東北でプロレスリングアライヴ&メジャーズの大会を入場無料で開催したい!

2009年に岩手県花巻市で旗揚げしたプロレスリングアライヴ&メジャーズが、17周年の節目に入場無料大会を開催します。舞台は藤原秀旺のデビューの地。子どもがリングに立ち、大人が熱狂する一日を届けたい。インディーズから地域を盛り上げ、東北に再び熱を灯す挑戦です。あなたの支援が、花巻のリングを動かします。

目標突破
ネクストゴール挑戦中!

現在の支援総額

772,000

110%

ネクストゴールは1,300,000円

支援者数

90

募集終了まで残り

27

東北でプロレスリングアライヴ&メジャーズの大会を入場無料で開催したい!

目標突破
ネクストゴール挑戦中!

現在の支援総額

772,000

初期目標100%突破

あと 27
110%

ネクストゴールは1,300,000

支援者数90

2009年に岩手県花巻市で旗揚げしたプロレスリングアライヴ&メジャーズが、17周年の節目に入場無料大会を開催します。舞台は藤原秀旺のデビューの地。子どもがリングに立ち、大人が熱狂する一日を届けたい。インディーズから地域を盛り上げ、東北に再び熱を灯す挑戦です。あなたの支援が、花巻のリングを動かします。

 おはようございます。唯一神藤原秀旺でございす。「東北でプロレスリングアライヴアンドメジャーズの大会を入場無料で開催したい!」プロジェクトに向けて現在、59名の方に応援、ご支援いただきました。82%達成、57万円突破!支援者の皆様方、そしてこちらのプロジェクトサイトをご覧いただいている皆様方誠にありがとうございます。   時間を巻き戻してみれば、2009年5月30日(土)岩手県花巻市·大迫交流活性化センターという新しい会場、ユネスコ世界無形文化財である早池峰神楽(はやちねかぐら)を定期開催しているせり上がりステージのある場所にリングを組み開催された旗揚げ戦でした。 プロレスリングアライヴ旗揚げ戦のメインは自分のライバルでもある梅沢菊次郎選手とのシングル戦を熱望しました。 しかし、諸般の事情により梅沢選手の参戦は叶いませんでした。 思えばこの時に試合していてもしなくても梅沢菊次郎という男とは一緒にやってたんだと断言できます。なにかそういう宿命みたいなものでしょうか。 旗揚げからうまくいかないものです。理想を掲げた団体なのに…そんな時、木村太輔選手が「今できる最高のアライヴをみせればいいんですよ!ミスタータガミ選手とのシングルを是非やってください。」意外な言葉に戸惑いましたが、このシングル戦をメーンエベントにすることを決意しました。  この大会には、所属選手以外にボクが前から呼びたいと思っていた竹田誠志選手や同期の神威選手、藤田峰雄選手も参戦し華をそえてくれました。 超満員で地域の期待もあり地元新聞者やマスメディアも取材に来ていただきました。 試合はタガミ選手の一方的なラフ殺法に苦戦し敗れました。旗揚げのメーンエベントでエースがコテンパンに叩きのめされたのです。  ■プロレスリングアライヴ旗揚げオープニングシリーズ「MY GENERATION 2009」開幕戦2009年5月30日(土)岩手県花巻市大迫交流活性化センター観衆258人(超満員)【第一試合】○木村太輔(7分50秒 STO→片エビ固め)鎌田大輔×【第二試合】×はらじゅくきっど(11分41秒 スワントーンボム→片エビ固め)藤田峰雄○【第三試合】○末吉利啓&竹田誠志(18分5秒 武者返し→片エビ固め)田村和宏&神威×【第四試合】×藤原秀旺(12分56秒 トラースキック→体固め)ミスタータガミ○   


CAMPFIRE公式に掲載していただきました。 おはようございます。唯一神藤原秀旺でございす。「東北でプロレスリングアライヴアンドメジャーズの大会を入場無料で開催したい!」プロジェクトですが、本日で早くも10日がたちました。 現在、早くも59名の方に応援、ご支援いただきました。82%達成、57万円突破!支援者の皆様方、そしてこちらのプロジェクトサイトをご覧いただいている皆様方誠にありがとうございます。  あと、18%です。皆様と共にもっともっとアライヴしていきたいのでSNSでの声明、動画コメントなどでリターングッズの紹介や近況報告、試合後のコメントなどなど、ドシドシUPしていきたいと思いますので是非チェックをお願いいたします。   https://x.com/i/status/2034940514265702429


