【11/28千歳烏山】小池彩夏×南紫音が紡ぐ!地域と響くバッハ×ヴィヴァルディ

烏山区民会館コンサートを支援! 11月28日(金)千歳烏山で開催 バッハ&ヴィヴァルディ 二人の気鋭ヴァイオリニストと熱い仲間たちが紡ぐ音楽の夕べ

現在の支援総額

238,050

29%

目標金額は800,000円

支援者数

21

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/10/24に募集を開始し、 21人の支援により 238,050円の資金を集め、 2025/11/30に募集を終了しました

【11/28千歳烏山】小池彩夏×南紫音が紡ぐ!地域と響くバッハ×ヴィヴァルディ

現在の支援総額

238,050

29%達成

終了

目標金額800,000

支援者数21

このプロジェクトは、2025/10/24に募集を開始し、 21人の支援により 238,050円の資金を集め、 2025/11/30に募集を終了しました

烏山区民会館コンサートを支援! 11月28日(金)千歳烏山で開催 バッハ&ヴィヴァルディ 二人の気鋭ヴァイオリニストと熱い仲間たちが紡ぐ音楽の夕べ

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11月28日(金)のMLA公演「バッハ×ヴィヴァルディ」は、皆さまのご支援のお蔭をもちまして、盛況のうちに無事終了いたしました。開場前後から多くの方が来場され、会場前には長い列ができました(お待たせして申し訳ありませんでした)。客席もすぐに埋まり、ほぼ満席の状態となりました。 終演後には、出演者へ声をかけてくださる方が多く、公演を楽しんでいただけた様子がうかがえました。 返礼品としてご案内していた、リハーサル見学にご参加いただいた方には、当日の準備や、気合を込めた最終練習の雰囲気を楽しんでいただけたようでした。 皆様よりいただいたご支援は、会場費・広報物・当日の運営などに活用され、公演の実施に大きく寄与しました。活動報告に寄せられた反応も、準備期間の励みとなりました。 リターン品は現在準備を進めており、順次発送してまいります。ご支援くださった皆さまに、心より御礼申し上げます。これからも皆様に素敵な時間をお届けできるよう、一層邁進してまいります。どうぞ変わらぬご支援とご声援を、よろしくお願い申し上げます!


