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鳥公園・新体制に向けてご支援のお願い

鳥公園は、11月の新作公演『終わりにする、一人と一人が丘』を以て、西尾佳織が作・演出を兼ねる創作体制を終わりにし、劇作・主宰の西尾佳織と、和田ながら、蜂巣もも、三浦雨林の演出家3人で組む新体制に移行します。持続可能な創作環境について、仕組みから一緒に考えサポートするメンバーになっていただけませんか?

現在の支援総額

1,996,000

99%

目標金額は2,000,000円

支援者数

168

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2019/11/21に募集を開始し、 168人の支援により 1,996,000円の資金を集め、 2019/12/15に募集を終了しました

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1,996,000

99%達成

終了

目標金額2,000,000

支援者数168

このプロジェクトは、2019/11/21に募集を開始し、 168人の支援により 1,996,000円の資金を集め、 2019/12/15に募集を終了しました

鳥公園は、11月の新作公演『終わりにする、一人と一人が丘』を以て、西尾佳織が作・演出を兼ねる創作体制を終わりにし、劇作・主宰の西尾佳織と、和田ながら、蜂巣もも、三浦雨林の演出家3人で組む新体制に移行します。持続可能な創作環境について、仕組みから一緒に考えサポートするメンバーになっていただけませんか?

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 今回の鳥公園の創作体制変更に始まる問題提起に対して、様々な方から応援や応答のメッセージをいただきました。ご紹介していきます! * * *城崎国際アートセンターの滞在制作が作品だけではなく、プロジェクトを産んだことを嬉しく思います。今回の作品は滞在制作は3回。作品の輪郭がみえてきた1回目から、公演直前の完成時期まで、長い期間をかけて作品をつくる時間の一部を共有させていただけたのは、本当に贅沢な経験でした。今回のプロジェクトでは、その時間が共有できる仕組みということで、素晴らしい取り組みだと思います。応援しています。城崎国際アートセンター 館長 田口幹也=====  鳥公園が『終わりにする、一人と一人が丘』のクリエーションの一部を行った城崎国際アートセンター(KIAC)では、年間でだいたい20組前後のアーティストやカンパニーの滞在制作を受け入れています。開館して今年(2019年)で6年目なので、これまでに100組を超えるプロジェクトのクリエーションを受け入れてきた計算になります。これだけの数のアーティストたちの創作に立ち会っていると、そこから世の中の、とりわけ日本の舞台芸術の創作環境についての状況がなんとなく総体的につかめてくるわけですが、アーティストたちが作品やプロジェクトを長期的に発展させていくことがなかなか困難な状況にあることは残念ながら明らかです。そこには、たぶん助成金のことや、稽古場のことや、劇場のことや、人材のことや、あるいは経済のことや、政治のことまで、さまざまな理由があるはずですが、そんな状況に対して、自らアクションを起こし変えていこうとする、西尾さんと鳥公園の姿勢に共感を覚えます。そんな共感されても西尾さんは気恥ずかしいと思うかもしれませんが。『終わりにする、一人と一人が丘』のKIACでのクリエーションは3回に分かれていました。1回目は2018年4月、その時は当然まだタイトルもなく、戯曲執筆が目的でした。執筆のプロセスを城崎周辺の人たちにオープンにし、1カ月の滞在の後半には集まってくれた参加者の方たちとのリーディング試演会も開催しました。近隣地域からも個性的な方たちが何人も参加してくれた、何とも愉快なリーディングでした。2回目は今年の2月で、戯曲のブラッシュアップのため。3回目は今年10月、俳優たちとのリハーサルを行い、最後に試演会を開催しています。そんな創作過程を多少なりとも共有し、西尾さんたちといろいろなことをお話しする中で、舞台芸術を取り巻く環境や課題に対して、そこに関わる一人一人が何らかのアクションを起こしていくことの必要性をより強く感じるようになっています。だから僕も自分がここで出来ることを少しずつやっていくつもりです。鳥公園のここからの展開を楽しみにしているし、その活動が生み出す新しい創造の場に緩やかに参加していきたいなと思ってます。城崎国際アートセンター プログラム・ディレクター 吉田雄一郎=====  2018年3~4月の6週間という長期間にわたって、西尾佳織さんはたった一人で城崎国際アートセンター(KIAC)にて、戯曲の執筆を目的に滞在制作をされていました。私はその6週間に、受け入れ担当スタッフとして“伴走“しました。滞在制作が始まる数か月前から相談をし、執筆途中の戯曲を参加者に見てもらって意見交換をする【オープンスタジオ(全3回)】と、手直しを重ねてそれでもまだ仕上がっていない戯曲を声に出して読んでみる【リーディング試演会(全1回)】をすることを決めました。”まだ執筆途中で出来上がっていない戯曲をその日初めて会った人に見せる”というのは、作家としてはかなり勇気のいることなのではないかと思うのですが、西尾さんは計3回も他人に見せる機会を創りました。オープンスタジオでは、参加者は刷り立てほやほやの戯曲を手渡されて、わくわくしながらページをめくり、「ここの部分はこんなことを考えた」とか「えー!そういう意味だったの!?」と、わいわいと色んな言葉が交わされました。時には、作品に登場するふたりの関係をめぐって、人生相談のような様相にも・・・(笑)。創作過程を“まちに開く”ことは手間と時間がかかることですが、西尾さんのオープンスタジオでは、「観客と作家」ではない関係性(例えば人生の先輩と後輩、女の人と男の人、地元の人と外の人…などなど)が生まれていました。それも対立するのではなく、それぞれがどちらの立場でもあるようなグラデーションを持ったかたちで。アーティストの創作過程をまちに開くことは、お互いにとって豊かなことなのではないかと思う瞬間がたくさんあり、舞台芸術に特化したアーティスト・イン・レジデンスとして運営して数年のKIACにとっても、得るものがたくさんありました。このところ、演劇やダンスや音楽などの舞台芸術と呼ばれる分野のアーティストにとって、従来の劇団と呼ばれる集団がしてきたような、“作品をつくってチケットを売り劇場で上演する“ということに最も重きを置くやり方は、今の社会にあっていないのではないか、と思うことが多いです。アーティストが作品を”発表する”ところだけに特化するというよりは、発表するより前の段階の“いま、つくっている”場を開いていくことが面白いのではないか、という気がしています。城崎より、鳥公園のつくる過程をひらく新しい挑戦を応援しています。そして、気が向いたらいつでも城崎へかえってきてください。城崎国際アートセンター アート・コーディネーター 橋本麻希


