**住民の移動手段の課題** 住民、特に高齢者は、運転免許を返納することで移動手段に重大な制限が生じています。地域内にはスーパーマーケットや生活必需品を扱う店が少なく、多くの住民が日常の買い物やサービスを利用するために公共交通機関に頼らざるを得ません。しかし、市営バスや渡良瀬渓谷鐵道のサービスは不十分で、特に大量の荷物を運ぶ際には不便さが顕著になります。これが生活の質の低下に直結し、高齢者や障害を持つ人々の日常生活に大きな負担をかけています。**観光客の移動手段の課題** 一方、渡良瀬渓谷鐵道を利用して足尾に来る観光客も、移動手段の問題に直面しています。駅からの地域内移動が困難であり、観光地や宿泊施設へのアクセスが制限されています。この状況は、訪れた観光客の満足度を大幅に損ない、結果として地域の観光業に悪影響を及ぼしています。観光客の移動手段を改善することは、彼らの体験を向上させるとともに、地域経済の活性化にもつながるため、対策が求められますが出口は見えていません。無人カーのような未来技術の活用は、移動や運搬の問題を解決する有望な手段として期待されています。近い将来、自動運転技術が実現すれば、住民と観光客の移動手段の問題に革命をもたらす可能性があります。特に高齢者や移動が困難な人々にとって、無人カーは日常生活の質を向上させると同時に、観光客にとってもよりアクセスしやすい交通手段を提供できるでしょう。しかし、これらの技術革新が実用化されるまでには膨大なコストや時間と調整が必要です。現在と未来を繋ぐ移動手段の問題に対して、持続可能で効果的な解決策を模索し続けることが重要です。現在の交通課題に対する答えを創造していくことが求められています。明治期の足尾銅山は、増大する産銅量に対応するため、新しい運搬技術の導入に積極的でした。明治18年にはフランス式簡易鉄道「ドゴビール」を導入し、明治23年には日本で初めて架空索道(現在のリフトに相当)を採用するなど、当時としては革新的な試みを行っていました。これらの運搬技術に関する先人たちの試行錯誤は、写真としても残されています。社会状況は大きく変わった現在も、移動や運搬の問題は依然として大きな課題です。明治時代の足尾銅山が直面していた運搬技術の革新の必要性は、今日の移動手段や物流問題という形で引き続き存在しています。過去からスピリットを学び、持続可能な運搬手段の発展を目指したいものです。
人材不足に次ぐ課題として、旅館サービスレベルの維持があります。高齢化と跡継ぎ問題や企業の効率化により、足尾地域までの配送業務が脅かされています。旅館運営には、食材、リネン、飲料など、日々の運営に欠かせない物資の確実な供給が不可欠です。しかし、これらの供給を担う業者の廃業が、サービス品質の維持を低下させます、最終的にはお客様の満足度に影響を及ぼす恐れがあります。このような困難な状況が数年続いています。これらの課題を乗り越え、持続可能で活力ある地域社会の実現を目指しています。クラウドファンディング残り後8日です。リターンに迷ってら!応援サポーター10000円をお願い致します!写真は笠松片マンプ(隧道)です。
この度は、皆様のご支援により、ネクストゴールの200万円を達成することができました!ご支援いただいた皆様に心より感謝申し上げます。この挑戦には大きな可能性を感じており、挑戦を始めました。自身で掲げた目標ですが、大変な所もあり、よくここまで来れたなとすこし、ほっとしました。しかし、まだスタート地点に立った段階である事は間違いありません。これからが本当の試行錯誤がはじまります。ひき続きご支援何卒宜しくお願いいたします。美味しさから始まる環境学習には、適切なコンテンツが不可欠です。足尾銅山の歴史を伝えるために、当社の先代である小野崎一徳が明治時代から大正時代に撮影した写真を活用したいと考えています。ガイドと共にスマートフォンやタブレットのデバイスで写真を見ながら学べる環境学習アプリの開発に取り組みたいと思っています。