公演関係者のからのコメントや、マームとジプシーがお世話になっている方々より応援コメントを続々といただいております。初めてマームとジプシーを知ってくださった方もいらっしゃると思いますので、コメントをいただいた方との関係性と共に活動報告にも日々紹介させていただきます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー山本充(編集者)藤田くんに「今日マチ子さんの『cocoon』をやったらどうだろう?」という話をしたのは、たしか『あ、ストレンジャー』(2011年、@清澄白河SNAC)の公演中のことだったと思う。個人化、身体化、密室化の傾向を強めていたゼロ年代の小劇場のなかで、一見、その精緻な完成形のように見えながら、特徴的なリフレインによりブーストされたエモーションは、はっきりその出口を求めていたように見えた。ある空間と時間を緻密にして大胆に設計するその感性は当初より、完璧な密室を作りながら、同時に完璧な世界を夢見ているのは間違いなく、ただ、おしゃれでかわいくエモい密室の作り手にとどまらないことを世間に示すのに、わかりやすくそれが社会と切り結ぶ作品があるといいのではないか、そんなことを考えていたはずだが、単に藤田作品に頻出する女子たちが海(や水辺)をめざすシークエンスが『cocoon』の少女たちの道行きに重なっただけかもしれない。その後、『今日マチ子さんとジプシー』や漫画『mina-mo-no-gram』などの丁寧な助走を経て、2013年に初演された『cocoon』は果たして、現在を、歴史を、その懸隔を、しきつめられた砂の上に凝縮せしめた記念碑的傑作となった。そして、2015年の再演、2022年の再々演と、そのたびに更新される現在と掘り起こされる記憶を丹念に織り込み、状況にアクチュアルに対峙してきた作品は、たとえば再演が舞台となった沖縄で行われ、また再々演に際し補助線となるような、現代の沖縄を描いた『Light house』を多くの沖縄のひとの力を借りて、那覇文化芸術劇場なはーとのこけら落としとして上演されたように、もはや単に社会を描くだけにとどまらず、社会を変えたと言っても過言ではない。その『cocoon』と『Light house』が、マームとジプシーの初めての映像化作品となる。コロナ禍という未曾有の災害を受けてのものだが、これを奇貨として、また繭の中のさなぎのように新たなステージへはばたいていくのを確信しているし、できるだけ多くのひとに見届けてほしいと思う。いや、ただ見るのではない、共に変わるのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー山本充さんは、「cocoon」を舞台にする際、始めに提案をいただいた方です。筑摩書房のPR誌『ちくま』にて連載した、藤田の小説「T/S」や今日マチ子さん・青柳いづみさんの共著「いづみさん」も担当くださっています。また、2012年ユリイカに掲載した藤田の詩を青柳いづみさんが朗読した舞台「マームとジプシー reading EUREKA 真夏のリプライズ」、2013年の川上未映子さんのテキストとコラボレーションした舞台「ユリイカ(青土社)×川上未映子×マームとジプシー 初秋のサプライズ」も、山本さんが企画を提案してくださり実現したものです。一緒にクリエイションをした今日マチ子さん、穂村弘さん、川上未映子さん、名久井直子さんとも山本さんを通じて出会いました。山本さんはマームとジプシーのどの作品も、必ず観てくださっていますが、いつインプットされているのかというくらい、あらゆる文化・芸術、時事に対する知識量が豊富な方です。藤田もとても信頼を寄せていて、山本さんの観察眼で分析された作品の感想をお聞きするとき、内に潜んでいたロジックや感情が、ぐいぐいと表に押しだされ、自分たちも「なるほど、そうだったのか」ということが多々あります。そして、いつも冷静に物事を見られている山本さんが、作品の話をする際は、その熱量や思いをのせて言葉を伝えてくださることが、何より嬉しい瞬間です。出会ってからのこの13年間、観続けてくださったまなざし、思いを、これからも丁寧にまた積み重ねていけたら、そう思います。