 今回の鳥公園の創作体制変更に始まる問題提起に対して、様々な方から応援や応答のメッセージをいただきました。ご紹介していきます! * * *〈日本の会社〉を題材とした90年代のある漫画の最後のエピソードに、「自立って自分ひとりで生きていくこと?だったらオレは自立したくない」という内容の、他人に支えてもらって生きているがゆえに誰よりも自立願望の強い車椅子の少女に向かって主人公が放つ台詞がありまして、小・中学生の頃に読んだわりには自分の中に残っている台詞なのですが、今回の『鳥公園 新体制についてのステートメント』を読んで連想していたらまんまと「自立とは、依存先を増やすこと」なる一言が登場し、いつものことながら西尾さんに対して一方的に通じ合うものを感じていたら(そもそも「複数性の演劇」という考え方も、木村敏さんの『あいだ』も、ずっと自分の中にある意識のひとつです)、拙文を寄せる機会をいただきました。どうも小堀陽平といいます。岩手の山奥にある西和賀町という寒村で演劇合宿を営んだり、中学生や高校生の演劇指導をしたり、地域住民と演劇をつくったり、最近は高校演劇の大会を立ち上げたりしています。たまに自分の作品も発表します。  西尾さんとは共通の知人を通じてSNSでやりとりさせていただき、それをきっかけに先述の高校演劇の大会『いわて銀河ホール高校演劇アワード』の第2回目の課題戯曲を書き下ろしていただきました。この大会は今のところ全国唯一の〈劇作家が書き下ろした共通課題戯曲による演出勝負の高校演劇大会〉というもので、戯曲=作家が書いたもの/上演台本=上演団体が上演作品のために用いるもの、という語義規定のもとで行なっているイベントです。 表向きの企画経緯や意図はいくつかあるのですが、それはそれでウェブサイト(gingaku.jimdo.com)でもご覧いただくとして、あまり語ってこなかったややこしい個人的な思いとして、多様な関わり方が必要であり、しかもさらなる多様化さえも許容できてしまう演劇という営みをめぐる各々の〈(一方的でよいという)自由〉と〈(負うのではなくまっとうするものとしての)責任〉の整理について、どうにか枠組みでもって提示できないものかという問題意識が働いています。また、それをまがりなりにも公共劇場である西和賀町文化創造館でやるということに意味があるとも思っていて、自分としては〈公共〉は〈共〉にアクセントを置いて捉え直しを図りたいと考えているわけですが、そこでもやはり〈自由〉と〈責任〉の問題は整理されなければならないだろうと日々感じています(余計なことをいえば、あいちトリエンナーレをめぐる諸問題についても高度に政治的なところはさておくとして、ゴシップ的な騒動ではなくそういう市井の議論がもっと活発化したほうが健康的ではなかろうかと思ったりもしています)。アクティブな〈共〉のありようとして誰かの〈自由〉を保証したり尊重したりすることは〈干渉しない〉ということではないと思いたいものの私たちの社会はそのへんがどうしもなくまだまだで、スマートな美学のように無関心を装ってみたり、頭では分かっていても余裕がなくなるとすぐハラスメントしちゃったりする様を毎日目にしていると、ほどよい干渉の仕方や関係の結び方をひとまず稽古していくためにはまず枠組みをつくり「今この場では何をどんな立場でどのように扱うのか」ということを整理して思考回路の醸成をうながすという一種の政治的な視座がどうしても必要になる。まあ自分がつくった枠組みは高校生の演劇大会という大変ニッチなものですが、だから逆にというか、将来性を考えて、あせらず慌てずポジティブな意味で正しくニッチでありたいと思っています。 うっかり自分の思考をだだ漏れさせてしまいましたが、劇作と演出を異なる人間が担うという素朴なシステム変更がもたらす意味の大きさ……というか、それが大きな意味を持ってしまう国内の演劇状況の未熟さへの具体的で有効なアクションとして鳥公園の新体制には確かな希望を感じています。当たり前っちゃ当たり前ですがパラダイムシフトは既存のパラダイムを嫌というほど分かっている当事者がもたらしてこそ意義も効果も大きいわけですが、そういうふるまいを実行する際、どんどん話を重くしてあたかも勇気だの覚悟だのが必要とされているかのようなネガティブ誇大妄想に引きずり込む日本人社会のなかで、こういう軽やかな、それでいて誰かを置き去りにしないようなやわらかさをもった営みはそれだけでも示唆に富むはずだと信じています。  鳥公園のこの新たな営みが鳥公園だけのものにとどまらず、あるいは演劇だけのものにとどまらず、じんわりと確かに波及していくように祈りつつ、これからも遠くから勝手に共感を寄せていきたいと思います。 というわけでまた西和賀にもお越しください。これからもよろしくお願いいたします。2019.12.3清澄白河から東京都現代美術館に向かう道中にてギンガク実行委員会事務局(一般社団法人ブリッジ)小堀 陽平


