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ミニコミ・自主出版物書店「模索舎」の50年の歴史を振り返る書籍を制作したい

1970年に創業した「模索舎」は、ミニコミや、一般の流通に乗らない出版物を扱う非常に珍しい書店として東京・新宿で半世紀以上営業してきました。多くのOBや関係者へのインタビューや、1万ページを越える発行物など資料類を発掘・収録して、日本の出版史上にもユニークな書店の歴史を解き明かしたい。

現在の支援総額

2,137,000

164%

目標金額は1,300,000円

支援者数

201

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2023/06/21に募集を開始し、 201人の支援により 2,137,000円の資金を集め、 2023/08/15に募集を終了しました

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現在の支援総額

2,137,000

164%達成

終了

目標金額1,300,000

支援者数201

このプロジェクトは、2023/06/21に募集を開始し、 201人の支援により 2,137,000円の資金を集め、 2023/08/15に募集を終了しました

1970年に創業した「模索舎」は、ミニコミや、一般の流通に乗らない出版物を扱う非常に珍しい書店として東京・新宿で半世紀以上営業してきました。多くのOBや関係者へのインタビューや、1万ページを越える発行物など資料類を発掘・収録して、日本の出版史上にもユニークな書店の歴史を解き明かしたい。

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言論を守るため自主流通本を扱い続け、一時は紙媒体の危機が囁かれるもしれっとスルー。そして気づいたら世界的には言論統制の暗黒時代で、各地で紙媒体が抵抗の手段として見事に復活し、気付いたら一周回って最先端になってしまった模索舎。こんな書店、見たことねえ!!松本哉素人の乱5号店店主


皆さまのおかげで、初期目標金額(130万円)を達成できました。クラウドファンディング開始前は、果たして目標を達成できるか非常に不安でしたが100人以上の方のご支援を受けることができたことで、われわれ模索舎アーカイブズ委員会のとしても、今回のプロジェクトの意義を再認識することができました。ありがとうございました。●ネクスト・ゴールを240万円に設定します。クラウドファンディングを始めるにあたって、一番苦慮したのは目標金額の設定でした。このプロジェクトに注目してくれる人はいるのだろうか? まして募金してくれる方が出てくれるのだろうか? そんな不安な現実と、実際に必要な金額(編集実費)との間で揺れ動いた末に、背伸びをすれば可能かもしれないと設定したのが「130万円」でした。
嬉しいことに予想以上の反響を頂き、3週間で130万円を超えることができました。多くの方に注目して頂き共感を寄せていただいたことに、勇気を頂きました。
そんな勇気に後押しされて、諸経費を引いたあとに、必要額[編集実費・135万円]が残る「240万円」をネクスト・ゴールとして設定しました。
『模索舎50年史(仮題)』を、より充実した書籍とし、より廉価にて、より多くの皆様にお届けするための費用です。◉おもえば、1970年設立の模索舎は50名あまりの学生・若者らが出資金をかき集めるところからはじまりましたが、今回のクラウドファンディングで多くの人が支援をお寄せくださったことは、それを彷彿とさせる出来事でした。また、クラウドファンディング実施の過程で、さまざまな方からメッセージをお寄せいただき、模索舎の歴史の厚みと豊かさを実感する機会が多々ありました。これらもまた、書籍に反映して参りたいと思います。
なお、本プロジェクトの延長線上に、模索舎全刊行物をインターネットアーカイブズとして公開することも予定しています。そのためにも、まずは『模索舎50年史(仮題)』刊行プロジェクトを成功させたいと思います。
残り1カ月、皆さまにはこれまで以上のご支援を賜りたくお願い申し上げます。  ◉ネクストゴール240万円の計算式:
   240万円 − (リターン費用60万円 )−      (クラウド使用料 240万円 × 0.17)= 139.2万円


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「よってたかって」の伝統芸は健在か?「ここだ」。五味が指さした。なんと鉄筋の新築だ。その頃僕らが居た水道橋のライン出版も高田馬場のベ反学連も、建物がギシギシ鳴く木造2階建て。でも「ここ」は夏なのにヒンヤリと広い11坪。「大家のNさんはこの辺の防犯協会の会長だから、ヤクザも官憲も大丈夫」と五味がニヤリ。その日から金と工事の段取りに奔走。50人ほどの学生がとにかく小金をかき集め、有限会社ゴミニケート社を立ち上げた。電気や水回り、大きな造作以外の内装備品は、美大の諸君の指導でよってたかって自力更生。人数の多さだけが頼りだった。1970年10月28日、「情報センターへのシコシコ・模索舎」営業開始。前夜まで格闘していた塗料の霧が頭の中を漂っていて、向いの羅府会館屋上の円盤形展望台の灯りがきれいに見えた。半世紀前、新宿の元青線地帯「緑苑街」の一角に「模索舎」が現れた時の昔話だ。岩永正敏元模索舎舎員


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ぼくにとって模索舎といえば、何よりも強く思うのは、1970年代に同じわいせつ裁判を闘った仲間ということだ。どちらも同じ日に最高裁で門前払いとなって有罪が確定した。それだけでなく模索舎は1960年代後半にぼくがフォーク・ソングを歌い始めた頃に大きな影響を受けたベ平連の運動とも繋がりがあったように思うし、模索舎のすぐそばにあった「韃靼」というお店で70年代によくライブをしたことも覚えている。半世紀に及ぶ模索舎の歴史をまとめた本は、模索舎が「レジェンド」ではなく、今も「現役」で、未来にしっかり向かっていると伝えてくれることだろう。中川五郎(フォークシンガー)


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『朝日ジャーナル』終刊号の広告を見て、恐る恐るの初訪問が90年代初め。ミニコミだけでなく書籍や雑貨も魅惑的だった。その模索舎の50年史が、手堅い調査に基づいて準備されている。貴重な運動史の成果にして時代理解の補助線を提供してくれるものとなろう。松井隆志武蔵大学教員/『社会運動史研究』共編者