東北でプロレスリングアライヴ&メジャーズの大会を入場無料で開催したい!

2009年に岩手県花巻市で旗揚げしたプロレスリングアライヴ&メジャーズが、17周年の節目に入場無料大会を開催します。舞台は藤原秀旺のデビューの地。子どもがリングに立ち、大人が熱狂する一日を届けたい。インディーズから地域を盛り上げ、東北に再び熱を灯す挑戦です。あなたの支援が、花巻のリングを動かします。

目標突破
ネクストゴール挑戦中!

現在の支援総額

772,000

110%

ネクストゴールは1,300,000円

支援者数

90

募集終了まで残り

27

東北でプロレスリングアライヴ&メジャーズの大会を入場無料で開催したい!

目標突破
ネクストゴール挑戦中!

現在の支援総額

772,000

初期目標100%突破

あと 27
110%

ネクストゴールは1,300,000

支援者数90

2009年に岩手県花巻市で旗揚げしたプロレスリングアライヴ&メジャーズが、17周年の節目に入場無料大会を開催します。舞台は藤原秀旺のデビューの地。子どもがリングに立ち、大人が熱狂する一日を届けたい。インディーズから地域を盛り上げ、東北に再び熱を灯す挑戦です。あなたの支援が、花巻のリングを動かします。

 プロレスリングアライヴ東北エリア統括兼リングアナウンサーの渚大士(なぎさ・だいし)です。 この度は花巻大会開催への皆様の支援本当にありがとうございます。そして、興味を持ってこのページを開いてくれた皆様もありがとうございます。引き続き大会開催までの期間中の皆様のご支援をどうぞ宜しくお願い申し上げます。 さて、今回約10年ぶりの東北エリアでの開催となります花巻大会。アライヴとしては初の試みとなるクラウドファンディングでの開催ということで、初めてプロレスリングアライヴに触れる方もたくさんいらっしゃると思います。ここでは私自身の歴史とプロレスリングアライヴの歴史を振り返っていきたいと思います。 私は岩手県一関市花泉町生まれで、9才の頃からプロレス小僧でした。親が買ってきてくれる週刊プロレス、週刊ゴングを楽しみにし、年に何回か来るプロレスの試合を見に行くのが楽しみでした。クラスでプロレスを好きだったのは自分だけだったので、少し変わった子と思われていたかもしれません。プロレスが好きという思いはやがて、プロレスラーになりたい、という気持ちに当然ながら変化していきます。時が経ち、2004年。私は肺の中で出血が止まらなくなるという大きな病気になり宮城県内の大きな病院に入院しました。と、同時にプロレスラーになる夢は諦めました。今思い出しても地獄のような検査、治療が連日続き体力的にも精神的にもかなりしんどかったです。退院が近付いてきたある日、突然私の携帯が鳴りました。それは知らない番号からでした。普段知らない番号からの電話は出ない私ですが、何故かこの時は電話に出ました。この時何故電話に出たのかは分かりませんが今思えば運命だったと思います。電話の主は北都プロレスの代表クレイン中條さんでした。これは今でも謎なんですが、どこで私の携帯番号を入手したのかは20年以上経った今でも謎です(笑)この時、私は当然選手でもなければリングアナでもないただのファンです。ただこの当時、プロレス特番の番組にファン代表として出演したり、学校をさぼって試合を見に行ってましたので東北の会場であればどこに行ってもいるヤバい人という、ちょっとした有名なファンだったと思います。中條さんの電話の内容は、「今度、大迫で藤原という選手がデビューするから大会を支援してほしい」という内容でした。私は自分自身の病気でいっぱいいっぱいだったので その時は適当に返事したのを覚えています。しかしその数日後、わざわざ中條さんは北海道から見舞いに来てくれました。そしてその時に北都プロレスへの思いと、デビューする藤原秀旺への思いを伝えられ、病気でプロレスへの気持ちが消えていた私の気持ちをまたプロレスへと向かわせてくれました。そして退院後、デビューを控えた藤原秀旺と初対面することとなります。つづく


