,270,246円の資金を集め、 2022/06/30に募集を終了しました

長野県大町市にて開催する原始感覚美術祭が今年で13年目。楽しいお祭りを続けていくためにみなさんの応援が必要です!みなさんの原始感覚を呼び覚まし、一緒にお祭りを盛り上げましょう。

エンタメ領域特化型クラファン

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こんにちは つむらです。原始感覚クラファン最後の土日。満を持してメッセージいただきました。代表杉原信幸さんです。現在杉原さんはマレーシアに行っており今年の原始感覚美術祭には直接赴けないとのことですが、それができるほどに原始感覚美術祭自体に芯ができたのだと思います。それではどうぞ────────NPO法人原始感覚舎代表の杉原信幸です。わたしは長野市の母方の実家で生まれ、東京の阿佐ヶ谷で育ち、東京の暮らしになじめなかったために、夏休みに過ごす、父方の祖父が長野県大町市木崎湖畔に建てた合宿所クラブレイクサイドと、冬休みを過ごした祖母のやっていたスキー宿エーデルワイスの白馬の雪の森の記憶と母方の祖父が連れて行ってくれた道なき森の中の茸採りと根曲がり竹採りが、子どもの頃のリアルな記憶として残っています。父が短大の教授を退職し、パプア・ニューギニアの食人族や台湾原住民の探検を行った食生態学者・探検家の西丸震哉さんの記念館をクラブレイクサイドの2棟のうち1棟を立て直し、始めるのに合わせ、その空間デザインを行いました。残った1棟をアトリエに改装し、大学院修了を気に、東京から長野に拠点を移し、まったくの手探りで友人の作家たちと2010年に「湖畔の原始感覚美術展」を開催してから、12年目の「信濃の国 原始感覚美術祭2021-水のたまゆら」を昨年行い、コロナ禍でありながら、コロナ禍に抑圧されたものを解き放つような素晴らしい干支巡りの12年間の中でも1,2の素晴らしい祭りになったと思います。そして、13年目の今年は、文化庁の新進芸術家海外研修員に選ばれ、現在マレーシア、インドネシア、シンガポールに滞在して先住民のリサーチを行っています。本当は昨年の原始感覚美術祭が終わり次第の9月に、1年間の海外研修に出発し、一時帰国が認められないため、8月の原始感覚美術祭の本番には帰国する予定だったのですが、コロナ禍のため、国境が閉鎖され、今年の3月31日にようやく出発することができたので、オンラインでの作品発表を考えていますが、13年目の今年初めて原始感覚美術祭を始めたわたしが不在での開催となります。滞在作家として参加し、地元女性と結婚して大町に暮らしている淺井真至が今年のアーティスティックディレクターでの開催です。原始感覚美術祭は、有料のパスポート制から伝統的な祭りの祝儀・ドネーションでの開催に切り替え、それまで、絵や彫刻を作っていた作家が自らの面を作り、即興の舞を行うことで、身体性を回復していくという原始感覚獅子舞が主軸となり、大町市の祭りの文化である山車を作家たちが自作し、木崎湖を一周するという儀式を行い、灯し続けた火を蓮の葉にのせて流すという水しずめの儀を行うことで、祭りが終わるという祭りの形が浮かび上がっています。毎年やったことないおもしろいことがやりたいという革新性と、これはまたやりたいという伝統性の軋みのなかで、わたしたちが都市生活で失ってしまった祭りの身体性を蘇らせている試みのように思います。それは都市の近代のアートが個というものに集約していったのとは逆の、土地に縛られないコミュニティによる祭りの再生という新たな形の試みであり、そこに集うすべての人が祭りをつくるメンバーであり、あらゆる形の表現者であることを思い出すことができる場を生み出すことという方向が見えてきています。集ったメンバーによって自由に祭りは、形を変え成長していく。そこには原始感覚という即興性だけがあり、応答する今によって、祭りは紡がれ、人は紡がれていきます。今、メンバーから村という言葉が出てきているのがおもしろいです。面が生まれて、舞が生まれて、祭りが生まれて、村が生まれる。わたしたちが失ってしまったものを遡るようにして蘇らせているようです。それは昨年から始まった香川、広島、青森、名古屋、静岡、京都で行われた原始感覚舎の巡業公演が、一座のような運動を生み出したようです。予算に関してはわたしが助成金申請を毎年行ってきましたが、今回若手の3人の女性作家中心にクラウドファンディングを行い、予算を集めてくれています。これにはとても感謝しています。男性中心の権力がはびこる日本において命を育む女性が力をもって活躍する場というのも原始感覚美術祭の目指すところです。ぜひ、受け継ぐという伝統となるような新たな祭りの誕生を応援ください。よろしくお願いします。文化庁新進芸術家海外研修員の先住民リサーチhttps://www.instagram.com/nobuyukisugihara/青森-縄文巡礼https://www.youtube.com/watch?v=jQ43e3eIv_w&t=635s広島-One Dreamhttps://www.youtube.com/watch?v=r38T6_CY3GA名古屋-ファン・デ・ナゴヤhttps://www.youtube.com/watch?v=ZRdHJfGtOUs&t=1649s静岡-無人駅の芸術祭https://www.youtube.com/watch?v=IQ2bp_m-bg0&t=205s