 アライヴの旗揚げと同時に入団する事は結果的にできませんでした。神奈川県川崎市で生活していましたし仕事もすぐに辞めれるようなポジションではなかったので、辞める際にも後任者への引き継ぎ等があり、結局旗揚げ戦の岩手県大迫大会には参加できませんでした。藤原秀旺からすぐに旗揚げシリーズの大迫大会、翌日の紫波町大会の映像を送ってもらいましたが、どちらも集客も良く試合も盛り上がっていたので、現地では見れませんでしたが、直感的にこれはいける!という気持ちが芽生えました。インディー団体というのは昔からそうですが、どんどん細分化され、あの人とあと人が仲悪くて、とか大した試合もできないのにキャリアばかりを重ねてデカイ顔する輩も少なからずいます。こちらとしても気を使うのもめんどくさいし、そうゆうのが嫌でもう辞めようかな、と思うことも未だにありますが、結果的に不要なものを削ぎ落とし少数精鋭ではありますがアライヴのメンバーは信頼関係の強い とても理想的なメンバーと言えます。他団体から参戦していただく選手たちも会場や控え室の雰囲気が良くて理想的ですね、とよく言っていただき本当にありがたいです。結果的に旗揚げメンバーに加え、他団体で活躍していた松崎さんや服部さん、磐城さんが こんな小さい団体にも関わらず入団していただけた、ということに繋がっていると思います。話しが少しずれてしまいましたが、旗揚げ戦の映像を見たのち、末吉さんの地元 栃木県足利大会を神奈川から見に行ったあと遂に神奈川から岩手へと引っ越しました。入団して、なにをやりたいですか?と聞かれました。当日券売り場のもぎり、レフェリー、撮影、リングアナこの中からどれでもいいよ、と言われましたが、私の中では選択肢は一つでした。リングアナウンサー、これ一択でした。昔からいろんなリングアナのモノマネをするのが好きで、尊敬しているリングアナの方、未だに参考にしているリングアナの方がたくさんいます。ちなみに大好きなリングアナはは全日本女子プロレスの今井リングアナと、FMWの荒井社長です。モノマネのレパートリーは、今井さん、荒井社長、全女の氏家さん、JWPの山本代表、みちのくの篠塚アナ、アルシオンの中島アナなど他にもたくさんいます。尊敬するリングアナのテイストを少しずつ織り混ぜながら私は試合のアナウンスと試合前のMCをやらせていただいています。念願のデビュー戦は群馬県邑楽町にある邑楽道場での道場マッチとなりました。岩手県からめちゃくちゃ遠い道中でしたが藤原秀旺との群馬県までの旅は本当に楽しい旅でした。最近は仲間割れしてしまい、一緒に会場へ行くということは無くなってしまいましたが、本当に楽しかったなあ。邑楽道場に置いてあった昔のイーグルプロレスのDVDがあって、島田宏選手が某選手をボコボコにしている戦慄の映像を二人で夜中に見て爆笑したり、本当に楽しかったですね。選手たちといろんなところをサーキットしながらリングアナとして楽しい日々を過ごしていたある日、東北の人間にとって忘れることのできないことが起きてしまいます。2011.3.11つづく


 おばんでございます。唯一神藤原秀旺です。 東北 でプロレスリング アライヴアンドメジャーズの大会を入場無料で開催したい!プロジェクトに向けて現在、53名の方に応援、ご支援いただきました。78%達成、55万円突破!支援者の皆様方、そしてこちらのプロジェクトサイトをご覧いただいている皆様方誠にありがとうございます。 ボクといえば、夢に向かっての決断として2006年3月北都プロレスを退団。2008年末頃までの3年間は暗黒時代でした。 何せプロレスラーとして半分くらい自分を否定しながら試合をしていたような気がします。 しかしこの場では語るに値しないマイナスな事柄なので…。 皆さんの人生の中でそんな場面があるかと思います。そんなふうに察していただければ幸いです。 このプロジェクトは今回からずっと未来に向かって続いていく為にはね。前向きなお話をしましょう。といいつつ昔話ばっかり。  2008年末と記憶しています。末吉利啓が前所属団体を退団するという報告の電話があり「何か、もっとちゃんと新しい団体をやりませんか?」とそれ以降、木村太輔も含め、一緒にやるにしろやらないにしろ一度話し合いをしようということになりました。たしかあれは上野にある貸会議室でした。当時WWS所属の鎌田大輔さん(引退)も合流し4人で一日中話し合いを行った。  団体名、足利プロレスや花巻プロレスその他にも様々な団体名が案として出ましたが、特定の地域だけではなく地域密着ながら様々な場所で開催していくことから地方名称は却下となり、ボクが当時、小柳ゆきさんの「BE ALIVE」(名曲なので一度聴いてみて)を入場テーマ曲にしていたこともありアライヴっていいんじゃないか?となりました。 最初は「レッスルアライヴ」だったんですが、伝わりづらいとなり「プロレスリングアライヴ」異議なし、正式に決定いたしました。ロゴマークの火山噴火も東北から関東が山脈で繋がり、噴火はそのエネルギーが爆発するというようなイメージでした。かなりダイジェスト版でお送りしていますが…まだまだ先は長いのでこのあたりでごっちゃんしさせていただきます。つづく 


