獄中作家・永山則夫の遺品をアーカイブとして公開し、次世代に継承していきたい!

永山則夫の遺品や資料をアーカイブとして整理・データ化を行い、Webサイトでの公開や展示会、研究会やトークイベント等を通して広く公開し、次世代に継承していきたい。

現在の支援総額

1,874,500

74%

目標金額は2,500,000円

支援者数

102

募集終了まで残り

16

獄中作家・永山則夫の遺品をアーカイブとして公開し、次世代に継承していきたい!

現在の支援総額

1,874,500

74%達成

あと 16

目標金額2,500,000

支援者数102

永山則夫の遺品や資料をアーカイブとして整理・データ化を行い、Webサイトでの公開や展示会、研究会やトークイベント等を通して広く公開し、次世代に継承していきたい。

市立小樽文学館前館長の玉川薫さんより応援コメントをいただきました!===1999年に行った企画展「昭和歌謡全集北海道編」で、初めて永山則夫のノート「無知の涙」を手にし、たいへんな衝撃を受けました。展覧会の趣旨は人々にとって文学、詩や歌がなぜ必要だったのかというものであり、つらい日々で思わず口をついて出る流行歌のように、追いつめられた民衆のなかから文学の原型のようなものが生まれたのではないだろうかと考えたのです。ノートは汚穢、哀悼、曖昧、憂鬱のように画数の多い暗鬱な漢字の書き取りで埋めつくされていて、そのなかから切れ切れに素朴な童謡のような文句が書き込まれてきます。それらがやがて詩になり文章になる。ノートのタイトルが初め「詩」1文字だったわけも分かりました。文学資料館なので作家の自筆原稿やノートはたくさん見てきましたが、このような詩が生まれる瞬間が奇蹟のように書きとめられた「作家の自筆ノート」を初めて目にしたのです。市原みちえさんとはこの展覧会以来のご縁ですが、思うところあってノートは引き続きお預かりし、ときおり展示しております。市原さんが厖大な遺品の整理と保存に長年心砕いてこられたことを知っておりますので、大勢のご協力で「永山アーカイブ」が始動したことを嬉しく、応援させていただきたいと思います。(玉川薫)玉川薫1953年福井県生まれ。北海道大学卒業。1979年より市立小樽文学館に学芸員として勤務。1999年文学展「昭和歌謡全集北海道編」を企画。2023年退職。ボランティア学芸員として現在もほぼ常時在館。


前回のオンライントークイベントに続き、第2弾「作家・永山則夫と時代〜少年から作家になった男」を開催します。ぜひご参加ください。「作家・永山則夫と時代〜少年から作家になった男」日時:2025年12月8日(月)19時〜Zoomによるオンライン開催当日、開催時間になりましたら、以下よりご入室ください。トピック: 作家・永山則夫と時代時刻: 2025年12月8日 07:00 PM 大阪、札幌、東京Zoom ミーティングに参加するhttps://zoom.us/j/98162862918?pwd=P87Lmr6QubpaEIl9tkBWERSMEKazfh.1ミーティング ID: 981 6286 2918パスコード: 0uAcrhスピーカー:石塚伸一、市原みちえ、中島学、下平尾直、丸山泰弘、風間勇助企画趣旨:安部公房に「箱男』(1973年)という作品がある。ダンボール箱を頭から腰まですっぽりとかぶり、覗き窓から外の世界を見つめて都市を彷徨う男の話だ。永山則夫は作家だ。1949年6月27日に生まれて1997年8月1日に東京拘置所で48歳で死んだ。1969年4月7日、19歳のときから箱に入ったことになる。法廷という小窓から、時代の流れを観ながら、同時代人として、作家として生きた。1971年、手記『無知の涙』がベストセラーとなり、その印税の一部を編集者や獄中結婚した妻を通じて被害者遺族に渡そうとした。小説家として『木橋』(1984年)が第19回新日本文学賞を受賞し、『ソオ連の芸人』(1986年)、『捨て子ごっこ』(1987年)、『なぜか、海』(1989年)を矢継ぎ早ぎに発表した。赤貧洗うが如き状況で網走と板柳で育ち、金の卵の中卒者として東京で就職し、荒れる都会で独りになり、4人を殺してコンクリートの箱の中に入った。法廷という窓から時代をながめながら、膨大な文章をつむぎ、小説というかたちのメモを外におくりつづけ、そして、国家に殺された。第二回の永山研究会では、作家・永山則夫の人生と作品をみんなで考えたいと思います。*前回のオンライントークは以下よりアーカイブをご覧いただけます。https://youtu.be/DC0nUZePzMU?si=IeVldOZhJfGiq9do


