獄中作家・永山則夫の遺品をアーカイブとして公開し、次世代に継承していきたい!

永山則夫の遺品や資料をアーカイブとして整理・データ化を行い、Webサイトでの公開や展示会、研究会やトークイベント等を通して広く公開し、次世代に継承していきたい。

現在の支援総額

2,526,500

101%

目標金額は2,500,000円

支援者数

129

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/10/04に募集を開始し、 129人の支援により 2,526,500円の資金を集め、 2025/12/22に募集を終了しました

獄中作家・永山則夫の遺品をアーカイブとして公開し、次世代に継承していきたい!

現在の支援総額

2,526,500

101%達成

終了

目標金額2,500,000

支援者数129

このプロジェクトは、2025/10/04に募集を開始し、 129人の支援により 2,526,500円の資金を集め、 2025/12/22に募集を終了しました

永山則夫の遺品や資料をアーカイブとして整理・データ化を行い、Webサイトでの公開や展示会、研究会やトークイベント等を通して広く公開し、次世代に継承していきたい。

社会課題の解決をみんなで支え合う新しいクラファン

集まった支援金は100%受け取ることができます

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作家の吉岡忍さんより応援メッセージをいただきました!===ある日、知り合いの編集者から電話があった。ノートに書いた原稿があるのだが、印刷所に入れるため、原稿用紙に書き写さなければならない、そのアルバイトをやらないか、というのだった。1970年の秋である。私は反戦運動に明け暮れたあげくの、落ちこぼれ大学生。わけもわからず、神田神保町の古いビルにあった出版社を訪ねた。そこで手にしたのが、のちに『無知の涙』(合同出版刊)として刊行された永山則夫の自筆ノート10冊だった。にぎやかで、騒々しい時代だった。ベトナム戦争、全共闘、アンポ闘争、3億円事件、大阪万博、ハイジャック事件、そして、何より高度経済成長のまっさかりである。日本は世界第2の経済大国、国民の9割が自分は中流だと思っていた。都会は高層のオフィスビルやホテルやマンションが続々建って上へ上へと延びる一方、地上ではミニスカート、ジーンズ、Tシャツ、ハンバーガーショップが流行って、どんどん軽くなっていく。そんな世の中の景色に慣れ親しんだ目に、永山則夫が書きつけた文字群はクサビのように突き刺さってきた。貧困、家庭崩壊、集団就職で上京してからの転職と孤立と焦燥。私が書き写したのはノート2冊分程度だが、1行書くたびに、この景色の裏側にあるものをしっかり凝視しろ、といわれているような気がして、何度も鉛筆を放りだした(このとき同じ作業をした一人に、のちに『三国志』『論語』の翻訳と解釈で活躍した中国古典文学者、故・井波律子がいた。私のとなりで、彼女もくり返しため息をついていた)。永山は4人を射殺した事件の弁明はいっさいしていなかった。犯行を悔い、なぜこんな事件を起こす人間になってしまったのかを必死で自問し、膨大な本を読んで学び、「私が自己を完全に理解する」ことをめざした。自分を客観的に分析しようとする苦しい自問自答から、「(この事件は)私が在っての事件だ。私がなければ事件は無い、事件が在る故に私が在る。私はなければならないのである」という認識に達した。しかし、「なければならない私」がどんな家庭と家族関係のなかで生まれ育ったのか、その折々に何があり、「私」は何を感じ、思い、考えてきたのかについては、ノートからは十分に伝わってこなかった。永山がそれらを書き綴ったのはさらに10数年後、みずからの幼少年期を描いた小説『木橋』でだった(この小説が新日本文学会の文学賞を受賞したとき、私は同会文芸誌編集委員の末席にいた)。『無知の涙』で自分を客観視しようとした彼は、『木橋』にいたって主観に立ちもどり、無垢な主体を獲得した。思えば、彼が一連の事件を起こしたのは、私が私であって、私でないような浮き足立った時代だった。彼ばかりか、世の中全部がそんな雰囲気に染まっていた。そして、その気配はいまも濃厚に立ちこめている。いま、この日本という捉えどころのない、しかし、どうにも窮屈な世の中は永山事件のころにはじまっていたのだ。永山則夫のすべての記録は、だからこそだいじだ、と私は思う。別段、彼のためではない。私たちが歩んできた軌跡をふり返り、いま足踏みしている現実の意味を考えるための、それは最良のテキストであり、なまなましい宝物だからである。(吉岡忍)===吉岡忍作家。1948年、長野県生まれ。早稲田大学在学中にベトナム反戦運動に参加。ノンフィクション『墜落の夏』(講談社ノンフィクション賞)『日本人ごっこ』『鏡の国のクーデター』『M/世界の、憂鬱な先端』、小説『月のナイフ』などの著作のほか、テレビ番組でアフガン戦争や阪神・淡路、東日本等の災害を報道。第17代日本ペンクラブ会長。


