上毛かるた全44札の中で唯一群馬の「食」をテーマにした「ね」の札、 「ね:ねぎとこんにゃく 下仁田名産」。 どちらも言わずと知れた古くからの下仁田名物であり、群馬県内だけでなく県外の方々にもよく知られています。 しかし、実際に「ね」の札を改めて見てみると、何か違和感を覚えませんか? そうです。「・・・描かれているこのねぎ。これって下仁田ねぎ?」というところです。 実際に下仁田ねぎそのものをご覧になった事がある方はわかると思いますが、通常のねぎよりも太く、ズングリとした独特の形をしているのが特徴なのです。しかしながら絵に描かれているねぎは細く、巷のスーパーで見かける普通のねぎとそれほど変わらないような。 実は、 『ねの絵札に描かれているねぎは下仁田ねぎではない』 というのが正解なのです。 財団法人群馬文化協会の元理事長であり、上毛かるたの生みの親である故浦野匡彦先生の長女:西方恭子さんが書いた『上毛かるたのこころ 浦野匡彦の半生』にはこのように記されています。 以下、引用。 『父は計画当初から、歴史教育家の恩師丸山清康先生に解説文を書いて戴くことに決めていた。これによって他に類をみない〝郷土いろはかるた〟を意識し、先生の従弟にあたる県立前橋工業高校美術教師の小見辰男先生に絵を依頼した。 ~ 中略 ~ ただ、初版の絵は、当時の情況では、各地を訪ね歩くも儘ならず写真などに頼った所もあり、また、例えば下仁田葱などは庶民には見ることも口にすることもない〝殿様ねぎ〟といわれて高級料亭にのみ行く品であっただけに、昭和43年描き直された現在の絵も同じく深谷ねぎの形といわれるが、これは当時の庶民生活を語る良い例になったといえる。私も下仁田葱をこの目と口で確かめたのは昭和50年代に入ってからと記憶し、日本に飽食の時代が到来した頃であったと思う。』 下仁田ねぎは別名『殿様ねぎ』と言われます。今でこそ容易に手に入れられる下仁田ねぎですが、上毛かるたが製作された1947年(昭和22年)当時、庶民にはまだ高嶺の花の存在であり、ねぎの描写として一般的な深谷ねぎの形で描かれたのです。 ちなみに1947年当時、上毛かるた制作公募に寄せられた札のうち、「食」に関するものは下仁田ねぎとこんきゃくの他に利根鮎、磯部煎餅、新田米、わらび、ぜんまいの5品があったと言われています。その中でかるたに採用されたのは下仁田ねぎとこんにゃくのみ。それ以外のものも立派な群馬の名産品であるのは言うまでもないのですが、その一方で作る札には限りがあるので選定には悩みに悩んだことと思います。 しかしながら、その中からまだ見たこともない下仁田ねぎを上毛かるたに採用した。それだけこの高級ねぎは当時の県民にとっての誇りであった事が窺えます。 そんな高級食材を生産している下仁田町。現在高齢化が進み、2年前に発表された『消滅可能性都市』ランキングでは全国1800市町村の中で第12位に入っており、深刻な過疎化が進んでいます。近い将来、下仁田ねぎも町と一緒に消滅してしまうのではないか・・・と危惧しています。 我々の作成しているアプリによってたくさんの方々が下仁田に訪れ、町の観光が活性化することを願っている次第です。そのアプリ製作実現の為、クラウドファンディングに皆様からのご支援宜しくお願い致します。 出典:『上毛かるたのこころ 浦野匡彦の半生』 西片恭子 著
アプリ製作委員会の渡邉です。 今回製作しようとしているアプリ『上毛かるた巡り(仮名)』ですが、もう少し内容を補足した方が良いと思うので詳細イメージを説明します。 現在製作しているのは本文にも書かせていただきました通り、群馬に散在する上毛かるた44枚のゆかりの地を巡ってそれぞれの場所で『札取り』を行い、44枚コンプリートを目指すというものです。これによって、県内外の出身者問わずたくさんの方々に上毛かるたを通じて群馬を知ってもらうこと、そして県内観光の促進させる事を目的としています。 で、どんなアプリかというと、上のイメージのようにアプリをダウンロードして起動しておくと、以下のようにゲームを楽しめます。 ① 上毛かるたゆかりのスポットに近づくと、アプリ上にその札に関するヒントが出現! ② ヒントを頼りにそのスポットへ行き、アプリ上で『札取り!』をして札を獲得! そしてポイントをGET!(札取りの際はGPSで位置情報を送信します) ③ 札を獲得すると、そのスポットに関する説明などが表示されます。 各札にまつわる雑学をお楽しみ下さい! ④ 『つ』や『ち』、『ら』等いくつかの札は特に決められたゆかりの地がないので、 これらの札がどこで取れるかはナイショ。皆様で是非考えて探して見て下さい! ⑤ 11札、22札・・・と区切りの枚数を達成するとある特典がもらえます! ⑥ そして念願の44枚コンプリート!最終特典の獲得はもちろん、この時には群馬雑学(上毛かるた雑学?)王になっていることでしょう!! そして県内で飲食店やホテル・旅館、観光スポットなどを経営している方につきましてはこのアプリ内に広告を掲載することが可能です。一番近い札取りスポットに近づくと、札に関するヒントと一緒に広告をアプリ上に表示致します。 上毛かるたゆかりの地を巡りながら、皆さんも群馬についてもっと深く知ってみたいと思いませんか? このアプリを実現する為に、是非ご支援の程宜しくお願い致します!