11月5日に開催したオンラインイベント「死刑囚・作家 の永山則夫アーカイブズの可能性〜再審法と永山基準」のアーカイブ動画を公開しました。なぜ永山則夫さんの遺した資料が重要なのか。永山さんを知らない人にも、知っている人にもぜひご覧いただきたいです。 


元金沢大学教授・世古一穂さんからのメッセージをもらいました!===「永山則夫の遺品を考える」直面する問題死刑囚・作家として知られる永山則夫の遺品は、主に彼の支援者によって管理・保管されてきました。支援者の高齢化などにより処分の危機に直面しています。その保全と公開に向けた動きをどのように展開すればいいのでしょうか?公共的価値のある遺品を保全する法律制度の必要性死刑囚の遺品で公共的価値があるものについては保全、開示できるための法制度が必要だと思います。遺族の意向や関係者の訴え、事件の社会的影響など、さまざまな要素が絡むため、単純なルールは存在しないが、最終的な処分のあり方については、公共性の観点から死刑囚だけでなく収監されている囚人がうみだした文章、本、芸術作品のうち公共性の高いと判断されるものを法的な手続きで保全開示できるようにしてはどうか?例えば少年連続射殺事件を起こし死刑が執行された永山則夫元死刑囚の遺品は単なる遺品は単なる物品ではなく、社会的な意味を持つ「歴史的資料」として捉えることができます。このように、死刑囚の遺品であっても、社会的に重要な意味を持つと判断されたものは、法的な手続きと社会的議論を経て、法的にも特別な扱いを受けられるようにすべきだというのが立法提案の趣旨です。立法は市民立法で立法は永山則夫関連だけでなく市民立法でかつ超党派の国会議員との連携で行われることを前提としたいです。海外での取り扱い海外における死刑囚の遺品の保全も、法的な枠組みと個別の対応に委ねられているのが現状です。遺族の意向、本人の意思、そして刑務所ごとの管理規則が絡み合うため、すべての遺品が完全に保護される保証はありません。特に、遺族が引き取りを拒否したり、身元引受人がいなかったりした場合は、最終的に遺品が処分される可能性が高いのは日本と同じようです。 明確なルールに基づいて管理され、個々のケースに対応している」というようです。遺品の保護と保全に関する法律について、海外の事例を詳しく調べてみたいとおもいます。詳しくご存知の方は是非おしえてください。(世古一穂)