こんにちはつむらです クラファンも残り1週間切りました。 申し訳ないのですがこの機会を逃すと買えるものもありますが、手に入らないものもあります! なぜなら各々その時の気持ちを大事に生きているからです!今回メッセージをいただいた黒田さんの返礼品は竪穴式住居です。正直ネタ感あると思いますが、 実は私の縄文フレンドは庭に竪穴式住居があります。わざわざ竪穴式住居を建てられる人を探してまで建てたそうなんです。ね、需要ってわからないですね 黒田さんは実際に一から磨製石器を作り、それで木を切り出し竪穴式住居を建てています。 最近身内で村長(ムラオサ)と話題の黒田さんです。 それではどうぞ ────────必要なのは、原始感覚。黒田と申します。原始感覚美術祭には、2010年から参加しています。山梨の梅之木遺跡というところで、石斧で森から木を伐って、縄文時代の技術と材料を使って、竪穴式住居を作っています。毎日、竪穴住居の中で焚火を見ながらさまざまなことを思い浮かべて自分の中の縄文人に問いかけています。縄文時代から今へと移り変わる中で、人は暗闇の不安、飢えや病などの生存の苦しみ、野獣、災害の恐怖から少しずつ離れると共に、新しい苦悩を増やしていきました。仕事の事、お金の事、将来の事、人間関係、政治、戦争など。他人と理解しあえない絶望、社会と折り合いがつかない不安。自然の中で動物として当たり前にある恐れが少なくなったのに、それに勝る闇が背後に迫っているような気がしています。釈迦やキリストがいた時代から人々は苦しみからの解放を目指しているのに、医療も科学も社会も進歩して楽に生きていけるようになっているはずなのに、人はますます苦悩して生きているように感じます。なぜ今ここにいるのでしょうか?どこに行こうとしているのでしょうか?小さい頃からずっと抱いている疑問です。僕は、原始感覚美術祭に関わるようになり、縄文の生活を体験することにより少しずつわかってきたことがあります。それは生命の本来の目的、生きることそのものに戻る事。それを僕は目指したい。生きるために生きる。子供の頃を思い出すと、粘土遊び、ままごと、どんぐり拾い、石拾い、道草、かっこいいものを拾って並べる事など大好きでした。これらは実は縄文人の生活の練習だったのです。今も縄文人の生活を再現していると、まったく同じことをしています。人間はおそらく自然のままに生きれば、縄文人に戻れるのかもしれません。今の知識や概念に覆われてしまった、もっと奥底の自分は、一体何者なのでしょうか。石を遠くまで拾いに行き、石斧を自分で作る。真っ当に木と力比べをし、木を伐る。森を管理し、薪を集める。火起こしをし、上手に焚火する。その火で調理し、暖をとり、命と熱の循環に想いを馳せる。自分で作った道具で生活を豊かにする。木や石や土、草やきのこ、木の実、魚、獣、川や山、谷などの名を知り、特性を体感する。体が欲しいものを食べる。水瓶を持って坂道を歩く。会いたい人に会うために人間の速度で歩く。山や森や川へ感謝しながら対等に向かい合う。祭で踊る。祈りとともに生きる。それらは本当に心から楽しいのです。もちろん現代の知識も技術も大切なのですが、なにか忘れてしまったものがあると思います。上書き保存をしているのですが、消去してしまったものがあるようです。恐怖とともに、それを乗り越える強さ、知恵、生きるという意思。狩りをして生き物を殺して、自分が生きる。生死が繰り返される自然の中でその縁を感謝する心。自然からカリ(狩り、借り、仮り)、自然にカエス(返す、帰す、変える。)すべてのものは永遠に所有できない。自分は身体に宿っているのです。人は不完全なもので、一人では生きていけません。自分の傲慢さ、至らなさ、無自覚なことを知る。人や自然と繋がりながら、集落を作り、ようやく生かさるのだと思います。あらゆる声に神は宿っている気がします。人はまだまだ過程なのだと思います。人が人らしく生きる。それに必要なのは、原始感覚を取り戻すことなのだと思います。


