【 限界集落の限界?】1月14日土曜日、私達5軒で使っている水道で断水が発生しました。え?断水だったら行政に電話して、早く直してもらうようにするんでしょう?いえいえ、ここは自分達で直すのです。※写真は、店に張り出したご案内です。丸森町耕野地区には上水道が来ていません。各戸自前の井戸水で生活しています。例外として、私の住んでいる地区では5軒で「簡易水道施設」を持っていて、自分達で管理しています。簡易水道とは、行政で管理している浄水場のミニ版です。配水そうには水が5センチも無い状態でした簡易水道施設は山間地にあります●簡易水道の施設の概要・取水口 (水の取り入れ口。ダムのように水を溜める)↓・沈殿槽 (泥、砂を沈殿させる)↓・ろ過槽 (砂などでろ過し不純物を除去、水を飲める状態にする)↓・配水槽 (各戸に送るため水をためるタンク)↓・滅菌装置 (塩素を混合し、大腸菌などを殺菌する)↓・組合員宅、店舗へ配水皆さんの飲んでいる水も同じような設備を使って作られています。沈殿槽から取水口を見る配水そうの手前には台風被害の時の流木がそのままに沈殿そうから配水そうを臨む、元は小さな堀でした令和元年の台風により、この施設も大きな被害を受けました。取水口に流れ込む小さい沢が増水、それぞれの設備が埋まる、えぐられるなどの大被害でした。・修理費用の問題(自前の施設なので、町は修理には関与せず、費用も出ません)・物理的な問題(道路がえぐられ、車もショベルカーも現地まで来られない)で自前で細々と補修しながら使っています。1月15日日曜日、午前8時から正午まで4人がかりで修繕作業に当たりました。取水口の石を掘り起こし、泥を洗い流しました。入り口に入る水が少ないため、断水したと考えたからです。降水量が少ないのも断水に拍車をかけました。取水口 泥詰まりが発生していました手作業で掘り起こし、詰まりの原因の泥を洗い流しました日本の上水道の普及率は98%です。こんな現状があること、初めて知った方も多いはずです。これは現実です。インフラの基本の基本、上水道が無い地域があるのです。30年以上、ずっと組合員で守ってきました。当初12軒有った家も現在5軒に減り、継続が厳しい状態です。取水口に石を埋め戻し、透水シートを貼って終了午後4時30分、沈殿そう、ろ過そうに水が流れ込み、配水そうにも20cmほど溜まったのを確認しました。これで明日から安心して水が飲めます。限界集落の限界。これも現実です。
●応援メッセージ、8人目は 横山博昭さんです。阿武隈ライン舟下りの運行を担っている、一般財団法人丸森町観光物産振興公社の理事長です。元々は電気工事会社の代表でした。阿武隈ライン舟下りが運行廃止を決定した時期がありました。その時、丸森町の舟下りの火を消すわけにはいかない!と仲間と立ち上がり、理事長になり舟の継続を決めました。その男気に私は惚れています。横山さんの視点での応援コメント、ご覧くださいませ。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 私と哲郎さんの付き合いは、宮城県唯一つの舟下り「!阿武隈ライン舟下り!」を運営している、丸森町観光物産振興公社の理事をお互い務めていた頃からです。 私としては、舟下り事業の再建のために理事長を引き受けたここ3年間。いろいろと超特別激、激、激動の中にありました。 八島さんはと言えば、放射能でタケノコの出荷停止から始まり、19号台風でお店が水没、さらにコロナウィルスの流行でお客様激減と、三重四重苦の中にいました。こんな苦労は人生で中々有りません。しかし八島さんは、常に前向き、ポジティブ、バイタリティに溢れています。そして仲間もポジティブです。 俗に言う、ピンチはチャンスなんてもんじゃなく、常に挑戦しています。そしてお客様に対して、具体的な中身を工夫して、即行動するバイタリティには、経営者として感服以外言葉が見つかりません。私の方が13歳上でも、私の体験なんか、幼稚園に思います。 今回のクラウドファンディングもタイミング良く挑戦したなぁーと思います。彼の立ち位置は決して楽な環境では有りません、そんな中での挑戦です。是非皆様のお力添えをお願い申し上げます。 丸森町全体も令和元年東日本台風の被害に遭った3年前から三重四重苦で厳しいですが、なんとかして元気出して行かねばなりません。活性化ヘ頑張ろうなんて言葉は要りません、泥臭く、地道に一つ一つ解決へ向かって勇気を出して行動しましょう。その一番手が八島さんです。繰り返しますが是非ご支援お願い申し上げます。