ランナー デレセの挑戦!故郷エチオピアの学校を増築したい

佐賀在住エチオピア人ランナー、デレセです。私は昨年、故郷に学校を作りました。既に300人以上の生徒がいます。新学期から生徒が倍増しますが、教室はまだ6つしかありません。エチオピアは今、物価高騰で新校舎の建設が難しいです。でも、エチオピアの子どもたちに明るい未来を届けたいです。ぜひ応援お願いします!

現在の支援総額

1,746,500

58%

目標金額は3,000,000円

支援者数

158

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/07/10に募集を開始し、 158人の支援により 1,746,500円の資金を集め、 2024/08/31に募集を終了しました

ランナー デレセの挑戦!故郷エチオピアの学校を増築したい

現在の支援総額

1,746,500

58%達成

終了

目標金額3,000,000

支援者数158

このプロジェクトは、2024/07/10に募集を開始し、 158人の支援により 1,746,500円の資金を集め、 2024/08/31に募集を終了しました

佐賀在住エチオピア人ランナー、デレセです。私は昨年、故郷に学校を作りました。既に300人以上の生徒がいます。新学期から生徒が倍増しますが、教室はまだ6つしかありません。エチオピアは今、物価高騰で新校舎の建設が難しいです。でも、エチオピアの子どもたちに明るい未来を届けたいです。ぜひ応援お願いします!

社会課題の解決をみんなで支え合う新しいクラファン

集まった支援金は100%受け取ることができます

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

日本の皆さん、こんにちは。来たるべき北海道マラソンに向けて、エチオピアで高地トレーニング中のデレセさんに代わって、サポーターの古泉です。エチオピアの二大有名なものとして、マラソンランナーのアベベ・ビキラ選手と、コーヒーがあげられます。マラソンランナーのアベベ・ビキラ選手は、1960年のローマオリンピックを裸足で走り、金メダル。続く1964年の東京オリンピックでも金メダルを獲得した、マラソン界の超有名選手です。ある年代以上の方には、「裸足のアベベ」として知られています。コーヒーについては、ヤギ飼いのカルディが世界で初めてコーヒーを見つけたとされるのがエチオピアです。お店の入り口でコーヒーをいただけるあの「カルディ」も、語源はこのヤギ飼いから来ているとのこと。皆さんが今おいしく飲んでいるコーヒーも、カルディさんがいなければ発見されていなかったかもしれません。そんなコーヒー発祥の地エチオピアでは、コーヒーを日本と違った飲み方で飲んでいます。もし皆さんがエチオピアのご家庭を訪れたら、その家の方は、皆さんをコーヒーセレモニーでもてなしてくださること間違いなしです。セレモニーといっても厳粛なものではなく、生のコーヒー豆を洗い、直火で焙煎し、粉々になるまでつぶし、専用のポットで煮出し、専用のカップで3杯飲むだけです。ですが、火を熾すところから始まりますので、「コーヒー淹れるね」から、飲み終わるまでには約2時間かかります。このコーヒーセレモニー、淹れる人は忙しいのですが、お客さんはただ談笑しながら待つだけなので、青年海外協力隊としてエチオピアにいた当時の私は、正直時間がもったいないと思うことがありました。しかし、今振り返ってみると、コーヒー焙煎の香りをかぎ、同時に焚かれるお香の香りに癒されながら交わす拙いアムハラ語(エチオピアの公用語です)でのおしゃべり。その時間のいかに豊かだったことか。 日本ではなかなか味わえないこのコーヒーセレモニーを、リターンとしてご用意しています。セレモニーをしてくれるのは、デレセさんの妻、アズマラさんの予定です。コーヒーの道具も豆も全てエチオピアから運んできた貴重なもの。佐賀まで来ていただくことにはなりますが、忙しい日本の皆さんにも、ぜひこの本場風のコーヒーセレモニーを体験してほっと一息ついていただきたいと思っています。エチオピアの教育支援にもなり、エチオピアの豊かなコーヒー文化も感じられるこのリターン、おススメです!