 いつも多大なるご支援、そして温かい応援をいただき、心より感謝申し上げます。梅沢菊次郎です。 今日は、2025年10月26日に心筋梗塞で倒れてから、今日この瞬間まで私を突き動かしてくれた「感謝」の想いを、ありのままに書かせていただきます。1. 私の命を繋いでくださった医療関係者の皆様へあの時、私の心臓が止まりかけた瞬間、救いの手を差し伸べてくださったのは、医療従事者の皆様でした。 一刻を争う極限の状態の中で、プロフェッショナルとしての使命を果たし、私の命をこの世界に繋ぎ止めてくださった。医師、看護師、リハビリスタッフの皆様。皆様が注いでくださった情熱と献身がなければ、私は今、こうしてキーボードを叩くことすらできていません。 「梅沢さん、頑張りましょう」という言葉に、どれほど救われたか。皆様は私の命の恩人です。魂を込めて、深く感謝いたします。2. クラウドファンディングで背中を押してくださった皆様へそして、このクラウドファンディングを通じてご支援をくださっている皆様。 病床で「またリングに立ちたい」と願ったとき、正直なところ不安しかありませんでした。しかし、支援の数字が積み重なり、寄せられる温かいメッセージの一通一通を読むたびに、震えるほど力が湧いてきました。 「一人じゃないんだ。待ってくれている人がいるんだ」 そう確信できたことが、私のリハビリにおいて何よりの特効薬になりました。皆様からのご支援は、単なる資金ではありません。私の止まりかけた時計を再び動かしてくれる、「情熱のエネルギー」そのものです。これほどまでに皆様の存在を大きく感じたことはありません。 皆様の存在がなければ、6月6日の復帰という目標は、ただの「夢」で終わっていたかもしれません。今の私は、順調にトレーニングを積み、リングで暴れるための準備を整えています。 これは、私一人の力ではありません。皆様と一緒に歩んでいる道のりです。3. ともに「笑顔で健康に」生きる未来へ私はこの経験を通じて、強く、強く思うようになりました。 「倒れても、また立ち上がれる。そして、みんなで笑い合える。」 そんな社会を、皆様と一緒に作りたい。私が6月6日、岩手花巻のリングに立つ姿を見て、「あいつがあれだけやれるなら、自分も頑張れる」と思ってくれる人が一人でもいるなら、私の闘病には大きな意味があったと言えます。皆様、本当にありがとうございます。 皆様の期待を、勇気を、愛を、すべて拳に乗せてリングへ戻ります。6月6日、岩手の地で。 最高に元気な、復活した梅沢菊次郎を、ぜひその目に焼き付けてください!梅沢 菊次郎


 ※2005年3月当時の写真が見つからなかった為、藤原秀旺生家をごらんください。本編とら何ら関係ありません。ご了承ください。 皆様、おはようございます。本日、クラウドファンディング挑戦5日目を向かえました。本当に早くも65%達成で本人達もびっくりしています。これもひとえにご支援者皆様のおかげですありがとうございます。  ボクといえば、デビューしてから初の北海道ツアー、そして北海道デビュー戦は忘れもしない2005年3.11三石大会、対マーダラ戦。北海道のデビュー戦がいきなりSP人WFの怪奇派ということでめちゃくちゃ気合が入りましたが、何せ試合前に7箇所も保育園や福祉施設を訪問して歩いたから疲れてしまいわずか7分弱で負けてしまったよ。プロとしての体力不足を実感した試合でした。 ネイサン·ルーズ選手、B·ブラッド選手も参戦し強豪外国人来日みたく豪華なシリーズだよなと思った。アジアン·クーガーさんが連れてきた選手達でした。第二戦の標茶〜次の町、釧路に向かう際何処かのトンネルが大雪で立ち往生、釧路についたのは午前四時。確か銭湯で仮眠させてもらってすぐに会場に向かった?⋯。 ?⋯というのは、この文章を書いている途中で記憶が曖昧になりクレイン中條代表に電話したら昔話に華が咲き長電話。けどお互い20年以上前のことだから点と点を繋ぐような会話になった。 釧路そして最終戦は根室と、いま考えると長い巡業してるなーと呟いたのは中條さんでした。 当時ボクは花巻〜八戸〜苫小牧、車とフェリーの移動だったからもっともっと旅が長かったんですね。いまその移動できるかなと心配になります。


