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カンボジアにものづくりの精鋭集団を!職人を育成する実務型職業訓練校を作りたい!

カンボジアのやんちゃ小僧を職人集団に。学力、スキル、お金など、何も持っていない人でも技術とチャンスを手にできる実務経験型の職人育成職業訓練校を作り、誰もが挑戦・再挑戦できる社会を作る!

現在の支援総額

1,606,500

95%

目標金額は1,690,000円

支援者数

127

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2018/11/02に募集を開始し、 127人の支援により 1,606,500円の資金を集め、 2018/11/30に募集を終了しました

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現在の支援総額

1,606,500

95%達成

終了

目標金額1,690,000

支援者数127

このプロジェクトは、2018/11/02に募集を開始し、 127人の支援により 1,606,500円の資金を集め、 2018/11/30に募集を終了しました

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売上が1万円であれ1兆円であれ規模の大小を問わず、資金調達は経営者全員が頭を抱える問題だと思います。うちは規模としては凄く小さく、今まで資金に困った時、いつもぼくが日本に帰って朝から朝まで働いてスタッフに仕送りをするような形を続けて来ました。自分たちの考えを貫き通すには、小さくても、できる限り他人に依存せず経済的に自立している必要があったからです。情けなくもあり、少しだけ誇らしい部分でもあります。「やりたいことしかやらない、やりたくないことは死んでもやらない、でも、やりたいことの為のやりたくないことは死んでもやる」これは昔から持っている信念で、今だって、大変になればいつでもどんな仕事をしてでも継続する覚悟はある。でも、いつまでそんなことを続けるのだろう。本業だけに専念できたらどれだけいいだろう。好きなことだけで皆を食わせられたらどれだけいいだろうと、ずっと思っていました。だからこそ自分の足だけで立っている経営者を倍尊敬するようになったし、真剣に取り組めば取り組む程、周りの人を尊敬するようになりました。ただ、今の状態では伸びしろがないことにも薄々気づいていました。日本の企業からいくつか貰っていた話も、自治を守り、植民地化を避ける為に延ばしのばしにして来た部分もありましたが、この先このままではいけないと思うようにもなりました。そんな中での今回のCAMPFIRE挑戦でした。何度も書いているように、人生でしんどい時に助けてくれたのはいつでも音楽でした。それは歌詞だったり、反復するリズムの心地良さだったりしました。ぼくにとってものづくりをすることは、音楽をつくることととても似ています。直接音楽に関わることがなくなった今でも、やっていることは変わらない。今回挑戦しようと背中を押してくれたのも、大好きな竹原ピストルの歌があったからでした。お金に困った時、真っ先にギターを手に取るのがプロフェッショナル真っ先にバイト雑誌を手に取るのがアマチュア今まではただのアマチュアだったのかもしれません。今回は一歩だけ進んでみることにしました。はじめの一歩はいつも怖い。それは大人になっても同じこと。そんな背中を押してくれた言葉でした。音楽に乗った言葉の力は本当に凄い。それと同じように、手仕事によるものづくりの力もまた本当に凄い。もう一つ、専門的な教育を受けたわけでもなく、どう考えても一流ではない現場叩き上げの僕たちの心をグッと掴んでくれた竹原ピストルの言葉があります。「俺のアディダス」==========一等星に生まれてくることができなかった以上は一等星よりもまばゆい大金星を狙ってやるさダイアモンドに生まれてくることができなかった以上はダイアモンドより硬い石を貫いてやるさ「本物をぶっ倒す、極上のバッタもん」なんか文句あるか 世の中勝ったもん勝ちだったろ==========「本物をぶっ倒す、極上のバッタもん」いいやん。ぴったりや。ぼくたちはいつまで経ってもどこまで行っても、自分たちが何者でもないバカものなんだということを忘れず、ずっと挑戦者でいようと思います。