こんにちはつむらです。クラウドファンディングもそろそろ終わりを迎えようとしています。原始感覚からのメッセージも残りわずかとなりましたが、ラストスパートも楽しんでいってください!今日のメッセージはスギサキハルナさんです。返礼品で埴輪(はにわ)とことだまおくりの壺を作ってくれた方です。昨年、原始感覚美術祭に遊びに来たあと片付けまで手伝ってくれて本当にあの節は助かりました。今年原始感覚美術祭に初参加されるそうで、私はハルナさんの作る精霊さんが好きなので楽しみです。それではどうぞ────────こんにちは絵描きのスギサキです。私は去年の原始にお客さんとして参加して気がついたら原始のメンバーと踊り明かしてとっても楽しい祭りを過ごしました。原始感覚にきてみて思ったのは「ただここにいる」ということが無理なくできる場所だなぁということ。ただ、ここにいる。シンプルだけど、意外と難しかったりする。だけど、原始のお祭りはみんなが誰でもよくって、何にでもなれる集いでした。今回私は原始へのお礼でことだまがえしの壺ををこさえました。ことだまおくりの壺はあなたが体の中に必要なくなったことや人には言えないことを引き受ける言葉の器です。縄文の人がおこなっていた"もの送り"の風習をイメージして作られたこの壺はこねているうちに気がつけば縄文からエジプトへ変貌を遂げていました。古代エジプトでは死後の世界に必要な要素を”カノプスの壺”という精霊が守る壺に納めていたそうです。今回私がこねた壺は自然の中にあるspiritを込めて作った為、カノプスの壺に近い精霊を感じるような仕上がりになったと思います。”還す”というところでは縄文とエジプト、どこか通ずるものがあるのではないでしょうか。ここにこの壺の使い方の一例を記しておきます。この壺にふぅとあなたの言葉を思い思いの形で吹き込んでください。そして壺から反響する音をゆっくり聞いてください。それはあなたの魂の息の音。言霊です。最後にこの壺を大地にパチンと割り入れ言霊を還します。精霊はあなたが吹き込む言葉を引き受け大地へと還っていきます。いらなくなったものも大切に弔うことでいつかはあなたのパワーとなって還ってくるんじゃないかなと私は考えています。この壺が少しでもあなたの力となりますようにスギサキハルナよりHP: https://harunasugisaki.wixsite.com/184webInstagram: https://instagram.com/harunasugisaki?igshid=YmMyMTA2M2Y=


こんにちは鈴木彩花です。今回は大阪から参加している佐々き み菜さんの活動報告です。み菜さんのテキスタイルの作品にはゆらゆらと包み込まれるようなおおらかさがあります。同時に、作品を纏い行うパフォーマンスではひとではないような不思議な存在感と迫力を感じます。昨年は祭りの最初に起こした火を、最後に湖にお返しする水沈めの儀をみ菜さんが行いました。どのようなことを、長野の地や原始感覚美術祭から感じているのでしょうか。それではどうぞ────────────2017年から原始感覚美術祭に参加している、佐々きみ菜といいます。「胎内回帰」などをテーマに繊維を使った作品を作ったり、作品を着用してパフォーマンスを行ったりしています。わたしが初めて原始感覚美術祭の存在を知ったのは、2014年にたまたまTwitterでポスター画像を見かけた時でした。湖面に植物で作られた美しい曲線が浮かんでいる、素敵な作品の写真で「なんだか分からないけれど、ここに行かなければ」と思ったことを覚えています。美術祭が行われているのは、長野県大町市の木崎湖という湖の周辺です。はじめて無人の稲尾駅に降りて、田んぼ道からまっすぐ木崎湖へ向かったとき、懐かしい場所へ帰ってきたような感覚がありました。小熊山と権現山に辺りをぐるりと囲まれて、空と山と湖の世界に立っている自分がいて、優しい風が肌を撫でる。穏やかに揺れる湖の水がひたひたの羊水のように思えて、お母さんのお腹の中にいるような、不思議な心地がしました。わたしにとってはそんな特別な場所ですが、原始感覚美術祭を通して毎年木崎湖へ帰ってくる他の人たちもまた、それぞれ特別な想いをもって集っているように感じます。祭として、即興表現の割合が多くなっている美術祭ですが、そこにはそれぞれの人が、そのままの姿として存在することがゆるされているような"おおらかさ"があります。自分が自分として、ただそこに在ること。そのままの自分と、そのままの人々が交わる空間は、独特な雰囲気とともに、呼吸のしやすさ、のようなものがあります。しかしそれは反対に、自分自身に真剣に向き合って、本来の自分の姿でいることが求められる、誤魔化しのきかない"鋭さ"のようなものも、同時にあると思います。人によっては、この鋭さに強烈な刺激を感じることもあるかもしれません。現代社会で育ち、日々生きているわたしたちは、自分でも気づかないうちに、本来の自分の姿かたちを変えてしまうようです。それが私たちが生きづらさを感じる根源ではないかと思います。社会に沿って自分のかたちを変えることを、簡単に悪いとは言えません。それぞれに必要があって、そのかたちになっていると思うからです。でも、だからこそ本来の自分の姿に向き合う人々の表現に触れて、ときどき、本来の姿を思い出すことはとても大切だと感じます。木崎湖という場所に自分の身を運び、そこに集う、本来の自分に向き合い続ける人々に出会うこと。そこには豊かな時間があります。そしてその瞬間、その場に立ち会わなければ、何が起きるか分からない。そんな面白さがあります。"おおらかさ"と"鋭さ"を内包する原始感覚美術祭は、本来の自分の姿を見つめるには、よいきっかけとなるかもしれません。ぜひ、このプロジェクトで原始感覚美術祭を知った方々にも、足を運んで頂けたらなと思います。


