台所でレシピを見ながら、私は一度、画面を汚したことがあります。粉のついた指でスクロールしようとして、そのまま触ってしまった。よくある失敗です。料理をしている最中、手はたいてい塞がっています。濡れているか、油がついているか、粉がついているか。そういう時に、スタンドの位置を直したい、角度を変えたいと思っても、まず手を拭くところから始めなければなりません。置くだけ約1秒で固定される、というのは、つまりタブレットに触れている時間そのものが短くて済む、ということです。2箇所のヒンジで高さと角度は無段階に調整できますから、立ったまま見下ろす位置に合わせておけば、あとは置くだけです。タフネスケースを着けたままでも使えます。台所で使うなら、むしろ着けておいたほうが安心かもしれません。ここまでは家の中の話でした。明日は少し場所を変えて、他人の手が触れる場所での使い方を考えてみます。
子どもがタブレットを使う場面を、私は何度か想像しました。学習アプリを開く。動画を観る。画面をタップする力は、大人のそれより素直で、まっすぐです。加減をしないから、台がずれる。角度が変わる。ときには倒れる。そのたびに親が呼ばれて、直しに行くことになります。直すこと自体は数秒です。ただ、集中していた時間はそこで一度切れてしまいます。子どもの側も、大人の側も。低重心のベースと約1kgの本体は、こういう場面でこそ働きます。少し強く押されても、置いた場所に留まる。親が何度も直しに行かなくていい。それは道具の性能というより、家の中の静けさの話だと思っています。それに、外すときはボタンひとつです。使い終わったら子ども自身に片づけてもらうこともできます。家の中の話が続きます。明日は机を離れて、もう少し騒がしい場所へ。手が塞がっている時間の話です。
私は絵を描きません。だから正直に言えば、この使い方を最初は想像できていませんでした。タブレットにペンで線を引く。手書きでメモを取る。指でタップするのとは違い、そこには押し込む力がかかります。細い線を引こうとするほど、ペン先は強く画面に触れる。そのたびに台が微かに揺れたら、どうでしょうか。線そのものは直せます。けれど、揺れるかもしれないと身構えながら描く時間は、もう戻ってきません。SnapStandは、重量が約1kgあります。ベースは8mm厚のアルミニウムで、重心が低い位置にあります。軽さを削って重さを選んだ理由は、こういう瞬間のためでした。持ち歩くための道具ではありません。置いた場所で動かないための道具です。設計の思想として、そこははっきりしています。手書きの話をしたので、明日は「書く人」ではなく「触る人」の話を。大人よりずっと遠慮のない手のことを書きます。
一日に何回、タブレットを持ち上げているでしょうか。数えたことはありませんが、私の場合は十回では足りません。オンライン会議のたびに置き、終われば手元に戻して資料を確認し、次の会議でまた置く。この往復が、意外と細かく気力を削ります。挟み直す。角度を戻す。ずれていないか指先で確かめる。一回あたりは数秒です。それが十回、二十回と積み重なると、日の終わりに残るのは疲れというより、こまごまとした引っかかりのようなものでした。SnapStandは、置けば約1秒で固定し、外すときはボタンひとつ、片手で完結します。切り替えに手間がかからないと、会議と会議のあいだに、ほんの少しだけ余白ができる。その余白で、私はコーヒーを一口飲みます。それくらいの、ささやかな違いです。次回は、置いたあとに「画面を押す」場面の話をします。ペン先の圧力に、この道具がどう応えるかという話です。
湯を沸かしている間に、机の上を片づけます。在宅で働くようになってから、私が朝に決めていることはひとつだけです。仕事を始める前に、タブレットをスタンドに置く。それだけです。ネジを回すわけでも、ボタンを探すわけでもありません。EMONITA SnapStandは、置くだけ約1秒で自動的に画面を掴みます。掴む音は、そう大きくありません。けれどその小さな音がしたとき、頭の中で何かが切り替わる感じがあります。道具が構えを終えた合図で、私もようやく仕事の側に立てる。気合いを入れるための儀式ではありません。むしろ逆で、気合いを入れなくても始められるようにするための仕掛けです。朝いちばんに考えることが「スタンドの角度」であってほしくない。その一点だけを、私はずっと気にしてきました。明日は、この机の上で一日に何度も繰り返される出来事について書きます。置いて、外して、また置く。その往復の話です。




