洋画家佐伯祐三の生家で障がい児と地域のアート拠点とアーカイブギャラリーを作りたい

佐伯祐三の生家が福祉事業を始めて100年。 大正末期から母子寮、幼稚部、図書館、日曜学校、お寺カフェ、相談指導、保育所、障がい児の入所施設など社会福祉事業を続けてきた歴史ある場所「中津学園(光徳寺善隣館)」を、障がい者と地域の人々やこどもがアートを通じて交流できる場所として再生したいです!

現在の支援総額

2,449,997

48%

目標金額は5,000,000円

支援者数

226

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/11/01に募集を開始し、 226人の支援により 2,449,997円の資金を集め、 2024/12/16に募集を終了しました

洋画家佐伯祐三の生家で障がい児と地域のアート拠点とアーカイブギャラリーを作りたい

現在の支援総額

2,449,997

48%達成

終了

目標金額5,000,000

支援者数226

このプロジェクトは、2024/11/01に募集を開始し、 226人の支援により 2,449,997円の資金を集め、 2024/12/16に募集を終了しました

佐伯祐三の生家が福祉事業を始めて100年。 大正末期から母子寮、幼稚部、図書館、日曜学校、お寺カフェ、相談指導、保育所、障がい児の入所施設など社会福祉事業を続けてきた歴史ある場所「中津学園(光徳寺善隣館)」を、障がい者と地域の人々やこどもがアートを通じて交流できる場所として再生したいです!

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昨日(11月27日)、100万円達成しました!!これもひとえにご支援いただいた皆様方のおかげです。本当に感謝申し上げます。ご支援いただいたお一人お一人のコメントはひとつずつ読ませていただいています。残り18日になりましたが、やっと目標金額の2割に到達したところです。様々な方に情報拡散やご支援の依頼を日々行なっています。メールやお手紙だけでなく、直接お会いしてご支援をお願いしている日々です。 皆様方もぜひ拡散やご支援をお願いします。後半戦も頑張っていきます。どうぞよろしくお願いします。


佐伯祐三の人生はとてもドラマチック、しかもイケメン。佐伯祐三ファンなら、その人生が気になるはず。そしてググってみたら、上位にヒットするのが「落合学」です。主には、新宿区下落合周辺のことが書かれていますが、佐伯祐三に関しては妻・米子や兄・祐正のことも取り上げられています。中津学園のことも。ドキッとするようなスリリングな部分もあり、読みものとしても面白いです。 私は、これを読んで下落合の「佐伯祐三アトリエ記念館」を訪ねました。佐伯祐三と同窓の北野高校ご出身の佐伯祐三ファンの方もやっぱり落合学を知ってらっしゃいました。あの山田五郎さんも動画(山田五郎オトナの教養講座/前半・後半)で佐伯祐三特集をした折には、落合学を参考にしたと。昨年、大阪中之島美術館で佐伯祐三の展覧会をやった折にも、下落合の風景を描いた絵がどの場所に当たるか地図に落としたものも、落合学が参照資料として記載されていました。恐るべき落合学。。。 話は長くなりましたが、今回クラウドファンディングを実施するにあたって、全国の佐伯祐三ファンにこの取り組みを知ってもらいたいと考えました。もちろん、正直なところご支援いただきたいという思いもありますが、中津学園ができた暁には、祐正・祐三の資料を展示するアーカイブギャラリーを設けますので、全国のファンに訪れてもらいたいとも思っています。広く知ってもらうために、落合道人さんにご協力を仰いだのです。厚かましくもブログに協力のご依頼のコメントを残しました。すると、すぐにお返事をいただき、しかも快諾をいただき、やり取りの翌日には記事にしてくださったのです。本当に感謝申し上げます。 落合学をまだみたことがないという方は、ぜひのぞいてみてください。街の歴史や佐伯祐三が好きな人は特にハマると思います(米子に対して辛口)。そして、下落合に行きたくなります。 


今回完全オリジナルで、「立てる自画像」と「煉瓦焼」を墨加工しTシャツとトートバックを作りました。美術史家の橋爪節也名誉教授も大絶賛!!それぞれエピソード付きです!立てる自画像:What do you mean by 'academic'? OMG!!!煉瓦焼:In February 1928, Yuzo Saeki visited the brick kiln at Villiers-sur-Morin. This painting became Hatsujiro Yamamoto's memorable first collection.なお、右横に小さくサインが入っていますが、実際の佐伯祐三のサインからトレースしました。


煉瓦焼(1928年 大阪中之島美術館蔵) この絵は、2023年に大阪中之島美術館で開催された展覧会で初めて知った※。祐三が死去する半年前に書かれた絵で、煉瓦を焼く窯が正面から描かれている。輪郭は太い線で単純化され、勢いのある筆捌きはリズム感がある。「ガス灯と広告」(1927年 東京国立近代美術館蔵)で頂点を極めた感はあるが、フランス東部のヴィリエ=シェル=モランを訪れた際に書き上げた一連の風景画は、作風に変化が見られる。一つ所にとどまることなく、常に新しい絵を求めて鍛錬していた祐三には感動させられる。 この時期の絵は、線は単純化され、力強く、どこかしらユーモラスな作品が多い。加えて、澄んだ空の青、煉瓦色の赤、少しの草の緑がバランスが良く、配色のうまさが際立つ作品でもある。 もう一つこの絵を語るのに収集家山本發次郎の存在が外せない。この煉瓦焼は、發次郎が初めて出会った作品である。この絵をきっかけに数多くの佐伯祐三の作品をコレクションするのである。数多くの作品が残念ながら空襲で消失したものの、疎開させていた40点ほどが残ったことで、今私たちは祐三の作品の変化やバリエーションを楽しむことができる。 ※「佐伯祐三 ― 自画像としての風景」は、2023年4月15日(土)から6月25日(日)開催 


このアカデミックめが! 「立てる自画像」(1924年 大阪中之島美術館蔵)にまつわる佐伯祐三の有名なエピソードである。意気揚々とフランスに来た佐伯祐三は半年近く経ったある日、画家で友人の里見の計らいで、パリの北に位置するブラマンクのアトリエを訪ねる。ブラマンクはマティスなどと共に活躍したフォービズムの画家だ。祐三はブラマンクに見せるため、持っていった「裸婦」はきっと自信作だったに違いない。 しかし予想に反して、ブラマンクは「このアカデミックめが!」と一言吐き捨てるように言ったという。 その言葉は、学生がうまく書いた絵にすぎず、画家の絵ではないという意味合いが含まれていたのだろう。その言葉に祐三はひどくショックを受けたという。 ブラマンクの辛辣な言葉の後、まだ自分は何者にもなり得ていない、その焦りが見て取れるのがこの「立てる自画像」である。何者でもない自分、顔は鋭く拭き取られている。 しかし、見方を変えれば、それでもなお画家としての自分を描いているのだ。ブラマンクに言われたあの言葉のままでは終われない、本当の画家になりたいと強く願っているようにも感じ取れる絵である。そしてそれがきっかけで、その後次々と名画が生まれていった。 


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