【11/28千歳烏山】小池彩夏×南紫音が紡ぐ!地域と響くバッハ×ヴィヴァルディ

烏山区民会館コンサートを支援! 11月28日(金)千歳烏山で開催 バッハ&ヴィヴァルディ 二人の気鋭ヴァイオリニストと熱い仲間たちが紡ぐ音楽の夕べ

現在の支援総額

238,050

29%

目標金額は800,000円

支援者数

21

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/10/24に募集を開始し、 21人の支援により 238,050円の資金を集め、 2025/11/30に募集を終了しました

【11/28千歳烏山】小池彩夏×南紫音が紡ぐ!地域と響くバッハ×ヴィヴァルディ

現在の支援総額

238,050

29%達成

終了

目標金額800,000

支援者数21

このプロジェクトは、2025/10/24に募集を開始し、 21人の支援により 238,050円の資金を集め、 2025/11/30に募集を終了しました

烏山区民会館コンサートを支援! 11月28日(金)千歳烏山で開催 バッハ&ヴィヴァルディ 二人の気鋭ヴァイオリニストと熱い仲間たちが紡ぐ音楽の夕べ

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1.はじめに「春」第1楽章が明るくにぎやかな自然の目覚めを描いたものであるとすれば、第2楽章はそのあとの穏やかな午後の情景、といった趣があります。今回は、ヴィヴァルディ《四季》の中でも特に静かで内面的なこの楽章を取り上げます。2.牧歌的な午後、遠くで犬が吠えるこの楽章には、春の野に吹く風のような、ゆったりとした空気が流れています。通奏低音が規則的に繰り返すリズムは、まるで遠くで番犬が寝ぼけながら吠えているようなイメージ。実際、楽譜にも「犬の鳴き声(Il cane che grida)」という指示があります。その上を流れる独奏ヴァイオリンの旋律は、とても穏やかで、どこか夢うつつのよう。明るく満ち足りた春の午後に、ゆったりと横になってまどろんでいるような情景が思い浮かびます。3.「音を聴く時間」の美しさこの楽章には、速いパッセージや目立った展開はありません。だからこそ、ひとつひとつの音がどんな表情で響くか、その「音の余韻」に意識が向かいます。演奏者にとっては、音を発する瞬間よりも、そのあとの沈黙や残響の時間がとても大切になる楽章です。「演奏する」というよりも、「その場に音を置いていく」という感覚に近いかもしれません。4.小池彩夏のコメント穏やかな旋律の中で音の呼吸と「間」を大切にしています。弓をゆっくりと滑らせながら、音と音の隙間に春の柔らかな空気を感じていたいのです。犬の鳴き声のモチーフも、響きの中にそっと溶け込ませることで現実感が生まれます。夢と現が交わるような、不思議な静けさが魅力です。5.次回予告次回は、《春》第3楽章。再び軽やかなリズムが戻ってきて、春の到来を喜ぶ人々の踊りのような雰囲気が広がります。どうぞお楽しみに!


1.はじめにヴィヴァルディ《四季》は、クラシック音楽の中でも特に多くの人に親しまれている作品のひとつです。その理由は、聴いた瞬間に「情景」が目に浮かぶようなわかりやすさと、豊かな表現力にあります。今回は、《四季》の中から「春」第1楽章をご紹介します。2.鳥のさえずりから始まる春の情景冒頭の華やかなテーマは、まさに"春が来た!"という喜びに満ちています。軽やかなリズムと明るい音色の中に、小鳥たちのさえずりを模したフレーズが登場します。これはヴァイオリンで短い音符を連ねることで描かれており、実際に演奏していても、その音がまるで跳ねるように生き生きとして感じられます。さらに、水のせせらぎのような背景が流れたり、春の雷(いかずち)を表す激しいパッセージが突然あらわれたりと、音楽はさまざまな自然の変化を描き出していきます。3.ヴィヴァルディが仕掛けた"聴く絵画"《四季》には、それぞれの楽章に対応した「ソネット(詩)」が付けられており、作曲者自身がどのような情景を描こうとしたかが示されています。たとえば「春」第1楽章には、こんな内容の描写があります: 小鳥たちが喜びの歌をうたい交わす 泉がそよ風に揺れながら流れる 空が曇り、雷が鳴り渡るが、やがて再び穏やかな空気に戻るこれらの場面が、音楽の進行に合わせて順番に展開していくことで、まるで短編映画のような「聴く絵画」になっているのです。4.小池彩夏のコメント冒頭の鳥のさえずりを奏でるたびに、音が空へ舞い上がるような高揚を感じます。弓の繊細な動きが草花の揺れや風の流れを描き、自然と一体になる瞬間がとても好きです。雷の場面では、張りつめた空気を弓に乗せて放つように。音が風景を描く、この楽章はまさに春の詩だと思います。(南さんは今回のステージ構成では《四季》は演奏されませんので、コメントは小池彩夏が担当します)5.次回予告次回は、《春》第2楽章をご紹介します。にぎやかな第1楽章から一転して、穏やかで牧歌的な雰囲気に変わります。「春の日のまどろみ」のような空気感を、どのように表現するのか。どうぞご期待ください。


