心のパンツを脱いで素顔に戻っちゃう宿、小田原のティピーに遊びに来ませんか!

【「心臓」がなくなっちゃいました!!】『観光の“通過点”である小田原に、地元の人と外の人が交わる点をつくりたい』『そこに新しい価値観と文化を積み上げていく』これが僕の一番やりたいことでした。そのために、カフェ&ラウンジをつくります。見た事ない未来を見に、この船に乗りませんか?よろしくお願いします!

現在の支援総額

10,771,000

1,077%

目標金額は1,000,000円

支援者数

527

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/06/03に募集を開始し、 527人の支援により 10,771,000円の資金を集め、 2024/07/31に募集を終了しました

心のパンツを脱いで素顔に戻っちゃう宿、小田原のティピーに遊びに来ませんか!

現在の支援総額

10,771,000

1,077%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数527

このプロジェクトは、2024/06/03に募集を開始し、 527人の支援により 10,771,000円の資金を集め、 2024/07/31に募集を終了しました

【「心臓」がなくなっちゃいました!!】『観光の“通過点”である小田原に、地元の人と外の人が交わる点をつくりたい』『そこに新しい価値観と文化を積み上げていく』これが僕の一番やりたいことでした。そのために、カフェ&ラウンジをつくります。見た事ない未来を見に、この船に乗りませんか?よろしくお願いします!

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今回のクラウドファンディングでは今までティピーがお世話になった方々に応援コメントをいただきました!一人一人紹介していこうと思います。今回はホテルプロデューサーの龍崎翔子さんです!龍崎翔子株式会社水星 代表取締役CEO / ホテルプロデューサー。1996年生まれ、水瓶座。東京生まれ京都育ち。東京大学経済学部卒業。2015年に株式会社水星(旧社名:L&G GLOBAL BUSINESS, Inc.)を設立後、2016年に「HOTEL SHE, KYOTO」、2017年に「HOTEL SHE, OSAKA」、2021年に「香林居」、2022年5月に産後ケアリゾート「CAFUNE」を開業。そのほか、ホテルの自社予約SaaS「CHILLNN」の開発・運営や、観光事業者や自治体のためのコンサルティングも行う。言わずもがな!宿泊業界でしらない人はいないであろう龍崎さん。2017年当時、まだairbnbの副業でティピーの構想を練っている時代。開業前のHOTEL SHE, OSAKAのサイトがオープンした。スケルトンのビルの中にベッドが置かれ女の子が花を持ってるがトップだった。何だこの感じは!瞬く間にSNSで話題になったのを覚えている。参考:リソースの限られている温泉旅館を人気宿にする一手とは?The Ryokan Tokyo YUGAWARAの運営も龍崎さんの会社はやっていた。サイトをみて本当に感銘を受けた。今まででは知らなかった湯河原の姿がたくさん写真が上がっていてた。湯河原の再定義がされていた。小田原という街も光の当て方によっては若い人に刺さるような表現ができるはずだ!とすごい勇気をもらったのを覚えてる。(The Ryokan Tokyo YUGAWARAは、現在、別会社が運営している。)そしてティピー開業後2020年に家族でHOTEL SHE, OSAKAに遊びにいった。やっと来れたー!と小躍りしたのを覚えてる。全部屋にレコードプレイヤーが置かれている。ティピーやる前は正直「やられたー!」と思ってた。でも若い人にもやっぱりレコードは面白がってくれるのだなーと改めて思った。そんな感じでSNS上では勝手に存じ上げていだけで直接の接点は無かったのですが、ひょんなことから龍崎さんからのインタビュー記事の依頼をいただいた。正直びっくりした!レコード寄贈でディスカウント。小田原の宿「Tipy records inn」の魅力「HOTEL SHE,」を手掛ける龍崎翔子さんからの5つの質問cinraのshe is というメディアだったんだけど、その時のやり取りがきっかけでの小田原が地元のcinraスタッフの方と出会うことになり、その後このクラファンを作るチームとは非常に縁が深い繋がりができたのである。なるほど...龍崎さんが全て始まりだったのか...とわかる人にしかわからない一文もここに認めておこう。その後もRyokan tokyoの支配人の方と仲良くさせていただいたり、自社予約システムのCHILLNNは今もティピーのウェブサイト予約では使わせてもらっている。先日、本も出版したみたいなので是非今度出来上がったらティピーに遊びに来てほしいなー!龍崎さん、応援コメントありがとうございました!是非小田原で会いましょう!


本日!月曜から木曜の21:50~22:00の10分間、毎日FMyokohamaにゲスト出演します! MITSUMIさんがパーソナリティの番組 Keep Green & Blueに出演します。海、山、川と豊かな自然に囲まれる神奈川県から、未来へ向けて、持続可能な社会を目指し活動している企業・団体・人々をご紹介していくこの番組。ナビゲーターはのDJ MITSUMIさん! ミツミンと初めてお会い出来た〜!収録前にティピーにフラッと寄ってくれたとはじめて知りました!良い人!! クラウドファンディングの宣伝もさせてもらいました。ありがたい涙みなさん是非聴いてみてください!radikoからも聴けます。是非聴いてみてくださいねー!