公演関係者のからのコメントや、マームとジプシーがお世話になっている方々より応援コメントを続々といただいております。初めてマームとジプシーを知ってくださった方もいらっしゃると思いますので、コメントをいただいた方との関係性と共に活動報告にも日々紹介させていただきます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー穂村弘(歌人)2011年に「あ、ストレンジャー」を拝見して衝撃を受けてから、マームとジプシーのファンになりました。現実の上演時間は40分ほどだったのに、その中にまったく未知の世界が広がっていました。私の憧れの別世界をやすやすと(?)作り出す若者たちに驚きと羨望を感じました。藤田貴大さんをはじめとした一人ひとりの才能はもちろん、集団としてそれを増幅して作品化する力が素晴らしいですね。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー穂村弘さんとは、2014年のマームと誰かさんシリーズ『穂村弘さん(歌人)とジプシー』で初めてご一緒しました。穂村さんのエッセイ、歌集や詩集、そしてインタビューなどをもとに舞台として再編成し、青柳いづみさんが穂村さんを演じました。2015年・2018年、寺山修司のコラージュ的手法を演出にも取り入れた舞台『書を捨てよ町へ出よう』では、一部で映像出演をしてくださっています。2017年には、穂村さん、ブックデザイナーの名久井直子さんとのマームと誰かさん作品を再度練り直し『ぬいぐるみたちがなんだか変だよと囁いている引っ越しの夜』を製作、2019年にはツアーを実施しました。小さな頃やご両親がお若い時の写真をお借りしたり、ご家族にまつわるエピソードをお話いただいたりと、穂村さんのより内側におじゃましてつくった作品です。2020年、コロナ禍で試行錯誤して企画したイベント『窓より外には移動式遊園地』でも、ショートバージョンとして上演させていただいています。穂村さんはマームとジプシーの集団のあり方をいつも肯定してくださいます。そして時に、この集団の中にふっといらっしゃって、身をおいてくださいます。みんなで短歌をつくってみたり、散歩をしたり、カフェに行ったり、わんこそばを食べてみたり、プレゼント交換をしてケーキでクリスマスをお祝いしたり。思い返せば、どれもがアルバムに載るような、だけど何気ない出来事ばかりです。ご一緒した作品には、書き下ろしていただいた大事なテキストがいくつもあり、穂村さんが掴んだ景色が言葉として提示されると、こんなにも鮮やかなものなのかと、私たちの世界は何度も形を変えてきました。だからこそ、穂村さんといつもの何気ない時間を過ごさせていただくことは、私たちにとってより大切で、よりクリエイティブな一瞬なのだと、その時間の貴重さを思います。※ぜひこちらもご覧ください。窓より外には移動式遊園地 穂村弘(歌人)×藤田貴大 対談ぬいぐるみたちがなんだか変だよと囁いている引っ越しの夜(各ツアー地でのトークイベントを掲載中)カタチノチガウ(2015)アフタートーク ゲスト:穂村弘
本日、支援額が850万円に到達しました。現時点で、175%、8,765,250円、556名の方にご支援いただいています。皆様のご支援、誠にありがとうございます。今日は200%の目標も、夢ではないかもしれないと、皆とも喜んでいました。200%を達成すると、バリアフリー日本語字幕、英語字幕が追加されます。どちらの作品も、まずは言葉が先にありました。「Light house」にある食事の風景、沖縄に暮らす方々との会話、沖縄の現状。「cocoon」の中の、誰かの海での記憶、今日マチ子さんがつむぐキャラクターたちの台詞。それらが藤田のフィルターを通して、再構築された言葉となり、その言葉がキャストの身体を通して生の時間へと変換されました。舞台で体現された時間が、また言葉として帰ってゆくということに、とても不思議な気持ちと、まだ見たことがない世界を心待ちにする気持ちがあります。私たちは、演劇という営みのなかで言葉をつくして作品をつくり、言葉をつくしてみなさんを劇場で待っていました。ここでも、いつもとは違う形で、言葉を尽くして作品を届けていきたいと考えています。音ではない世界で体感する「Light house」、私たちと違う言語で話す方々が観る「cocoon」、より多くの方々にリーチするその先には、どのようなことが起こりうるのか。もしかすると、この字幕を利用しない人も多いかもしれません。