プロレスリングアライヴ東北エリア統括兼リングアナウンサーの渚大士(なぎさ・だいし)です。 この度は花巻大会開催への皆様の支援本当にありがとうございます。そして、興味を持ってこのページを開いてくれた皆様もありがとうございます。引き続き大会開催までの期間中の皆様のご支援をどうぞ宜しくお願い申し上げます。 さて、今回約10年ぶりの東北エリアでの開催となります花巻大会。アライヴとしては初の試みとなるクラウドファンディングでの開催ということで、初めてプロレスリングアライヴに触れる方もたくさんいらっしゃると思います。ここでは私自身の歴史とプロレスリングアライヴの歴史を振り返っていきたいと思います。 私は岩手県一関市花泉町生まれで、9才の頃からプロレス小僧でした。親が買ってきてくれる週刊プロレス、週刊ゴングを楽しみにし、年に何回か来るプロレスの試合を見に行くのが楽しみでした。クラスでプロレスを好きだったのは自分だけだったので、少し変わった子と思われていたかもしれません。プロレスが好きという思いはやがて、プロレスラーになりたい、という気持ちに当然ながら変化していきます。時が経ち、2004年。私は肺の中で出血が止まらなくなるという大きな病気になり宮城県内の大きな病院に入院しました。と、同時にプロレスラーになる夢は諦めました。今思い出しても地獄のような検査、治療が連日続き体力的にも精神的にもかなりしんどかったです。退院が近付いてきたある日、突然私の携帯が鳴りました。それは知らない番号からでした。普段知らない番号からの電話は出ない私ですが、何故かこの時は電話に出ました。この時何故電話に出たのかは分かりませんが今思えば運命だったと思います。電話の主は北都プロレスの代表クレイン中條さんでした。これは今でも謎なんですが、どこで私の携帯番号を入手したのかは20年以上経った今でも謎です(笑)この時、私は当然選手でもなければリングアナでもないただのファンです。ただこの当時、プロレス特番の番組にファン代表として出演したり、学校をさぼって試合を見に行ってましたので東北の会場であればどこに行ってもいるヤバい人という、ちょっとした有名なファンだったと思います。中條さんの電話の内容は、「今度、大迫で藤原という選手がデビューするから大会を支援してほしい」という内容でした。私は自分自身の病気でいっぱいいっぱいだったので その時は適当に返事したのを覚えています。しかしその数日後、わざわざ中條さんは北海道から見舞いに来てくれました。そしてその時に北都プロレスへの思いと、デビューする藤原秀旺への思いを伝えられ、病気でプロレスへの気持ちが消えていた私の気持ちをまたプロレスへと向かわせてくれました。そして退院後、デビューを控えた藤原秀旺と初対面することとなります。つづく