「絶対ムリやぞ」
2018/11/26 13:53
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中1の時の進路相談の時、ぼくはなんとなくで「プロボクサーか競馬のジョッキーになりたい」と言った。オカンは笑っていた。担任の先生は「絶対ムリやぞ」と言った。「あんなもんはな、生まれた時から馬と触れ合ってるような人しかなられへんねんぞ。体重とか身長の制限もあんねんぞ。もしアカンかった時はどないすんねん?お前にはムリやからやめとけ。もっと現実的なやつにしといた方がええんと違うか」そんなことはわかっていた。中3の時の進路相談では「高校には行かへん。絶対にプロのミュージシャンになる」と言った。オカンは笑っていた。担任と生徒指導の数学の先生は「絶対ムリやぞ」と言った。「あんなもんはな、ほんまに一握りのモンしかなられへんねんぞ。音楽みたいなもんは高校行ってからでもできる。高校だけは出とけて」「そんな時間俺にはないねん。時間がもったいない」と言うと、先生は「もしアカンかったらどないするんや?ええからとにかく高校だけは出とけ」と言った。「アカンことなんかないねん。絶対なんねん。もう決めとうからええねん。」と伝えた。数ヶ月後、くだらない喧嘩がきっかけで1学期だけ行った高校を辞めた。オカンは泣いていたと思う。担任の先生は何も言わなかった。校長先生は「しゃあないな」とだけ言って、退学ではなく自主退学扱いにしてくれた。数年後事務所が決まりインディーズレーベルから初めてレコードを出した時、同窓会か何かで先生にCDを見せると「やるなぁ。でもさすがにプロは厳しいんちゃうか」と言った。数年後、自分が弾いているテレビCMの曲の話をすると、先生も知っていた。「あれお前が弾いとったんか!凄いなぁ!」ドヤ顔で「先生、絶対にムリなことなんか何にもないで」と笑いながら言うと、先生はバツが悪そうに少し黙った後「ほんまやな…」と苦笑いしながら言った。「絶対ムリやぞ」と言った先生は、大学を出て学校の先生しかしたことがない人で、どうやればなれるか知らない人たちだった。アルバイトすらしたことがない先生も多かった。中学校の時、数学の先生は「絶対ムリやぞ」と言ったけど、ブルーハーツは「三角定規じゃ測れないものもある」と教えてくれた。ぼくの人生に大切なことは全て音楽が教えてくれた。「絶対に無理」っていう人はいつだって、やったことがない人たちだ。できるとかできないとかは後の話。やるまで誰もわからない。今まで世界を変えて来たのは、誰もが「絶対に無理」だと言って笑って手をつけなかったことをやって見せた来た人たちだけだ。物事を、できそうかできなさそうかで、挑戦するかしないかを決めない方が良い。「できるかなじゃねぇ、やるんだよ。」ノッポさんも言ってたぞ。こどもは才能の塊で、十代はそれが形になりはじめる大切な時期。世界一ピュアな絵を描くのも、世界一番直感的な音楽を奏でるのも、世界一かっこいいアートをつくるのも、全部こどもたちだとぼくは思う。世の中に"絶対に"なんてことは、"絶対に"ない。やればできる。


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小中学校の時「なかよし学級」という、知的障害のある子やクラスに馴染めない子達が入る”特別な”クラスがありました。そのなかよし学級にいた志村くん(仮名にします)という男の子に強烈に嫉妬した記憶があります。図工か美術のクラスで、粘土で好きなものを作る時間。当時からものづくりの真似事みたいなことが得意だったぼくは、先生によく褒められました。「みんな見てみー。古白川こんなんやっとるぞー。」みんなが粘土でありきたりなものを作る中、粘土をねじったりちぎったり、裂いたり編んだり膨らませたり、他の生徒がしないことを沢山していたので、みんなの前で作品を紹介されて得意げになっていました。へへへと鼻をこすりながら横を見ると、なかよし学級の志村くんが、粘土の下に敷いていた紙の広告を、ちぎり絵の様にして粘土に貼ったり、美術室に落ちていた押しピンや釘を拾って粘土の人形に刺したりしていました。いびつながらも明らかな異彩を放つその粘土人形に思わず「やられた…」と思いました。その手があったか!思いつかなかった…と、志村くんに軽い嫉妬をおぼえながら、教師に「先生見て凄いでコイツ〜。こんなことしとうでー!」と伝えました。すると美術の先生は、「志村お前なにしとんねん!今粘土の授業やろ!誰が勝手にこんなことしてええ言うたんや!すぐ直さんかい!」と志村くんを怒鳴りつけました。志村くんは怒鳴られて硬直し、萎縮しきっていました。てっきり褒めるのかと思っていたので呆気に取られ、自分の中で何かが急激に冷めていくのと同時に、「あぁ、俺の作ったもんは先生に褒められる程度のレベルのもんやったんやな」と感じ、志村くんに強烈な嫉妬をおぼえました。先生には怒られたけど、あの瞬間確実に感じた敗北感のようなものと、腑に落ちない疑問。これは一体何のための授業なんや。と子供ながらに感じたことを30歳を越えた今でも鮮明に憶えています。情熱を注いで教育というものに向き合っている指導者が沢山いることは知っています。学校に色んな事情があることも。でも、学校の本来の目的って何なんだろう。何のためにあるのだろう。学校がもし、全ての創造性の源である「なんで?」を「そういうもんだから」に変えてしまう場所なんだとしたら、もはやそれは学校という形でなくてもいいのかもしれない。人間はみんな未来に向かいたい。気持ち良い、楽しい、嬉しい、心地良い方に向かいたい。ものづくりにはモノだけでなく未来をつくる力がある。ぼくたちはものづくりで未来をつくる。自分たちの目と手と足と頭で。いつだって、学校でもなく、会社でもなく「未来は僕らの手の中」に!