一般的なリターンだと、支援いただいた方々に、喜んでいただけるよう、グッズが増えたり、何か優遇されたりという例が多いので、ネクストゴールをどうするかには皆で話し合って悩みました。しかし、これらの作品を大事だと言ってくださり、ここに支援をしてくださっている方々は、きっとその先の景色を一緒に喜んでくださるのではないか。そのとき思った事が、やはりそうであるのだということを実感しながら今は走っています。温かなご支援、ありがとうございます。残り日数もわずかですが、どうか引き続き、周りの皆様にもご周知いただけますと幸いです。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
公演関係者のからのコメントや、マームとジプシーがお世話になっている方々より応援コメントを続々といただいております。初めてマームとジプシーを知ってくださった方もいらっしゃると思いますので、コメントをいただいた方との関係性と共に活動報告にも日々紹介させていただきます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー川上未映子(小説家/詩人)マームとジプシーを初めて観たのは、2010年だった。その頃、とつぜん親友がいなくなってしまい、身も心も参っていた時期だったので、ほとんど外出がかなわかったのだけど、信頼する編集者の山本充さんが「状況はわかる。でもこれだけは、ぜったい観てほしい」と声をかけてくれて、わたしは「ハロースクールバイバイ」を観た。途中から、汗とも涙ともつかない流れがわたしが過ぎ去った後「なんちゅうもんを作るんや」と動揺しながら、その日が初対面だった藤田くんとマームとジプシーの存在そのものが、わたしが生きている限り巡るであろう真剣な「季節」そのものになったのだった。 マームとジプシーの初期から中期にかけての、わたしの勝手な考えや思いをもとに、藤田くんとした対話はまだネット上で読めるので、ぜひこちらも読んでほしい。あの日の話は、ずっと印象に残ってるんです。 藤田くんも、青柳さんも、マームのみんなもわたしと年齢は10くらい違うのに、なぜかこの15年くらい一緒に育ってきたという感覚もある。演劇はもうマームとジプシーしか観ていないから、その意味で張り切った感想だってうまくいえない。何より、とてもすごくて、とても大切だとしか言えないし、もうそれだけでいいんだという気持ちがある。マームとジプシーというわたしにとっての「季節」は、時間だし季節だからおそらく巡るんだろうけれど、でもどの季節だってどの瞬間だって、今このときに起こっているたった一度のものであるということを、みんなそれを生きているんだということを、だから、恐れないでいいんだということを──リフレインのなかから、その「本当さ」に、いつも気づかせてくれる。今のわたしにとって、これ以上に大切な認識はありません。 マームとジプシーが、どこかで舞台をつくっている。藤田くんがどこかでなにかを考えてる。青柳さんが言葉を発して、たくさんの役者が生きていて、時間のなかに、とくべつな時間を作り出そうとしている。それはわたしにとって、生きていくための、かけがえのない勇気です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー川上未映子さんと初めて作品でご一緒したのは、2013年の『ユリイカ(青土社)×川上未映子×マームとジプシー 初秋のサプライズ』でした。「まえのひ」という詩を書き下ろしてくださり、それを含む3篇の詩をリーディング公演として発表しました。翌年2014年には、さらに3篇を加え8カ所をツアー、その後2016年には京都精華大学でも上演。マームとジプシーの記念すべき10周年(2018年1月〜3月)には、『みえるわ』ツアーと題し、新たに書き下ろしていただいたテキスト、他7篇の詩に6名のデザイナーが衣装をそれぞれデザインし、北海道から沖縄、計10カ所を巡りました。2020年には、コロナ禍での新たな公演の形を模索したイベント『窓より外には移動式遊園地』の中で、「冬の扉」「治療、家の名はコスモス」を上演させていただきました。川上未映子さんとの作品は、藤田が初めて自分の言葉を用いず、他の誰かの言葉を扱って舞台にしたものでした。