クラファンも残すところあとわずか!ラストスパートに向けて、本プロジェクトの公開ミーティングを開催します!現状どのような資料があり、整理・保存状況はどうなっているか、今後どのようにデータ化を行い、整理し、そして公開していくのか、プロジェクトメンバーで話し合います。参加者のみなさんにもご意見をいただければと思いますので、ぜひご参加ください。日時:12月16日(火)19時〜20時30分オンライン開催 ※当日時間になりましたら以下のミーティングルームにご入室ください。Zoom ミーティングに参加するhttps://zoom.us/j/92015524846?pwd=yfoWhQh2zVCTeMGCRaUrkhrACBIeqY.1ミーティング ID: 920 1552 4846パスコード: 4CQL7Qなお、12月8日(月)19時に開催したオンライントーク「作家・永山則夫と時代〜少年から作家になった男」のアーカイブを公開しています。出版社共和国の下平尾さんに、永山事件当時の週刊誌記事など貴重な資料をお見せいただきました。ぜひご覧ください。https://youtu.be/T_uXt1vacd0?si=ri_M0geE0Og_HRHp


介護福祉士・ライターの白崎朝子さんより応援メッセージをいただきました。====私は自身が虐待被害当事者であることから、死刑囚の永山さん、池田小事件の宅間さん、光市の少年A、京アニ事件の青葉さんらの幼少期の虐待被害に着目してきました。そして、やまゆり園事件の植松さんの虐待は解明されてはいませんが、本人も気づけていない可視化しにくい虐待があったのではないか……と推察しています。『永山則夫と再審請求』には、私も短い文章を寄稿していますが、巻末の永山さんの年譜を読み、幼少期に苛酷な虐待を受け、彼が何度も自殺未遂をしていることを知り、胸が潰れる思いがしました。袴田巌さんの冤罪にも、もちろん心を寄せてきましたが、冤罪ではなく、その手を血に染めてしまった死刑囚の心の闇の深さが他人事には思えませんでした。もちろん彼らの犯行は絶対に許されないし、ご遺族が極刑を望む気持ちを否定はできません。でも、やはり私はなぜ彼らが罪を犯したのか、そのことを考えてしまいます。2023年、戦争トラウマの世代間連鎖を考える研究者や当事者の方々と出会いました。私は2002年くらいから、帰還兵の父親などからの虐待の影響が、戦後のDVや児童虐待に少なくない影響を与えているのでは…と考えていました。虐待の連鎖の背景には、戦争がもたらしたトラウマがあり、そのもっとも悲惨な形が凶悪犯罪となっているのではないのだろうか……と考えています。戦争でたくさん殺せば英雄という状況下、永山さんの父親は戦地で望まない殺人を強いられ、その暴力状況を生き延びて帰還するも、アルコール依存となり妻子に暴力を振るったのかもしれません。 そして、その暴力できょうだいたちもボロボロとなり、母も永山さんたちきょうだいを遺棄してしまう…。唯一の優しい姉は精神疾患となって入院。その姉に会いたくて、幼い永山さんが家出するというのも、あまりにも哀しいエピソードでした。永山さんにあのような犯行をさせてしまった背景には、戦争という暴力が無関係ではないと思っています。私は戦争トラウマのことを考えると、真っ先に永山さん、宅間さんのことを思い出します。死刑囚の存在と戦争は密接な関係があり、だから国と司法は結託し、再審請求を棄却し、死刑にしてしまうのではないか…とも思っています。でも、なぜ彼らは他者のいのちを奪ってしまったのか……。その解明なくしては、真の意味での平和はないと思っています。10代から反戦、反核、反原発運動をしてきた人間として、私はそう確信しています。本当に平和な世界を探求するため、永山則夫の人生の軌跡をきちんと研究、分析していき、彼の存在の意味を知る必要があると思っています。このクラウドファンディングに、ひとりでも多くの方のご支援があることを祈ります。(白崎朝子)===白崎朝子介護福祉士・ライター・重度訪問介護従事者研修講師。1962年生まれ。立教大学文学部キリスト教学科中退。東洋鍼灸専門学校卒業。19歳から反戦、反核、反原発、女性解放運動に関わる。介護現場で働きながら母子家庭の当事者運動、ホームレス支援活動、福島原発告訴団・関東事務局長などの運動を続ける。2018年から優生保護法強制不妊手術の訴訟にも伴走した。著書『介護労働を生きる』『Passion ケアという「しごと」』。共著『ベーシックインカムとジェンダー』(いずれも現代書館)他。2009年平和・協同ジャーナリスト基金 荒井なみ子賞受賞。


