獄中作家・永山則夫の遺品をアーカイブとして公開し、次世代に継承していきたい!

永山則夫の遺品や資料をアーカイブとして整理・データ化を行い、Webサイトでの公開や展示会、研究会やトークイベント等を通して広く公開し、次世代に継承していきたい。

現在の支援総額

2,526,500

101%

目標金額は2,500,000円

支援者数

129

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/10/04に募集を開始し、 129人の支援により 2,526,500円の資金を集め、 2025/12/22に募集を終了しました

獄中作家・永山則夫の遺品をアーカイブとして公開し、次世代に継承していきたい!

現在の支援総額

2,526,500

101%達成

終了

目標金額2,500,000

支援者数129

このプロジェクトは、2025/10/04に募集を開始し、 129人の支援により 2,526,500円の資金を集め、 2025/12/22に募集を終了しました

永山則夫の遺品や資料をアーカイブとして整理・データ化を行い、Webサイトでの公開や展示会、研究会やトークイベント等を通して広く公開し、次世代に継承していきたい。

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「被害者と司法を考える会」代表の片山徒有さんより応援メッセージをいただきました!永山則夫さんの遺品をアーカイブし、後世にその歩みと表現を残していく取り組みに、心より賛同いたします。 永山さんの著作に触れるたび、彼が自身の境遇や被害者の視点を深く見つめ、悔恨と向き合いながら言葉を紡いだ姿勢に静かな感動を覚えます。 人は誰しも誤りを犯す可能性があり、またその後の生き方によって学び直し、考え直すこともできます。少年事件として扱われるべき案件であったにも関わらず、厳しい判決を受けざるを得なかった永山さんが、その極限の状況からなお、表現者としての才能を開花させ、多くの人々に考える契機を与えてきたことは、私たちにとって大きな意味を持つものだと思います。 さらに、彼の思いがペルーの子どもたちのもとへと受け継がれ、希望や学びにつながっていることは、永山さんの「人としての遺産」が国境を越えて息づいている証でもあります。 すでにこの世を去られた今だからこそ、彼が遺した言葉や資料を丁寧に記録し、未来へつなぐことが必要だと感じます。永山さんの存在を永遠に残すためにも、多くの方々からの温かなご支援が集まることを心より願っております。 最後に、こうした思いや活動の広がりの一助として私も応援しております。 (片山徒有)片山徒有「被害者と司法を考える会」代表。1997年に息子を交通事故で失う。2000年より被害者支援活動を始め、同時期に非行少年や犯罪に関わった人の教育にも関わり現在では全国の少年院、刑務所で改善指導に携わっている。 


市立小樽文学館前館長の玉川薫さんより応援コメントをいただきました!===1999年に行った企画展「昭和歌謡全集北海道編」で、初めて永山則夫のノート「無知の涙」を手にし、たいへんな衝撃を受けました。展覧会の趣旨は人々にとって文学、詩や歌がなぜ必要だったのかというものであり、つらい日々で思わず口をついて出る流行歌のように、追いつめられた民衆のなかから文学の原型のようなものが生まれたのではないだろうかと考えたのです。ノートは汚穢、哀悼、曖昧、憂鬱のように画数の多い暗鬱な漢字の書き取りで埋めつくされていて、そのなかから切れ切れに素朴な童謡のような文句が書き込まれてきます。それらがやがて詩になり文章になる。ノートのタイトルが初め「詩」1文字だったわけも分かりました。文学資料館なので作家の自筆原稿やノートはたくさん見てきましたが、このような詩が生まれる瞬間が奇蹟のように書きとめられた「作家の自筆ノート」を初めて目にしたのです。市原みちえさんとはこの展覧会以来のご縁ですが、思うところあってノートは引き続きお預かりし、ときおり展示しております。市原さんが厖大な遺品の整理と保存に長年心砕いてこられたことを知っておりますので、大勢のご協力で「永山アーカイブ」が始動したことを嬉しく、応援させていただきたいと思います。(玉川薫)玉川薫1953年福井県生まれ。北海道大学卒業。1979年より市立小樽文学館に学芸員として勤務。1999年文学展「昭和歌謡全集北海道編」を企画。2023年退職。ボランティア学芸員として現在もほぼ常時在館。