丸森の復興はここからです♪一般財団法人丸森町観光物産振興公社 理事長 横山博昭☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 横山さん、応援コメントをありがとうございました。横山さんは経営者としても人間としても尊敬しています。電気工事会社から観光事業への転身、まさに畑違いです。それでも「丸森観光の象徴の舟下りの火を消してはいけない!」と一時は解散しかけた運営団体の理事長職に就きました。強い丸森への愛情を感じます。私と13歳しか離れていません。横山さんの郷土愛、そしてチャレンジする心。尊敬します。横山さんの生のメッセージをありがとうございました。※プロフィール写真はFacebookのプロフィール写真を使用しました。舟下り、こんなに素敵です。おいで下さいませ。阿武隈ライン舟下り ナイトクルーズ
●応援コメント、ラッキー7、7人目は仙台市在住の谷充さんです。仙台でのリーダー塾で2年間共に学びました。谷さんは私のメンターの1人です。令和元年東日本台風の後の復旧作業では一生懸命お手伝い下さいました。加えてやしまやの生業の「干し柿作り」作業のお手伝いにも嫌な顔一つせず、仲間を引き連れておいで下さいます。ありがたいです。では、ご覧下さい。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆なぜ、「やしまや」に人が集まるのか?丸森町耕野地区に130年続く、老舗商店。いなか道の駅やしまや。店主・八島哲郎さんは、かつてリーダー塾で共に学んだ塾生仲間でもある。もともと、妻も仕事関係でのお付き合いもあり、家族ぐるみで、たまに通っていた。そんな中発生した令和元年10月の台風19号。壮絶な災害だった。山は崩れ、店舗は阿武隈川の濁流に飲まれた。生命線となる、飲料水も絶たれた。復旧作業に、社会福祉協議会の「災害ボランティア」には頼ることができなかった。道路も寸断され、町内中心部の被害も甚大だったからだ。「丸森に、やしまやは必要だ!」被災直後から、お店の常連客、ファンが自発的に復旧作業に集まった。泥にまみれての重労働だったが、皆笑顔だった。そして、見事11月30日には再オープンを果たした。秋は、同時に干し柿用の柿(蜂屋柿)の収穫時期。私も柿の収穫、柿の皮むきもお手伝いさせてもらった。春先には、柿の木の「粗皮けずり」も。気持ち的には、「やしまや」は第二の故郷。まるで親戚。必要であれば、飛んでいって手伝う。それだけのこと。そして、今年。凍霜害と、変形柿の大量発生。収量は例年の1割とか。変形した柿は、何が大変って皮むきが大変。それでも、すべての柿を収穫しないといけない。収穫作業のときの様子をSNSで発信したところ、ランニング仲間2名が、是非手伝いたいと声をあげてくれた。こうして、人の輪が広がっていく。やしまやは、人を受け入れる器のようなものだ。*****なぜ「やしまや」に人が集まってくるのか?これには普遍的な理由があるはずだ。クラウドファンディングが成功し、八島さんの著書が出版される事が待ち遠しい。応援しています。仙台市 谷 充☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆谷さん、ありがとうございました。谷さんのプロフィール写真は2019年10月26日、被災から半月後に店内で撮ったもの。復旧作業後、お疲れのはずなのに谷さんの表情をご覧下さい。復旧作業後、ご参加いただいた皆さんに一言ずつお話いただく時間を設けていました。どこから来て、八島との関係は?など、語っていただきました。それもあってか皆さんニコニコしていました。被災地らしからぬ空間で、テレビ局の取材陣からもよく尋ねられました。「どうしてこんなに悲壮感がないのですか?」被災地と呼ぶより、交流イベントのようでした。笑顔の理由。他の人のために役に立つ喜び、それが笑顔につながったと思います。「やしまやに手伝いしに来ると元気になる!」とも言われました。本来は被災した側が元気をいただくのに、お手伝いくださった方が元気になる。そこにいた方のみがわかる、居心地の良い空間でした。そのムードメーカー役が谷充さんでした。谷さんの存在、被災地でひときわ輝いていました。ありがとうございました。災害復旧での谷さんのお力、心強いものでしたお仲間と干し柿作りをお手伝いいただきました