 支援者の皆様こんにちは!渚です。前回からまた支援額も増えておりました。本当にありがとうございます!引き続きご支援宜しくお願い申し上げます!こちらのページも面白いものを書いていきますので、どうぞお楽しみに!さて、前回の続きです。デビュー直前の藤原秀旺と初めて会ったのは一関市か花巻市どちらかのガストでした。事前情報がクレイン中條さんから全く知らされておらず、「大迫町出身の今度プロレスデビューする青年」としか中條さんからは伝えられていなかったので、どんな人なんだろう?大迫町?大迫といえば大迫町カントリープラザに毎年プロレス見に行ってるなあ~遠いよ大迫!それくらいの事しか頭に浮かびませんでした。かなり緊張したのを覚えていますが、出会って10分もしないうちに私の緊張は完全になくなり、なんならもう意気投合するくらいの感覚でした。というのも、これまでお互い見てきたものが全く一緒、プロレスに対する思考がほぼ一緒だった、ということです。プロレスと一言で言っても上から下までピンキリです。プロレスをあまり知らない人たちの為に説明しますと、深夜放送などで地上波で放送されているプロレスがいわゆるメジャー団体と言われるプロレスです。それ以外のものに関しては一般的にインディー団体と言われています。「メジャー」の対義語はふつう「マイナー」ですが、プロレス業界では、メジャーとインディーというように分けられます。更に細分化されれば、メジャー、インディー、どインディーとも言われますが 笑私と藤原秀旺はいわゆるインディーと位置付けされるプロレスが大好きな人間でした。プロレスに興味を持った人がいきなりインディーから見始める、好きになる、という事はなかなか無いと思います。まずは教科書のようなメジャー団体から見始めて、他にも興味を持ちはじめて巡り巡ってインディーを追っかけるようになる。インディー団体を好きになるポイントは人それぞれ理由が異なると思います。非日常的なものが好きな人、胡散臭いものに惹かれる人、選手との距離がメジャーに比べて近いところ、会場でセルフ実況しながらニヤニヤしながら見る人、など多種多様ですが、私の場合なぜメジャー団体には見向きもせずインディーマニアになったのか。これには生まれ育った場所が「岩手県」というのが大きく関わってきます。今は無くなりましたが一関文化センター体育館という会場が私の家から最寄りのプロレス会場でした。1年か2年に一回、二回程度プロレスが開催されました。9才からプロレスファンだった私は普段テレビや週刊誌でしか見れないプロレスが来るということで、団体問わず一関や近くの街にきたプロレスは全部見に行っていました。そこである違和感に気付きます。気付くというよりか、そう感じとってしまった少年の自分がいたのです。これは、あくまで子供の頃の私の感覚なので熱狂的なメジャー団体のファンの方は怒らないでくださいね 笑テレビ中継で見ている団体が来る!これは絶対行かなきゃ!そして会場へ行き対戦カード入りのパンフレットを買う。すると、あれ?見たことも聞いたこともない知らない選手がメインに名を連ねている。そして当然のようにその人が負けて終了。普段テレビに出ているスター選手は2分も出てないじゃん。なんだこれ?と。ピュアな小学生です。テレビに映っている後楽園ホールや都内の大きい会場の試合と同じものを見れると思い会場へ足を運んでいるのです。なるほど、田舎だと後楽園ホールの一番高いチケットより値段高いクセに箸休めみたいなカードで試合するんだな。本当の試合を見たいなら後楽園に来いってか、と感じたのです。何回も言いますが、これは小学生当時の私ですからね!笑で、逆にインディーを見に行くと、えっ!?後楽園と同じカードじゃん!凄い!インディーは地方でも手を抜かないぞ!とピュアな渚少年は感じてしまったのです。大人になり、よくよく考えてみれば そもそもメインに出れる器量の選手が限られているわけで そりゃあ首都圏と遜色無いカードになりますわな、と気付いてしまうという 笑嫌な大人になってしまったもんです。といった感じで小学生の頃から週刊プロレスを後ろのページから読む(インディーはほとんど後ろのページだから)危険な子供へと成長し、いまだにインディーばかりを追いかける危ない思想を抱いたまま40すぎてしまいました 笑話しが脱線しすぎたので戻します。北都プロレス時代の藤原秀旺との関係はあくまで選手とファン。試合の告知を手伝ったり、会場でグッズをたくさん買って少しでも利益になってくれれば、と そういった関係が何年か続いたある日なにげない いつもの藤原秀旺からの電話だと思い出てみると「花巻で新団体を旗揚げする。参加してくれないか。」実はこの当時、私は神奈川県川崎市で生活していました。田舎の若者なら一度は抱く夢、都会へ出たい。現金だけ持ち、なんとかなるだろう、そう思い知人を頼りに川崎へ引っ越してから約3年は経過したでしょうか。突然の花巻での旗揚げ宣言。旗揚げ後は東北をサーキットする、と。しかし自分は今 神奈川県にいる。神奈川県から毎回東北の試合に参加するのは正直厳しい。でも藤原秀旺には協力したい。気持ちは大きく揺れていました。つづく


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