
前回に引き続き、大井駿さんによる寄稿記事を掲載します。
今回は、バッハが育った環境や、彼がこだわった通奏低音の魅力について。即興的な演奏の中に息づく、バッハならではの音楽観を探ります。
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まず、今回の演奏会で最初に演奏する、2つのヴァイオリンのための協奏曲の作曲者、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685~1750)について掘り下げてみましょう!
ドイツの小さな街、アイゼナハで生まれたバッハは、父親がヴァイオリンやトランペットなどの楽器を演奏する音楽家だったこともあり、幼いことから楽器に親しみます。兄弟の中にも、オルガン奏者だったヨハン・クリストフ、そしてオーボエ奏者だったヨハン・ヤーコブなど、音楽家に囲まれていました。
バッハは聖歌隊で歌を歌うことや、ヴィオラを弾くこともありましたが、もっとも得意としていたのはチェンバロやオルガンなどの鍵盤楽器です。演奏することはもちろんでしたが、好奇心旺盛な少年期には、オルガンの下に潜って、巨大な楽器のメカニズムを観察することもあったそうです。鍵盤楽器がソロの楽器としてあまり用いられなかった当時、鍵盤楽器が担っていた重要な役割は、通奏低音を演奏することでした。(詳しくは前回のページを参照)
バッハが、鍵盤楽器奏者として非常に即興に長けていたこともあり、普通の作曲家が書く通奏低音パートよりも、数字譜を非常にこだわって書いていました。例えば、ヴァイオリンソナタ BWV1021を見てみると、数字がみっちり書かれています。ここまで細かく書かれるのは、他の作曲家でも稀です。数字譜に則って即興で演奏させつつも、ハーモニーに対して強いこだわりを持っており、通奏低音奏者ならではの作品であることがよく分かります。

J. S. バッハ:ヴァイオリンソナタ BWV1021、第1楽章(アンナ・マグダレーナによる写譜)
大譜表のうち、上部はヴァイオリンパート、下部は通奏低音パート。
バッハと同時代の人たちが、バッハの通奏低音がどのような演奏だったかを書き残していますが、「バッハは一度として通奏低音を同じようには弾かなかった」という証言があります。その時の気分だったり、演奏会場の響きだったり、色々な要素を鑑みて、演奏を少しずつ変えていったのでしょう。このように、ライヴ感だからこその魅力は、ソロの楽器だけでなく、実は通奏低音によっても生み出され、それをバッハ自身が通奏低音によって体現していたのです。
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いかがでしたでしょうか。バッハと通奏低音について、これまで知らなかった一面を感じていただけたのではないでしょうか。
大井駿さんの記事は、今後も順次ご紹介していきます。
次回からは、小池彩夏がご案内する形で、もう一つのプログラムであるヴィヴァルディ《四季》について、季節ごとにわけてお話ししていきます。この曲には「音で描く絵」とも言える場面がたくさん登場します。どうぞお楽しみに!