川上さんから受け取った熱量を、どう舞台上に出現させていくか、藤田の中でインスピレーションはすぐ浮かび、青柳いづみさんの身体を通してテキストが音となる稽古が続けられました。作家自身が初めて他の誰かの言葉に触発され、舞台としてのぼりつめていく瞬間でもありました。川上さんと作品をご一緒して、10年が経とうとしていますが、気づけば、大事な節目節目を川上さんの言葉と共に迎えています。それは、我々にとってかけがえのない言葉だからこそ、そこに頼りたくもあり、今の瞬間をつくるための自分たちに必要な言葉と行為であるのだと思います。学生時代に本を開き、川上さんの言葉に出会った時から、そこには真実と憧れがずっとあり、その想いは今でも私たちのなかに増幅し続けています。※川上未映子さんと藤田が過去に対談した記事は、こちらよりご覧いただけます。
公演関係者のからのコメントや、マームとジプシーがお世話になっている方々より応援コメントを続々といただいております。初めてマームとジプシーを知ってくださった方もいらっしゃると思いますので、コメントをいただいた方との関係性と共に活動報告にも日々紹介させていただきます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーリマ植田 亜希子(リマ タピオカサンド店)マームとジプシーある観劇後「まるで、音楽のライヴのような舞台だった!積み重ねの良さを感じずにはいられなかった!」というようなことを、挨拶もろくにせず声に出してしまったことがあった。あの日から、ずっと憧れをもって眺めていた。「Light house」は、沖縄の、私の、あなたの、今はすべてに繋がっていることに気づかされた。私にとっての2度目の「cocoon」は、強度を増して、ただただ辛かった。前回の作品で見たような象徴のような存在はなく、ただただ小さな声を聞き続けた。藤田さんはヒカ リをあてる。小さな声に、闇に、喜びに。聞き逃さない、目を背けない、心を奪われない。ただただ平等に、ヒカ リを。マームとジプシーの営みは集団のゆらぎ。ジワジワと、水のゆらぎのように。私のライトハウスはまだ続いており、私はまだコクーンの中にいる。「後でね」「この前ね」、、、過去と現在と未来は、言葉を変えて、入れ替わり、それがないことに気づかされる。水は全てを知っている。そして、DVD化とは!固定しない空間をそこに置くように、回を重ねるほどに発光 / 発酵していくマームとジプシーの舞台を、記録するということは、もしかして、すごい決断だったのではと思う。きっとそこには、マームとジプシーに出会ってしまった、また新しい目があるはずなのだ。これが楽しみじゃないわけがない!!私といえば、それができたら、近所のおばさんに、おばーに見せられるではないかと!そこもまた嬉しいのです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーリマ植田 亜希子さんは、沖縄の今帰仁でタピオカサンド店を営まれており、フィッシュマンズのマネージャーとしてのお仕事もされています。そして、「Light house」に出演されているリマ冴羅さんのお母さまでもいらっしゃいます。植田さんと出会ったのは、「cocoon」の再演時、2015年に公演前のプレイベントとしておこなった「cocoon no koe cocoon no oto」を観に来てくださいました。その後、沖縄に公演で行くたびに舞台を観てくださり、公演以外でも沖縄を訪れると、必ずと言っていいほど植田さんにご連絡します。「Light house」のリサーチをした際は、事前にさまざまな場所を調べて手配くださり、滝や水源などにも同行してくださいました。よい作品が出来上がる、ありがたいことに、その期待一心でのことでした。冴羅さんやご家族と美味しい朝食を準備してくださった日は、私たちにとって至福の時間で、その時の景色が「Light house」の食卓のシーンを作っています。植田さんにお会いして、お話をすると、いつも何か見透かされているような気がして、藤田自身も気づけてなかったことを認識させてくださいます。タイトルの「Light house」(=lighthouse)は、英語で灯台を意味しますが、沖縄を訪れた際は、何も言わずにそっと光をあててくださる、まさに灯台のような存在です。※こちらもぜひご覧ください。『Light house』関係者鼎談 vol.3植田亜希子×リマ冴羅×藤田貴大