久しぶりに、三輪代表からのメッセージが届きました。
2月26日「対話型鑑賞は底なし沼」
こんにちは三輪です。群馬県立館林美術館の2月17日バスツアーが決行されました。
本当は少人数でワークショップを開催すべきとは思うのですが、視覚障害者を美術館に招くにあたり1日を楽しく過ごすためにバスツアーなるものを企画した分、大勢の参加者とあいなりました。
見えない人/見えにくい人(視覚障害者)にとっては、どんなに技を尽くしても、結局本物を見ることは出来ません。それでも介助者を伴って美術館に行きたい、と思ってもらうまでに至るのはそうたやすいものではありません。
その為今回は午前中には、私が見えなくなってから作るようになった触れる彫刻を、見える人と見えない人が一緒に触りながら、語り合うワークショップを開き、午後には、視覚障害者を中心にして、ボランティアの対話型鑑賞サポーターの人たちとガチンコの対話型鑑賞のワークショップを開きました。
この対話型鑑賞をワークショップの肝にしたいと考えていたのですが、実際にやってみると、そうそうたやすいものではないと実感した次第です。一朝一夕でボランティアは養成できないとつくづく実感しています。この対話型鑑賞が終わってから見えない人たちに感想を聞いたところ、見えない人が求めている所とボランティアが大事にしているツボがずれていると感じました。少し具体的に説明してみます。
〇私の場合からですがボランティアが作品の内容を出来るだけ易しく解説して下さったのですが、ところで私の目の前の作品は絵ですか?彫刻ですか?その辺から伝えて頂けないとイメージがわきませんでした。
〇作品を作った作家の人生はどのようなものであったかを少し聞きたかったです。作品が出来上がったころの時代背景も知りたかったです。そのあたりの説明があるとイメージがわきやすいです。
〇フランソア・ポンポンはそもそも男性でしょうか、女性でしょうか、という疑問も出たようです。
〇対話型鑑賞ではなく触れるワークショップの方ですが、ボランティアの方はまず情報を与えず触ってどう思うかということを重んじる傾向にありますが、始めからたくさんの情報を欲しいと思う人もたくさんいらっしゃいますのでそのあたりはゆるく各々の希望に沿った対応が必要なようです。
〇私自身の話ですが見えないものは毎日触るワークショップのような日々なので作品を触って鑑賞しているときには最低限の情報がないと想像力が働かないです。そこに作者の人生の説明が加わると一層想像力を働かせて作品を味わえると感じました。このあたりの掛け合いが難しいです。インクルシブアート研究会で学びの場を作って障害芸術の基礎を学んでいただいても現場ですぐ実践できるものではありません。
学びの底なし沼が広がっています。
その後おまけとして群馬大学の共同教育学部の林耕史先生と菅生千穂先生の演奏会を開きました。私の作品も含め、作品の印象をその場で即興の掛け合いで音楽にしていくコンサートでとても楽しめました。
正直にいうと視覚障害者の人はおまけの演奏会を何よりも楽しみにしていました。結局、生の音は見えない者にとって一番の癒しになります。
以前から私は、美術館の鑑賞サポーターは、ホスト・ホステスのように、鑑賞者を楽しませる存在になるべきと考えているのですが、美術館のホスト、ホステスは1日にしてならず・・・学びの道は遠いです。
以前の三輪代表からのメッセージはこちらから