●応援コメント、6人目は八島大祐(やしまだいすけ)さんです。丸森町役場勤務です。苗字が同じで、よく兄弟や親戚と間違われます。八島大祐さんの心の熱さは、学生時代柔道をされていたからなのか、とにかくパワフル。そして人をくっ付ける力を持っています。今回の応援コメントも想い溢れる文章で、私も目頭が熱くなりました。まずは、お読みください。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ みなさん、こんにちは。私は丸森町建設課課長補佐の八島大祐です。 現在、私は令和元年東日本台風災害の復旧復興に関連し、工事の発注などの仕事をしています。一昨年度までは、商工観光課商工班長として、八島哲郎さんをはじめとする町内商工業者の皆様の事業支援や、企業誘致、起業支援ほか産業振興全般に携わってきました。 この度、これからの丸森町のために、八島哲郎さんが「生まれたふるさとを守る」出版の準備としてクラウドファンディングに挑戦すると聞き、ぜひ、多くの皆さんに応援してもらいたいと思い、メッセージを送らせていただきます。 私はこれまで、八島哲郎さんと、町役場の仕事をとおして、たいへんお世話になってきました。特に、町商工観光課商工班長として携わった直近の約10年では、「いなか道の駅 やしまや」の事業活動を通して、丸森町ほか周辺地域の産業経済を支える重要な拠点として、たいへんなご尽力、ご協力をいただき、心から感謝をしておりますところです。 皆さまご存じのように、わが丸森町は2014年、社人研(国立社会保障・人口問題研究所)により、少子高齢化に伴う人口減少が急速に進行する「消滅可能性都市」とされました。この人口減少をできる限り緩和し、急激な変化をできるだけ食い止めることが喫緊の課題となっております。 八島哲郎さんが住み、「いなか道の駅 やしまや」を経営する、耕野(こうや)地区は、「消滅可能性都市」丸森町の中でも、人口の半数以上が65歳以上となる集落「限界集落」を多く抱える地区です。 令和4年12月末現在、耕野地区は人口542人、高齢化率51.29%であり、町内でも人口減少と少子高齢化が著しく進んでいます。独居老人が増え、地域の担い手である労働力が不足するなど、集落の継続にかかわる深刻な状況を抱えています。 このように、ともすれば悲観するような状況においても、八島哲郎さんはいつも明るく、そして強い信念を持ち、地域内に数少ない商店の一つ「いなか道の駅 やしまや」の経営をとおして、これまでも幾度の困難を克服しながら、今日まで、耕野地区、丸森町、そして宮城・福島両県をまたぐ経済圏と、町民の生活を、力強く支えていただきました。 やしまやさんの経営は、災害との闘いの歴史と言えます。重要な幹線道路である国道349号沿いの店舗は、「暴れ川」阿武隈川沿いでもあります。聞いただけでも、40年間で10回以上も水害に遭われ、その度に、その場所で、見事な復活を遂げてきました。事業者の存続を考えれば、災害の少ない、別の地域での事業展開も方法論としては、あったでしょう。でも、やしまやさんは、地域に必要なお店として、この場所、耕野地区での経営復活にこだわり、その都度、事業再建を果たしてきたのです。 そんな、やしまやさんに、最近、新たな常連客が生まれました。私の6歳になる息子です。息子は、月に1度、やしまやさんに「ポッキー」1つを買いに行くのが恒例となっています。ポッキーだけを買いに行くのです。有村架純のCMを見たから買うのではありません。やしまやさんに行って、哲郎さんや皆さんに、日々のお話しを聞いてもらい、バイバイをしてもらうことが好きで買いに行くのです。自宅近くのドラッグストアやスーパーマーケットではなく、自宅から13.2㎞、車で17分先のやしまやさんが大好きで、父である私にリクエストするのです。 おかげさまで、やしまやさんでの、息子との大切な思い出がたくさんできました。建設課に異動した現在では、仕事でかかわることは、ほとんどありませんが、息子のおかげで毎月必ず「ポッキー」を購入しております。息子にとってはただの「ポッキー」ではないのです。やしまやさんで売っている特別な「ポッキー」なのです。この特別な「ポッキー」が購入できるお店、やしまやさんでの思い出は、私たち親子にとって、かけがえのない、一生の宝物となることでしょう。私たち親子と同じような思いで、お店に訪れる方も多いと思います。そんな特別なお店が、やしまやさんなのです。 さて、この度のクラウドファンディング、八島哲郎さんの挑戦は、ご自身の体験を出版することへの挑戦ではあります。しかし、この消滅可能性都市、限界集落でいかにして経営を継続したかの記録は、耕野、丸森、宮城、東北、そして、全国各地でも、今後、耕野地区と同様に、人口減少に立ち向かう地域にとって、課題解決方法のひとつとなり得るものと、強く期待しています。 