いよいよコンサートが明日に迫ってまいりました。今回の活動報告も、大井駿さんの寄稿記事です。《四季》に添えられたソネットの、目的と位置づけについて掘り下げられた、今回も必読の一稿です。* * * * *ヴィヴァルディの《四季》には、それぞれの協奏曲の前にイタリア語のソネット(十四行詩)が添えられています。《春》なら「Giunt’è la Primavera…(春がやって来た)」という行のあとに、あの明るいヴァイオリンの主題が続きます。言葉で情景を思い描かせ、そのすぐ後を音楽が追いかけていく構図です。このソネットが整えられたのは、《四季》を含む協奏曲集《調和と創意の試み(Il cimento dell’armonia e dell’inventione)》作品8が出版された、1720年代前半と考えられます。出版はアムステルダムのル・セーヌ、献呈先はボヘミアのモルツィン伯爵。すでに《調和の霊感》などで名を馳せ、ヴァイオリン協奏曲の大家としてヨーロッパ市場をにらんでいた、充実期のヴィヴァルディでした。同じ頃、彼はヴェネツィアのピエタ慈善院で教えながら、作曲・演奏から興行や契約交渉まで自ら動き回る実務家でもありました。そんな多忙な作曲家が、《四季》のためにソネットという「言葉の枠組み」を用意したのはなぜでしょうか。なぜソネットを書いた(書かせた)のかソネットの作者がヴィヴァルディ本人かどうか、決定的な証拠はありません。ただ、作品8初版の段階ですでに詩と音楽がセットで印刷されていること、一行ごとに対応する描写(小鳥、雷、酔っぱらい、冬の震えなど)が丁寧に仕掛けられていることから、少なくとも彼が綿密に関与していることは確かだと見られます。当時のヴィヴァルディは、協奏曲だけでなくオペラの作曲と興行にも深く関わっていました。舞台では台本(リブレット)と音楽が一体のパッケージとして売られますから、その発想を器楽作品に移し、「言葉の台本付きの協奏曲」という形を考えついたのでしょう。実際、《春》のソネットには小鳥のさえずり、牧人の眠り、春の嵐と雷鳴が順に描かれ、《秋》では収穫祭の宴、眠りに落ちる静けさ、狩りの情景までが、詩と音の二重構造で対応しています。「ここでは鳥が鳴きます」「ここで雷です」と言葉で示し、それを協奏曲で描き分けることで、「うちの楽譜はここまで情景描写できます」と国際市場にアピールしている、とも読めます。四つのソネット、それぞれの「顔」《四季》のソネットは、いずれも自然描写の詩でありながら、言葉づかいや視点にそれぞれはっきりした個性があります。《春》は「目覚め」と「にぎやかさ」の季節です。春の訪れを祝う小鳥やそよ風、通り抜ける春の嵐、草原でうたた寝する羊飼い、バグパイプに合わせて踊るニンフと牧人たちが、田園の一日を明るく彩ります。《夏》は一転して、最初から空気が重く緊張に満ちています。焼けつく太陽にぐったりする人と家畜、鳴き交わす鳥、蚊や蠅、遠くの雷鳴への不安が積み重なり、最後に雹と雷が畑を打ちのめすクライマックスへ向かいます。《秋》になると視線はぐっと人間寄りになります。農夫たちは踊りと歌で収穫を祝い、ブドウ酒を飲んでやがて眠り込みます。世界が静寂に包まれたあと、狩人たちが角笛と銃と犬を連れて出発し、獲物が倒れる瞬間までが描かれます。《冬》は身体感覚の強さが際立ちます。凍てつく雪の中で震え、足を踏み鳴らし、歯をガチガチ鳴らし、やっと暖炉のそばでひと息つく人びと。氷の上を慎重に歩き、滑って転び、また立ち上がる姿の背後で、北風が木々や扉をきしませます。こうして見ていくと、《四季》のソネットは単なる「風景描写のラベル」ではなく、四つの独立した小劇であり、その一行一行に応じてヴィヴァルディが音楽の場面を配置していることが分かります。ソネットの顔つきの違いを感じながら音を聴くと、《四季》の協奏曲もいっそう立体的に浮かび上がってくるはずです。* * * * *これまで折に触れて解説をいただいてきた、《四季》に添えられたソネット。その位置づけや狙いについて、示唆に富んだ視点の解説でしたね。「言葉の枠組み」と「音楽」の二重構造を追求する姿勢は、まさに私たちがプロジェクトで目指す「本質を探求し、新たな価値を創造する」というテーマに通じるものです。このメッセージを力に、コンサートの成功に向けて、一層尽力してまいります。引き続きのご支援と情報シェアをどうぞよろしくお願いいたします!


今回は、ふたたび大井駿さんによる寄稿記事です。楽器としてのチェンバロの通奏低音以外の役割について、鋭く切り込んでいただきます。* * * * *少し前の記事にて、アンサンブルでのチェンバロの役割が、「通奏低音の楽器として、低音パートを演奏すること」とご紹介いたしました。ただ、低音パートを弾いているのはチェンバロだけではなく、チェロやコントラバスなどの弦楽器も同じラインを受け持っています。そして低音楽器でもないチェンバロが、わざわざ低音パートを左手で弾き、右手で「数字譜に書かれたハーモニー」を演奏します。意味って、どこにあるのでしょうか?今回はその意味をご紹介します!まず大きなポイントは、チェンバロが和声の顔つきとリズムの輪郭を整えている、ということです。チェロやコントラバスの低音は豊かに響きますが、「今どんな和音が鳴っているのか」は、どうしても少し曖昧になりがちです。そこにチェンバロが和音を重ねることで、和声の性格がくっきりと浮かび上がり、拍やフレーズの始まりを感じられるようになります。さらに歴史的には、チェンバロ奏者は、現在の指揮者の役割を担ってきました。現在のように、オーケストラの前で指揮棒を振る、専任の指揮者が現れるのは、ヴィヴァルディやバッハの時代よりもずっと後の話です。当時は、チェンバロ奏者が低音を弾きながら、右手の和音で拍を強調したり、フレーズの入りでリズムを刻んだりして、合奏全体に「ここが1拍目です」「ここで一緒に呼吸しましょう」というような合図を送っていました。そして、そのアンサンブル全体のレベルや、曲の理解度に応じて、拍を強調するだけの通奏低音だけでなく、より遊びを加えた通奏低音を弾くこともあります。ここで言う「遊び」と言うのは、その場での思いつきで即興的に対旋律を弾くことや、装飾音を加えて演奏することを指します。通奏低音楽器としてのチェンバロは、前提として即興が求められる数少ない楽器だったのです!* * * * *いかがでしょう。まさに、指揮者としての大井駿さんならではの視点ですね。コンサート当日も、ぜひこれらの点に着目して鑑賞してみてください。新たな発見を体験できると思います!


