プロジェクトページをご覧になった方から、「8年生というのは何?」という疑問をいただきましたので、サポーターである元エチオピア派遣青年海外協力隊古泉が解説します。エチオピアの学校制度は以下のようになっています。1. 就学前教育 (Kindergarten)対象年齢: 4〜6歳日本の幼稚園と類似2. 初等教育 (Primary/Elementary Education)(義務教育)対象年齢: 7〜15歳構成: 8学年(第1サイクル基礎教育課程: 1〜4年生、第2サイクル普通教育課程: 5〜8年生)試験: 8年生で初等教育修了認定試験3. 中等教育 (Secondary Education)対象年齢: 15〜18歳構成: 4学年(第1サイクル: 9〜10年生、第2サイクル: 11〜12年生)試験: 10年生で中等教育修了試験。結果によって、大学教育準備課程や職業準備課程など、第2サイクルで進級できる課程が決定4. 高等教育 (Higher Education)構成: 総合大学、カレッジ、教員養成機関など課程: 学士課程(3〜6年)、修士課程(2年以上)、博士課程(3年)、カレッジ(2〜3年課程)(↑日本の文部科学省およびワールドビジョンのHPを参照して書いております↑)デレセ・タソ・スクールは、「保育園から8年生(日本における中学校2年)」の園児・児童が対象ですので、上記でいうと、1.就学前教育と、2.初等教育に当たる学校ということになります。なお、2020年度からこの教育制度は改革される予定でしたが、新型コロナの影響で実施できていないとのこと。また、エチオピアでも日本と同じく義務教育は無料ですが、実際には学用品などを購入する必要があります。したがって、学校へ行けない子どももいますし、7歳で小学校に行けなかった子どもが10歳で1年生を始めたりするため、対象年齢も日本のように画一的ではありませんでした。また、学校が遠すぎて通えない問題もありましたし、校舎も教員も教科書も圧倒的に不足していましたので、公立の学校は半日制でした。つまり、生徒が多すぎるため、生徒は午前か午後のどちらかしか学校で学べないのです。私が知っている状況は約10年前のことですが、その当時約9千万人だったエチオピアの人口は、2022年にはすでに1.234億人と、日本とほぼ同じくらいまで急増しているため、学校教育が行き渡らない状況は、当時から改善されているとは思えません。デレセさんは、日本で学んでから、学校教育の必要性を強く感じたそうです。そして、故郷の状況を少しでも改善しようと頑張っています。そんなデレセさんのチャレンジをぜひ応援してください!写真はデレセ・タソ・スクールの校庭のブランコ。私が知っている限りでは、校庭にブランコ(や、その他の遊具)があったことはありません。
昨日、「ようこそ デレセ・タソ・保育園&小学校」 の看板写真をアップいたしました。じっくりと写真をご覧になられた方の中には、「看板に書いてある”2015”というのは、2015年のことなのではないだろうか?おかしいな?この学校は2023年にできたと書いてなかったか?」と疑問に思われた方もいらっしゃったかもしれません。サポーターの元エチオピア派遣 青年海外協力隊古泉が解説します。看板に書いてある”2015”というのは、 お察しの通り、”2015年”の意味です。しかしながら、エチオピアの暦は日本で使われている西暦とは異なります。日本が西暦(グレゴリオ暦)2024年7月15日の今日、エチオピアは 2016年11月8日です。デレセ・タソ・スクールが建てられたのは、日本の2023年7月ですので、看板には、”ሐምሌ (Hamleと読みます。11月のことです。)2015年”と書いてあります。ここでもまた「え?11月?」と思われるかもしれませんが、エチオピアの新年は日本の9月11日です。そして、1か月は必ず30日間です。なお、1年間は日本と同じ365日間ですので、エチオピアにはなんと13月というものが存在します。看板にも書いてある言葉はエチオピアの公用語である「アムハラ語」です。元はデレセ・タソ・スクールもあるアムハラ州の言葉です。ご覧の通り、独自の文字を持っています。暦からも、言葉からも、アフリカが植民地化されていた時代にも独立を守り抜いたエチオピアの深い歴史を感じます。写真はデレセ・タソ・スクールの入口。英語とアムハラ語で「ようこそ」と書いてあります。
このプロジェクトで増築を目指している学校の名前は「デレセ・タソ・スクール」といいます。そしてプロジェクト実施者の名前は「ワークナー・デレセ」。あれ?なんか違う名前?と思った方もいらっしゃるのではないでしょうか。サポーターの元エチオピア派遣 青年海外協力隊古泉が解説します。エチオピアの人の名前は、基本的には自分の名前、場合によって、それにプラスしてお父さんの名前、そしてまたそのお父さんの名前をつけます。分かりやすく、ちびまる子ちゃんでご説明します。ちなみに、ちびまる子ちゃんの名前は実は「ももこ」です。ですので、ちびまる子ちゃんのフルネームをエチオピア風に言うとすれば、「ももこ・ひろし・友蔵」となります。(ご存知ない方のために解説すると、ももこの父がひろし、ひろしの父が友蔵です。)ちびまる子ちゃんがエチオピアに住んでいるならば、日常生活では「ももこ」を名乗るわけですが、パスポートを取る際にはフルネームが必要になり、その際、祖父の名前がファミリーネームという扱いとなります。というわけで、デレセさんにとっては祖父の名前である「ワークナー」が名字として扱われるため、デレセさんは、日本では「ワークナー・デレセ」を名乗っていることが多いようです。なお、私がエチオピアで過ごした2年3か月の間、おじいちゃんの名前まで把握できた友人はいませんでした。ほとんどの人は自分の名前だけを名乗りますし、名簿等でも「自分の名前+父の名前」だけの人が多かったような気がします。したがって、デレセさんが故郷に建てた学校の名前は、エチオピアでよく使う「自分の名前+父の名前」 の「デレセ・タソ」となったとのことでした。(余談:ちびまる子ちゃんで説明するために、ちびまる子ちゃんの家系図を調べてみたのですが、そこで初めてまる子の母の名が「すみれ」であると知りました。歴史的な家系図を見ても感じることですが、母親なしでは子は誕生し得ないにもかかわらず、女性の名前が消え失せていくことは腑に落ちないものがあります。)写真は学校の看板です。「ようこそ デレセ・タソ・保育園&小学校」のようなことが書いてあります。