私は恥ずかしながら助産師になって「妊娠すること」・「赤ちゃんが生まれる」事は奇跡だということに納得しました。周産期の赤ちゃんの死に向き合う事により、どんなに科学が進歩しても生命だけは人間の手でコントロールできるものではないという厳しい現実を突きつけられ、同時に赤ちゃん達から生命の尊さを教えてもらいました。最愛なる我が子とお別れをした両親にとって、親であるにも関わらず我が子の存在がまるでなかった事として取り扱われる社会では、死別の悲しみと向き合うことが困難になります。悲しいからといって心に蓋をし忘れようとするのではなく、自分の気持ちに正直に悲しみと向き合う必要があります。悲しみは排除すべきものではなく、愛しているから悲しいのであり、愛情の証です。その後の人生も、我が子と共に生きる家族をありのまま受け入れ寄り添える社会を切に願いながら、引き続き退院後の支援の充実を図るために取組んでいきたいと思っています。Angieのみなさま、当事者のみなさまの子どもたちへの深い愛と支援の輪を願う熱い思いが込められたピンク&ブルーリボンの普及により、周産期のグリーフに対する社会の理解と支援が広がっていくことを心よりお祈り申し上げます。京都グリーフケア協会認定 アドバンストグリーフサポーター資格上智大学グリーフケア研究所 人材養成課程2年兵庫県立大学看護学部 母性看護学 助教 (助産師)遠藤 佑子京都グリーフケア協会「受講者の声」にも寄稿されています。ぜひご覧ください。周産期グリーフケア はちどりプロジェクトHP:http://hachidoriproject.amebaownd.com
私自身の流産の経験は、15年前になります。妊娠9週目でした。流産ということが、起こりうるという知識は、もちろんありました。妊娠しても1割は流産になるということは知っていました。でも、それがまさか自分の身に起こるとは…。そして、それがこんなにもショッキングなことだということは、経験して初めて知りました。悲しくないだろうと思っていたわけではないけれど、「残念だったなあ」程度のものかと思っていたのです。とんでもない思い違いでした。でも、その経験を、その想いを、話すことはできませんでした。何事もなかったかのようにふるまい、勤務をしました。いま私は、流産や死産を経験した方を支援する働きを始めています。赤ちゃんを失った方がその心の痛みを理解してもらえずに、苦しんでいる現実が、まだまだあります。生きて顔を合わせることができなくても。 ほんの数週間、おなかの中にいただけでも。それでも、大切な赤ちゃんなのです。大切な家族なのです。忘れるなんてできない。乗り越えるとか、前向きに切り替えるとか、そんな簡単なもじゃないということを、多くの方に知っていただきたいと願っています。アートセラピスト 名田文子HP:https://arttherapy-foo.com/
2008年10月、結婚4年目で授かった赤ちゃんを19週3日で亡くしました。子宮頚管無力症でした。自覚症状もないままお産が進み突然の出産となりました。入院は一週間しましたが、看護師さんや先生に何を質問したらいいかすらわかりませんでした。4人部屋のベットで夜中に声を殺して泣きました。先生達には私は自分の状況を理解し落ち着いている患者のよう見えていたかもしれません。精神的にふさぎこんできたのは退院して数週間してからでした。 気分がふさいで人と会えない。夜眠れない。外出先で人混みの中で泣き出してしまう。何かもっとできることがあったんではないか、これから無事に妊娠出産はできるのか。悲しい苦しいしんどい気持ちは頭の中をぐるぐる回って離れず、暗く長い出口の見えないトンネルを歩いているような気分でした。産後の検診も終わって体調は順調に回復しています。出産した総合病院にはもう連絡はとれないと思いました。産後の検診が終わったとたん、赤ちゃんがいなくなったという現実とともに日常生活に放り出された気ような持ちでした。本当は悲しいのに私の事を思い心配する周囲のために「辛い経験を乗り越え前向きに元気な私」にならなくてはいけない。