このような、解決すべき社会的課題を、その先進地、丸森町耕野地区で取り組みを継続する姿、八島哲郎さんの抜群の企画力・経営姿勢は、令和4年11月、農林水産省「ディスカバー農山漁村(むら)の宝アワード」第9回選定にて、地域の活性化や所得向上に取り組んでいる優良事例として表彰されました。これはまさに、日本を代表するソーシャルアントレプレナー(社会起業家)であるともいえるでしょう。 皆さん、このプロジェクト、八島哲郎さんが挑戦するクラウドファンディングに参画し、八島哲郎さん・耕野地区・丸森町といっしょに、当事者の一人として、課題解決に取り組んでみませんか? クラウドファンディングによる支援はもちろん、SNSシェアや、口コミなど、皆さんのできる方法で応援いただけると、ありがたいです。 どうぞよろしくお願いします。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆八島大祐さん、ありがとうございました。実はご自宅が令和元年の台風で被災されましたが、公務優先にせざるを得なかったと、苦しい胸の内を語ってくださいました。令和元年東日本台風からの復活劇を記録し多くの方に伝えたい。その思いで始めたこのクラウドファンディング。台風被害ではないけれど、このエピソードも多くの方に伝えたいです。八島大祐さん、素晴らしい応援コメントをありがとうございました。また息子さんとポッキー買いに来て下さい。私もポッキーの記事をブログに書いていました。以前の記事はこちらです。
●応援コメント、5人目はNo.4の堀田一芙さん同様、熱中小学校繋がりの藤井真哉さんです。気配り上手で人と人を繋いでくださる方です。熱中小学校の活動では縁の下の力持ちで活躍していただいています。お勤めは株式会社内田洋行。具体的にはオフィスや公共の場づくりをしている営業マンをされています。それでは、藤井さんお願いいたします。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 転勤族で出張が多い営業マンとして、各地の沢山の方とお会いし、語らい、酒を酌み交わすのが至極の楽しみである私にとって、八島哲郎さんとの出会いは、応援コメントNo.4の堀田さんと同様に熱中小学校を通じてお付き合いが始まったので、まだ知り合ってから2年と少しでしかない。 それまでたくさんのご苦労をされてきたことは、周りの方からお聞きするはするのだが、ご本人と話しているとそれを全く感じさせない明るさとバイタリティーで平々凡々と生きてきた私が逆に励まされている気がする。 今回はこれまでご経験された数々の出来事を出版されるということで、今まで私が知らなかった本当の“八島哲郎”さんを知ることが出来るのではと、とても楽しみにしている。八島さんのシンガーソングライター・デビュー作となった『郷土(さと)へ帰ろう』に♪何で帰ると聞かれたら、そこが生まれた郷土(さと)だから♪という大好きな一節がある。クラウド・ファンディングが成功し、多くの皆さんがこの本を読んでいただければと心から応援しております。“そこが生まれた郷土(さと)だから” ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆藤井さん、ありがとうございました。熱中小学校に入学し、丸森町で他地域の先生方から授業を受けます。とても刺激的な話もあれば、すっと心に染み込む話もあります。授業後、私なら何ができるだろう、丸森町なら何ができるだろうと考えます。熱中小学校丸森復興分校には部活動があり、ボランティア部では阿武隈急行線の駅の清掃活動もし、駅舎の掃除やホームのフェンスのペンキ塗りもしました。活動に参加するたび、丸森町が好きになっている自分がいます。様々な活動の陰にはいつも藤井さんの姿があります。縁の下の力持ちで支えてくださる藤井さんに感謝しています。仙台などの外販に行くたび、商品を購入していただくことも多いです。素直に嬉しいです。藤井さん、書籍の完成を楽しみにお待ちください。歌のフレーズも気に入っていただけ、嬉しいです。応援コメントをありがとうございました。2020年8月1日 阿武隈急行線を電車と歩きで完全走破された時、やしまやにお立ちよりくださいました。2021年10月5日 仙台駅2階ステンドグラス前広場にて 向かって右は息子です。2020年10月 これも仙台駅2階ステンドグラス前広場