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『BIO』であふれる町ふじの!BIO惣菜・BIO直売所・BIO販売車を作りたい

【ネクストゴール110万円挑戦中】BIOBOXに続き、プロジェクト第二弾!!安心安全なお惣菜加工場、ビオ食品直売所、地元レストランの移動販売車、これら3つを藤野に作るプロジェクトです。

現在の支援総額

1,265,500

126%

目標金額は1,000,000円

支援者数

175

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2020/05/18に募集を開始し、 175人の支援により 1,265,500円の資金を集め、 2020/06/28に募集を終了しました

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現在の支援総額

1,265,500

126%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数175

このプロジェクトは、2020/05/18に募集を開始し、 175人の支援により 1,265,500円の資金を集め、 2020/06/28に募集を終了しました

【ネクストゴール110万円挑戦中】BIOBOXに続き、プロジェクト第二弾!!安心安全なお惣菜加工場、ビオ食品直売所、地元レストランの移動販売車、これら3つを藤野に作るプロジェクトです。

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Bee simpleです。みつろうラップの製作、販売をしています。みつろうラップとは?1回の使用でごみになるプラスチック製のラップではなく、繰り返し洗って使えるフードラップです。このみつろうラップを使っていくうちに感じた一つのものを丁寧に使う心地よさ。次第に、どのようにしたらプラスチックごみを減らせるか、意識しながら生活するようになりました。今度はこのみつろうラップをみんなに広められたら、、、そう考えた時、藤野の仲間が次々と手を差し伸べてくれ、ウェブサイトが出来ました。ロゴをデザインしてくれた友人、カメラマンの友人、ライターの友人、ウェブデザイナーの友人、撮影に協力してくれた友人、そして日々サポートをしてくれる友人たち、、、何かをやりたいと願った時、それを支えてくれる仲間たちの存在に、本当に助けられてきました。地域の繋がりがとても強い藤野。そして、その繋がりからはいつも素晴らしいものが生まれていることに驚かされます。これからこういった取り組みが益々重要になってくると感じており、今回のこのプロジェクトもとても楽しみにしています。心より、応援しています!from  Bee simplehttps://beesimple.jphttps://www.instagram.com/beesimple836/