前回のオンライントークイベントに続き、第2弾「作家・永山則夫と時代〜少年から作家になった男」を開催します。ぜひご参加ください。「作家・永山則夫と時代〜少年から作家になった男」日時:2025年12月8日(月)19時〜Zoomによるオンライン開催当日、開催時間になりましたら、以下よりご入室ください。トピック: 作家・永山則夫と時代時刻: 2025年12月8日 07:00 PM 大阪、札幌、東京Zoom ミーティングに参加するhttps://zoom.us/j/98162862918?pwd=P87Lmr6QubpaEIl9tkBWERSMEKazfh.1ミーティング ID: 981 6286 2918パスコード: 0uAcrhスピーカー:石塚伸一、市原みちえ、中島学、下平尾直、丸山泰弘、風間勇助企画趣旨:安部公房に「箱男』(1973年)という作品がある。ダンボール箱を頭から腰まですっぽりとかぶり、覗き窓から外の世界を見つめて都市を彷徨う男の話だ。永山則夫は作家だ。1949年6月27日に生まれて1997年8月1日に東京拘置所で48歳で死んだ。1969年4月7日、19歳のときから箱に入ったことになる。法廷という小窓から、時代の流れを観ながら、同時代人として、作家として生きた。1971年、手記『無知の涙』がベストセラーとなり、その印税の一部を編集者や獄中結婚した妻を通じて被害者遺族に渡そうとした。小説家として『木橋』(1984年)が第19回新日本文学賞を受賞し、『ソオ連の芸人』(1986年)、『捨て子ごっこ』(1987年)、『なぜか、海』(1989年)を矢継ぎ早ぎに発表した。赤貧洗うが如き状況で網走と板柳で育ち、金の卵の中卒者として東京で就職し、荒れる都会で独りになり、4人を殺してコンクリートの箱の中に入った。法廷という窓から時代をながめながら、膨大な文章をつむぎ、小説というかたちのメモを外におくりつづけ、そして、国家に殺された。第二回の永山研究会では、作家・永山則夫の人生と作品をみんなで考えたいと思います。*前回のオンライントークは以下よりアーカイブをご覧いただけます。https://youtu.be/DC0nUZePzMU?si=IeVldOZhJfGiq9do


11月5日に開催したオンラインイベント「死刑囚・作家 の永山則夫アーカイブズの可能性〜再審法と永山基準」のアーカイブ動画を公開しました。なぜ永山則夫さんの遺した資料が重要なのか。永山さんを知らない人にも、知っている人にもぜひご覧いただきたいです。 


元金沢大学教授・世古一穂さんからのメッセージをもらいました!===「永山則夫の遺品を考える」直面する問題死刑囚・作家として知られる永山則夫の遺品は、主に彼の支援者によって管理・保管されてきました。支援者の高齢化などにより処分の危機に直面しています。その保全と公開に向けた動きをどのように展開すればいいのでしょうか?公共的価値のある遺品を保全する法律制度の必要性死刑囚の遺品で公共的価値があるものについては保全、開示できるための法制度が必要だと思います。遺族の意向や関係者の訴え、事件の社会的影響など、さまざまな要素が絡むため、単純なルールは存在しないが、最終的な処分のあり方については、公共性の観点から死刑囚だけでなく収監されている囚人がうみだした文章、本、芸術作品のうち公共性の高いと判断されるものを法的な手続きで保全開示できるようにしてはどうか?例えば少年連続射殺事件を起こし死刑が執行された永山則夫元死刑囚の遺品は単なる遺品は単なる物品ではなく、社会的な意味を持つ「歴史的資料」として捉えることができます。このように、死刑囚の遺品であっても、社会的に重要な意味を持つと判断されたものは、法的な手続きと社会的議論を経て、法的にも特別な扱いを受けられるようにすべきだというのが立法提案の趣旨です。立法は市民立法で立法は永山則夫関連だけでなく市民立法でかつ超党派の国会議員との連携で行われることを前提としたいです。海外での取り扱い海外における死刑囚の遺品の保全も、法的な枠組みと個別の対応に委ねられているのが現状です。遺族の意向、本人の意思、そして刑務所ごとの管理規則が絡み合うため、すべての遺品が完全に保護される保証はありません。特に、遺族が引き取りを拒否したり、身元引受人がいなかったりした場合は、最終的に遺品が処分される可能性が高いのは日本と同じようです。 明確なルールに基づいて管理され、個々のケースに対応している」というようです。遺品の保護と保全に関する法律について、海外の事例を詳しく調べてみたいとおもいます。詳しくご存知の方は是非おしえてください。(世古一穂)


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