東北でプロレスリングアライヴ&メジャーズの大会を入場無料で開催したい!

2009年に岩手県花巻市で旗揚げしたプロレスリングアライヴ&メジャーズが、17周年の節目に入場無料大会を開催します。舞台は藤原秀旺のデビューの地。子どもがリングに立ち、大人が熱狂する一日を届けたい。インディーズから地域を盛り上げ、東北に再び熱を灯す挑戦です。あなたの支援が、花巻のリングを動かします。

目標突破
ネクストゴール挑戦中!

現在の支援総額

772,000

110%

ネクストゴールは1,300,000円

支援者数

90

募集終了まで残り

27

東北でプロレスリングアライヴ&メジャーズの大会を入場無料で開催したい!

目標突破
ネクストゴール挑戦中!

現在の支援総額

772,000

初期目標100%突破

あと 27
110%

ネクストゴールは1,300,000

支援者数90

2009年に岩手県花巻市で旗揚げしたプロレスリングアライヴ&メジャーズが、17周年の節目に入場無料大会を開催します。舞台は藤原秀旺のデビューの地。子どもがリングに立ち、大人が熱狂する一日を届けたい。インディーズから地域を盛り上げ、東北に再び熱を灯す挑戦です。あなたの支援が、花巻のリングを動かします。

 先日話した東日本大震災復興試合となった山田町大会以降も私と秀旺さんは仕事の合間をぬって時間を作り 被災地へ何度も足を運びました。一番ベストなのは被災地の皆さんに試合を見せる事ですが、どうしてもリングを組めない場所だったり経費的な問題、秀旺さん以外の選手はほぼ全員東京からの参加になるので震災以降なかなかスケジュールがあわず、どうしても試合が組める機会が減りました。本来なら試合で復興を手助けしたい、でもそれができない、それでも行けば何かを感じてもらえるかもしれないから、とりあえず行くだけ行こう。時間を作っては二人で被災地へ足を運びました。積極的に足を運んだのは沿岸部の幼稚園、保育園、老人ホーム、児童養護施設など様々な場所に行かせてもらいました。少しでも楽しい時間を過ごしてもらい心の復興に繋がればという気持ちでトークをしたり ちびっこたちと運動したり。自画自賛で申し訳ないけれど私も秀旺さんもトークは得意(なんなら秀旺さんはラジオ番組もやってました)分野なので 二人の掛け合いはとてもスムーズでどこへ行ってもとても喜んでもらえました。宮城県気仙沼市を回った時には木村選手がわざわざ千葉県東金市から試合でもないのに来ていただきました。これは本当に嬉しかった。気仙沼市内の老人ホームで急遽 藤原秀旺vs木村太輔のノーリング エニウェアフォールマッチを開催し、とても喜んでいただき中には泣いて喜んでくれた方もいて本当に行った甲斐がありました。試合、そして復興支援を続け震災から3年が経過しました。2014年、自分がアライヴのメンバーである事の証明、いずれやらなきゃと思っていたこと、地元、岩手県花泉町でのアライヴ開催一世一代の大勝負に向けて動き出します。つづく


 おはようございます。唯一神藤原秀旺でございます。「東北でプロレスリングアライヴ&メジャーズの大会を入場無料で開催したい!」プロジェクトに向けて現在、82名の方に応援、ご支援いただきました。102%達成、72万円突破! 開始から約2週間という短い期間に目標達成!こんなにもたくさんの方々に応援メッセージやご支援を賜り、感謝いたします。誠にありがとうございます。   これからまた、次のゴールに向けて皆様で一丸となって歩いていきましょう。もといアライヴしていきましょう。  ボクといえば⋯と毎度、毎度、過去にさかのぼり昔話を繰り返すだけの大人になってしまっていました。このことについては謝りたい。 だがしかし、このお話はしておきたい訳で⋯。 今回、リターングッズ·Tシャツとしてあり、藤原秀旺関連グッズとしてはかなり初期の段階から様々なデザインで登場し根強い人気?の「謎の秀マスクの男」あのマスクの歴史はなんとボク自身のプロレスキャリアより長いんです。 高校時分に、いわゆる試合用プロレスマスクが欲しくて欲しくたまらない。しかし試合用となるとかなり高額な為、簡単に買えません。 そこで、東京·水道橋にあるプロレスグッズショップで定期的にマスクリストが送付されていました。たぶん、会員みたいなことだったと記憶しています。 レジェンド·マスクマンの名がズラリと並ぶリストの一番下に、メキシコ·ルチャドーラー無名選手マスク¥6000-とあり即決しました。  なんてことない無機質なデザインの黒いマスクだったので何かアレンジしたいと思い、妹の赤い書道道具箱の表面の布を引っ剥がして「秀」という文字を切り抜き母親にミシンで縫ってもらいました。自分だけのオリジナルマスクが完成した時はうれしさのあまり一日中、家の中でマスクをしてそのまま寝たことを覚えています。   結局は、過去を生きる男として毎日のように昔を思い出し、あの頃は良かった⋯と感傷に浸っておりますが、そろそろインディーの為、地域の為、この国の未来の為の闘いをしようかな思います。本気出します! プロレスが好きで好きで好きすぎる男のリング上での闘いやその表情を見ていただきたい。 これからもこのプロジェクトをキッカケに各地でアライヴという名の磁場を作っていきたいと思います。 藤原秀旺                 


