因州小鍛冶です。
今日は鳥取は倉吉市の鍛冶町にあるひろせや鍛冶さんの所へお邪魔しました。
この地は室町時代、伯州広賀(ひろよし)という刀鍛冶が活躍しその後、江戸時代には千歯こきの一代産地になって栄えた地であります。
ひろせや鍛冶さんはその末裔であります。
私がひろせやさんを知った時には既に最後の棟梁は亡くなられており、店を閉めておられました。現在は娘さんが住まわれています。
実は最後の棟梁が鎚を振るう姿が“男はつらいよ 寅次郎の告白”におさめらせています。
写真は当時の撮影風景です。
女優さんが見つめる先にひろせやさんがいらっしゃいます。
さきの地震で崩れてしまった工房
埃を被った鍛冶場 大将が亡くなられてから時が止まったままでした。
『
野鍛冶ひろせや
「町中にこんな風情のええ鍛冶屋があるなんて
よそにはなかなかありゃーしませんで。
ここら辺は鍛冶町といって昔は稲扱千歯や鋤、鍬、鎌といった鉄の農具を作る鍛冶屋さんが立ち並ん ど た もんです。日本一のたたら製鉄の産地、中国山地が近かったからでしょーか。今でもまだ実際に鍛冶屋さんが仕事をしとられます。
この「ひろせや」さんの名字は「広吉」という事ですけえ、その名前からして、室町時代以降続く刀鍛冶につながる古い家系の鍛冶屋さんじゃないでしょーかいな。」
』
ひろせや鍛冶屋さん。伝統工芸士。廃業しその後工房は文化財として残す話もあったが結局は音沙汰がなくなる。
片付けようにも片付けられずしていた所、2016年倉吉で地震が発生。工房も被害を受ける。屋根が落ち雨漏りする部分を補修し現状維持で今日に至る。
記念に頂いた鎌
長細くなっているのは長年研ぐうちにちびたからです。
こういった物ってなんて言えばいいのか。大事にとっておきたくなる性分なんです。
ひろせやさんも大事にとって置かれていたみたいで。
物って100年経つと、つくも神という悪い神様に成ってもう少し経つといい神様になると聞いた事がありますよ。
次回は私の元に集まった古い道具等がその後どうなるかを報告したいと思います。