ずっとバンドをやりたかった。これが僕の生きる意味で、証明だったから。バンドマンはみんな一度はバンドで食っていくことを夢見る。そして生活の全てをつぎ込む。まわりが就職する中、フリーターとなり月に何本もライブをする。ライブが中心の生活なので居酒屋の深夜バイトだったり出会い系のサクラやったりバンドマンは手っ取り早く稼げることに勤しんでいた。稼いだ金はブッキングライブのチケットノルマへと消えていく。それだけじゃない。楽器や機材、スタジオに入るためのお金は必要だし、レコーディングするのにだって当時は10万円以上した。そうしていくうちに日の目を浴びない、俗に言う売れないバンドマンは疲弊し、次の未来を考え出す。例外なく僕たちも二十歳から本腰を入れたバンド活動は3年ほどで一度解散に至る。でもやめたくなかった。一生バンドを続けたかった。一度メンバーチェンジを経ながらもどうにか続ける道を模索してた。でもそれには時間もお金も足りなかった。家族もいるし、夢のマイホームだってローンが残っている。僕はわがままなのだ。家族との幸せを担保しながらも自分が生きる証明をし続けたかった。だから本業の仕事をしながら副業を探した。仕事の合間に本を読み、サラリーマンが片手間でビジネスできそうなものを探す。不動産投資はもちろん、太陽光発電とか株とかFXとかコンテナ投資とかもう胡散臭そうなやつもかたっぱしから知識をぶち込んだ。そんな中、出会ったのがAirbnbだった。当時の僕は箱根でバスの運転手をしていて、来る日も来る日も外国人観光客を乗車率200パーセントで乗せていた。だから、Airbnbをはじめて、小田原経由で箱根に遊びに来る海外の人の相談に乗るのは容易だった。これが本当にたのしかった。自分の身の回りの当たり前の情報を提供するだけで本当に喜んでもらえた。「富士山の見えるおすすめの場所はどこ?」「御殿場アウトレットまではどうやって行ったらいい?」「芦ノ湖の最終のバスは何時まで?」「おすすめの温泉は?」全てがもう手に取るようにめちゃめちゃ解像度高く熱量高く伝えることができた。一部屋から始めたairbnbは稼働率80%を超え順調に運営していた。お客さんがチェックアウトした後はほとんどあさみが掃除に行ってくれていた。まだまほが2才くらいで面倒を見るだけで精一杯なはずなのに一緒に連れて行って清掃してくれていた。僕も仕事の休憩中に1時間あれば掃除に行っていた。そしてバスの運転に戻る。airbnbが軌道に乗ると同時に考えることも多かった。バンドをやるために始めた副業のAirbnbだけど、なんでバンドをやりたいんだっけ?と自分に問うようになった。今まで表現の方法は音楽、バンドでしかできなかったけど今は違うかもしれない。僕はバンドを通して誰かの「何かがはじまっちゃう瞬間を作ること」が本当に好きだった。ライブすることが好きだった。それはゲストハウスでもできるんじゃないか?と思った。同時に仕事もストレスから体調も崩し始め、このまま仕事を続けることは考えづらかった。「仕事辞めてゲストハウス一本でやろうかな...」そう考えることが増えた。とはいえ地元で名の通る企業を脱サラして起業する。それ自体めちゃめちゃ悩んだ。婿養子で入った家の二世帯住宅の住宅ローンは残り30年。子供も小学校に入る前。不安定な世界に飛び込むには不安要素が多すぎる。ずっと燻り、自分で何かやってしまいたい。やりたい。と友人を誘っては話す日々。特に当時は今回のクラファンを一緒に作ってくれているくいしん、ティピーの写真を撮ってくれている大川直也、湘南ゴールドエナジーの守屋くんには何度も相談した。本当にやろう!と心から勇気を出して決めた時、そこにはいつも言葉があった。その中でも一番勇気をもらった言葉は「思っていてやらないのは思っていないのと同じ」その言葉に対して、「思ってるし!やるし!」と心の中でキレた。奮起し行動した。そんな悩む日々にみかねた妻も「やりなよ!」と背中を押してくれた。本当に感謝しかない。そして2017年の冬に僕は会社に辞表を出した。今となっては本当に文字にすると簡単だけど並々ならない勇気が必要だった。辞めると言うのも、家族に挑戦したいと話をするのにも声は震えた。でももう始まってしまえば、そこからはもうロックンロールな感じ!ゴロゴロ転がりながら開業までこじつけた。あれから6年。結局のところ僕は今も変わらずバンドをしている。ティピーはバンド。宿だけどバンド。起業と言う選択肢もゲストハウスも手段でしかない。ティピーのみんなそれぞれが思い思いの表現をして誰かの何かがはじまっちゃうを作っている。「絶対にうまく行って来年にはハワイにいけるから!一年の三分の一はハワイで過ごせるから!」ティピーを始める前に妻としたこの約束はいまだ果たせていない。6日連続のヒストリーはこれにておしまい!全部読んでくれたかたありがとうございます。