獄中者の家族と友人の会代表の岩崎風水さんより応援メッセージをいただきました!===先日、青猫書房さんで永山則夫の展示をしている市原みちえさんが「永山則夫は更生した」と言っていました。社会復帰の可能性のない死刑囚が「更生した」とはどういうことか不思議に思ったのですが、事件時からの心境の変化で、「更生した」と見られることもあるのだなと思い直しました。「更生」とは、一般に、過去の過ちを反省し、生活態度を改めて、より良い状態に立ち直ることを意味します。主に犯罪や非行の経験者が、二度と同じ過ちを繰り返さないように社会復帰を目指す場合に用いられます。私の好きな本に、岡本茂樹さんの『無期懲役囚の更生は可能か: 本当に人は変わることはないのだろうか』があります。岡本茂樹さんが無期懲役囚の高橋さんと書簡を交わし、面接を通じて心を通わせていきます。無期懲役囚の服役年数は30年を超えることもあるので、彼が社会復帰したかは不明ですが、「更生」というより、人は何時、どんな状態からでも「成長」の機会があるものだと感動しました。永山則夫の「無知の涙」等の書籍の販売で得た収入は「永山子ども基金」として、ペルーの子どもたちの自立を支援するために学校の建立などに使用されたと聞きます。永山さんが自身の幼少期のような子どもが少しでも減るようにと子ども支援をしているのでしょう。私自身は、2024年11月に亡くなった山際永三さんの遺品整理に携わりました。多くの冤罪事件の再審請求や報道検証に取り組んできた山際さんは、多様な被告人や冤罪事件に深く関わり、その記録を丁寧に残してきました。特に死刑囚に関する資料が多く、そこには多くの苦闘と希望が記されていました。永山さんの書籍や資料も多数あり、私が受け取りました。山際さんの遺した品の量と内容の重さは、個人や小さな支援団体の力だけでは完全に保存し、活用しきれないという現実もありました。様々な事件資料は、関連の団体や支援者たちと手分けして持ち出しましたが、置き場と貰い手の無さから廃棄せざるを得ない物が多くありました。三崎事件、三鷹事件、ロス疑惑事件などの資料が廃棄されました。私はこの経験から永山さんの資料も散逸や劣化の危険にさらされているとわかります。市原みちえさんら支援者が膨大な資料を保管してきましたが、資料を適切に管理し、活用可能な形で保存していくのは個人や非組織的な努力だけでは限界があります。だからこそ専門的な保存体制の導入と支援が必要です。私は、山際さんから「獄中者の家族と友人の会」を引き継いで主催し、死刑囚等の収監者の家族や友人が話し合い、情報交換をする会を続けてきました。巷に「第二の永山則夫を作らないための社会づくり」と聞きますが、死刑囚の中には、永山さんに近しく、幼少期からの繰り返される絶望で凶行に及んだ人たちが居ます。死刑囚となった今も、時代が異なり、処遇が異なるからか、現在も収監中の彼らの多くは社会から孤立し、精神的にも声をあげにくい状況にあります。塀は厚く、支援者たちの力が及ばないことも多々あります。死刑囚として収監されているある人にとって、永山則夫さんの書籍が希望となっています。永山さんの遺品は、単なる記録ではなく、塀の中で生きる人の心の一端を感じさせ、彼らの心に希望を灯します。それは、私自身が15年間の刑務所生活で味わってきた感覚に似ているものだと思います。私自身、刑務所で3年間、独房に隔離され、その間は水彩画を書き、山際さんたち支援者と文通をしてきました。創作をし、それを受け取ってくれている方が居て、今の私があります。山際さんとの8年に及ぶ私との文通記録は山際さんの遺品の中にありました。私は、その文通記録を読み直し、資料として2025年の4月と10月に書籍を出版することが出来ました。「獄中者の家族と友人の会」は、山際さんから私に託された会です。もとは再審請求中の死刑囚の救援会でした。私は、獄中者の家族と友人の会代表として、永山則夫さんのクラウドファンディングを心から応援します。資料を保存し、公開することで、多くの人に刑事司法の課題を理解し、議論してもらう土壌が育つことを願っています。このクラウドファンディングのプロジェクトでは、資料の整理・デジタル化に加え、これらを活用した展示会や講演、研究会なども開催していく予定です。多方面から永山則夫さんの人生を読み解き、死刑制度や刑事司法の課題に光を当てる活動は、公正で人権を尊重する社会への貢献となることと思います。また、獄中にいる方たちにとっては、自己を振り返り、成長を図る希望の素材となると思います。過去と向き合い、そこから学ぶことは決して簡単なことではありません。痛みや苦悩、間違いの歴史を振り返ることは心を重くします。しかし、その向き合いこそが、個人と社会をよりよくしていくための土台となります。自身の過去を深く見つめてきた永山則夫さんの遺品は、そんな私たちへの大切な問いかけです。資料を正しく保存し、より多くの人の手に届けていくことで、社会に新たな理解と希望が生まれることを願います。どうぞ皆さま、この貴重な取り組みにご理解とご協力をお願い申し上げます。永山則夫さんの遺品を社会の共有資産として守り、未来への学びとともに次世代へとつなげるために、多くの方に知っていただき、ご支援をいただけたら幸いです。皆様からの経済的支援はもちろん、社会的な関心と理解の輪が広がることを願っています。(獄中者の家族と友人の会 代表 岩崎風水)===岩崎風水獄中者の家族と友人の会 代表。 「心の微量栄養素 少年院ラジオ」パーソナリティー。22歳から37歳までの15年間の受刑経験あり。2025年上梓の「獄中を生きた 監獄法の懲役刑」「続・獄中を生きた 処遇困難者とされて」には、支援者山際永三との文通記録と保管された訴訟記録を多く使用。トラウマケアのセラピスト。全体性を見る眼鏡の測定をする眼鏡屋さん。*岩崎風水さん note左から 市原みちえさん 岩崎風水 篠田博之さん


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