本プロジェクトでは、「島に愛のある関係人口プラス100万人」を掲げています。では、具体的に「島に愛のある関係人口」や「未来のシマ共創会議」が、島で生きる当事者に何をもたらすことができるか。リトケイの活動コミュニティ「うみねこ組」の、佐合島(山口県)、宮古島(沖縄県)、利島(東京都)、中島(愛媛県)にそれぞれ縁のあるメンバーからそのシマへの想いを綴っていただきました。今回は、香川県の瀬戸内海に浮かぶ小豆島から、国家公務員を辞めて島に移住。現在は、地域の学習塾運営や多文化共生促進などに取り組む喰代伸之さんです。今からおよそ6年前、私は国家公務員という安定した仕事を手放し、妻、子どもとともに東京から瀬戸内海の島・小豆島に移住しました。仕事のあてもなく、島に親類がいるわけでもありません。今から振り返ると、無茶をしたと思うこともあります。国家公務員とは、国会の職員でした。国会議員を公的な立場から支える仕事で、やりがいはありましたが、長時間労働が続き、家族と過ごす時間を十分にとることができませんでした。「国家公務員は9時5時(朝9時から翌朝5時)」と冗談交じりに言われるほどで、私も深夜まで働く日々でした。また社会人として知り合いは増えていきましたが、それらは「仕事上の関係」。人間関係を築いたつもりでも、人事異動でリセットされてしまいます。いつも人に囲まれているのに、友人と呼べる人は減っていき、しだいに孤独を感じるようになりました。東京の生活に限界を感じ、思い切って退職、小豆島への移住を決めました。自分が島に貢献できることは何かを考え、学習塾を立ち上げたり、地域おこし協力隊として多文化共生の活動に取り組んだりしました。そしてまもなく、移住前に夢見ていた「島のスローライフ」は幻想だったことに気づきます。島にはお金をもらって行う「仕事」のほかにも、家や地域に関わる細々とした「用事」が多く、とても多忙です。ある意味で、国家公務員と同じくらい激務かもしれません。それでも、都会の生活と大きく違うのは「孤独ではない」ということです。塾の物件探しや生徒集めを手伝ってくれた地元の方々、協力隊の活動を惜しみなく支えてくれた役場の方々、分野を超えて助け合う移住者の仲間。玄関先に野菜を置いてくれたり、庭を掃除してくれる人。港やスーパーで偶然会ったおじさんと一言二言、たわいもない言葉を交わす時間。誰かが常に自分や家族のことを、少しだけ気にかけてくれている。ゆるやかなつながりや温かい人の気配に、日々救われている気がします。このような人と人の支え合いは、島ではずっと当たり前に行われてきたことです。あえて言語化もされず、下手に言語化しても陳腐になってしまいますが、私はこれが持つ価値を身をもって感じています。リトケイさんは長年、この目に見えないもの(シマ)の価値を丁寧に言語化し、問いかけ続けてきました。私は「未来のシマ共創会議」を心から応援しています。多くの人と語り合い、シマを未来へつなげる機会になることを願います。小豆島・喰代伸之(ほおじろ のぶゆき)