新しく上毛かるたを購入して箱を開けると、ある事に気づかないでしょうか。 それは、必ず『い』と『ら』が一番上に置いてあり、この2つの読み札だけ赤色になっている事です。 これ、何故だかわかりますか? 実はこれには上毛かるたを製作した浦野匡彦先生(元二松学舎大学理事長・学長)のある思いがあったのです。 戦後、中国大陸から故郷群馬に引き揚げてきた浦野先生は、荒廃した日本を復興させる為、子供たちの為にカルタを作って郷土群馬の自然や産業、そして人物を知ってもらい、郷土愛を育もうと考え、『上毛かるた』の製作に取りかかります。どのような札を作るかについては1947年に一般から公募を行い、原案を作り上げました。 しかし敗戦後まもなくはマッカーサー率いるGHQ(占領軍司令部)の許可がないと印刷物の発行ができませんでした。その為、上毛かるたの原案をGHQに届けて発行許可を求めると、軍国主義の復活を警戒して数人の人物を札から除外するよう命令が下されました。その中に「小栗上野介」の札があったのです。 なぜ小栗上野介がダメなのかと食い下がったところ、「小栗は横須賀の軍港を作った人物だから軍国主義者だ」というGHQ判断からでした。浦野先生は、小栗が渡米して15代大統領のブキャナンに会っている事や、アメリカの進んだ文明を見て日本もこのような近代国家にしたいと考えて建設したのが横須賀造船所であり、単なる軍艦製造所ではないことを説明したのですが、最後までGHQの判断が覆る事はありませんでした。 また小栗上野介の他にも、国定忠治や高山彦九郎、中島知久平(中島飛行機創業者)などもGHQから札から除外するよう求められました。結局命令通りこれらの札は他に代えて上毛かるたは発行されたのですが、『いずれ時が来たらこれらの札を復活させる』という強い気持ちを表現するため、群馬特有の気象現象である強い雷と空っ風を示す札を作り、読み札を赤く染めたのです。 それが、「ら:雷と空風 義理人情(らいとからっかぜ ぎりにんじょう)」です。つまりこの赤い札は、GHQの強硬な除外命令に対する精一杯の抵抗だったのです。 これに加え、荒廃した日本に早く元気を取り戻してもらいたい、その活力を群馬から発信したいという思いからいろはの最初の文字である「い」の札も赤く染められ、上毛かるたの箱を開けた時に目立つよう、必ず一番上に置くことにしたのです。 ちなみに原案での小栗上野介は、 「ち:知慮優かな 小栗も冤罪(ちりょゆうかな おぐりもえんざい)」 だったそうです。結局この札は実現しませんでしたが、その代わりに「ち:力合わせる百六十万(現在は二百万)」という、群馬県民の団結力を願う札が生まれています。 今となってはあまり知られていない上毛かるたの真実。我々はこれらを『スマホアプリ』という形で沢山の人に知ってもらい、現代に伝えていきたいと思っています。 出典:『上毛かるたのこころ 浦野匡彦の半生』 西片恭子 著
アプリ製作委員会の渡邉です。 来年(2017年)は上毛かるたができてちょうど70年という節目の年になります。 この70年間、群馬で育ったほぼ全ての小中学生が上毛かるたで遊び、競い、育ってきました。その為、群馬出身者であれば全員が・・・と言っても過言でないくらい、上毛かるた44枚全てを暗記していると思います。 しかし、今でも全部暗唱できるよ!という皆様にちょっと質問です。 ① 『老農船津傳次平』は何をした人かご存じですか? ② 『ゆかりは古し貫前神社』は日本でもかなり珍しい神社であることを知っていますか? ③ 『和算の大家関孝和』がニュートンやライプニッツと共に近世三大数学者の一人であることを知っていますか? ④ 高崎にある『白衣観音慈悲の御手』は誰が何の為に建てたのか知っていますか? ⑤ 『い』と『ら』の読み札だけ白色ではなく赤色なのですが、その理由知っていますか? これは私自身も反省しないといけないのですが、上毛かるたを全て暗記しているものの、なぜ1947年当時にこの44枚が札として選ばれたのか?