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話は2005年に遡る。当時、土屋は大学生時代に起業した会社を経営していて、モデルをキャステングしたり、クラブでパーティーをオーガナイズする日々に明け暮れていたが、そんな生活に少しずつ飽きていき、仕事も徐々に減りつつあった。そんなある日のこと、友人から紹介されてお世話になっていたアッシュ青木岳明さんが、土屋の人生を変えるキッカケを与えてくれた。アッシュさんは歯学部生でありながら、バーの道に進まれた異色の経歴の持ち主で、西麻布界隈では有名な人物。いつものようにアッシュさんがバーテンダーをつとめるバーに行くと、疲れたような表情をした土屋のことを気にかけてなのか、「ツッチー、多分気に入ってくれると思うから」と言って、龍村仁監督の『地球交響曲 ガイアシンフォニー』を勧めてくれたのだ。ガイアシンフォニーとは、1992年に1本目がスタートしたオムニバス映画で、現在もなお9本目である第九番が制作されている最中である。ラインホルトンメスナー、佐藤初女さん、ダライ・ラマ、ジャックマイヨール、フリーマンダイソン等、偉業を成し遂げられたり、現代の常識を越えたことを成し遂げた人、あるいは体験をされている錚々たる方々が出演されている映画だ。もし、母なる星地球(ガイア)が本当に生きている一つの生命体である、とするなら、我々人類は、その”心”、すなわち”想像力”を担っている存在なのかもしれません。我々人類は、その”想像力”に依って科学技術を生み出し、地球の環境を大きく変えて来ました。現代の地球の環境問題は、良い意味でも、悪い意味でも、人類の”想像力”の産物だ、といえるのです。だとすれば、危機が叫ばれるこの地球(ガイア)の未来も又、人類の”想像力”すなわち”心”の在り方に依って決まってくるのではないでしょうか。(龍村仁監督のホームページから一部抜粋)こんなメッセージが込められた映画のシリーズ5番目を観にいった際、劇中でアーヴィンラズローが語った言葉によって、土屋は少しずつ考え方や生き方を変え始めた。激動の時代に生きていることは実はとても素敵なことなんです。激動の時代にはバタフライ効果という現象が起こりやすい。世界のどこかで一羽の蝶がはばたいておこった小さな風の変化が次々に増幅され一週間後には地球の裏側で台風に発達するという現象です。カオス理論の考え方です。これはとても勇気のでる話です。例えそれがほんの小さな力でも正しいときに正しい場所で正しい方法で発揮されれば全地球規模の変化を起こし得るということなのです。ひとりひとりのなかに変化を起こす力がある。力があるからこそ責任もある。未来をひらく鍵は自分の中にその力があることを知ることです。自分自身が変わることによって世界を変えるのです。(アーヴィンラズロー)自分自身が変わらなければ...そんな思いが少しずつ増幅していき、土屋は、渋谷のライブハウスO-EASTでガイアシンフォニーの自主上映をするまでになり、日に日に、自然の中で暮らすことや、スピリチュアルな世界に心を奪われ始めて行った。そして時が経ち、2007年末、当時から遊び仲間で先輩だった小田嶋さんご家族が、そんな土屋の人生を動かすことになる。小田嶋さんご家族は、お子さんがシュタイナー学園に合格したことをきっかけに、藤野という町に引っ越すことになるらしいと。それを聞くにつれ、「藤野、聞いたこともない町だけど、面白そう」という直感が働き、2008年、初めて藤野を訪れることになった。中央線に揺られて到着した町は、新宿から1時間とは思えないほど、自然豊かな環境で、「この町に引っ越してきたい」と強く思ったのである。ただ、その時はまだ決断しきれずにいた。本当に今の都会での仕事や生活を捨てて良いものかという迷いもあった。しかし、後日、一つの偶然が起こったことが、決断を後押しする。なんと、土屋の娘が通う保育園に龍村監督のお子さんが通っており、同学年の娘を持つ親として、龍村監督との縁ができたのだ。そして、たまたま通っていた居酒屋の席で、龍村監督と再会し、相談することになった。「僕、龍村監督のガイアシンフォニーを見て、考え方が変わり、人の縁で藤野っていう町を知り、青山から引っ越そうかと思っているんです。」それを聞いた居酒屋の店主や、周りの仲間たちが「ツッチー、おかしくなっのか?大丈夫か?」と心配する中、龍村監督の奥様は、「藤野って聞いたことあるわ。パーマカルチャーや、シュタイナー学園があるところでしょ?リトリートセンターのような場所でしょ?良いじゃないの。」と言ってくださった。「よし、藤野に引っ越そう。」その時、決断した土屋は、常人には考えれないスピードで意思決定をし、2008年9月、中古の物件を買い、渋谷で経営していた会社を後輩に全て委ね、ほぼ無職の状態で2009年1月に藤野に移住して来たのである。「信念もポリシーもないのが俺のポリシー。ただ、なぜか人生の要所要所で、『お前はこれをやるべきだ!』って言われてるような、偶然の縁やシンクロニシティーがあるんだよね。どこかて一個でもズレてたら、今がないんだよ。偶然の縁が重なり始めると、この偶然が起きたのは、この先にめっちゃ面白い島があるからに違い無いって思い始めちゃうんだよ。それでさ、この先に面白い島があると思うから一緒に行かない?って仲間を誘うと、共感してくれる仲間が自然と集まるんだよね。ただ、どっちに進めば良いのか正解なんてわからないから、舟を漕いでる最中はめっちゃ不安。だけど、絶対たどり着けると信じて必死になって漕いでると、いつ辿り着けるんだよね。そんなことの連続!」と笑いながら言った。そう、土屋は根っからのオーガナイザーなのである。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー裏話の便り  from アッシュさん最初は、BSフジで放送された「 ロングインタビュー 」という番組、ゲストが龍村仁さんというNHKを懲戒解雇になった異色の映画監督の人の放送をVHSに録画したのが始まり。懲戒解雇になった経緯は、キャロルのドキュメンタリーを撮りNHKで19:00からのゴールデンタイムで放送したいと上層部に話を持っていったところ、そんな危険なことは承諾できない!と跳ね返され、謹慎処分にまでされた龍村さんは、自分の処分も全てぶっちぎって無断で強硬撮影を決行したということがバレ、クビになったというもの。そんな人なのに、ダライ・ラマやジャック・マイヨールとマブダチだっていうのが衝撃的だった。ロングインタビューの中でのジャック・マイヨールとの話は、誰も想像が出来ないような驚きのエピソードの連続だった。『 ある時、深海において彼の血液中の酸素が人間では起こり得ないシステムに切り替わったんです。それは、イルカやクジラなどの生物にしか起こらない酸素の循環システムで、有り得ないことだった。イルカやクジラだって、魚じゃないんだからずっと海の中にいられるわけじゃないんですよ。海の中にいられる時間は我々よりもずっと長くいられはするけれども、呼吸をするために海面に上がってくるわけだから。でも、人間は彼らのように長くは潜っていられない。作りが違うから。しかし、ジャックは心の底から本気の本気で " 自分はイルカなんだ " と信じることが出来たから・・・。限界の状態においてからだが生命を維持するためにそういう働きをしはじめたんです。』という「 ブラッドシフト 」の話や、『 ジャック・マイヨールって本当にとてもわがままな人間で、約束やアポイントメントなんかを平気ですっぽかしたりする、そんなのが当たり前のすごくいい加減な人間なの。それが、ある時、彼が日本へやって来る予定が組まれていた数日前に、" ごめんなさい。体調が優れなくて、どうしても日本へ行くことが出来なさそうなんだ。本当に申し訳ない。。"って、あのわがままな、平気でドタキャンするようないい加減な人間の・・・あのジャックが・・・、周りの人間に気を遣うような、ある意味とても(社会的な)人間っぽいというか、相手を思いやるような、そんな言葉を電話で僕に話していることが信じられなくて。。それが、ジャックと話をした最期なんですが。その1週間後に、彼は命を絶ってしまったので。』といったようなこと。番組の最後に、スタジオ収録に観覧しに来てた人たちの中から質問などを受けていた。「 私は○○○○さんから、すごい影響を受けたんですけど。でも、私は人に影響を与えられるような、そんな人間じゃないんですけど。。笑 」と言ったことに対して、龍村さんは語気を強め、『 どんな人であろうとも、必ず誰かに多かれ少なかれは有りますけどね、必ず影響というものを与えているんです。" 自分なんてそんな大したもんじゃないですよぉ " なんて言ってること自体が、おこがましいっ 』と。この言葉に俺は痺れた。そしてアナウンサーの小島奈津子に、「 では、龍村さん最後に。" 人間とは何ですか? " 」と聞かれ、『 人間とは、影響を与える存在です。』と、即答した。影響とはもらうものではなく、与えるもの だということを龍村さんは云ってインタビューは終了し、龍村さんはニコッと笑ってスタジオから出ていかれた。その瞬間、スタジオ内は物凄い拍手の渦に包まれていた。これを、当時 西麻布でやっていた BAR 12《 0∞ 》でプロジェクターでみんなに見せて上げたい!と思い、先ずつっちーに観せるためにVHSのテープを持っていったのだ!(※ その時、もう一つ持っていったのが「 HEART OF EARTH 」という BS-i で放送された冒険家や音楽家などの人たちの、司会者無しのリアル座談会の番組。)その両方のビデオテープは、未だに返ってこない。。(;_;)