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空気ばっか読んで発言せず黙ってばっかいたら空気みたいな存在になるどんな結果になっても誰に何言われても一本筋が通っていればそれで良い迷った時に"やるか逃げるか"休む事も大事逃げたって良い助けを求めたって良いでも"最悪そんな選択肢だってある"そう認識するだけで休まず、逃げず、進んでいける自分の力の程度なんて、自分が一番よく知ってる謙虚に全部受け止めた上で何が大事か、誰の為になるのかどんな世界を作りたいのかまともでもないくせにまともな事をやろうとしてもダメだって事を3年やってようやくわかった世の中の流れの速さについていけなくて社会から弾き出されてドロップアウトした人間夢や生き甲斐、何か大きな事を諦めた事がある人間大切な人やものを失くしたり大きな失敗をした事がある人間家から出るのも嫌で全部辞めちゃおうかな死んじゃおうかなって思った事がある人間ぼくだけじゃなく、そんな人だからこそわかること、できる事があるはず20代前半日本にいた時、自分自身のつまらない暴力事件がきっかけで文字通り人生を賭けて取り組んでいた夢だった音楽を、世に出る寸前で諦めざるをえなくなった立て続けに後遺障害の残る交通事故に遭い手が痺れてまともにギターも弾けなくなった絶対に音楽で生きていくと思っていたから高校にも行かなかったなくなったら死んでもいいなぁなんていつも言っていたものがある日突然目の前からなくなって何年も毎日抜け殻のようなボウフラのような生き方をしていた時期があったそれでも生きていかなければいけなく何週間も会社に泊まり、早朝から深夜まで死んだ魚みたいな目で働いていた時期があった1日の労働時間は平均でも16,7時間くらいだったと思うある時朝方の五反田駅で、もう何もできなくなって立ってるのも息をするのも辛くなって、体中全部の力が抜けて道端にへたりこんでしまった時に見えた世界があるそれは道端で寝ているホームレスのおじさんだったり酔っ払ってゲロ吐いて倒れている風俗嬢だったり毛がボサボサでフラフラしている野良犬だったりしたあぁなんだ俺と同じ様な奴って、結構いるんだな。。そんな存在に気づけたのは自分がそんな立場になったからだ真ん中のものだけが、正しいとされていることだけが正しいことではないと思うこの数週間深く過去と向き合ったり大事な人と大事な話を重ねた事で色んなことを思い出したなぜカンボジアに来たのかなぜものづくりをしてるのか見栄なんて張る必要はない裸になる、さらけだす落ちこぼれだからこそロクデナシだからこそできる事はあるあのバカでできたんならぼくでも私でもできるかもそんなんでいい挑戦する人が増える社会大きな失敗をした人でも再挑戦できる社会誰もが希望を持って自信を持って生きられる社会そういうのを作りたいんじゃないかものづくりは、失敗と再挑戦の繰り返しだからやってるんだ何度も失敗して、その度にやり直して初めてカンボジアに来た10年近く前、元少年兵だったアキラという人が、大人になってから自分の過ちに気づいて命賭けで素手で、割り箸みたいな棒1本で1人で何万個も地雷撤去していることに衝撃と感銘を受けた物心ついた時から人を殺すことを生きる使命にしていた少年兵が人を救う立場に変わったそれを応援することで、人を殺す武器だったものが人を食わせ、生かすものに変えることで、何も持たないガキンチョが一人前の職人になることで、人は変われる。誰にだって再挑戦できる権利はある。そんなメッセージを伝えられると思っている事業も自分も、何度も死にかけて、その度になんとか、なんとか、やって来たカンボジアのパブストリートで昼間からシンナー吸って白目剥いてぶっ倒れてるチビにも日本で仕事がうまくいかなくて生きづらいあなたにも絶対にどこかに輝ける場所はある一回くらい休んだって、逃げたって死なない限り、やめない限り、絶対にいつかまたチャンスは巡ってくる誰もが挑戦していい社会をつくる大事な人を失くしても、大切なものを失くしても、失敗しても、再挑戦できる社会をつくるカンボジアも日本も関係ない。デカイも小さいも関係ない。絶対につくる