震災から4日たった3月15日、相変わらず家の停電は復旧せず、まだ雪の降る時期でしたので寒さと停電と余震とで極限状態の中、奇跡的にケータイが復活しました。真っ先に秀旺さんに連絡をいれました。秀旺さんが住んでいる花巻市大迫町は比較的被害が少なく、4日間停電で何もできないし何も確認できてない と伝えると「とりあえず風呂に入りにこい」と言ってくれて、ガソリンスタンドも営業していない、車にガソリンも少ししか残っていないのに そんなのも忘れていました。信号も消えている中 2時間車を走らせ秀旺さんの自宅へ向かいました。秀旺さんと秀旺さんのお母さんが風呂と食事を用意してくれていましたが、「ごめん秀旺さん、先にテレビ見させて」と言い、震災から4日経過したこの日 初めてテレビで三陸沿岸部の惨劇を目の当たりにしました。精神的にも体力的にも限界だった自分よりも沿岸部の人たちはつらい思いをしていました。「秀旺さん、これ、俺ら行かなきゃダメだよ」秀旺さんも全く同じ気持ちでした。大震災から4ヶ月後 アライヴは津波で壊滅的な被害を受けた岩手県山田町に行きました。絶対行かなきゃと心に決めた反面、沿岸部の人たちは今日を生きるのに必死になっていてプロレスどころではないんじゃないか?ふざけるなと言われるんじゃないか?誰も来ないんじゃないだろうか?そんな不安が頭をよぎる中、4時間あまり山田まで車を走らせました。会場となった魚市場へ到着すると、もう既に見に来てくれたであろう人たちがたくさん集まっていました。これはもうやるしかない!アライヴは小さい団体です。金も無い、派手な照明や質の良い音響も無い、だけど どんな団体にも負けない本当の戦いを見せるという気持ちだけは昔も今もあります。小細工無しの真剣勝負。会場が一つになりました。後にも先にもこの山田大会を超える熱気を生み出した大会は無いと思います。この時以上の熱気を生み出す事ができるようにアライヴしていきたいと思っております。個人的に三陸沿岸部にはしょっちゅう遊びに行ってますが、また試合で行きたいです。山田以外でも試合をしたい地域たくさんあります。宮古、久慈、釜石、田老、大船渡、陸前高田、大槌、田野畑村、野田村、普代村まだまだ行きたいところたくさんです!今回開催される花巻市大迫大会をキッカケに、岩手県をはじめとする東北での試合をどんどん増やせるように取り組んでいきたいと思います。つづく※写真は2011年東日本大震災復興シリーズの時のものです。


「エピソード3.5~東日本大震災、人生最大の絶望、それでも俺たちはプロレスを届ける~」2011年3月11日、14時46分。当たり前が当たり前じゃなくなったあの日。あれから15年経過しました。もう15年?まだ15年?それは人それぞれの感じ方があると思いますが、あの震災は岩手県の人間からすると忘れる事は決して出来ない、大袈裟ではなく「この世の終わり」を感じさせた震災でした。5年前なにしてたかはもう覚えてないけど、15年前の震災はいまでも鮮明にハッキリと覚えています。あの日は仕事が遅番で15時からだったので会社近くのコンビニで買い物していました。ケータイから聞いた事の無いアラート音が鳴り間も無く今まで経験したことのない揺れがすぐにきました。岩手は昔から地震が多いので、正直震度5程度なら岩手の人はあまり驚きません。震度5でも十分危険なんですけど、良くも悪くも地震に慣れているんです。しかしこの日の地震は過去のものとレベルがまったく違いました。目の前のビルの窓ガラスが粉々に割れ頭に降ってくる、道路がひび割れて大きく開閉して近くの建物がコンニャクのようにぐにゃぐにゃと揺れていました。天井が落ちて中にもう入れない建物もたくさんありました。数分起きに襲いかかる震度6の余震の中びくびくしながら車を運転して会社に着くともう建物の中には入れませんでした。当然県内全域が停電になり情報が全く入ってこない、ケータイも使えないから何もわからない、わからないという恐怖はいまだに思い出すと震えますね。でもあの時なにもわからない中で確信的な嫌な予感が頭に浮かびました。「一関(内陸部)でこの揺れってことは三陸やばいんじゃないか?」と。つづく


こんばんは磐城利樹です少し私の話を……私がアライヴ&メジャーズ所属になったのは2024年11月24日の団体創立15周年大会終了後藤原代表と出会ったのは私が昔所属していた団体の新人の頃もう12年前ほどですねそこからその所属団体を退団して栃木の団体に初参戦した時の相手が藤原代表でした。スタイルが似ていたのかひたすら打撃戦楽しい試合だったのを覚えてます。そしてアライヴの大会にも呼んでもらってCCWトーナメント決勝でも代表と大技をほぼ使わない打撃戦をしましたその時この人と試合するのは楽しいと再確認しましたね。そこから年月が経ち北海道の団体で藤原代表と再会します。何度も北海道で試合してるうちに代表から急にウチに来ないかと声をかけられました。最初は冗談だと思ってましたが会うたび会うたび言われ代表から試合後に「俺とお前ならこんな凄い試合できるんだウチに来いよ!」とそれを聞いて「この人は本気で私を必要としてくれてるんだな」と思いましたが踏ん切りつかずにいました……。そのタイミングあたりで梅さん(梅沢菊次郎)と試合します。この試合もチョップ、頭突き、ビンタくらいしかしない試合梅さんとは両者リングアウトで終わりましたが試合後に「キャリアは違えどライバルみたいなもんだな」と言ってもらえてこの人達ともっとこんな楽しい試合したいと思いました。そして私の心がアライヴに傾いていきます。長ったらしくなるので今回はここまで次回があればこの続きを……


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