14歳の僕が感じていたことの一つ。小田原の日常がつまらなかった。東京では日々かっこいいバンドがライブしてるし、すぐそばにライブハウスやレコード屋さんがあって、容易にそれに触れることができる。僕が10代の時にそんな場所があったら、もっとセンスいい大人になれたであろう。でもじゃあ東京に行くのは嫌だ。さらに東京と同じも嫌だ。この地域独自の魅力を醸成して、「いつか見返してやろう東京を」と思っていた。ライブハウスみたいな非日常は、日常から作られる。街に落っこちてる文化的なものが大事だなと思う。たとえば「おじさんなんだけどオシャレで聴いてる音楽だってかっこいい感じ」か、「あのお店のお母ちゃんの眼差しは優しくて綺麗」とか、なんとなくこんな大人になりたいなと思えるような風景が街中にあること。大人になった今なら、小田原の人の魅力を感じ取れるんだけど。10代20代の時にそれを感じたかった。そんな日常の延長線に非日常の瞬間があり、表現が生まれ積み重なっていく。その方法として突如投入される異分子が、大事だなと思った。だからティピーでは移住の支援もやっている。ゲストが街の人と交流することが大事だからだ。たとえば僕は、横須賀のライブハウスが一番好きだ。ある日のブッキングライブ。ガラガラのフロアにふらっと外国人がくる。そしてライブがはじまるとモッシュしてくる。米軍が。衝撃だった。横須賀に米軍基地がきてどのくらいかは知らないけれど、日本文化 ✕ 海外の文化が入り乱れて、横須賀のライブハウスシーンはめちゃかっこいい。(知ってる人向けの話になるが、Hawaiian6とか、9mm Parabellum Bulletとか、Qomolangma TomatoやSTOMPIN' BIRDとかも横須賀でやってた)小田原には横須賀と重なる環境の欠片がある。もちろん小田原には米軍基地の様な海外の日常はないけど、観光目的の人たちが小田原をめちゃめちゃ通過する。それをTipy records innが宿泊という目的で滞在してもらう。異分子が投入され、日常の延長線上に非日常の瞬間が生まれる。まさに、ライブハウスのような。小田原からすると異文化の人も。そしてこのカフェ&ラウンジphotonで地元の人と触れ合う。ここにしかできない文化がゲストハウスから生まれる。「通過点である小田原に、地元の人と外の人が交わる点を作りたい。」 そこに新しい価値観と文化を積み上げていく。っていうのはもう開業当初からずっとやりたかった。>続く (毎日僕のヒストリーを公開していきます。これは5本目です)


2016年8月。小田原のタワーレコードがなくなった。毎週水曜日に通っていた僕にとっての大切な場所がなくなった。中学生の頃から通っていたし、小田原のロック小田原イズムが行われる時には自分たちのバンドのデモCDを置かせてもらったり、本当にたくさんの思い出が残る場所。改めて、自分の人格を形成させてもらったのは小田原のタワーレコードだった。CDを買って自宅でCDプレイヤーに入れて聞くまでの時間が好きだった。好きなバンドのCDを発売日に買う。それは試聴機にも入っていない。帰り道、とりあえず袋から出してみる。封を開けてみる。開いてみる。プラスティックケース特有の香りを感じる。盤面の印字された文字をみる。歌詞カードをみる。まだ聴いたこともない音楽の歌詞を流し読む。レコーディングはどこでしたのだろう。あ、あのバンドのあの人がコーラスに入ってるんだ。スペシャルサンクスにはあのライブハウスの店長の名前も入ってる。あー早く聴きたい。家に帰るまでの自転車のかごで揺れるCD。家に到着してすぐに聴く。この時間が好きすぎた。タワレコに限らず小田原周辺のレコードショップは潰れ始めていた。もう、この体験をこの地域で生まれた子供達はができなくなってしまうんだ。そう思った時になんとか音楽に触れられる場所を作りたいなと思った。でも今の時代、サブスクもあるし、youtubeもある。大手のレコード屋さんが続けたいと思ってもできないことが僕ができるとは到底思えなかった。ある時にマニアックなレコードやさんは海外の奥地の村にまで行って、その家に眠ってるテープやレコードを買い付けにいくという話を聞いた。その時僕はバスの運転手で、振り返るとめちゃめちゃ海外からここに来てる人がいた。「この人たちみんなに日本にくるときに一枚持ってきて貰えばいいやん!」そう思い、宿の宿泊時にレコードとその音楽とのストーリーを書いたTHE RECORD PAPERをを寄贈してもらうと500円キャッシュバックする「レコードディスカウント」の仕組みを思いついた。今では集まったレコードは100枚を超え、世界中の意味のわからない音楽が集まっている。>続く (毎日僕のヒストリーを公開していきます。これは4本目です)


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