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14日から約1週間程アジア最大級のハンドメイド国際展示会pop up asiaに出展のため台湾に滞在していました。僕たちはカンボジアからSALASUSU、Hari Hara、ASHI、paper journey、shippos合同でGO! REP!というチーム名で2ブース出展。カンボジアからは別ブースでArtisans angkorも出展。隣のブースではminne by GMOペパボさん、trunk designさんなどワクワクするメンツでイベント自体も3万人以上と凄い盛り上がりを見せていました。個人的には準備時間が少なくクオリティなどかなり限定された出展になってしまい相当心残りではあったけど、全体としての手応えは抜群。香港や台湾の企業とのコンサインメントが決まったりと実りの多い滞在になりました。そんな中行われたピッチイベントで我らがGOR!REP!から代表してSALASUSUの陳ちゃんが登壇。なんと優勝…!してしまい来年のブース出展無料券と賞金をGET!イベント終了後日、代表自ら予定になかった台湾のテレビ番組への紹介をして頂くなど、チーム全体でかなりの手応えを感じる滞在となりました。個人的にもこの1,2ヶ月はクラウドファンディングやビジネスコンテスト出場などで今自分たちのしていることやメンタル面と向き合うことが多く、色んな問いを自分自身に投げかけ続けていました。作る物ひとつにしても、その分野に対してのスペシャリティがどれだけあるのかとか、その素材でなければいけない理由とか、それを自分たちがやらなければいけない必然性とか、手段が目的になってしまってはいないかとか、色々と突っ込んだり試したり自分を追い込んだりしていました。 だけど今回の反応を見て思ったのは、何も心配する必要はないということ。今取り組んでいることは世界的にも充分にユニークで、求められているものだったということ。 カンボジアにいると社会的な挑戦をしている人たちが多く、そこで揉まれていると良くも悪くも麻痺してしまっている所がある。だけど、中では埋もれていても、場所を変えたり外に出た途端に輝くものもある。他人と比べて足りない所や改善点だけでなく、ちゃんと「自分たちのやユニークさを知る」そしてそのユニークさが活きる所を見つける、というのはとても大切なことだと学びました。目を輝かせて面白い!といってマシンガンのように質問してくれる企業やお客さんを見ていると、あながち間違ってはいないのだなと、落ち込んでいた所にちょっと希望が出ました。いくら考えても全部答えは一つで、好きだからやりたいからという答えしか出てこない。 コードも音楽理論もロクにわからないセックスピストルズがなぜ世界中であんなにも沢山の人の心を動かしたのか。ロケット飛ばした科学者が、ノーベル賞獲った博士が最初から世の中のためになるからとか儲かるからとか考えてたか。いや多分違う。好きだったから、楽しかったから夢中になってただけに違いない。きっとそれに取り組んでいる時間が好きで好きで楽しくて仕方なかったはず。没頭しているうちに好きこそ物の上手なれで秀でていったんだと思うし、そのうちに世の中を変えたいとか誰かのためにとか色んな欲求が出てきたんだと思う。  好きなことを好きだと言うこと、それを実際にやってみること、そんなことを繰り返しているうちに物事は雪だるま式に加速して進んでいく。同じような人たちが引き寄せあって繋がり、そんな人たちが自分が見たこともないような世界に連れて行ってくれることもある。 あぁ物事ってこんな風に進んでいくのか、とつくづく感じさせられる2ヶ月でした。安かろう悪かろうのイメージの抜けないカンボジアのものづくりですが、こういった積み重ねで世界から認められていったら嬉しいです。