松糸道路実寸大アート制作10日目。ほぼ、作品ができました。毎日、朝に手作りケーキを焼いて差し入れてくれて、おやつの時間にもイチジクのアイスを差し入れてくれる地域のおばあさんが、本当にありがたいです。こんなにも地域の方に応援されて、地域の方の想いとともに制作する機会は今までなかったと思います。竹を編む制作の手伝いにもいろんな人が参加してくれて、みんなで協力して巨大な松糸道路の盛り土の形を作り上げていきます。少しづつ松糸道路の巨大さに、通りかかった人と会話が生まれます。明日の9月13日の10時から12時頃まで作品完成披露イベントを行います。舞などの催しとバーベキューをして、みんなで作品の完成のお披露目を行います。お近くにお越しの方はぜひご参加ください。https://maps.app.goo.gl/B97Q1W3jnqBXjYVH6
松糸道路実寸大アートの制作4日目。毎日のように地域の方たちが、飲み物や手作りのケーキ、ゼリー、白玉ぜんざいや、梨やりんご、漬物、ブドウやイチジクを氷らせたものなどを差し入れにもってきてくれて、がんばってください。という声をかけてくれるのが、とてもありがたいです。こんな大きな道ができるの?と困惑する通りすがりのおばあさんがいたり、近くの方が、大きな脚立を貸してくれたり、高所作業の大変な作業のなか、地域の人たちの想いとともに作っていくことに、とてもやりがいを感じています。松糸道路の実寸大アート、クラウドファンディングのイメージ図の構造部分が、ほぼできました。ここからどのような作品に変化していくのか、そこに関わってくれる人たちの想いとともに、 松糸道路を考えるきっかけとなる作品の形を生み出していきます。
みなさまのご支援で、目標金額を達成することができました。本当にありがとうございます。現在105%の740,000円で、残り5時間です。目標金額を越えた部分は、完成記念イベントの費用などに使わせて頂きます。そして本日より、本格的に松糸道路の実寸大アートの制作を開始しました。6mの高さの竹を使って、高さを確認してから、竹を番線で結び、構造となる形を作っていきます。松糸道路建設で立ち退きになる畑をやっている方も、邪魔な木を伐ったり、草刈りなどで準備を手伝ってくれました。地域の方も覗きに来てくれます。そして畑の土地のオーナーが美味しい梨の差し入れを持ってきてくれました。お茶の時間に松糸道路の話やいろいろの話をすることもとても大切な時間です。この高さ6mの構造物に、地域のささやかで美しい生活が呑みこまれていくことが本当に必要なことなのか、考えることができるきっかけとなる松糸道路実寸大アート制作の活動をこれからも発信していきますので、ぜひ最後のご支援をよろしくお願いします。
みなさまのご支援で、目標金額の77%、545,000円が集まりました。残り5日間です。 松糸道路建設によって、父の代から、何もないような荒れ地を開墾してきた田畑や家が立ち退きになる。死んでもハンコは押さないと言う話を聞いたとき、このプロジェクトを実現させたいと強く思いました。大町の未来を考える会メンバーの想いをご紹介します。 道路の下になるかもしれないと知人から知らされてから、夜中に起き、寝付かれない夜を過ごし、日中仕事をしていても、ふと心に不安がよぎり、休日は何をするにつけてもため息しか出てこない日々を過ごしている。そして、その思いが浮かぶたびに、苦労して、働いて、働いて、病の床でも心の中で必死に稲を作っていた父のことを思い浮かべる。 戦後、空襲を逃れ疎開してきた一家。昔は河原であったであろう土地を開墾して、田畑を切り開き、 掘立小屋から作ったという。 今でも、20cm程掘ると、下からは大きな石や岩がごろごろと出てくる。田んぼから宅地にした庭は、ちょっとした雨で水たまりになる。しかし、棒やつるはしで穴をあけると、地下の石の間にみるみる水が吸い込まれていく。