私は昨年夫を亡くし、人生で初めて相続手続きの大変さを実感しました。それまでは兄が相続の手続きを担っていたため、実際に自分で進めるのがこれほどまでに複雑で負担の大きいものだとは思っていなかったのです。夫の死後、すぐに準確定申告や相続登記の準備を始めましたが、いざ手続きに取りかかると、書類の山に途方に暮れるばかりでした。夫は一部の預貯金に関してメモを残してくれていましたが、個人年金や企業年金に関する情報は全くわからず、どこに問い合わせればよいのかすら手がかりがありませんでした。年金証書も見当たらず、何度も問い合わせをしながら少しずつ情報を集め、ただでさえ心に重荷を抱える中で、毎日のように手続きに追われました。また、税理士選びも苦労の連続でした。最初は「お願いすればすべてが解決するはず」と考えていましたが、複数の税理士事務所に問い合わせると、料金やサービス内容に驚くほどの差があることに気づきました。料金は33万円から200万円までと大きく開きがあり、事務所によっては「ご自身で行う部分も多くあります」という説明も。最終的に、自分で対応する範囲がある程度残る税理士にお願いしましたが、手続きを進める中で、夫を失った喪失感を少しずつ埋めていく時間にもなったと感じています。今振り返ると、夫が「もしものため」に不動産や財産の情報をもっと整理しておいてくれていたら、私自身ももっと穏やかに手続きを進められたかもしれないと思います。例えば、夫が所有していた不動産の詳細やその貸借関係をしっかりと把握しておくこともできました。今時、デジタルで情報が取得できると便利ですが、アナログでの手続きの多さに疲弊しました。この経験を経て、私は今、自分の終活を始めることにしました。まず、遺言書を作成し、生命保険や年金証書、預貯金や確定申告の書類など、私が亡くなった後に必要となる情報を一つ一つファイルにまとめています。娘たちに「この書類さえ見れば分かるようにしておきたい」と伝えていますが、やはり「現実に向き合うのは辛い」と感じているようで、あまり真剣には捉えてくれていないのが現状です。自分で相続を経験して初めて、残された人のために終活がどれほど大切かを痛感しました。私の整理した書類が、娘たちにとって安心と支えになってくれたらと思っています。
女性 の付いた活動報告
2年前、私の舅は元気にゴルフを楽しんでいました。持病があったものの、まさか大動脈解離を起こして突然下半身不随になるとは思いもよらず…。その日、ゴルフのスイングと同時に症状が現れ、その翌日に大病院での手術が決まりました。「必ず後遺症が残る」と医師から説明を受けたとき、正直、私は事態を飲み込めていませんでした。でも、手術後の舅は下半身が動かない状態で、そこから2年間の闘病生活が始まったのです。介護なんて全く考えていなかった私ですが、舅が「自宅で過ごしたい」と希望し、義母と一緒にお世話をすることになりました。私は長男の嫁として、できる限りのことをしようと決意しましたが、心の準備ができていないまま始まった介護生活は、思った以上に大変でした。自分の時間がなくなり、毎日のように舅の体調の悪化を目の当たりにする日々は、神経がすり減るものでした。でも、舅はとても穏やかな人で、その性格に何度も助けられました。義母がパニックになりやすく、その対応にも苦労しましたが、舅はいつも感謝の言葉をくれました。「ありがとう」という言葉の深さを、あのときほど感じたことはありません。介護をする前は、舅と私は「遠からず近からず」の関係でしたが、介護を通して、彼に対して深い愛着が生まれたのを感じました。舅が亡くなる前日まで、自宅で一緒に過ごすことができたのは、今となってはかけがえのない時間です。毎朝、舅の家に行くのは正直しんどかったですが、いつも帰り道には涙が止まりませんでした。何も言わず、ただ二人で過ごした静かな時間が、今でも忘れられません。私の母が祖父母を介護する姿を見ていたので、介護に対して特に悪いイメージは持っていませんでした。それでも、いざ自分が向き合うと、思っていた以上に辛く、戸惑うこともありました。でも、介護を「させてもらうもの」と考えるようになったことで、舅との別れの時間をより大切に感じられたのだと思います。舅を看取った後、私は自分の終活についても考えるようになりました。自分がいつか介護を必要とするとき、家族に負担をかけたくないと思い、施設に入ることを決めました。また、葬式も行わないつもりです。亡くなった人はお墓にいるのではなく、供養は自分のためにするものだと感じています。舅の介護は、私にとって大変な日々でしたが、同時に尊い経験でもありました。あの「ありがとう」の言葉を心に刻み、これからも家族を大切にしていきたいと思います。