前回に引き続き、大井駿さんによる寄稿記事を掲載します。今回は、バッハが育った環境や、彼がこだわった通奏低音の魅力について。即興的な演奏の中に息づく、バッハならではの音楽観を探ります。* * * * *まず、今回の演奏会で最初に演奏する、2つのヴァイオリンのための協奏曲の作曲者、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685~1750)について掘り下げてみましょう!ドイツの小さな街、アイゼナハで生まれたバッハは、父親がヴァイオリンやトランペットなどの楽器を演奏する音楽家だったこともあり、幼いことから楽器に親しみます。兄弟の中にも、オルガン奏者だったヨハン・クリストフ、そしてオーボエ奏者だったヨハン・ヤーコブなど、音楽家に囲まれていました。バッハは聖歌隊で歌を歌うことや、ヴィオラを弾くこともありましたが、もっとも得意としていたのはチェンバロやオルガンなどの鍵盤楽器です。演奏することはもちろんでしたが、好奇心旺盛な少年期には、オルガンの下に潜って、巨大な楽器のメカニズムを観察することもあったそうです。鍵盤楽器がソロの楽器としてあまり用いられなかった当時、鍵盤楽器が担っていた重要な役割は、通奏低音を演奏することでした。(詳しくは前回のページを参照)バッハが、鍵盤楽器奏者として非常に即興に長けていたこともあり、普通の作曲家が書く通奏低音パートよりも、数字譜を非常にこだわって書いていました。例えば、ヴァイオリンソナタ BWV1021を見てみると、数字がみっちり書かれています。ここまで細かく書かれるのは、他の作曲家でも稀です。数字譜に則って即興で演奏させつつも、ハーモニーに対して強いこだわりを持っており、通奏低音奏者ならではの作品であることがよく分かります。J. S. バッハ:ヴァイオリンソナタ BWV1021、第1楽章(アンナ・マグダレーナによる写譜)大譜表のうち、上部はヴァイオリンパート、下部は通奏低音パート。バッハと同時代の人たちが、バッハの通奏低音がどのような演奏だったかを書き残していますが、「バッハは一度として通奏低音を同じようには弾かなかった」という証言があります。その時の気分だったり、演奏会場の響きだったり、色々な要素を鑑みて、演奏を少しずつ変えていったのでしょう。このように、ライヴ感だからこその魅力は、ソロの楽器だけでなく、実は通奏低音によっても生み出され、それをバッハ自身が通奏低音によって体現していたのです。* * * * *いかがでしたでしょうか。バッハと通奏低音について、これまで知らなかった一面を感じていただけたのではないでしょうか。大井駿さんの記事は、今後も順次ご紹介していきます。次回からは、小池彩夏がご案内する形で、もう一つのプログラムであるヴィヴァルディ《四季》について、季節ごとにわけてお話ししていきます。この曲には「音で描く絵」とも言える場面がたくさん登場します。どうぞお楽しみに!