1.はじめに《冬》第3楽章は、《四季》の締めくくりにふさわしく、再び自然が荒々しく動き出す緊迫感のある音楽です。寒さ、風、氷、そしてそれを越えて生きようとする人間の姿が、音によってドラマチックに描かれます。2.️氷と風が踊るフィナーレこの楽章は、速いテンポで始まり、細かい音型の連続が凍てついた世界の緊張感を生み出します。ヴァイオリンの連続音は、地面を覆う氷のきしむ音、風が建物の隙間を通り抜ける音を思わせ、聴く者に冬の厳しさを体感させます。中間部では、少しテンポが落ち着き、束の間の静けさや、雪の舞う情景が浮かびますが、すぐに再び力強いエネルギーが戻り、音楽は嵐のように駆け抜けていきます。3.️「冬」の真の姿と、生きる力この楽章が描くのは、単なる自然現象ではありません。寒さや風の中でも歩みを止めず、生命がそこに存在し続けるという、"生きること"への意志のようなものが込められていると感じられます。演奏者にとっても、最後の楽章でありながら、体力・集中力・音楽性のすべてが試される場面。「ここで終わる」という意識ではなく、「ここから次の季節が始まる」ような感覚で弾くことが、フィナーレにふさわしいエネルギーを生み出すのかもしれません。4.小池彩夏のコメント激しいリズムと鋭い音型の中に、冬の厳しさと生命の力を感じます。雪嵐のような勢いの中でも、音の方向と息の流れを意識し、ただ冷たさを描くのではなく、その奥にある再生の気配を表現したいと思います。終わりよりも、むしろ始まりを感じさせるそんな希望を音で描けたらと思います。5.次回予告ここまで、《四季》の各楽章について、音楽が描く風景や感情、そして演奏する中での気づきをご紹介してきました。開演前に、少しでも曲の背景について理解が深まったのでしたら嬉しいです。次回は再び大井駿さんの寄稿記事です。通奏低音としてのチェンバロと、その即興演奏との関係についてご紹介いただきます。


1.はじめに第2楽章では、外の寒さから逃れて、あたたかな室内でほっと一息つくような音楽が展開されます。静けさと安らぎ、そしてどこか詩的な時間が流れる、そんな"冬の室内楽"と呼びたくなるような楽章です。2.暖かさと安堵の音楽ソネットには、「寒さから解放された人が暖炉の前でくつろいでいる」といった描写があります。独奏ヴァイオリンは、やわらかく旋律を紡ぎながら、心地よい空気の中で時折ため息をつくような間を含んで演奏されます。合奏は背景として寄り添うような役割を果たし、全体として非常に内面的で、繊細なバランスで成り立つ音楽になっています。3.️音を"聴かせる"ではなく"感じてもらう"この楽章は、音を"伝える"というより、音のある空間を"共有する"ことに重きが置かれる楽章です。特別に難しい技術が要求されるわけではないかもしれませんが、空気の密度や温度まで表現するような繊細さが求められます。演奏者にとっては、「どう聴かせるか」よりも、「どんな気配を届けたいか」を意識することが鍵になるでしょう。4.小池彩夏のコメント外の寒さから逃れて、暖かな室内で過ごす安らぎとその情景を思い浮かべながら、音にやわらかな温度を宿すよう心がけています。合奏との間合いを丁寧に聴き取り、呼吸を合わせることで、静けさの中にも温かい一体感が生まれます。弓が弦を離れる瞬間の余韻まで、冬のぬくもりを感じていたいです。5.次回予告次回は《冬》第3楽章──いよいよ《四季》の最終章です。氷が割れ、風がうなり、冬の自然が再び猛威をふるう、緊迫感あふれる音楽をご紹介します。


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