「被害者と司法を考える会」代表の片山徒有さんより応援メッセージをいただきました!永山則夫さんの遺品をアーカイブし、後世にその歩みと表現を残していく取り組みに、心より賛同いたします。 永山さんの著作に触れるたび、彼が自身の境遇や被害者の視点を深く見つめ、悔恨と向き合いながら言葉を紡いだ姿勢に静かな感動を覚えます。 人は誰しも誤りを犯す可能性があり、またその後の生き方によって学び直し、考え直すこともできます。少年事件として扱われるべき案件であったにも関わらず、厳しい判決を受けざるを得なかった永山さんが、その極限の状況からなお、表現者としての才能を開花させ、多くの人々に考える契機を与えてきたことは、私たちにとって大きな意味を持つものだと思います。 さらに、彼の思いがペルーの子どもたちのもとへと受け継がれ、希望や学びにつながっていることは、永山さんの「人としての遺産」が国境を越えて息づいている証でもあります。 すでにこの世を去られた今だからこそ、彼が遺した言葉や資料を丁寧に記録し、未来へつなぐことが必要だと感じます。永山さんの存在を永遠に残すためにも、多くの方々からの温かなご支援が集まることを心より願っております。 最後に、こうした思いや活動の広がりの一助として私も応援しております。 (片山徒有)片山徒有「被害者と司法を考える会」代表。1997年に息子を交通事故で失う。2000年より被害者支援活動を始め、同時期に非行少年や犯罪に関わった人の教育にも関わり現在では全国の少年院、刑務所で改善指導に携わっている。 


市立小樽文学館前館長の玉川薫さんより応援コメントをいただきました!===1999年に行った企画展「昭和歌謡全集北海道編」で、初めて永山則夫のノート「無知の涙」を手にし、たいへんな衝撃を受けました。展覧会の趣旨は人々にとって文学、詩や歌がなぜ必要だったのかというものであり、つらい日々で思わず口をついて出る流行歌のように、追いつめられた民衆のなかから文学の原型のようなものが生まれたのではないだろうかと考えたのです。ノートは汚穢、哀悼、曖昧、憂鬱のように画数の多い暗鬱な漢字の書き取りで埋めつくされていて、そのなかから切れ切れに素朴な童謡のような文句が書き込まれてきます。それらがやがて詩になり文章になる。ノートのタイトルが初め「詩」1文字だったわけも分かりました。文学資料館なので作家の自筆原稿やノートはたくさん見てきましたが、このような詩が生まれる瞬間が奇蹟のように書きとめられた「作家の自筆ノート」を初めて目にしたのです。市原みちえさんとはこの展覧会以来のご縁ですが、思うところあってノートは引き続きお預かりし、ときおり展示しております。市原さんが厖大な遺品の整理と保存に長年心砕いてこられたことを知っておりますので、大勢のご協力で「永山アーカイブ」が始動したことを嬉しく、応援させていただきたいと思います。(玉川薫)玉川薫1953年福井県生まれ。北海道大学卒業。1979年より市立小樽文学館に学芸員として勤務。1999年文学展「昭和歌謡全集北海道編」を企画。2023年退職。ボランティア学芸員として現在もほぼ常時在館。


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