 今回の鳥公園の創作体制変更に始まる問題提起に対して、様々な方から応援や応答のメッセージをいただきました。ご紹介していきます! * * * 芸創CONNECTという短編のコンペティションで西尾さんと知り合い、いくつかの公演をスタッフとして関わらせていただきました。本当にずっと稽古をしている、時間のある限り検証し続けている、すっと考え続けている、稽古以外でも創作について疑問をもって解消しようとし続けている。とはいえ、ひとつの作品に焦点を絞っているわけなく、その賞ういにあるものを幅広く観ている。そんな印象です、鳥公園。 公的助成への疑問、鳥公園の新体制の発表、このステートメントを読んでみるとすごくわかりやすい。考えに考え、練りに練って、これまでの固定概念を取り払われた。西尾さんだから考えつくことであり、伝えれることですね。 これがどういう結果になるのかはわからないけど、このタイミングでこの視線を知って、広まることで僕も含めて目の前の演劇活動に追われている人にはなかった、長期的に俯瞰で見れる視点が増えるかもしれない。それぞれの考え方や個性はあるので、みんなが出来ることではないけど、今ある状況に盲目にならずに、そういう多様性があることが知られていくことは重要だと思っています。 西尾さんの活動を、これからも知っていきたい、見ていきたい、また話を聞きたい、応援していきたいと思います。


