3月16日 エルサレム5日目今日は、神殿の丘とホロコースト博物館へ昨日までの雨が上がりきれいな青空のもと、キリスト教イスラム教ユダヤ教の聖地である神殿の丘に向かう歴史と共に取り合われて来た聖地ですが、現代ではイスラム教が聖地として管轄しており、ユダヤ教徒は入ることができません。キリスト教徒も聖書を持っていると入れないそうユダヤ教徒は厳しく入場が制限されており、聖地に入れないユダヤ教徒は聖地に近い最古の壁の前で祈ります。それが初日に行った嘆きの壁です嘆きの壁。頭を繰り返し下げる様子から何かに嘆いてる様に見えると命名された神殿の出口でも、聖地に向かって歌い祈るユダヤ教徒に遭遇。彼らは中には入れないので1番近い出口から中に向かって祈ります続いて旧市街を抜け、ユダヤ教徒の国イスラエル側のホロコースト博物館に向かいます。ブランドの店、おしゃれなカフェ。パレスチナと道を隔てただけ。隣は、何でも揃う豊かな国した。ホロコースト博物館は、ユダヤ教迫害の歴史を展示した博物館。ホロコーストと言えばアウシュビッツという印象が強かったのですが、ヨーロッパを中心とした世界各地にいるユダヤ人が差別され無関心により殺された歴史を説明しています。生き残った方たちの証言映像もあり、じっくり見るとすごい時間が必要です。ユダヤ人は迫害を受け、聖地を目指しエルサレムに戻って来た。それで長年住んでいたアラブ人を追い出して土地を奪い、壁を作り…なぜ差別され苦しめられて来た側がまたそれを繰り返のか?誰が悪いの?何が良いことなの?貴子さんも「この紛争は激ムズの知恵の輪のようだね。百均で売ってるような簡単なものでは全くない」となんとも彼女らしい例えをもって、頭を抱えていました。歴史的にも宗教的にも全てが入り乱れて今のこの国の紛争がある。旅の終わりとしてとても意義のある訪問でした。
3月15日パレスチナ4日目エルサレム旧市街でユダヤのサンドイッチスタンドで朝食をとったあと、ラブカブカード自販機(イスラエルのSuicaみたいなもの)でドキドキしながらチャージ。本日もバスでベツレヘムに行き、検問所を越える。貴子と同世代のパレスチナの子どもの実際の普段の生活を知るためにカルチャースクールを目指す。学校に着くとすぐに音楽と体育の授業の見学をさせてくれて、貴子が日本の歌を披露、体育では貴子とこんちゃんが競走に参加!部活のチェスクラブも見学。パレスチナ人はチェス好きが多いとのこと。上級生は、英語で国連の模擬授業で熱い討論!パレスチナ人が真剣に平和を模索している姿がそこにはありました。学校の理事の人(政志さんがこの学校に勤めていたときの学長)とパレスチナ料理の昼食をとりながら貴子の紹介をして、芸大のキャンパスツアー開始。その間にさっきの昼食を作ってくれたカフェテリアの料理人が副業でオリーブ細工の工場を運営してることがわかり見学をアレンジ。オリーブ材は硬くて耐久性に優れ、キッチン用品として好まれているそう。オリーブ細工が広がったのはキリスト教による物でロザリオをなどを作ったのが始まり。クリスマスに飾られるキリスト降誕場面の人形などがオリーブ材で作られています。そこで現地の経済支援となるクラファンリターンを買うことができました。その間に政志さんのバイオリンの教え子であるハニンの家にお邪魔して、クラファンの支援者から預かった質問をインタビューしました。最後は、やさしい料理人の工場長に検問所に車で送ってもらい、ラッキーにも早い時間に宿に到着できました!