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旧津久井郡藤野町の佐野川エリアにある醸造所は国内でも最小規模の文字通り手作りのビール醸造所です。これまで、地域の協力による地元産のホップ栽培や、地域原料を使用したビールの開発、醸造所のお隣のカカオ豆から手作りで作るクラフトチョコレートとのコラボレーション企画など地域に根差した活動を続けて来ました。今回のコロナウィルスの感染拡大の騒動の中、売上は大きく落ち込み存続の危機と戦う日々がまだ続いています。しかし、こんな中でも地域では家飲みのビールに選んで貰ったり、地元の飲食店と協力したりと、出来る事をやり続けなんとか乗り切ろうと工夫しています。ビールにまつわる格言に、ビールには旅をさせるなというものがあります。この自粛の期間、生産調整をする中で考える事は、やはり地域の中での循環が根幹にある事が何より大切であり、その先に大きな商圏と繋がっていくという流れが望ましいという事です。人の繋がりを中心にここ藤野という地域と繋がっている人や地域が沢山あります。地域に根差し、こういった繋がりを大切に育んでいく事業がこの先の時代にも通用する生き方なのだと思います。是非この活動に参加して頂いて、こだわりの詰まった活きたビールを味わってみて下さい!Jazz Brewing FujinoよりSNSでも、発信してます。Facebookページインスタグラムクラフトビールの購入はこちらからできます。楽天ぐるなび