ファーストゴールの達成により、地域資源を活用した「足尾産ハチミツの美味しさ」を全国に広めるとともに、環境学習に結び付けるための更なるネクストゴールを設定しました!クラファン終了まであと9日と短い時間となりますが、次の目標は250万円です。この資金を目指して、この街や他の地域で、足尾産ハチミツとスイーツを楽しむ機会を通じて、「美味しい!」から足尾産ハチミツとその銅山のストーリーに触れるきっかけを提供します。ウェブサイトやSNSを通じてその歴史に触れ、足尾を訪れる機会を促進します。足尾のガイドでは、明治16年から撮影された写真を共有しながら、ガイドとお客様がそれぞれのデバイスで同じ写真を共有し、過去と現在の景色を比較しながら「環境学習」できるアプリ「足尾デジタル写真館」の開発を目指します。アプリの完成までには簡単なものでも設計と開発で3~400万、管理費で年間100万ほどとかかりますが、足尾の未来の為にも奮闘しつづけます。
陸奥宗光・渋沢栄一との出会い陸奥宗光(1844-1897)は、明治時代の政治家で、外務大臣や農商務大臣を務めました。彼は東北地方にルーツを持ち、仙台藩の伊達家の子孫でした。幕末期には、父伊達宗広が権力争いに敗れ、家族は苦境に立たされました。陸奥宗光はその後、伊達姓から東北地方を総称する陸奥姓に変え、政治活動を展開しました。陸奥宗光は幕末に紀州藩の束縛から逃れ、神戸の幕府海軍操練所に入学し、坂本竜馬と共に学びました。この時期の経験が後の活動の基盤となり、明治維新の中心人物として活躍しました。司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」にもその活躍が描かれ、文学碑が長崎に設けられています。明治維新後、陸奥は新政府で要職に就きましたが、薩長土肥の藩閥政治に属さないため、明治六年に政界を離れました。その後、西南戦争時に政府転覆計画への関与疑惑で逮捕され、東北の監獄に長期間収監されました。古河市兵衛(1832-1903)、通称「鉱山王」と呼ばれる実業家は、陸奥宗光と深い縁がありました。市兵衛は、陸奥が獄中にいる間、彼を支援し、食事や本を差し入れました。市兵衛自身、明治初期に小野組での活動を経て足尾銅山などの事業で成功を収め、経済界で影響力を持っていました。陸奥宗光は釈放後、知識を深めるため欧米に遊学し、その費用の一部は市兵衛によって支えられました。また、この時期、渋沢栄一(1840-1931)も陸奥の学費に貢献しました。渋沢は日本の資本主義発展に大きな影響を与えた人物で、足尾銅山などの事業でも市兵衛と協力しました。陸奥宗光と市兵衛、そして渋沢栄一の関係は、日本の近代化過程で重要な役割を果たしました。市兵衛は陸奥の次男を養子に迎え、渋沢とともに事業を支え、日本経済の基盤を築くことに貢献しました。これらの人物の交流は、政治、経済、そして社会全体に深い影響を及ぼし、日本の近代化に大きく寄与しました。
足尾地域は、超高齢化、少子化、過疎化、人口減少という重大な課題に直面しています。特に、私たちが最も早く直面した問題は人材不足です。2013年に「国民宿舎かじか荘」の運営を引き継ぎ、以来10年間「四季の彩りに風薫る足尾の宿かじか」として運営してきました。この期間、人材不足は経営に大きな圧力を与え、プロジェクトの進行に悪影響を及ぼし、地域の持続可能な発展に障害となっています。人材は地域を支える根幹であり、その不足は足尾地域の復興と発展に大きな障害です。持続可能で活力のある地域社会を築くためには、人材不足を解決し、新たな力を地域に呼び込むことが急務です。この挑戦に立ち向かうため、私たちは力をつける必要があります。観光産業を通じて足尾の歴史を再学習し、山林復旧の歴史を含めた環境学習をテーマにした旅を提案することで、地域の未来への希望を創出すると確信しています。皆さまの理解と支援により、私たちの取り組みはより大きな力を得て前進します。地域の再生と発展のために、引き続きのご支援とご協力を心からお願い申し上げます。プロジェクトリーダー 小野崎一