そこから考えても、開拓したころの苦労が思いやられる。少しずつ、少しずつ、開拓し、土地を広げたそうだ。その苦労や土地に対する思いは、直接両親から耳にしたことはない。しかし、水が抜けないように、荒くれ・代かきと何度も何度も、丁寧に、機械で行き来していた父の姿から。そうしないと田んぼにできなかった苦労が伝わってきた。おじから土地を引き継ぎ、父の代になっても、日の出とともに田畑に出、雷が鳴っても帰らず、暗くなっても 働き続けた父。映年は、パーキンソン病に侵され、手足が震えるようになった。不随意運動で顎がガクガクするからと、帽子用のゴムを頭から顎まで輪にして田畑に出、主治医からは、「こんな体で、まだ、働いているのですか?」と驚かれた。とうとう、ペットに伏せるようになっても、空中に手を伸ばし、苗を植え、稲刈りをしてい た父。どうしてそこまで、働けたのか。働いてきたのか。自分が育ててきた土地を、農業をする事を通して、愛し、守ろうとしてきたからに違いない。もし、父が存命で、ダムの下に埋もれるように、自分の土地や家が道路の下に埋もれるかもしれないと知ったら、どう思うだろう。小さいころから、稲作を手伝ってきた自分は、小さい頃から家族で泊まりを伴った旅行をした覚えがない。特にゴ ールデンウィーク期間は、通称「オリンピック道路」を60~70キロでとばす車を見ながら、田んぼの中で仕事をしながら「どこに行くんだろう。」と眺めていたものだ。4/21の松糸道路の説明会では、「道路を利用する人に迷惑がかからないように」という趣旨の説明があった。一方、代々守ってきた田畑や「終の棲家」にと貯金をはたいて建てた家の上に盛土され、土地や住みかを失う者たちを気遣う気持ちは何われなかった。すでに「決定している」という起点部分についても、すべてのコースが決まるまでは説明できないという。夜も眠れぬ思いをし、日々不安にさいなまれている者に対する説明責任はないのか。公共の利益のために、代々守ってきた土地を何も言わずに差し出すことだけが、高規格道路という名のダムに沈みゆく者たちに、残されたただ一つの道なのか。
絵描きの鈴木彩花と申します。 わたしが初めて大町を訪れたのは 2011年の夏、現地の美術祭を観に来たことがきっかけでした。 そのときわたしは19歳で 初めてひとりで長野県を訪れました。 無人駅の稲尾に降り立ったとき 目の前に広がる山々と 木崎湖の、ピンと鏡のように張った湖面。 成長中の稲が活き活きとしている田んぼの美しさに息をのみました。神奈川県の街育ちだったわたしは、圧倒的に自然にあふれた大町の土地に惹かれ、毎年通うようになりました。 そのうち、地元の米農家さんやブルーベリー農家さんのお手伝いさせてもらえたり、たくさんの時間を過ごすことができました。 毎年触れるもの全てが新鮮で、生きていくなかでとても大切な経験をさせてもらっています。 大町の自然や景観は、わたしにたくさんのインスピレーションを与えてくれていて、木崎湖沿いで絵を描く時間は宝物となっています。 水のゆらめきを眺めていると、不思議な心地になります。 落ち着くような、包まれているような。 水が身近にある土地は とても豊かだと感じます。 松糸道路がつくられることで どのように景観が変わるのか 10年の建設の間、自然や生き物たち、わたしたちの生活への影響はどのようなものであるのか 10年以上関わってきて 一生ものの関係を築けている友人もいる大町のこれからを、わたしも知り一緒に関わっていきたい。 その想いをもとに、木崎湖のお水をいただき 水のゆらめきや、たくさんの生き物、 自然からのインスピレーションを得て描きます。 動き変化し続ける水の世界のように ひとつひとつ、形や模様は異なります。 手元にいつも水の流れを。 優しく包まれているようなお守りになるよう願いをこめて。 大町の未来のための力に 少しでもなれたら幸いです。 鈴木 彩花