こんにちは 馨子です 今日は長野県内に住むアーティスト中條聡さんに活動報告を書いていただきました。中條くんはなんだかおもしろい人です。急に話を振るとおもしろいことを言ってくれます。そんな中條くんが「こんなヤバそうなの誰が行くんだろう」って思ってる方のために 活動報告を書いてくれました。それではどうぞ  ────────────『長野県大町市・木崎湖のほとりに集うアーティスト達。"原始感覚"に手繰り寄せられた彼等がつくるディープな祭、原始感覚美術祭―。』こんなヤバそうなの誰が行くんだろうって思ってる方のために、実際に足を踏み入れるようになった僕の体験をお話しします。初めて原始感覚美術祭を見に行ったのは、美大で絵を描いていた学生の時です。そもそもアートを見れる場所は数多あるわけで、わざわざ地方の、決してアクセスがいいとは言えない木崎湖までやってくるお客さんたちも、きっと"原始感覚"という響きに何かを感じてしまう人たちなんでしょう。 長野県が地元とはいえ、やっぱり僕もその一人でした。アトリエで絵を描いたり、ぜんぜん描けずに遊び歩いたりしていた学生時代。民俗、文化、身体感覚、いろんなことをつまみ食いして、ヒトの根底にある普遍的な何かを覗きたくて悶々としていました。そんな青年にとって、"原始感覚美術祭"だなんて、まるであまーいトッピング全部のせパフェみたいに心ときめく響きなのでした。田舎者の僕は、アートに憧れながらもアートに対してなんだか距離を感じていました。自分の散らかった生活の場に一旦鍵をかけて、よそ行きの格好で美術館やギャラリーという特別な社交場に出かけていくような感じです。 もちろんそういった特別感もまたアートの楽しさのひとつだと思います。だけどそれはある約束の上に成り立っているもので、もしギャラリーの中に鳩が一羽迷い込んで、立派な絵の額縁に止まって「でーでーぽっぽー」とでも鳴こうものなら、急に展示室の崇高さが乱れて、さっきまで堂々としていた絵がバツの悪そうな顔をして咳払いでもするんじゃないか…という気がしていました。信濃大町駅で自転車を借りて、キコキコ漕いで見て回った原始感覚美術祭は、蛾がいっぱい死んでる市民講堂だったり、蒸し暑い蔵の中だったり、雨ざらしの湖畔だったり、蚊に追われて進む林の中が舞台でした。立派そう・賢そう・空調効いてそう・さわったら怒られそう…といった僕の持っていた狭い美術のイメージとはぜんぜん違った、土とか汗とかカビ臭いものでした。鳩が止まっても平気な顔をしていそうでした。場所と繋がった作品は、そこに存在する必然性があって、アートの世界の話だから、と無視できないような切実なリアリティを持っていました。置かれた作品と、汗ばんだ裸足にゴム草履をはいた僕とが、確かに同じ地面に立っているという感覚です。表現するという行為が、できあがった作品だけの問題ではなくて、その置かれている場所とか、展示空間の外の景色とか、その景色を軽トラで通り過ぎていったおじさんの生活とか、家に帰って台所でご飯に納豆をかけてる僕の生活と、細い根っこみたいに繋がってる。こんなふうに泥臭い日常に根っこを張って、その上に花が咲くように表現というものがある。頭でっかちで、そのくせ取り繕いきれないでいた僕は、なにか救われたような気がしました。…そんなこんなで絵を続けているうちに、ご縁があって昨年から作家として原始感覚美術祭に参加しています。お気づきでしょうか。"原始感覚"と聞いてなんにも引っかからない人は、そもそもこんな文章読まないんです。そうです。あなたもこっち側なんですよ…木崎湖で待っています。ぜひ遊びに来てください。中條聡■作家紹介中條聡1994年長野県松本市生まれ金沢美術工芸大学(日本画専攻)卒業東洋絵画の墨線と紙の空白による表現から発展して、羊毛フェルトをキャンバスとして自我や意識をテーマに絵画制作をしています。


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