しかしその影では後悔と自責の念にさいなまれ孤独になっていきました。幸い私はネットの中に仲間を見つけ、気持ちを共有することが出来ました。その仲間達と小さく産まれ亡くなった赤ちゃんの為のベビー服を製作し医療機関へ寄付をする活動をはじめました。何もわからず悲しみの淵にいた「あの時の自分」に何かしてあげられないか? 天使ママだから出来ることがあるのではないか?という気持ちでスタートした「ちくちくの会」も活動11年目になりました。流産死産新生児死体験者のお母さん達が社会的に孤独にならないよう、医療のサポートや社会的支援と長く広く繋がれる仕組み作りは大きな課題だと感じています。Baby Loss Family Support 'Angie'さんの活動、国際啓発リボン「ピンク&ブルーリボン」を応援しています。ちくちくの会 代表 長野麻貴ちくちくの会HP:https://chiku-chikunokai.jimdofree.com/mail:chiku-chiku@hotmail.co.jp
私は2度妊娠し、2人の子どもを出産しています。名前は「慈光」と「教導」。これは法名でもあります。世間的に私には子どもはいません。2人は私のお腹の中で心臓がとまってしまったのです。2人とも痛い陣痛を経験して出産し、抱っこもしました。その姿は小さな可愛い赤ちゃんそのものでした。火葬をし、骨もあります。しかし…戸籍的には「存在しない」。私の中で一番辛かったのはこの子たちが存在していなかったものとして扱われ、自分自身も2人がいなかったものとして生活していかなければいけないことでした。Instagramで私はこの経験を投稿しています。亡くなった子の存在が同じ境遇の人や経験したことがない人、医療関係者の理解や情報になればと思い続けてきました。そして、ここでたくさんの天使ママにも繋がることができ、Angieの代表の1人であり、自助サポートグループ・エンジェライトを運営している航平ママのひろみさんにも出会いました。昨年の夏、どうしても精神的に辛くなりエンジェライトに参加を希望しました。それも住んでいるところが遠かったので、飛行機を利用しての参加です!しかし、その距離をものともしないほど私の心は普段は平気なふりをしながら、実は押しつぶされそうに苦しく助けを求めていたのです。理解してもらえる、仲間がいると思うだけでどれだけ私が救われたか…。流産や死産は閉鎖的でタブー視され、天使ママには孤独がつきまとうものです。私は看護師として働いていましたが、流産死産した女性がこれほどまで辛いものだと考えていなかったと思います。医療がどれだけ進んでも、今後も流産や死産はなくなるということはないと思います。Angieの活動が広まり、天使ママへの理解が広まってくれれば軽減される苦しみがあると思います。1人でも多くの天使ママの苦しみが軽減される世の中になることを祈っています。torohttps://instagram.com/toro120120/
2005年11月6日 出産と同時に娘の葵がお空に旅立ちました。妊娠29週の時に無脳症だとわかり... オナカの中で元気に動いているのにどうして? 胎動を感じる度に涙が出てきました。約1ヶ月後、陣痛が始まったのですが助産師さんもビックリするぐらい私のオナカを力強く蹴ってきたのです。 【私はまだ生きているよ!】って言われたような、その時の感覚は今でも忘れられません。そして葵は産声を上げることなくお空へと旅立ち、それと同時に元気に産んであげられなくてゴメンネと自分を責め始めました。 それから14年、葵は私に大切なメッセージを伝えるために自ら無脳症を選んで産まれて来たのだと思えるようになりました。 でも無脳症だと診断されてから出産後も、悲しさなど気持ちを分かち合える人がいなかったことが一番辛かった。だからこそ、赤ちゃんを亡くしたママたちに寄り添いたいと活動しているAngieのことを多くの方に知ってもらいたい。そして流産・死産を経験したママたちの心を癒せる場があることを知ってもらうためにも、ピンク&ブルーリボンが日本でも広がることを心から願っています。加藤麻樹・葵