第2章 決起酒会
2020/05/20 10:12
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2020年3月13日の金曜日、23時。恵比寿ガーデンプレイスに畑を作るというアーバンファーマーズクラブのイベントに参加した帰路、油井が運転するハイエースの中は、クラブミュージックのビートと、土屋、油井、小林の3人の議論する声が響き渡っていた。東京都内から1時間圏内ということは信じられない程、山と水に囲まれていて、多彩な人たちが集う藤野という町の価値を、食や農業を通して世の中にもっと伝えられるのではないだろうかと。そんな議論がきっかけとなり、後日、五十嵐、土屋、油井、小林の4人で飲むことになった。「1週間後の土曜、夜8時、土屋商店倉庫にて。」土屋商店の倉庫での決起酒会によって、THE BIO ISSUEの活動の幕は切って落とされた。横開きのガラス扉を開けると、すぐそこには藤野在住のアーティスト元朝さんが作った棚が置かれている。元朝さんが作った棚を見ると、小学生の頃、恐竜の化石をイメージした木製のモデルを夢中になって組み立てたことを思い出してワクワクする。そんな気持ちを掻き立てられるだけでなく、機能性も抜群で、組み立てと解体が簡単。車で持ち運びできる棚は、ファーマーズマーケットで野菜を並べる棚に最適だ。そんな棚の中段には、売物のりんごジュースや藤野のブルワリーJazz Brewing Fujinoが作る地ビールAMP UP IPA、油井のロマネスコ、傘松ファームの卵。棚の上部には、なぜだか地球儀や、エイリアンがバイクに乗る謎のフィギュアが置かれ、一見するとバラバラに見えて絶妙なバランスを保った棚ひとつに、土屋の人柄が現れている。土屋の自宅の目の前にある倉庫は、数年前までカフェが経営されていた場所。今年に入って、その場所を土屋は借り始めた。まだ計画の概要がベールに包まれている『土屋商店2.0』プロジェクトを遂行するための秘密基地として。そんな出来立てホヤホヤの秘密基地に男4人が集結した。「プシュっ、かんぱーい。」缶ビール片手に、決起酒会はスタートした。五十嵐が持ってきたオープンソースソース(BIO食文化を作ることを目的としてレシピを無償公開するドレッシング。「ソフトウェアを自由に利用、改良することを目的に無償公開されたソースコード」という意味合いのオープンソースというIT用語を掛け合わせた)と名付けられたドレッシングをつけたBIO野菜を酒の肴にして。そして、五十嵐が語り始めた。「僕は料理人だから食を通してこの町に貢献したい。美味しいのは当たり前、美味しさのレベルもどんどん上がってきてるし、どこでも美味しいものが買える時代。ただ、美味しさだけが追求されている代わりに、失っているものもたくさんあるんですよね。誰が作ったのかもよくわからない原材料や添加物が食べ物に使われ、食文化がどんどん失われていっている。本当にこのままで良いですかね?こんな風にして文化が失われていったら、僕たちの子どもの世代の頃にはどうなってるんですかね?僕、最近農家さんのお母さんが作る手料理いただくことが多いんですけど、地元で採れた野菜を使って、親世代から受け継がれてきたお母さんの味。めっちゃ美味しいんですよ。例えば、鈴木さんちの肉じゃがとか。藤野では、食文化が失われていく世の中の流れを食い止めることができるし、新たに食文化をつくっていくことってできるんじゃないでしょうかね。」そこに共感しながら、油井も口を開いた。「例えばですよ、なーんつったら良いかなぁ。部活ですよ、部活。部活みたいなノリでやれたら楽しそうっすね。この活動がきっかけでみんなが食に興味持って、集まって漬物作ったり。生産者と消費者が繋がって、食べた人たちから、旨いって言われたら僕たちも嬉しいっす。」「そういうの藤野全体でできたら楽しそうだよね。色んな部活イベントも立ち上げられられそうだし」と土屋。「いかに人にわかりやすく伝えることができるかを仕事で常に考えてるので、どうやったら藤野の魅力や価値が伝わるか、どうやったらこの価値をもっと引き出せるか考えて、僕、発信しますね」と小林。今ある食文化を受け継ぎながら、BIO食文化を新たに作り上げていくことを議題に、バックグラウンドが異なる私たち4人の歯車が噛み合った瞬間だった。夜な夜な4人で語り合い、他愛もない笑い話から、真剣な話まで。熱量はどんどんと上がっていき、ふと気づくと深夜2時を回っていた。