 今回の鳥公園の創作体制変更に始まる問題提起に対して、様々な方から応援や応答のメッセージをいただきました。ご紹介していきます! * * *「鳥公園」新体制にむけて             岩城京子 日本の演劇界は六〇年代のアングラブームを牽引した強烈な先人たちの名残で、いまだに「劇作家と演出家がおなじひと」という創作方法がこの国では一般的です。政治に喩えていうならこれは「独裁政権」です。たしかに言論闘争などを武器に社会変革を目指していた昇り調子の時代には、そのような圧倒的個人による有無を言わさぬ馬力が必要だったのかもしれません。実際、そのような先人たちの革新力がなければいまの日本演劇は存在しません。でもそうした圧倒的個による牽引力は、いまの腐敗時代にそぐわない気がしています。まず、これだけ政界のトップに多くの独裁者くずれが鎮座する、戦前の匂い漂う世界情勢においては、たとえ小さな演劇集団であれ、それを模倣し再生産するようなシステムは採用したくないとおもうはずです。演劇の内容ではなく形式として、個の絶対濃度は稀釈していっていいはずです。その意味で、鳥公園がむかうコレクティブという方法論はとても時代に則した選択であるようにおもいます。ただひとつ懸念事項は、日本が「空気を読む」社会だということです。「空気」が意志決定の最上位に置かれているこの国においては、コレクティブになった途端に、責任の所在がどこにあるのかわからない玉虫色の意見が量産される可能性があります。ブレヒトはかつて「個人が考える。集団が戦争に向かう。なぜなら人は自分の意志で考えるより集団に従うほうがたやすいからだ」と述べました。ですので、今回の鳥公園の新体制が、色の異なる個の集まりとしてのコレクティブとなり、同系色の集団になってしまわないことを切に願います。もちろん西尾佳織さんの近作には通底して、絶対純度の意見を迂回しつつ、自分の信念をやわらかに貫きつづける丹力があるので、このような懸念は老婆心だとおもわれます。とにかく、ひとりのアーティストが誰よりも偉大であり、ほかの人々は彼/彼女に従うべき、という日本演劇の独裁体制がここからゆるやかに変容されていくことを願っています。


 今回の鳥公園の創作体制変更に始まる問題提起に対して、様々な方から応援や応答のメッセージをいただきました。ご紹介していきます! * * *「今後の鳥公園に期待する」             白神久吉 東京芸術劇場のアトリエで2回の「アタマの中展」を芸劇側の担当者としてサポートし、公演を見させていただき、なんとなく西尾さんの頭の中の構造というか創造する観点が不思議なところを浮遊しながらも現状に満足できない苛立ちのようなものを感じました。それは西尾さんの創造的な頭脳のほうが現在の先を進んでいるための苛立ちなのか、男とか女とかにまだこだわっている些末な社会に対する反論なのか。そうした表現が我々にとっては複雑であり、ドラマチックというより文学的、詩的な口語表現での私的社会批評になっているような・・・。そうした組み合わせをもとにしてシアターでの公演が実行されたのですが、なぜこの衣装なのか、なぜこうした舞台美術になったのかなって疑問も感じた公演でした。 今後の活動として演出を他の人にゆだねて作品創りをしていくということでので、第三者的に作品を見守ることもでき、また新たなスタッフとの共同創作ということで新しい発見もできるのではないかと思います。西尾さんの頭脳に新たなる頭脳がプラスされることで何倍もの大きな力となって創造活動が豊かなるものになることを期待しています。鳥が大空をはばたくように。2019年12月3日記東京芸術劇場舞台管理担当課長 白神久吉