「ガダルカナル島慰霊巡拝プロジェクト」~先の大戦の記憶を大学生の手で未来へ繋ぐ~

戦後81年。戦争を知る世代が少なくなる中、6月23日から7月1日にかけて大学生がガダルカナル島を訪れ、慰霊巡拝と日本の慰霊碑の視察を実施する。現地で歴史と向き合い、その学びを未来へ伝え、平和への願いをつないでいく挑戦。

現在の支援総額

466,000

93%

目標金額は500,000円

支援者数

49

募集終了まで残り

49

「ガダルカナル島慰霊巡拝プロジェクト」~先の大戦の記憶を大学生の手で未来へ繋ぐ~

現在の支援総額

466,000

93%達成

あと 49

目標金額500,000

支援者数49

戦後81年。戦争を知る世代が少なくなる中、6月23日から7月1日にかけて大学生がガダルカナル島を訪れ、慰霊巡拝と日本の慰霊碑の視察を実施する。現地で歴史と向き合い、その学びを未来へ伝え、平和への願いをつないでいく挑戦。

6月30日、シーホースにてトレッキング・フィールドワークを実施しました。シーホースは、アウステン山周辺に位置する尾根一帯で地形がタツノオトシゴに似ていたことから米軍によって名付けられた戦場です。1942年末から1943年初頭にかけて、日米両軍による激しい攻防戦が繰り広げられました。フィールドワークでは、戦跡を熟知した全国ソロモン会の天谷信越連絡部長や現地の案内人の説明を受けながら実際に尾根を踏査。当時の地形や部隊配置を現地で学ぶことで、資料だけでは得られない実相に触れ、理解を一層深めることができました。また、本派遣では慰霊巡拝の過程で、シーホースを含めた計3箇所にて日本人の蓋然性が高いご遺骨を現地の方に見せて頂きました。加えて、発見者よりご遺骨の政府派遣現地協力者への引き渡しをご依頼頂きました。ご遺骨が見つかったという現場7月1日にはキタノメンダナホテルにて現地協力者へのご遺骨引き渡しも実施し、日本戦没者遺骨収集推進協会への情報提供も行いました。なお、本件は現地協力者、全国ソロモン会の皆様と連携しながら対応しております。引き渡しの様子長年この地に残されていたご遺骨を前に、戦後80年を経てもなお終わっていない課題の重みを改めて感じた次第です。


6月30日、遺骨収集や慰霊巡拝に長年ご尽力下さっているコカンボナ村を訪問しました。コカンボナ村にはかつて第17軍司令部が置かれ、全国ソロモン会、野戦重砲兵第4聯隊、同第7聯隊の慰霊碑が建立されています。これらの立派な慰霊碑に対し慰霊の誠を捧げてまいりました。慰霊碑は丁寧に維持管理されている野戦重砲兵第4聯隊の碑の後ろにあるのは榴弾砲を牽引した6頓牽引車であり、撤退時には動けない将兵を乗せ移動したそうです。村長であった故マイケル・リリアウ氏はこれらの慰霊碑の維持管理を務めて下さった人物です。現在はご子息のマト・ムイ氏がその後を継いで下さっております。故マイケル氏の墓前でも哀悼の誠を捧げ、そのご功績に感謝の意を表しました。私たちがこのように慰霊巡拝を行えるのは、村長親子をはじめとする現地住民の方々のご協力あってだと、改めて深く実感しました。故マイケル氏の墓前にて


6月29日夕刻、ガダルカナル島東部に位置するムカデ高地へ赴きました。ムカデ高地は川口支隊による突撃地点であり、その激戦から血染めの丘とも呼ばれました。高地の東麓は第2師団が総攻撃をかけた密林が広がり、高地には第2師団勇会が建立したガ島戦没者慰霊碑があります。現地では、この地で亡くなられた戦没者に対し拝礼を行いました。ムカデ高地は、ソロモン諸島政府当局により周辺含め国立公園として整備・保全が進められ、戦跡は歴史・観光資源としても活用されています。そのため慰霊碑も修繕が施され高いレベルで維持されていました。先日訪れたタンベアにも同様の慰霊碑がありますが、状態は大きく異なり大変驚きました。老朽化に加えて落書きもあるタンベアの慰霊碑を、ムカデ高地のように持続的な形で残せないかと深く考えた次第です。ムカデ高地 ガ島戦没者慰霊碑タンベア ガ島戦没者慰霊碑


6月29日、バラナ村訪問後ガダルカナル島東部の一木支隊鎮魂碑を訪れました。この地は一木支隊第一梯団と第二梯団混成の「熊大隊」が、川口支隊総攻撃の際に突撃した一帯です。突撃により熊大隊は壊滅的な打撃を受け、この地は凄惨な光景が広がっていたそうです。その後偵察のため、米軍のM3軽戦車数十両が対岸から押し寄せてきました。この戦車群に対し、熊大隊大久保速射砲中隊は戦車を引き付けてから砲撃し、6輌を撃破したとされます。撃破されたM3軽戦車が今なお残る鎮魂碑へ慰霊を捧げるとともに、撃破された戦車を見て戦地に立っているという実感をより得ることができました。鎮魂碑の前にて拝礼


6月29日、バラナ村訪問時にギフ高地(稲垣大隊・西畑大隊埋葬地)へ赴きました。稲垣大隊が布陣し米軍が「ギフ高地」と呼んだこの丘陵地帯。撤退命令が届いていなかったギフ高地の稲垣大隊および西畑大隊の守備陣地は、昭和18年1月22日米軍の戦車により蹂躙されました。同日夜、稲垣少佐は脱出を決意し大隊本部付近より大隊長以下約100名が突撃を決行しました。翌朝、米軍は85名の日本兵の遺体を確認し当地に埋葬しました。戦友の懸命な捜索により当地に埋葬されているご遺骨を発見・収容したのは昭和60年のことだったそうです。今回は、同じ愛知県出身の学生隊員が戦没者へ慰霊を捧げました。歴史を現地で学び、その記憶を次の世代へ繋いでいきます。


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