は意外と知られていません。 そこにはかるた製作当時の編纂委員の方々の様々な思いがあるのです。1枚1枚、札として選ばれた意味があります。 昨今、日本人が日本の文化を語れないという事が問題視されています。私も正直、能や狂言、歌舞伎と行った日本の伝統芸能に関してきちんと紹介できる自信は全くありません。 一方で群馬が誇る文化である『上毛かるた』については全部知ってるよ!と胸を張って言いたいのですが、1枚1枚の札の中身について詳しく説明しろ!と言われると実はあまり深く知らない・・・ということに気づいたのです。 皆さんもそうではないでしょうか? 今回製作しているアプリは上毛かるた44枚ゆかりの地を巡る位置情報ゲームであり、群馬県内の観光活性化を目的としています。しかし、もう1つの目的として『群馬県の皆さんが上毛かるた1枚1枚の深い意味を知るきっかけになり、今まで以上に群馬を誇らしく語れるようになる』事を目指しています。その為に是非、このアプリを使って各札ゆかりの地に行ってもらいたいのです。 群馬県出身者として、上毛かるた44枚を暗唱できるのはほぼ当たり前。 次のステップとして、我々は群馬県民の皆様が上毛かるたを通じて群馬に誇りを持ってもらうことを目指しています。 ※上毛かるた許諾第28-01005号
こんにちは、上毛かるた巡り(仮名)製作委員会の渡邉です。 まず初めに宣伝ですが、5/17(火)に高崎シティギャラリーにて講演を致します。 NPO法人 高崎やる気堂様主催の、「人情市」第200回記念『地方創生とは 高崎は生き残れるのか!』というテーマで内閣府地方創生推進室次長の伊藤さん、NPO法人CANPANセンターの山田さんと一緒に高崎の未来について語ってきますので、皆様ご都合がつきましたら是非ご参加下さい。 さてその際にも今回のアプリ製作について紹介、経緯の説明をしようかと思っていますが、3月に群馬県が第15次総合計画「はばたけ群馬プランⅡ」という県の今後の基本方針を公開致しました。 その政策の中に『魅力あふれる観光県ぐんまの推進』というのがあり、H31年までに以下の目標を掲げています。 ①観光入込客数 6181万人(H26年) ⇒ 6500万人(H31年) ②宿泊者数 859万人泊(H26年) ⇒ 950万人泊(H31年) ③観光消費額 1844億円(H26年) ⇒ 1920億円(H31年) 比率にするとH26年と比べて莫大に大きな目標ではありませんが、今後日本はますます高齢化社会となりますので、放っておいたら日本人の観光客は当然のことながら減少していくと考えられます。そんな中、上記3指標を伸ばすというのはかなりチャレンジングな目標なのです。 その具体的な対応策として県はググッとぐんま観光キャンペーンの強化やDMOの設立、富岡製糸場などの世界遺産を核とした観光推進などを掲げていますが、これらを我々民間からもサポートする為に今回のアプリ製作を思いついた訳です。 こんな話をすると、「今外国人観光客が増えてるんだから彼らを取り込めば目標達成なんて楽勝じゃないの?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。 ですが、実はH27年度の群馬県内における外国人宿泊者数は関東7都県中ダントツの最下位です。栃木や茨城にも負けてしまっています。実際問題、外国人の方々は群馬を訪れていないのです。 でもそれは当たり前の話で、日本人が群馬の魅力についてイマイチわかっていないのに、外国人が来るはずがありません。なので、今回のアプリは日本人の方々にきちんと群馬の魅力を知ってもらおうという主旨で上毛かるたゆかりの地巡りというのを考えたのです。 もちろん、後々で外国人向けのアプリ開発なんてのを考えないといけないのかもしれませんが、まずは日本語版アプリの開発に着手します。 5/13日現在、ご支援いただいた額は5万円。目標達成まで残り69日で120万円。 ご賛同いただける方は是非ともあたたかいご支援宜しくお願い致します。