今回の活動報告は、新進気鋭の指揮者である大井駿さんからの寄稿記事です。当日は、チェンバロ奏者として参加していただく大井駿さんから、ヴィヴァルディ、バッハそれぞれの譜面を紹介しつつ、通奏低音とはなにか?というテーマについて解説いただきます。必見です!* * * * *みなさんは、「通奏低音」という言葉を聞いて、どんなものを想像しますか?通奏低音は、イタリア語でBasso Continuo(バッソ・コンティヌオ)と呼ばれますが、このcontinuoは、英語のcontinueと同じ言葉で、まさに「継続的に演奏される低音(バス)」という意味です。これは、音楽は低音から支えられるもの、という考えからきています。経済の世界でも、「通奏低音」という言葉がメタファー的に使われます。例えば「現場の労働力こそが産業の通奏低音だ」のような形で用いられますが、経済界などでは、「見えないけどずっと流れているもの」、のような意味合いが強いです。話を音楽に戻しましょう。音楽における通奏低音とは、簡単に言えば、低音楽器が演奏するパートのことを指します。さらに具体的にいえば、「数字」が書かれた低音パートのことを通奏低音といいます。そして、通奏低音パートには、楽器の指定がないことが多いのです。または、楽器の指定があっても、違う楽器で弾くことも多くあります。低音楽器といえば、チェロやコントラバスなどが挙げられますが、他にもファゴットやテオルボ、さらにはチェンバロなどもその仲間に入ります。例えばヴィヴァルディの四季の編成を見ると、ヴァイオリン・ソロに続いてヴァイオリンI、ヴァイオリンII、ヴィオラ、そして「オルガンとチェロ」の5つのパートがあります。この「オルガンとチェロ」こそ、通奏低音のことです。楽譜を見てみると、数字が書かれています。この数字は、ハーモニーを表しており、例えば、「ド」の音の上に3と5が縦に並んで書いてある場合は、「ド」の音の3度上の「ミ」、そして5度上の「ソ」を弾きます。基本的にこの3つの音が鳴っていれば何を弾いても許されます。これらの和音はチェンバロなどの鍵盤楽器や、リュートなどの撥弦楽器によって、即興で演奏されますが、その即興に関してはまた別の回にてご紹介します。さらには、バッハの二重協奏曲においては、「コンティヌオ」と書かれたパートのみで、楽器の指定は全くありません。しかし、これをどの楽器で演奏するかも、実はセンスが問われるものなのです…そして今回の演奏会では、ヴィヴァルディの「オルガンとチェロ」パート、そしてバッハの「コンティヌオ」のパートを、チェロ、コントラバス、そしてチェンバロでお届けします。一つのパートを3種類の楽器で演奏し、土台からどのように彩りを添えるのかを、ぜひお楽しみください。* * * * *いかがでしたか?通奏低音という言葉の向こうに、音楽を支える豊かな世界が広がっていましたね。次回は引き続き、大井駿さんに「バッハと通奏低音」について執筆いただきます。どうぞお楽しみに。


1.はじめに《2つのヴァイオリンのための協奏曲》の最終楽章(第3楽章)は、躍動感と明るさにあふれています。バッハの音楽というと、「厳格」「重厚」「知的」といった言葉がよく使われますが、この楽章を聴いていると、そうした印象に少し風穴が開くかもしれません。2.駆け出すように始まり、最後まで止まらないこの楽章は、まるで走り出した列車のように勢いよく始まり、そのままテンションを保ちながら突き進んでいきます。2つのヴァイオリンは互いに模倣し、追いかけ合い、そして時にぴたりと重なります。リズムは歯切れよく、音型の繰り返しには力強さと遊び心が感じられます。バッハらしい対位法的な構造はもちろんありますが、それよりも音楽が"動く"ことの楽しさが全面に出てくる楽章です。3.真面目の中にユーモアを仕込むバッハバッハはとても信仰心のあつい人物でしたが、同時に音楽に対して非常に柔軟な発想を持っていた人でもあります。特に器楽作品では、時に「にやり」と笑いたくなるような小さな仕掛けや、演奏者を試すようなフレーズを含んでいることがあります。この最終楽章にも、そんなバッハの「ちょっとした遊び心」が顔をのぞかせています。形式にきちんと収まっていながらも、その中に自由なエネルギーが流れていて、聴いていても演奏していても、自然に身体が動いてしまうような感覚があるのです。4.南紫音のコメント3楽章は、2楽章の穏やかさとは打って変わって、まるでロックを感じる、ユーモアたっぷりの音楽です。バイオリンソロの2人、そしてオーケストラとの掛け合いも非常にスリリングで、現代を生きる私たちが聞いても、思わず笑みがこぼれます。演奏していてもある種、弾いている、というより音楽に没頭している、そんな感覚になる楽章です。5.小池彩夏のコメントバッハの音楽には、まじめさの奥にあるユーモアと遊び心が隠れています。弾いていると、突然微笑みたくなるようなリズムの工夫や、軽やかな旋律に出会うことがあります。彼は人生の喜びや、ちょっとしたいたずら心も音に託していたのだと思います。その自由さが、彼の魅力のひとつです。6.詳細は番外編でここまで読んでこられた方は、具体的にはどんな遊び心が隠されているのだろう?と思われるかもしれません。そんな方のために、こちらのリンク先に【番外編】として遊び心の一例をまとめましたので、興味のある方はちょっと覗いてごらんになると面白いかもしれません。7.次回予告次回の活動報告では、チェロ・コントラバス・チェンバロがどのように音楽を支えるのか──バロック音楽の“縁の下の力持ち”、通奏低音(バッソ・コンティヌオ)の世界をご紹介します。寄稿は、今回チェンバロ奏者として参加をいただく大井 駿さん。ヴィヴァルディやバッハの楽譜の中で、通奏低音がどんな役割を果たしているのか、そして今回の公演でどのように響くのかを、わかりやすく解説してくださいます。次々回にはその続編として、「バッハと通奏低音」をテーマに、即興性や音づくりの秘密にも触れていきます。どうぞお楽しみに!


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