日本の皆さん、こんにちは。来たるべき北海道マラソンに向けて、エチオピアで高地トレーニング中のデレセさんに代わって、サポーターの古泉です。日本は暑い日が続きます。現在デレセさんがトレーニング中のエチオピアは、首都アジスアベバの標高が約2400mで、富士山の6合目程度の高さがあるため、涼しい気候(季節によってはかなり寒い)です。酸素が薄いため、人によってはアジスアベバ空港に降り立った途端に高山病になることもあります。そんな高地からやってきたデレセさんですが、既に日本は10年目、大学卒業後にやってきた佐賀ももう6年目です。そんなデレセさんの佐賀愛が感じられるのが、なんといってもデレセ・タソ・スクールの制服です。佐賀になじみのない方には、水色とピンクという組み合わせは、ちょっと珍しさを感じられたのではないでしょうか。しかしながら、佐賀にゆかりのある方々にとっては、水色とピンクと言えば、地元に愛されるサッカーチーム、サガン鳥栖のチームカラーとしておなじみです。また、同様に地元に愛されるバスケットボールチーム、佐賀バルーナーズのチームカラーでもあります。デレセさんは、よく練習するSAGAスタジアム(陸上競技場)で、よくこの水色とピンクのチームカラーを見ており、この色の組み合わせがカッコイイ!と思って自分の学校の制服の色としてチョイスしたんだとか。デレセさんの佐賀愛が感じられるエピソードでした。こちらはデレセさんのXのポストから、デレセ・タソ・スクールでの徒競走の様子です。子どもたちが佐賀カラーの制服を着て元気に走ってます!


タイトル通り、今日、7月23日はデレセさんの誕生日です。今年で29歳です!おめでとうございます!!!今回もサポーターの元エチオピア派遣 青年海外協力隊古泉がお送りします。昨今、ソーシャルグッド業界*では、バースデードネーションが流行中です。バースデードネーションとは、誕生日プレゼントをもらう代わりに寄付してもらうというクラウドファンディングのことです。バースデー:誕生日と、ドネーション:寄付という二つの単語を合わせたものです。 ちょうどデレセさんのクラウドファンディング中にデレセさん本人の誕生日があるとは!日本という異国の地でがんばり、さらには故郷に貢献中のデレセさん。努力家の彼にプレゼントを贈りたいけど、遠くて贈れないという方もご安心ください。お誕生日プレゼントの代わりに、デレセさんが作った学校の増築にご協力くださると、とっても喜んでもらえます!そして、デレセさんに「መልካም ልደት!」(まるかむ りだっと!誕生日おめでとうの意味です)とメッセージくださると、ますます喜んでもらえます!写真は、デレセ・タソ・スクールでの生徒のお誕生日(というより、お誕生月)のお祝いの様子です。昨日お伝えした理由により、ぼかしを入れております<m(__)m>*このクラウドファンディングもcampfireからsocial goodの認定を受けています。


皆様お気づきになられたかもしれませんが、このプロジェクトページには、デレセ・タソ・スクールの園児・児童の写真がほとんどありません。1枚だけある写真には、ぼかしがかかっています。なぜでしょう。サポーターの元エチオピア派遣 青年海外協力隊古泉が解説します。本当はデレセさんも私も、エチオピアの子どもたちの笑顔をバーンと大きく載せたいのです。なぜって、エチオピアの子どもたちの笑顔は、本当にとってもかわいらしいのです。しかしながら、子どもたちの笑顔を使って寄付金を集めることはできません。子どもたちには、自分たちの笑顔を使って支援を募っているのだと思ってほしくありません。子どもたちには、ただただ質の良い教育を受けて、素晴らしい人間に育ってほしいのです。アフリカから来た研修生が、日本の高校生に言っていたことを私は思い出します。「If you are not educated, you are nothing.(もし教育を受けていなければ、あなたには何もない)」日本にいれば、教育を受ける・学校に行くということは当たり前に与えられた権利のように思えるかもしれません。(もちろん日本の教育が完璧ではないことも分かっています。)しかし、現状、エチオピアではそれは当たり前に享受できるものではありません。デレセさんは、その状況を改善しようと頑張っています。このページに子どもの笑顔がなくても、デレセ・タソ・スクールの子どもたちは元気に学校に行っています。ただ、その教室はすでに満員でぎゅうぎゅう詰めです。新入生が入ってきたら、さらにもっと狭くなります。校舎増築のため、どうか日本の皆様からお力添えをいただければと思います。なお、デレセさんのプロフィール欄にあるデレセ・タソ・スクールのfacebookには、たくさんの写真が載っていますので、学校の様子をお知りになりたい方は、ぜひご覧いただけたらと思います。(facebookのアカウントが必要です)(写真はデバルク最寄りの街、ゴンダールのお城です。)