3日目も元気に、濃厚な1日を送ったと、随行者の一人、ナースの近藤さんから連絡を受けました。近藤さんからのメッセージをベースに3日目の報告を記載します。ーーーーーー3月14日 パレスチナ3日目。雨。日本では「生憎の雨ですが・・・」となりがちですが、パレスチナ人にとっては、雨はいい天気なんですって!3日目の朝は、バスに乗り30分程でベツレヘムへ。・・・と書けば簡単ですが、その道のりには壁があるため、壁までバス→検問を通り抜け→目的地まで徒歩や車移動。「どこに行くにも壁がある」パレスチナの現状です。検問を通り抜け壁沿いに歩きながら壁画を見学。壁画を塗りつぶして新たな絵が描かれるので、この壁画なのは今回のみ。次来たら塗り変わっているって事もあります。3方壁に囲まれた家。イスラエルはパレスチナ人たちを追い出すために、水源止めたり、家からの視界を無くしたり、人々の行動を不便にしたりします。パレスチナの土地を占領するためにイスラエルは相当のエネルギーをかけていることをまざまざと感じた場所でした。みなさん、「世界一眺めの悪いホテル」と称されるザ・ウォールド・オフ・ホテル はご存じでしょうか。バンクシーが出資して作られたアーティスティックなホテルで客室からの眺めは壁と言うホテル。中はパレスチナ問題を分かりやすく伝える博物館やバンクシーやパレスチナアーティストの作品が見られるギャラリーがあります。ホテルに泊まらなくてもここは見ることができます。ホテルではクラウドファンディングでご支援いただいた方への葉書を書き、パレスチナの幻の通貨の切手で投函しました!その後は、キリスト生誕の地へ。キリストが生まれたと言う馬屋跡に造られた教会を見学。沢山のキリスト教徒が訪れ祈る場所です。そして、最後は難民キャンプ育ちのマナールさんのお宅訪問。マナールさんのご両親、お子さん4人にもてなしていただきました。マナールさんは難民キャンプに住むに住む女性に刺繍で少しでも生計が立てられるよう支援している中心人物です。貴子ちゃんがクラファンの支援者から預かって来た質問に答えていただきました。“キャンプの中で育って来たのでその生活が普通だったが、キャンプを出た時に自分の生活の過酷さが分かった。”“子どもたちにはそんな思いをさせたくない。今日ここで笑い合えた様に笑顔でいて欲しい”たくさんお話をした中でも、上記の言葉が心に残りました。ーーーー毎日新しいパレスチナのリアルを吸収している貴子さん。彼女はどのように捉え、帰国後私たちに伝えてくれるのでしょうか。明日もお楽しみに!
同行の看護師、近藤さんからのレポートです。ぜひご覧ください。ーーーーーーーー3月13日パレスチナ2日目パレスチナ医療救援協会(PMRS)巡回診療視察と検問通過。朝バスに乗ってパレスチナ医療救援協会(PMRS)の拠点へ。パレスチナのコミュニティ内で医療活動をしている医師、看護師等スタッフのエルサレム郊外の巡回診療を見せてもらう。9つのコミュニティが集まる地域で臨時の診療所を設けると多くの患者さんが訪れる。上気道疾患や皮膚疾患が多く、清潔な水が手に入りれば防げるような病気も多い。心血管疾患や糖尿病など継続的に薬が必要になっても高価な薬を手に入れるのも難しい。また、壁が作られていることにより壁の向こうの近い病院には行けず、遠い病院まで行かねばならなかったりする。医療支援では現地で活動する医師看護師にスポットが当たるが、医師ひとりが行けば助けることができるわけではない。要望を聞き必要な場所にどれだけの人員を送るか考える人、医療スタッフの安全を守る人、いった先で活動の拠点を建てる人様々な見えない所で医療スタッフを支える人がいなければ、こういった支援は成立しない。まだまだまだまだ書ききれないくらいたくさんの情報を見て、聞いて、感じることができた。こんなすごい視察に参加できて本当によかった。イスラエルとパレスチナの間にはイスラエル人が作った壁があり、パレスチナ人をコントロールする目的で検問所が作られている。パレスチナ側へ入る時は殆どノーチェックで入れるのに、イスラエル側へ行くときには空港のセキュリティチェックの様に並ばされ、荷物のチェックと金属探知のゲートがある。高い位置に見張り台を設け、若いイスラエル兵士達が談笑しながら見下ろしている。(時には上と下で激しく言い争いになることもあるそう。ただイスラエル兵士の機嫌を損ねて検問を閉めてしまうと通れなくなるのだ)検問所周辺のパレスチナ側の壁にはそんな状況を訴える様に壁画が描かれている。日本のメディアでも見ることのあるアラファト議長の似顔絵やバンクシーの風船を持つ少女の絵が描かれている。壁は分厚く覗く隙間もない。正に人々を隔てる“壁”だった。
到着初日から積極的に動いているようです。写真と簡単なコメントが送られて来たので紹介させて下さいね。まずは観光写真ぽいですが、三大宗教の聖地に来ました。肌で人の心を動かす宗教とは何かについて感じ取ってくれていると思います。早速、パレスチナの方から、イスラエルの入植(土地が奪われている)の実情について、生の声が聞けたそうです。どんなものを食べて生活しているんだろうと、市場も見学聖地をはじめとしてエルサレムを管理するイスラエル軍隊とも遭遇。徴兵制で集められた18歳から20代前半の若者を中心に構成されているとのこと。この制服や銃により、自分の父母や祖父母世代のパレスチナ人を、意のままにコントロールできる。そんな経験はイスラエルの若者の心を蝕んでいるのかもしれません。夕食では、現地で活動する日本のNGO職員にもお会いして、日々の活動についてお教えいただきました。初日から盛り沢山な活動、写真からだけでも、多くのことが学べたことが想像できます。15歳の貴子が何を感じたのか、帰国後が楽しみです。