第0回とします。
2026/03/16 09:00

 おかげさまで、先ほどなんと公開日から早くも50%達成いたしました。 これもひとえに皆様方のおかげと感謝いたしております。そしてこの輪がどんどん広がっていっているというのを実感しています。 さて、ボクといえば⋯昔話に付き合っていただき、また第1回の続きをしたいと思っていましたが重要なことをお話しなければいけませんでした。 藤原秀旺はどうやってプロレスの門をノッキンしたのか?という肝心なことが抜けていましたのでこの回を第0回とさせていただきます。  2005年2月27日の花巻市大迫町での試合、これ実はなんと当時ボクが所属する北都プロレス本州初上陸大会として開催されたんです。 北都プロレスデビュー第一号レスラーはボクだったんですね。北都プロレスといえば、お馴染みクレイン中條代表。この方との出会いがなかったら藤原秀旺というプロレスラーはいなかったと思います。  記憶では2001年か2002年頃だったとおもいます。プロレスファンというかマニアだったボクはいろんな団体のグッズを収集していました。当時中條さんが所属していたアジアンスポーツプロモーションに問い合わせの電話をしたんです。 その電話に出たのがそう、中條さんでした。中條さんはサービス精神が旺盛な方なので突然電話したいちファンにもいろんなエピソードをお話していただました。岩手に住んでいるという話をしたら化粧品の仕事で東北はよく行くとのこと、タイミングを合わせて会おうということになりました。それからすぐに中條さんが寄せ書きのサイン色紙とポスターを送っていただきました。それは今だに部屋に飾っていますよ。 その数カ月後、たしか記憶でとなり町の石鳥谷町の道の駅で会い数時間お話したのを覚えています。それが中條さんとの出会いでした。 その後2003年末に突然、自宅に電話がありアジアンプロレスを退団するという連絡がきました。新団体を旗揚げしようと思ってるんだけど⋯その「新団体」というキーワードにワクワクしたのを覚えていますね。当時ボクは普通に社会人として働いていてアマチュアプロレスをやっていました。 このままアマチュアのままでプロレス終わっていくのは絶対後悔するなと日々強く思っていたので、その話を聞いてもらったと記憶しています。「新団体では練習生は募集していますか?プロレスラーとしてデビューしたいです。」その言葉に中條さんは「なら、フェリーで北海道来て、巡業参加できるなら、一度やってみたら?」その言葉に、ボクはプロレスラーになるぞ!と決意し、北都プロレスの練習生となったのです。つづくのかい?


 藤原秀旺の活動報告です。まずは昨日、ご支援いただいた皆様誠にありがとうございました。 ボクといえば昨日3月14日(土)に東京都江東区にある新木場ファーストリングにてインディー統一連合TTTに参戦してきました。試合は大したことはしていないので割愛させていただきます。自転車に乗って入場したのがピークでしたかね。 昨年より毎度緊急開催されている藤原秀旺日本全国握手会ツアー〜THE FINAL LEGEND〜LAST LIVE 秀章と、銘打ってるのに全く終わる気配が全くない。 この握手会をいろいろな地域でやりたいと思いませんか?支援者の皆さまいかがでしょうか? そして今日でクラウドファンディング二日目このクラウドファンディングのハガキサイズのフライヤーがタイミングよく試合前に手元に届いたのでいっぱい配りました。 今の段階で達成率40%です。これはやはりプロレスのちからもそうですが地域を活性化しようというそのことに賛同していただけてるのではないかと実感しています。 はやり、生まれ育った町が少しづつ寂しくなっていくのはつらいものです。 何かで地域に元気や勇気をもたらせたら、それがプロレスならこんな最高なことはないですね。 まだまだいきましょう。この輪を広げていけますよう。アライヴしようぜ!


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