第1章 出会い
2020/05/18 21:21
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<プロジェクトメンバー(向かって左から)>油井敬史 1979年生まれ。農薬も肥料も一切使わずに野菜を育てるゆい農園の主人。渋谷でのバーテンダーや、海外放浪生活を経て、有機農業法人に就職。そこで食べた野菜の旨さに衝撃を受け、農家になることを決意。2014年に就農してから試行錯誤の後、現在のスタイルに辿り着く。五十嵐創 1984年生まれ。「農園 土とシェフ」の料理人兼農家。父が立ち上げた世田谷区の「広味坊」にて9歳から厨房に立つ。人が食べたものを土に還す循環社会を作ることを目指し、2018年に藤野に移住。風味風土風景を通した食文化の向上を図る。土屋拓人 1976年生まれ。ファーマーズマーケット藤野ビオ市の首謀者。大学在学中に起業した制作プロダクションにて、出版社やテレビ局などと多数のプロモーションを手がけていた。2009年、渋谷から藤野に拠点を移してもなお、湧き出るアイディアと人脈を駆使して複数のイベントを立上げるなど、イベントを通して活動の場を広げる。藤野での伝説的なイベント「ひかり祭り」の実行委員や、ライブハウス「渋谷O-EAST」の屋上や恵比寿ガーデンプレイスなどに畑を作り、都会でも実践できる農的暮らしを支援するNPOアーバンファーマーズクラブ立ち上げにも関わる。【はじめに】「クラウドファンディングに出資してくださる皆さまにも、僕たち4人で始めたプロジェクトの物語の主人公になって頂きたい。」そんな想いで、プロジェクトにまつわるエピソード(実話)を物語として描きました。私たち4人が暮らす藤野の食文化を皆さまと一緒に創っていくこと、そして少しずつこの輪が広がっていくことに願いを込めて。少し長くなりますが、最後までご覧になって頂けたら幸いです。ーーーーー  第一章 出会い  ーーーーー「はじめまして」藤野での食事会で土屋に名刺を渡すと偶然にも土屋は、小林が務める会社の顧客だった。そんなことがきっかけで急接近した土屋と小林。「まだ行ったことないなら創くんの店、今度一緒に行こうよ。めちゃくちゃ美味しいから。火曜日と水曜日限定でしか開いてないんだよ。」土屋に誘われ、五十嵐が運営する『土とシェフ』に初めて訪れたのは2019年の秋。肌寒い夜道を子どもたちと歩き、近所にある店に家族で着いたのが19時、くもった窓ガラスの隙間から店内を覗くと、満席だった。少し待ってから席に着くと、殺人的に忙しいことは誰が見てもわかる程、ひっきりなしに注文が入っている。厨房を覗くと、シェフが1人で必死に料理を作っている後ろ姿が見えた。大きな背中でキビキビとした動き。ジュワーという音とともに、高温で炒められる野菜。グラグラと沸騰した鍋の中に、鮮やかな放物線を描きながら入っていく刀削麺。その様子を見ているだけで小林の心はワクワクした。 程なくして、炒められた小松菜の前菜がのった皿が土屋と小林の前に置かれた。ごま油が小松菜に絡み、キラキラと輝き、生姜の香りがフワッと薫ってくる。さっそく口に運ぶと、スーパーに並ぶ小松菜とは比べ物にならないくらい肉厚の葉っぱから感じる食感と、凝縮された旨味が口いっぱいに広がり、多幸感から目を見開いて、「んーっ、うまっ。めちゃくちゃ美味いです。料理も美味しいし、この小松菜もすごいです。こんな小松菜初めて食べました!」そう伝えると、偶然にも、その小松菜の作り手が隣の席に座っていて、「この小松菜は油井くんのところの小松菜。紹介するね、油井くん」と土屋から言われ、状況を掴むのに一瞬時間が止まったことを思い出す。その時が油井と小林のはじめての出会い。農家というよりもミュージシャンと言われたら、そうだろうなぁと思ってしまうような見た目に驚きを隠せなかった。目の前にいるミュージシャンのような見た目の人が、今まで食べたことがないような味がする小松菜を作った人だということは俄かに信じられなかった。なんだか頭をガツーンと殴られたような感覚で、固定概念が吹き飛んだ。その後、次々と出てくる料理に舌鼓をうちながらも、あっという間に時間は過ぎていった。料理が一通り出てきて少しお店が落ち着いた頃、厨房から出てきた五十嵐を土屋から紹介された。「今日、なんだか忙しくって、せっかく来てくださったのに、料理をお出しするのに、時間かかっちゃってごめんなさい。このビール、藤野で作られたビールで、すごく美味しいんで、ぜひ呑んでください。お待たせしちゃったお詫びです。」都内に住んでいた頃はなかなか経験したことがなかったそんなおもてなしに、五十嵐の人としての温かみを感じると同時に、藤野の町の人と人との距離の近さを感じた。寅さんがいた世界で見たことがあるような懐かしい感じ。その後、年齢が近かったこともあり、話は尽きず、好きなバンドの話になり、五十嵐と小林の距離は一瞬で縮まった。その日、同じ店に偶然にも集まっていた4人が、数ヶ月後、プロジェクトを立上げることを、その時はまだ誰もが夢にも思っていなかった。