支援してくださった方から、「デレセと一緒にエチオピアで走りたい」というメッセージをいただきましたので、デレセ・タソ・スクールがある町、デバルクについて、サポーターの元エチオピア派遣 青年海外協力隊古泉がご紹介します。プロジェクトページにもある通り、デバルクは、エチオピア北部のゴンダールという、空港もある比較的大きな街の近くにあります。デレセ・タソ・スクールはこちらです!(グーグルマップが開きます)航空写真ではまだ何もありませんが、実際には、写真にある通り、学校があります。デバルクの標高は2800mと、富士山7合目くらいの高さがあります。そして、1978年、世界で最初に登録された世界遺産12件のうちの一つであるシミエン国立公園が近くにあります。この国立公園の初代公園長は、なんとC・W・ニコルさんです。そしてこの「アフリカの天井」には、エチオピア最高峰(アフリカでは5番目)のラス・ダシェン山(4,533m)などの高山が連なっています。ラス・ダシェンへの登頂は、5日間以上が必要とされています。私は青年海外協力隊員の時に、このラス・ダシェン山に登ったことがあります。私自身もほぼデバルクと同じ標高の北部の町に住んでいたため、高山病にはかからなかったのですが、「高山が連なっている」というだけあって、上ったと思えば下り、そしてまた上り、下りが5日間も続いてかなりきつかったことを覚えています。ちなみにエチオピア派遣の隊員は、隣国のアフリカ最高峰キリマンジャロ登頂に挑戦することが多く、私もご多聞に漏れず、キリマンジャロ登頂を果たしました。その後、このラス・ダシェンに登るにあたり、先輩隊員が言うことには、「キリマンジャロよりもラス・ダシェンの方が大変」ということだったので、かなり覚悟して行ったのですが、私としては、山頂のアタックが比べ物にならないくらいキリマンジャロの方が大変でした。当時の自分のブログを読み返すと、「5日間、毎日6~11時間ほど、地元民が歩いているような普通の道を歩く。キリマンジャロと比べて、特に寒くもなく、風もなく、特別に危険な個所もなく、最後は岩場なので全身で登る必要があるが、それ以外は普通に歩いて山頂に行ける。ただ、山頂とは言っても、ラス・ダシェンの場合、同じような高さの山頂的なものがいくつもあり、そこに登ったり、その後で谷まで下りたりという繰り返しのため、キリマンジャロの時のように、“ついに山頂だ!やっと辿り着きました!”という感動は薄め。」と書いておりました。キリマンジャロ同様、この登山にも、ガイド、ガード、荷物やテントを運ぶロバ使い、調理人とアシスタントなど、大勢の地元民の力を借りました。一緒に歩いてくれたガードの足元はこんな感じ。本当に地元民がその辺を歩いているサンダルと同じです。よく見たらつぎはぎだらけです。この登山にも結構なお金を払いましたが、ちゃんと分配されているのか心配になったことを思い出します。以下、ラス・ダシェン登山の時の写真です。トップ画像は登山1日目の歩き始めてすぐの景色です。この写真では分かりにくいですが、一緒に行った人は、「宇宙のような景色」と言っていました。こちらは1日目のキャンプサイトからの夕日2日目。切り立った崖エチオピア高地以外では全滅したとされる、現生のサルの中で唯一、草を主食とするゲラダヒヒ 5日目の帰りの車中より。ものすごい高地の斜面を耕してます。 デバルクでは、(日本の)2013年当時、 中国企業が道路を建設中でした。今やデバルクには大学まであるようです。 ラス・ダシェンの麓の村からお土産を売りに来ている大人と子どもたち。町では一瓶7ブルのペプシが25ブル(当時は1ブルが5円くらい)でした。この麓の村の子どもたちは、当時学校に行けていたのでしょうか。現在はどのような状況なのでしょうか。デレセ・タソ・スクールの必要性と重要性を感じさせられます。


新しいアイデアや挑戦を、アプリで見つけるcampfireにアプリが登場しました!
App Storeからダウンロード Google Playで手に入れよう
スマートフォンでQRコードを読み取って、アプリをダウンロード!